再会の約束

 ハルカは、オレリアから聞いた話をそのままシエルに伝えました。確認の意味を込めて。間違いがあれば訂正して欲しいと、わずかな願いも込めて。


 シエルは否定もせず、言葉を付け足すこともせず、ハルカの話を聞いていました。それはつまり、オレリアの話に嘘偽りが含まれていない裏付けに他なりませんでした。


 そして、ハルカにはどうしても聞かなければいけないことがありました。


「シエルは不老不死になったんだよね。世界が滅んだら、シエルはどうなるの……?」


 ハルカは恐る恐る訊ねます。知ならければいけないけど訊きたくない。そんなジレンマから生まれた問いでした。


「わたしは死ねない。だから、世界が滅んだ後も、ここに残り続けるよ……」

「ああ……」


 覚悟していたとはいえ、意識が遠のいていくようでした。


 誰もいなくなった地上で、シエルは独りで生きていく。人も動物も、微生物すら息絶えた死の星で、彼女は悠久の時を過ごすのです。何百万年……何億年先になるか分からない、人と再会する日まで――ずっと独りで。


 それを想像しただけで絶対零度の手で心臓を鷲掴みにされるような感覚を覚えました。しかしそれは想像ではないのです。すぐそこまで迫った確定した未来なのです。


「ハルカ……」


 シエルは東屋の椅子から立ち上がって、ハルカと目線を合わせます。


「わたしのこと心配してくれてるんだね。やっぱり優しいねハルカ。でも、心配いらないよ」

「そんなわけないじゃないッ! みんないなくなって……、シエルだけが取り残されて……。一年とか二年の話しじゃないんだよ!? ずっと、ずっと、何もなくなった地球で一人ぼっちで……。平気なわけ……ないじゃない」


 いっそ自ら命を絶ってしまった方が楽でしょう。シエルはそれさえ許されません。


「寂しい」とか「孤独」なんて言葉では形容できない重い運命がシエルに降りかかろうとしています。

 けれど、シエルは自分の運命がまるで他人事のように、明るく振る舞ってハルカに語りかけます。


「たしかに、ハルカとお別れになるのはわたしだって嫌だ。ミラともハルカのママとも会えなくなっちゃう。学校にだって行けなくなる。でもね、世界はまた再構築される。どれくらい先か分からないけど、必ず元通りになるんだよ」

「……元通りになる?」

「そうだよ、ハルカ。ハルカともまた会える。これは一時の別れ。だから、そんな寂しい顔しないで」

「……嘘だよね、シエル?」

「え」


 ハルカの冷たい声に、シエルの柔和な笑みは解かれました。


「オレリアさんに聞いたの。私は次の世界にいないかもしれない……って」


――大罪を犯した者は世界が再生しても、生まれ変わる保証はないの。


 オレリアはそう言いました。


 ここでの大罪とは、天使への冒涜や辱めを意味します。魔女狩りが行われた次の世界では、天使を殺した者は転生できませんでした。


 そもそも、すべてが元通りになる訳ではありません。前世と同じ歴史をなぞるといっても、交友関係や技術の発展などには差が生じます。それに加えて、天使を手にかけた者が次の世界でも生を受けられるかどうかは、天界の住人でさえも知らないのです。


「私はシエルの羽を抜いてしまった。天使の象徴を汚すことは何よりの大罪。だから、私はもう生まれてこないかもしれない……そうだよね、シエル?」

「天使に酷いことをした人なんて歴史上に何人もいるよ! それに比べたらハルカは――」

「罪に大小なんて無いよ」

「…………」

「シエル、はっきり言って。地球が息を吹き返しても、その時私はもういないかもしれない……そうだよね?」


 シエルは視線を外したまま逡巡していましたが、やがて険しい表情で口を開きました。


「ハルカのパパとママは、たぶん、きっとまた出会って恋に落ちる。でも……、そこからまたハルカが生まれてくるとは……言い切れない」


 ハルカに配慮して言葉を選びながら、苦しそうにシエルは言います。ハルカは絶望すると思っていましたが、シエルの予想に反して、緊張から解放されたように空を仰ぎます。


「よかった……。お父さんとお母さん、また一緒に暮らせるんだね……」

「ハルカ……」


 たとえその家に自分がいなかったとしても、また二人は愛情を育める。戦争によって途切れてしまった幸せを紡ぐことができるかもしれない。そう思うだけで、ハルカは安堵したのです。


「ありがとうシエル。教えてくれて」

「ハルカは、それでいいの?」

「……うん。来世で私はいないかもしれないけど、またお父さんとお母さんがいる。シエルが生きていてくれる。それが知れただけで、もう満足だよ」


 今までに見たこと無い表情で――ハルカは無理に笑顔を作って言いました。


「でも……、でも……! ハルカのいない世界なんて……そんなの嫌だよ……」

「もし生まれ変われても、それは今の私とは違う私だよ」

「そうだけど……ッ! でも……でもぉ……」


 シエルは目尻に雫を浮かべて唇を噛みます。


「なんで……っ。なんで、ハルカばっかり辛い思いをしなくちゃいけないの……」


 もしもこの事実が明るみになれば、世界中の人々がハルカを責め、断罪するでしょう。しかし、目の前の少女だけは違います。シエルだけはハルカを責めず、何もできない自らの無力さを嘆きます。


 そんな優しい少女の泣き顔を、ハルカはじっと見つめます。


「シエルは、私なんかと出会えてよかった?」

「あたりまえでしょ!」

「私だって同じ。何もない人生だった。この先も何も起こらないんだって諦めてた。でも、シエルと過ごした一年は宝物だった。シエルは、私にとって本当の天使だった」

「ハルカ……」

「私はこの一年を絶対に忘れない。だから、わがままを言えば、シエルにも私と過ごした日々を覚えていて欲しい」

「バカだなぁ……ハルカは。そんなの……忘れられるわけ……ないよ」


 最後は言葉が湿りました。シエルならそう言ってくれると、ハルカは信じていました。ちゃんと言葉にしてくれて、ハルカの中に心残りは消えたのです。


「その上でシエルにお願いがあるの。幸せに生きて。そして、もし次の世界で“未来の私”と出会えたら、また友達になってほしい」

「そんな……」

「私のことだからさ、生まれ変わっても友達いないだろうし。鈍くさくて、惰性に生きてると思うから。だから、シエルが嫌じゃなかったら助けてあげて」


 シエルの視界は涙で歪みます。言いたいことはたくさんありました。でも、ひとつとして形になりません。それがハルカの覚悟だと、誰よりも側にいたシエルが一番理解していたからです。だからシエルは、複雑に絡んだ感情の糸をそのままに、笑顔を作りました。


「ぐすん……。ハルカが雪の中で倒れているわたしを見つけてくれたから。だから今度は、わたしがハルカのことを見つけるね。そして、また友達になるよ」


 無理に笑顔を繕ってシエルは言います。ハルカを不安にさせないように。彼女の意志を尊重するように。シエルの言葉を聞いたハルカはとても晴れやかな表情をしていました。


「ありがとうシエル。でも、世界が終わるまであと二ヶ月はあるんだから。それまでは、今の私と遊んでほしいな」

「ハルカは、未来のハルカに嫉妬しちゃうの?」

「うん」

「ふふっ。ハルカ、かわいい」


 宝石が溶けたような涙を浮かべながらも、シエルは優しく微笑みます。


「わたしからもお願いがあるの」

「なぁに?」

「ハルカは、わたしが不老不死になったのも、世界が滅ぶのも、全部自分のせいだって言ったけど、そんな寂しいこと言わないで欲しいの」

「実際そうでしょう。私がすべての元凶なんだから」


 自嘲気味に薄笑うハルカに、シエルは首を横に振ります。


「わたしは人間界のことは詳しく知らない。でも、今の歴史は……今生きている人類は、きっと生命を使い果たして地球の資源を食い潰すまで戦いを止めないと思う。遅かれ早かれ、世界は滅んでたと思うの」

「仮にそうだとしても、シエルが不死の体になったのは私のせいだよ。幸せが永遠の眠りまで含むなら、私はシエルの幸せを奪ってしまった。死にたいのに死ねない……こんなの呪いだよね……」


 シエルは目を伏せるハルカをまっすぐ見つめて口を開きます。


「わたしね、地上に縛られるのは翼を失った罰なんだって思ってた。でも、不老不死になったことで、またハルカと会える。だとしたら、これは呪いなんかじゃなくて、奇跡の力だよ」


 ハルカの若葉色の瞳に少しだけ光が戻りました。


「だからハルカ。一人で罪を背負おうとしないで。それが罪なら、二人で背負おうよ」


 シエルは優しくハルカの体を抱きしめます。その言葉に、ハルカがどれだけ救われたことでしょう。


「天使だったシエルがそんなこと言っちゃっていいの?」

「うん……わたしは悪い天使だよ。でも、またハルカと再会できるなら、わたしは悪い天使でいいよ」


 耳元を撫でるシエルの声はどこまでもくすぐったくて、どこまでも穏やかでした。


 そうして、二人で過ごす最後の二ヶ月が始まったのでした。

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