巡る世界
すっかり陽が落ちた高台にたどり着くと、東屋のテーブルに顔を伏せているシエルを見つけます。寂しそうな背中に声をかけようと近づくと、微かに啜り泣く声がハルカの耳朶を打ちました。
「シエル……」
シエルがゆっくりと顔を上げます。風が吹けば壊れてしまいそうなガラス細工の瞳をしています。目の前の脆く儚い少女を傷つけないように、ハルカは優しく口を開きます。
「全部聞いたよ……。シエルのことも……そして、代償のことも」
「…………」
「本当なんだね……。本当に、世界は終わるんだね……」
シエルは膝の上でぎゅっと握られた両手に大粒の涙をこぼし始めます。嘘だと言ってほしかった。悪い冗談だと言ってほしかった。しかし、オレリアの話が作り話であってほしいという最後の希望は、無残にも打ち砕かれたのです。
「ごめんねハルカ……っ。わたし……わたし……っ」
「なんでシエルが謝るの? 悪いのはぜんぶ私だよ?」
「ちがうの……っ! わたしが……わたしのせいでみんなが……っ」
「シエルが天界に帰れなくなったのも、世界が滅ぶのも、ぜんぶ私がシエルの羽を奪ったことが原因。シエルは何も悪くないでしょ?」
「ぐすん……っ、でも……、でも……っ!」
世界が滅ぶのはあくまでも地球の意志だと、オレリアは言いました。天使であってもどうすることもできないことだと。それでも、そのきっかけとなってしまった自分に対して、シエルは悔いているのです。
「私が羽を奪ったから世界が滅ぶ……私が自分を責めると思ったから、二つ目の代償のことを秘密にしたんだよね?」
シエルは両手で溢れ出る涙をせき止めようとします。
「シエルは優しいね。でも、これは私の罪。私が善人だったら、みんな死なずに済んだんだ。お母さんも、学校のみんなも、町の人も、世界中の人々も……みんな。死んでいいのは私だけのはずなのにね」
「ハルカはわたしを助けてくれたっ! この一年間、一緒に居てくれた! それがどれだけ幸せだったか……。だから、ハルカ一人死ねばいいなんて……そんなこと言わないで……」
「私がシエルと一緒に居たいって願ってしまったから、みんな死ぬ。私の身勝手な動機で、世界が滅ぶ。私は歴史に名を刻むただの悪魔だよ。シエルにそんな優しい言葉をかけてもらう義理なんてないよ」
目を伏せながら自嘲するハルカに、シエルは告げます。
「ハルカの罪を赦すことは、天使だったわたしにはできない。でも、ハルカの一番の親友としてこう言いたい。わたしを選んでくれて、ありがとうって。世界が終わるその日まで、わたしと一緒に居て欲しい。ううん、世界がまた新しい歩みを始めるその日まで、一緒に居てほしい」
「シエル……」
世界が新たな歩みを始める――その言葉の意味をハルカは知っていました。数時間前にオレリアと交わした会話が思い出されます。
――世界は、再生する?
ハルカは、オレリアの言葉をそのまま繰り返します。オレリアは美しい金糸の髪を横にかきわけて言葉を紡ぎます。
そう、世界の破滅には、続きがあったのです。
「世界はあと二ヶ月で滅ぶ。これは決定事項で、誰にも変えられない。でも、長い時間をかけて世界は再生するの」
「亡くなった人たちも生き返るってことですか!?」
「う~ん……ちょっと違うかな……」
オレリアはどう説明したらいいかと、頭を悩ませます。それにはまず、地球の周期を伝える必要がありました。
「人類の歴史はね、莫大な時間の周期で繰り返されているの。人類が誕生して、都市が栄えて、文明が発達する。でも、どの文明も永遠には続かない。必ず終わりは訪れる。そしたらまた、長い時間をかけて地球は再生する。以前の歴史をなぞるように、生を受け、インフラが整い、娯楽や文化が成長し……やがて、終焉する。その繰り返し」
あまりに茫漠とした話に、ハルカは言葉を失います。まるで、空まで達しそうな壁が目の前に立ち塞がったような感覚です。それでも、ハルカはなんとか疑問を形にして頭の中を整理しようと努めます。
「歴史は繰り返されているって言いましたよね。過去に……すでに世界は何度も滅びているということですか?」
「そうなるわね。恐竜と氷河の時代を経て、二足歩行の人類が誕生し、あなた達の遠い先祖は狩猟生活から文明を築き始める。それが、地上に残る最古の記録。でもね、それ以前にも史実があるのよ」
「記録に残っていないもっと昔……?」
「大型の恐竜が地上をのさばるよりも遥か昔に、人は存在していた。人類は今と同じように都市を築き、産業を発展させていたのよ」
「え、ちょ……え……?」
ハルカは頭が混乱してきました。当然です。学校で習ってきた歴史が今まさに覆されそうになっているのですから。
そこで、ハルカは先ほどオレリアから聞いた魔女狩りの話を思い出しました。
社会不安に怯えた愚民は、魔女の疑惑を着せて天使を処刑しました。結果、世界は滅亡したとオレリアは言いました。世界がそこで破滅したのなら、今ここにいる私たちは何者なのでしょうか。
魔女狩りの史実は、ハルカが学校で習った知識と一致します。でも、オレリアはその時に世界は終わりを迎えたと言います。それじゃあ、今続いている歴史は一体何なのでしょうか。
「さっき言った通りよ。世界は、以前の歴史をなぞる……って」
「歴史を……なぞる?」
「もちろん全く同じじゃなくて、多少は分岐するけどね。地球は死んでも、生前の記憶を覚えているの。滅んでも、また人類は誕生する。集団生活をして社会秩序を作り、戦争をして、科学を発達させて、運命の人と恋をして命を繋ぐ……。一度経験したことをなぞるように、歴史は繰り返される」
つまり、今の世界は――魔女狩りは変わらず行われましたが、天使が処刑されなかった世界なのです。
「それじゃあ、前の世界に私もいたってこと!? お父さんもお母さんも、ミラも、学校のみんなも」
「私は当時まだ生まれてないから断定はできないけど……存在したはずよ。前の世界にも、その前の世界にもハルカは存在した。今と同じような生活を送っていたはずよ」
足が地面についていないようなふわふわした感覚と恐怖が全身を巡ります。
「じゃあ……、今の……この時代の私は、生まれ変わりってこと?」
「簡単に言えばそうね」
「でも、昔の記憶なんて持ってないよ?」
「それはそうよ、生まれ変わりなんだから。前史の記憶は基本的には無いわ」
「例外はあるってことですか?」
「ハルカは、初めて訪れた場所なのに妙な懐かしさを覚えたり、初めて見る光景なのに以前にも見たことがあるような経験したことない? あれは前の世界に生きていたハルカから洩れた記憶の残滓なのよ」
未だに夢の中を浮遊しているような気分ですが、オレリアは事実だけを淡々と語っているように見えます。
「遠い東の国で、こういう宗教の教えがあるそうよ。人は死ぬと別の世界に転生する。世界は人間界を含めて全部で六つあって、次にどこで生まれ変わるかは前世の行いで決定されるって。面白い考えよね」
現世が不幸でも、転生したら新しい人生を始められる……そう考えれば、生きる希望を見いだせるかもしれませんし、悪行への抑止になるかもしれません。ハルカはそんな風に思いました。
「でもね、実際は違う。多少の違いはあっても、基本的に歴史は同じことをなぞる。別の存在に転生して新しい人生を始めるなんて、そんな都合のいい構造にはなってないのよ」
「世界が再生するのにどれくらいかかるんですか?」
「わからない……。再び生命が海から這い上がって陸上で活動を始めるのが何万年先か、何億年先か。そこから人間の形になって、今の時代に戻ってくるまでどれだけの年月を経ればいいのか。天使の私にだって想像もつかないわ」
「そんな……」
あまりにも途方もない未来に目眩がします。
「どれだけ時間がかかるかは分からない。でも、世界は必ず再生する……これだけは絶対よ。だから安心して、ハルカ」
「そう……」
それが唯一の救いでした。自分のせいで壊れる世界。たとえ、遠い未来――次に生まれてくる人たちに前世の記憶がなかっとしても、また今と同じ生活を営ませてあげられる。それだけで、ハルカの心は救われたのです。
「私も……また生まれ変われるんだよね?」
「…………」
「また、このココリク街で過ごせるんだよね? 私とは”別の私”になっちゃうけど……来世の私は、またお父さんとお母さんの子に生まれて、学校に通って、また幸せに暮らせるんだよね? そうだよね……オレリア?」
「…………っ」
「なんで……答えてくれないの……?」
オレリアは顔を歪ませます。次に彼女が口を開くまで時間を要しました。
「……分からないの」
「分からないって……私が生まれ変わるかどうかってことが?」
「うん……」
「だって、みんな生まれ変われるんでしょ? お父さんも、戦争で死んでいった人たちも、みんな!」
「そうだよ」
「じゃあ――」
「でも、ハルカは分からないんだ……」
「……え」
逡巡した後、オレリアは残酷な事実を伝えるのでした。
「ハルカは……、次の世界にはいないかもしれないの」
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