二つ目の代償

 オレリアの質問はシンプルでしたが、ハルカは即答できませんでした。恐怖や不安が混在して言葉が詰まってしまったのです。


 オレリアは返答を急がず、ハルカを見つめたままじっと待ちます。


 そして、覚悟を決めたわけでもなく、夜の海に舟を出すように、恐る恐るハルカは口を開きました。


「……はい。私が……シエルの羽を抜きました」

「そう……」


 オレリアは感情を殺すような口調でハルカに訊きます。


「どうしてそんなことしたの?」

「…………っ!」


 ハルカは爪が食い込むほどに両手の拳を握ります。シエルに打ち明けた話を、オレリアにもすることにしました。少女の罪――シエルが天界に帰ってほしくないが為に、彼女の羽をちぎったことを。


 オレリアは口を挟まずに静かに聞いていました。


 そして、ハルカの告白が終わると、すっと右手を宙に掲げます。その美しい手はまっすぐにハルカの頬に振り下ろされました。


「…………っ!」


 鋭い痛みがハルカの頬に走ります。


「自分が……何をしたか、あなた……分かってるの……っ」


 端正な顔立ちが台無しになるくらい眉間には皺が寄り、声は怒りと震えに満ちています。


「ごめんなさい……ごめ゛んなさい……っ」

「泣くくらいなら最初からするな!」


 天使は直接言葉を交わさないと、オレリアは言いました。普段、言語表現も感情表現もしないオレリアがこんなにも怒りを露わにしている。それがいかに重い事実か、ハルカは思い知ります。一度はシエルに打ち明けた罪ですが、第三者に真正面から叱責され、彼女は改めてその重さを自覚したのです。


「いい? ハルカ! あの子は、あなたのした事を許してなんかいないのよ!?」

「……分かってます。私だって許してもらおうなんて思ってません……! 私は、私の過ちの責任をとります」

「責任……? 責任って何よ! どう取るのよ!?」

「私がずっとシエルの側にいます。シエルのやりたいこと全部叶えて、あの子が人間界で幸せに生きていけるように、私にできることは全部やります。だから……」

「それが……もう出来ないんでしょうが……ッ」


 悔しさを滲ませてオレリアが声を振り絞ります。


「学校を卒業したら頑張って働きます。そしたらシエルに美味しいもの食べさせて、かわいいお洋服買ってあげて……。戦争が終わったら、シエルと色んな所にお出かけするんです。いろんな景色を見せてあげて、地上にはこんなに素敵な場所があるんだよって教えてあげるんです」

「――ないよ」

「え?」

「叶わないよ、それ全部」

「なんでですか!?」

「ハルカが一番よく知ってるでしょ?」


 なんでしょう。会話しているのに、オレリアとは見ている景色が違うような感覚をハルカは覚えました。どうしてオレリアは、夢が叶わないなんて言うのでしょうか。それではまるで、絶望ではないですか。


 ただ、違和感を持ったのはハルカだけではありません。オレリアもまた歯車が噛み合っていないような気持ちだったのです。知らなければ……知っていなければ不味いのです。だから、オレリアはハルカに訊ねました。


「あの子……シエルから聞いてるのよね? 羽の代償について」


 ”代償”と言う言葉を聞いて、ハルカは心臓に太い針が突き刺さるような痛みを覚えます。それを我慢して、あの日シエルから聞いた内容をオレリアに伝えます。


「私が羽を奪ったせいで、シエルは天界に還れなくなった。シエルは不老不死の体になって、永遠に地上で生きていかなきゃいけない……。私の自分勝手な都合でシエルは……っ」


 それを聞いて、オレリアが怒りを再燃させます。


「それだけじゃないでしょっ!」

「……?」


 涙の枯れたハルカを見て、オレリアの背筋に寒気が走りました。


「ハルカ……あなた、あの子から聞かされてないの?」

「だから何を?」


 ハルカは惚けているようには見えません。その表情を見て、オレリアは脱力します。


「オレリア……さん?」


 虚空に視線を漂わせるオレリアでしたが、思考が蘇ると、ハルカに一つの質問を投げかけました。


「ハルカ……あの子と会ってからどれくらい経った?」

「もうすぐで一年です。去年のクリスマスに会いました」

「そう……」


 オレリアはしばし沈黙を作ったあと、微笑します。


「ふふっ、あの子ったら、こっちに来てすぐにドジ踏んだのね。天界にいた時からお転婆というか、危なっかしい子だったから」


 昔のアルバムを眺めるような優しい口調でオレリアは言葉を継ぎます。


「ハルカ。残念だけど、やっぱりあなたの願いは叶わないわ」

「どうしてですか!?」


 曲がりなりにも彼女なりに決意を固めたつもりでした。新しい幸せの形を探しに行こうって、シエルと約束したのです。それを真っ向から否定されて、さすがのハルカも頭に血が上ります。


 しかし、もはやどうでもいいのです。それを、オレリアは教えてくれました。


「あと二ヶ月で、この世界は終わるからよ」



「ハァ……ハァ……ッ」


 ココリクの街をハルカは全速力で駆け抜けます。


「シエル……ッ!」


 一刻も早くシエルに会わなければいけない。一刻も早くシエルに会いたい。通行人にぶつかりそうになりながら、石畳の街道を走ります。


――


 先程のオレリアとの会話が思い出されます。


「ひとつはあの子――シエルが不老不死になること。これは、天使が羽を失ってしまった代償よ。生を受けたときから老いて死ぬまで、羽は持ち続けなければいけない。羽は天使であることの象徴。それを失くすということは、天使の資格を失うに等しい。地に堕ちた天使は、地球が死の星になるまでそこで暮らさなければいけない」


 人は永遠の命に夢を馳せます。しかし、それは本当に幸せなのでしょうか。老いることも、死ぬことも許されず孤独に生きていくことが本当に幸せなのでしょうか。少なくともオレリアはそれを「代償」と表現しました。


 曰く、天使の平均寿命は人間の何倍も長いといいます。そんな長く時代を生きる種族だからこそ、最期の日には安らかな眠りを求めるといいます。だとしたら、それを奪われるのは紛れもなく代償なのです。


「そしてもうひとつ。シエルが言っていない代償がある」

「それが……、世界の破滅……?」


 ハルカが訊くとオレリアは無言のまま頷きました。


 シエルが死ねない体になった話だけでも小説の中の物語に感じられるのに、いきなり世界が滅ぶと言われても現実味がありません。けれど、オレリアも冗談で言っているようには見えません。


「オレリアさん、世界が滅ぶってどういうことですか?」

「文字通りの意味よ。人は絶滅し、都市は壊滅する。今の文明が終わるということよ」

「文明が……終わる?」


 真顔で語るオレリアに何から訊けばいいか分からなくなってきます。


「シエルが……世界を壊すの?」

「違う。私達はあなたたち人間と同じで、世界を壊す力なんて無い。裁定を下すのはあくまでもこの地球の意志よ」

「な、なにかの間違いじゃないの……? もしくは、中止になったりとか……」


 ハルカの問いにオレリアは静かに首を横に振ります。


「実際に、今までにもあったのよ。人間が天使を手にかけ、地球が滅んだ例が。星の意志は絶対よ。誰も生き残らない」


 オレリアはそのひとつの前例を教えてくれました。


 昔、魔女の疑いをかけられた者たちが魔女裁判の下に次々と処刑されていきました。その処刑された者の中に紛れていたのです、天使の少女が。


 天使であることを知らずに殺したのかもしれません。偶然羽が見つかり、それが迫害の動機になったのかもしれません。いずれにしても、社会不安に煽られた人々によって謂れなき罪を着せられた少女は無残にも命を奪われたのです。


 「信じて……。私は、魔女なんかじゃない」という天使の悲痛な叫びが届くことはありませんでした。


「……ひどい」


 ハルカが顔を歪ませます。


「天使は、自分が天使であることを悟られてはいけない。もし羽が見つかっていたら、なおさら魔女の濡れ衣は晴れなかったでしょうね。捕まった時点でもう終わりだったのよ」

「その後はどうなったんですか?」

「教えた通りよ。世界は滅んだわ。まぁ、私もまだ生まれてない時代だから、古い記録を読んだだけなんだけどね」


 滅びまでの時間は定かではないようなのですが、魔女狩りが行われたときばかりは、驚くほどの早さで死体の山が積まれていったらしいと、最後にオレリアは補足しました。羽をもぎ取るのさえ禁忌なのです。無実の天使を処刑した大罪はどれほど重いものでしょう。


 これが二つ目の代償。人間が天使に手をかけると、地球の意志によって、文明が終わりを迎えるのです。


「……ぁっ! はぁはぁ……はぁはぁ……うぅ……っ」


 ハルカは胸を両手で抑えて地面に崩れ落ちます。胃の中が逆流し、失明したと思うくらい視界が闇に落ちていきます。


「大丈夫? ハルカ」


 オレリアは過呼吸になりつつあるハルカの背中を優しく撫でます。


「ど、どうして……わたしに……はぁはぁ……やさしく、なん……か……」

「私も話を聞いた時は感情的になっちゃったけど、ハルカと睨み合っても仕方ないのよ。もう遅いし、何も覆せない」


 オレリアの言葉が重くのしかかります。「責任を取る」とハルカは言いました。しかし、彼女一人の責任ではどうにもならない段階まで来てしまっていたのです。

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