願いが叶う樹
ココリク街の中心部には一本の大きな針葉樹が生えています。その高さは少し離れた位置にある教会の屋根を有に超すほど。収穫祭もあと少しで終わる頃、ハルカとシエルは自分たちの身長の何倍もある巨木を見上げていました。
「おっきな木だね~」
「この街の象徴みたいなものだからね」
「そういえば、あの高台からも見えた気がする。この針葉樹だったんだね~」
「クリスマスの時期になるとね、自作のオーナメントを飾るんだよ」
クリスマスは二人にとって特別な日です。ハルカは一年前のクリスマスの夜にシエルと出会いました。
「……もうちょっとで、あれから一年経つんだね」
シエルがあの冬に思いを馳せながら呟きます。
「ねえ、ハルカ。オーナメントってわたしでも飾っていいの?」
「もちろん。この街の住人なら誰でも付けていいんだよ。冬になると少しずつ飾りが増えていって、クリスマス当日はすごく華やかになるんだ」
「うわ~~~素敵だなぁ~~~!」
豪華におめかしされたクリスマスツリーを想像して、シエルが目を爛々とさせます。
「オーナメントって何でもいいの?」
「うん。木製の小道具を飾るのが伝統なんだけど、忙しい人は鈴だけ付けに来る人もいるよ」
「飾ってどうするの?」
「お願い事をするの。夢が叶うように祈ったり、家族の健康を願ったり」
「ハルカも毎年お願いしてるの?」
「うん……。私はいつも、お父さんとお母さんが元気でいられますようにって」
目を細めて樹を見上げるハルカに、シエルが切ない声を漏らします。
「ごめん、ハルカ」
「ううん、シエルが気にすることじゃないよ」
「この木、うそつきだ。だって、ハルカのお願い事、叶えてくれなかった……」
「たしかにお父さんは戦争で死んじゃったけど、工場で働いてた頃は一度も怪我しなかったし。お母さんだって毎日お仕事と畑の手入れで忙しいのに、風邪すら引いたことないの。それはね、この木のおかげなんだって、私は信じてる」
「……そっか」
「今年はシエルの分もお願いしなくちゃ」
「じゃあわたしも、ハルカのためにお願いする」
「シエルは何をお願いしてくれるの?」
「えへへ、内緒だよ」
二人の手は自然と繋がれていました。絡み合った指は、帰るまで解かれることはありませんでした。
*
「~~~」
「ご機嫌だね、シエル」
「えへへ」
休日。シエルはハルカの部屋でオカリナを吹いていました。
「シエル上手になったね」
「本当!?」
「うん。シエルの演奏はいつまでも聴いていられるよ」
時間があるとき、シエルはよくハルカのオカリナを借りて練習しています。最初の頃こそ悪戦苦闘していましたが、今は簡単な曲であれば自由に吹けるくらいに腕を磨いていました。
よほどその
「よかったらそのオカリナ、シエルにあげるよ」
「え!? それはダメだよ! これはハルカがパパとママからもらったものでしょう。わたしがもらう訳にはいかないよ」
「私はね、辛いことがあるといつもあの高台に行ってオカリナを吹いてた。寂しさとか、苦しさを紛らわすために。これは、逃げるための道具だったんだよ」
使い込まれた赤褐色の楽器に目線を落としながらハルカは言葉を紡ぎます。
「でも、今は違う。私にはシエルがいる。過去と決別するために、いつまでもこれに縋ってちゃいけないんだよ。これがあると、きっと甘えちゃうから」
引き締まった表情を見て、シエルは理解します。夏の終わり――これからは新しい関係を築いていこうと二人は約束しました。それは、ハルカ自身の心変わりも含まれていたのです。嬉しかった思い出を大切にしつつ、弱かった自分を克服する。これはハルカなりの決意の表れなのです。
「ホントに……いいの?」
「さっきも言ったけど、私はシエルの演奏が好き。シエルが楽しそうに吹いているところを見るのが好き。だから、シエルに持っててほしいな」
「ハルカ……。わかった、ありがとう。ずっと……大事にするね」
「本当は新品のを買ってあげられれば一番良いんだけど……」
「ううん……そんなことない。これがいい……。ハルカのがいい……」
シエルは親鳥が卵を温めるように、大切にオカリナを胸に抱えました。
その時です。外から異音がしたのは。
「何!? 今の音」
何やら鋭い金属音のような音でした。二人は家から出て音のした方に向かいます。そこには畑の真ん中で立ち尽くすハルカのお母さんの姿がありました。
「お母さん、どうしたの?」
「
お母さんが手にしていた鍬を見ると、先端が錆びついて折れていました。
「もう古かったんだねぇ」
「ねえママ。冬でも畑仕事はあるの?」シエルが訊ねます。
「そうだよ。動物が寒くなると冬眠するのと同じで、畑も冬の間はゆっくり休んで、春になったらまた元気に作物を実らせるのよ。でも、これじゃあねぇ……」
刃の部分は完全に折れていて、修理は無理なようです。
困った表情を浮かべる母の隣で、ハルカは閃きます。
「お母さん、私が新しいの買ってくるよ」
「いいのかい?」
「うん。ちょうど農具も売ってそうなお店で働いている知り合いがいるから」
「まぁ、ハルちゃんにそんな知人が?」
「わたしも行く! ハルカとお使い行く!」
隣でシエルがぴょんぴょん跳ねながら言います。
「それじゃあお言葉に甘えようかしら」
お母さんはエプロンから紙幣を取り出すと、三つ折りにしてハルカに渡しました。
「どんなのがいいかな?」
「欲を言えばあんまり高くない方がいいけど、またすぐに壊れたら意味ないからねぇ。少し値が張っても丈夫なのが一番。もしそのお金で足らなかったら、下見だけにして、また今度買えばいいから」
「わかった」
「わたし知ってるよ! そういう時はね、『向かいの店はもっと安かったよ』って言ってチラチラ顔色を窺うといいんだって」
「シエル……どこでそんなこと覚えてくるの……」
「ミラが言ってた!」
「あいつ……」
「それじゃあお願いね。あんまり遅くなっちゃだめよ」
お母さんに見送られて二人は出発しました。
*
「シエル、寒くない?」
「ちょっと寒い……でも、へーき」
シエルと手を繋ぎながら街中を歩きます。収穫祭からすでに二週間が経過していて、暦は十一月に突入していました。秋の陽光に、時折冷たい風が混じるようになりました。
「ハルカ、どこに向かってるの?」
「オレリアさんっていう人が働いているお店だよ。この前転んで怪我したところを助けてもらったの」
「ハルカ怪我したの!?」
「けっこう前の話だけどね。とっくに完治したよ」
「それならよかった」
オレリアさんは人探しの傍ら、この街の『よろず屋』で働いていると聞いたのを思い出したのです。高価な薬も置いてある店です。もしかしたら鍬も売っているかもしれません。
噴水のある広場から裏路地へ。軒先の看板を注意深く見渡しながら街道を歩いていくと、目的の場所にたどり着きました。
「ここだ」
よろず屋と聞いていたので立派な店構えを想像していたのですが、実際はずっと古風な雰囲気です。建物の隙間でひっそりと息をするように、その店は佇んでいました。
ハルカが入り口の扉に手を掛けようとした瞬間。
「そうだ」
「どうしたの? ハルカ」
「私が怪我した時、オレリアさんが薬を譲ってくれたの」
「お薬って高いんだよね?」
「うん。せっかくだから何かお菓子でも買ってくるよ。挨拶とお礼も兼ねて、ね」
「わたしも行く!」
「大丈夫、その辺で買ってすぐ戻るから。シエルは中で待ってて」
「すぐ帰ってくる……?」
「すぐ帰ってくるよ」
「じゃあ、待ってる。早くね?」
ハルカはシエルと一旦別れて広場に引き返します。残されたシエルは改めて扉を開けて店内に入りました。
「わあ!」
入店すると、年季の入った匂いが鼻腔をくすぐりました。木造の家屋に埃っぽさが調和した独特な匂いです。
まず目に付くのは入り口横の家具です。アンティークなテーブルと椅子が並べられ、その上には白い食器。壁には釣り道具やライフル銃が掛けられ、店の真ん中には工具や文房具が秩序よく配置されています。
お目当ての農具は店の奥に立てかけてありました。
「いっぱいある~!」
鍬だけでも、大きいものから小さいものまで、材質も様々です。全くの初心者であるシエルにはどれがいいか分かりません。狭い店内には他のお客さんもいなくて、店員さんすら見当たりません。
「すみませーん」
お店の人を呼んでみますが返事はありません。
「すみませーん!」
もう一度呼んでみますが変わらず。商っているのかさえ怪しくなってきました。
「お休みなのかな?」
そんな風にシエルが思い始めた頃、
「は~い! 少々お待ちくださ~い」
若い女性の声がしました。どうやらお店の奥にいたようです。シエルはほっと胸を撫で下ろします。しばらく店内を眺めながら待っていると、ようやく店員さんの足音が聞こえてきました。彼女がハルカの言っていたオレリアさんでしょうか。
「お待たせいたしました。ご入用は――」
美しい金糸の髪を後ろで束ねた女性が顔をのぞかせました。
しかし、店員さんの言葉はそこで途切れました。開いた口は閉じることを忘れ、彼女の綺麗な瞳は大きく見開かれたままただ一点――シエルに固定されていました。
「ど、どうして……」
それは、どちらの台詞だったでしょうか。オレリアさんが驚いた表情でシエルを凝視しているのと同じように、シエルもまた信じられない光景を目の当たりにしたような顔色でオレリアさんを見つめていたのです。
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