収穫祭

「わあ! 見て見て! ハルカ」

「あんまり走ると危ないよ~シエル」


 秋深まる十月。ココリク街には出店が並び、一年で最大の賑わいを見せています。あっちこっち見て回るシエルを、ハルカが後ろから追いかけます。


「いろんなもの売ってるね~」

「今日は収穫祭だからね」

「収穫祭?」

「秋に開催されるお祭りで、一年の実りを神様に感謝するんだよ」


 戦争中であっても祭りは開催されます。ある者は大切な人を失った悲しみを一時だけでも忘れるために。ある者はまた明日からの国難に備えて生気を養うために。飲んで騒いで……街は陽気な声で溢れかえります。


「なんで神様に感謝するの?」

「今年も無事に収穫できて、ありがとうございますって。作物は神様からの恵みだからね。ココリク街は、昔は干ばつの影響で食糧不足に苦しんだらしいから、神様に感謝する風習が根強いんだ」

「なるほど……。でも、わたしはちょっと違うと思うな」


 シエルが小首を傾げながら言葉を継ぎます。


「だって、穀物も野菜も、人が汗水垂らして一生懸命作ったものでしょう? わたしとハルカが毎日食べてるお野菜だって、ハルカのお母さんが大切に育ててるから、あんなにおいしいんだよ。だから、これは人の功績で、べつに神様に感謝することもないと思うけどな」

「……ふふ」

「なんで笑うの? ハルカ」

「ううん、なんでもない」


 天界に住んでいたシエルが神様に感謝する必要なんてないと言うもんですから、ハルカはなんだかおかしくて頬を緩ませたのです。


「それでもね、人は楽しいことがあったり願いが叶ったりしたら神様に感謝するし、辛いことがあれば目に見えないものに縋りたくなる生き物なんだよ」

「ふうん、そうなんだ」

「私だって、シエルと出会えたこと感謝してるんだよ。シエルとの出会いを、天使のシエルにありがとうって言うのも変な感じだけどね、えへへ」

「そ、そう言われると、なんて返したら良いか分からないよ……」


 頬を朱色に染めながらシエルが照れます。


「ほ、ほら、行くよハルカ! せっかくの収穫祭なんだから、全部のお店回ろう!」

「あん、だから待ってよシエルぅ」



 とても穏やかな午後が過ぎていきます。


 各出店からは威勢のいい声が飛び交い、広場では大道芸で観衆を喜ばせている人も見受けられます。まるで世界の中心がこの街で、遠く離れた戦場で今も多くの血が流れているなんて嘘なんじゃないかと疑ってしまうくらい、今日のココリクは活気に満ちていました。


「おーい! ハルカ! シエル!」


 若い女性の声が人だかりをかき分けて、二人の耳に届きます。ミラです。店の前に併設された出店で、赤毛の少女が明るい声を発しています。


「こんにちは、ミラ。ミラも出店をやってるんだね」

「収穫祭は稼ぎ時だからね~。あらあら、お二人さんはお手々なんか繋いじゃって、相変わらずお熱いですな~んぷぷ」

「こ、これは、シエルが先に行っちゃうから……! ほら、今日は人も多いし、はぐれたら大変だなって……」

「ふふっ、そういうことにしておいてあげるよ」


 顔が熱くなって、ハルカはシエルから手を放しました。


「ミラは何を売ってるの?」


 シエルがくりんとした瞳で訊きます。


「かぼちゃのシュークリームだよん」

「おいしそう!」

「でしょ~! 今回はあたしが作ったんだ。まぁ、ちょっとだけお母さんから手伝ってもらったけど……、でも、発案はあたしだから」

「へぇ~~~」


 シエルが憧景の眼差しをミラと、彼女の手元に積まれた丸い生地に向けます。それを見たハルカはポケットから硬貨を取り出しました。


「二つ下さいな、ミラ」

「毎度ありー! 1個2ペルです」

「いいの? ハルカ」

「今日はお祭りだしね。ちょっとだけ贅沢……なんちゃって」


 かけなしのお小遣いを奮発します。

 ミラはシュークリームを一個ずつ薄い紙に包んでハルカとシエルに渡しました。引き換えに、ハルカは5ペル硬貨を差し出します。


「ありがとうございます! 2ペルのお返しです」

「え? さっき1個2ペルだって……」

「あたし学校行ってないからさ~計算とか苦手なんだよね~」

「ふふっ、ありがとうミラ」

「はるふぁ! ほれ、ふっごくほいひいよ!」


 横では、シエルがすでに可愛らしい頬をもぐもぐさせていました。ハルカも包み紙を開きます。表面にこんがりと焼き目をつけた生地からは、ほのかな甘い香り。一口かじります。


「ん!!!」


 外側からは生地の優しい匂いしかしなかったのに、食べた瞬間、かぼちゃの自然な甘みが口いっぱいに広がります。


「ほんとだ、おいしい。サツマイモも少し入ってるんだね?」

「お! すごいねハルカ。よく分かったね」

「これでも母親が家庭菜園やってますから」

「かぼちゃだけだと味が単調になると思って……隠し味!」

「うん、いいと思う!」

「よかった~~~。これあたしのアイデアだから、売れなかったらどうしようって思ってたんだよ~~~」


 ミラがほっと胸を撫で下ろします。


「ミラはもっと自分の腕と舌に自信持っていいと思うな」

「ありがとう、ハルカ。今は見習い……というか、ほとんどお母さんの手伝いばっかりだけど、早く自分のお店を持てるように頑張るよ」

「ミラならできるよ。それにはまず、苦手な計算も練習しなくちゃね」

「きへへ」


 ばつが悪そうにミラは頭をかきました。


「ごちそうさまでした!」


 隣でシエルが元気な声を上げます。シエルは言葉を習得し、人間界の教養もある程度は身に付けました。が、こういう天真爛漫な一面は昔から何一つ変わりません。


「もう、口にクリーム付いてるよ、シエル」


 ハルカはシエルの口元についた黄色いクリームを指で掬ってあげます。それを舐めようとした時、


「あむっ!」


 シエルはハルカの指をパクっと咥えて、ちゅぽんとクリームをしゃぶり取りました。


「えへへ」

「もう、シエルってば」


 顔を綻ばせながら二人は見つめ合います。


「あたしは何を見せつけられているんだ……」


 二人だけの空間を魅せられて、ミラが脱力しながらぼやきます。


「じ、じゃあ、私たちはそろそろ行くね! シュークリームごちそうさま」

「またね、ミラ」

「うん! 収穫祭、楽しんでいってね!」


 パン屋の看板娘に別れを告げて、再び街を散策します。


「おいしかったね、ミラのお菓子」

「うん。ミラがお店開いたら絶対行こうね、シエル」

「うん……、絶対に……行こうね」


 シエルの声が若干沈んだように聞こえたのは、気のせいだったでしょうか。隣を歩くシエルの様子を窺ったとき、ハルカはある物に気付いて、その視線はゆっくりと彼女の胸元に降りていきます。


「シエル、それは何?」


 シエルの胸元には小さなアクセサリーが身に付けられていました。砂時計のような形をしていて、ペンダントみたいに首から吊るされています。しかし、砂時計ではありません。ガラスの上半球に入っているのは褐色の砂粒ではなく、真っ白な結晶。それがくびれた管を通じて、下に積もっていきます。


「これは……雪?」


 ハルカはシエルの羽を連想しました。天使の羽のような真っ白な雪が、小瓶の中でゆっくりと時間をかけて舞い降りているのです。


 差し詰め、『雪時計』と言ったところでしょうか。


 ハルカはふと疑問を持ちます。シエルはこんなものを持っていたでしょうか。少なくとも今まで見たことはありません。しかし、その小さな雪景色に見惚れるあまり、ハルカはそんな些末な疑問はすぐに忘れてしまうのでした。


「きれいだね~」


 ハルカが触れようとした、その時。シエルはびくっと肩を震わせ、反射的にそのアクセサリーを庇うようにハルカから距離を取りました。


「ご、ごめん。大切なものだった?」

「ううん、そうじゃないけど……」


 もしかしたら、天界に住む家族との思い出の品かもしれません。いくら親友のハルカといえど、安々と触れてほしくなかったのかもしれません。


 シエルは小さなで手で胸元の雪時計を握ります。その表情はどこか寂しそうに見えました。

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