よろず屋のお姉さん

「お待たせ」


 十分ほど経過した頃でしょうか。ハルカを噴水のふちに座らせたあと、席を外していたお姉さんが戻ってきました。ハルカの足元で屈むと、紙袋から薬を出します。


「靴、脱がせるよ」

「はい……いっつ!」

「ちょっとだけ我慢して」


 お姉さんはなるべくハルカが痛まないように配慮しながら、靴下も脱がせました。


「あちゃー……痛そうだね」


 時間が立つほどに足首が青黒く変色してきて、痛みも増してきます。


「ちょっとしみるかも。薬塗るね」


 美術品のような整った手の平に傷薬を適量出して、もう片方の手を重ねてしばらく待ち、それから患部に優しく塗っていきます。お姉さんが手の中で温めてくれたおかげで、冷たさが緩和され、心地よく浸透していきます。


「よし、これで終わり! あとはこのままじっとしててね」

「ご迷惑をおかけします」

「ふふっ。私の方こそ前方不注意だったんだから、お互い様よ」


 心のわだかまりが軽くなるような笑顔でした。


「それは何?」

「パンです。よろしければおひとつどうですか?」

「いいの?」

「ぜひ」

「ありがとう。でも、丸々ひとつは多いから、半分こしましょう」


 ハルカは紙袋からひとつ取り出し、半分に割ってお姉さんに渡しました。彼女は麗しい金髪を耳にかけて、上品に口をつけます。


「なにこれ!? おいしい! すごくおいしいわよ、これ!?」

「友達の家がパン屋さんなんです」

「へぇ~こんなにおいしいパン屋さんがこの街にあったのね」

「そんなに遠くないですよ。ちょっと待っててください」


 ハルカはカバンから用紙と鉛筆を取り出して、簡単な地図を描いて渡しました。


「ありがとう、今度行ってみるわね。ええと……そういえば、名前を聞いてなかったわね」

「ハルカです」

「オレリアよ」


 オレリアさんはもらった地図を二つ折りにしてポケットにしまうと、残っていた最後の一口を食べて、薄い桃色の唇をペロッと舐めました。


「ごちそうさま。おいしかったわ~また食べたいわね」

「オレリアさんはこの街の方なんですか?」

「いいえ。私は他の所から来たの。街を転々としながら、旅をしているの」

「大変なんですね」


 なるほど。だから、ミラのパン屋さんを知らなかったのです。


「ここへは、人を探しに来たの」

「尋ね人、ですか……」


 行方不明者の数は跡を絶ちません。そのほとんどの原因が戦争です。平和だった街にある日突然爆弾が降ってきて、逃げ惑う群衆に揉まれて生き別れに。あるいは、家計を助けるために子どもが出稼ぎに行き、そのまま音信不通になるなど。そういった話は珍しくありません。


 オレリアさんにも複雑な事情があるのでしょう。目を細めて遠くを見る彼女に、ハルカは詳しく追及はしません。その代わり――。


「私でよければ協力しましょうか、人探し」

「ありがとう、ハルカ。でも、大丈夫よ。あてはあるの」

「そうですか。何かあったら言って下さい。手当していただいた恩もありますし」

「ありがとう」

「会えるといいですね、その人に」


 わざわざこんな辺鄙へんぴな街に足を運んでまで探す人です。きっと彼女にとって大切な人なのです。


 ハルカはふと考えてしまいます。オレリアさんは目的を果たすために自ら行動を起こしています。いつ再会できるか分からず、再会できる保証もないのにです。


 それに比べて、ハルカにはシエルがいます。会うことができて、言葉を交わせるのです。今なら、言いたいことも、言わなければいけないことも、全部伝えられるのです。それなのに、なぜ自分は立ち止まって、彼女と距離を置いているのでしょう。


 体の中に灯った小さな火は、徐々に大きくなって熱を帯びます。


「私も……しっかりしなくちゃ」

「ん? 何か言った? ハルカ」

「い、いいえ。こっちの話です」

「さてと、そろそろ歩けるようになったかしら?」

「いや、さすがにまだ……あれ? 痛くない!?」


 まだ皮膚に染み付いた青黒いあざは治っていませんが、もう立って歩けるくらいにハルカの怪我は回復していました。


「薬が効いたのかしらね。それとも、お姉さんの愛の力が作用したのかしらね、うふふ」

「そうだ、薬代払います。ただ、私お金もってなくて。ちょっと待っててもらえますか?」

「いいよ~そんなの」

「そういう訳には」

「おいしいパンもご馳走になったし、お店の地図も描いてもらったし。それでお相子にしない?」

「でも、いくらなんでもパンと薬じゃ釣り合わなすぎです」


 今の時代、薬はとても高価な代物です。薬の小瓶を買うのに、一体何十個のパンを用意すればいいのでしょう。


「私今、この街の『よろず屋』に住み込みで働いているのよ。その薬はうちの店からちょ~っと拝借したの」

「ええ!? いいんですか! 売り物ですよね?!」

「まぁ、うちの店主、けっこう抜けてるからね」


 オレリアさんはいたずらっ子な笑みを浮かべます。大人の色香を感じさせる一方で、こういうお茶目な一面とフランクな喋り方が特徴的な女性です。


「だから、ハルカから堂々とお金なんてとれないよ。もらっておいて」

「オレリアさん……」


 遠慮に遠慮を重ねるのもオレリアさんに悪いと思い、ハルカは彼女の厚意を受けることにしました。ミラといいオレリアさんといい、ハルカはこの街の人達に恵まれているなと感じました。以前のハルカならそんな風に思わなかったでしょう。シエルと出会って、ハルカも変わったのです。


 ――だから。


「一人で帰れる?」

「はい。何から何までありがとうございました」

「うちの店、この広場の裏手にあるから。今度よかったら覗いてみてよ」

「ぜひ!」


 オレリアさんにもう一度感謝を伝えて、二人は別れました。


(私も……シエルとちゃんと話をしなきゃ)

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