マレゴ・ウィークスピア
「ハルカ! お昼ごはん食べよ!」
「あっ、待ってよ、シエル」
「えへへ。ほら、はやくはやく」
五月になると、校庭の木々には瑞々しい若葉が茂ります。過ごしやすい陽気の中、今日も二人は中庭でご飯を食べます。シエルは膝の上でハルカのお母さんが作ってくれたお弁当箱を広げました。
「わあ! 今日はサンドイッチだ。おいしそ~!」
「はぁ……」
「ハルカ、食べないの?」
「ごめんね、シエル。私の家が裕福だったら、シエルにもっとおいしい物たべさせてあげられるのに」
配給されたパンに茹でた根菜を挟んだだけの質素なサンドイッチを見て、ハルカが息を漏らします。
「ハルカ、お母さんがせっかく作ってくれたものをそんな風に言っちゃだめだよ? それに、立派なごちそうだよ」
シエルが唇を尖らせて言います。
「このお野菜だってハルカの家の畑で採れたものでしょ。お野菜は大地の恵みだよ。ちゃんと感謝して食べなきゃ」
「うん、そうだね」
「いただきまーす」
シエルがサンドイッチを頬張り始めた、その時でした。
「あらぁ。お二人さん、ごきげんよう。今日も仲良くお外でランチ? うふふ」
目線を向けると一人の女子生徒が立っていて、可憐な黒髪を優雅な所作ではらいました。
彼女はマレゴ・ウィークスピア。ハルカとは同い年で、この学舎で勉学を共にしています。
「まあ! 素敵なランチね。わたくしもご一緒したいたいくらいですわ。どこの廃棄場に行けば、そんな素敵な残飯を頂けるのかしら、んふふ」
マレゴは口角を意地悪く釣り上げながら下品な笑みを浮かべました。ハルカは何も言い返さず、気付かれないように唇をぎゅっと噛みます。
「シエルさんも大変ね~。こんな貧相な子とお友達なんて。身寄りがいないんでしょう? よろしければ、わたくしの屋敷に来てもよろしくてよ。ハルカさんのお家と違って、温かい食事と快適な寝床しか取り柄がない屋敷ですけど。うふふ」
シエルは煽るような口調で話すマレゴと、目線を合わせず俯くハルカを交互に見ます。
「ハルカさんと違って、シエルさんは優秀なんですから、付き合うお友達は選ぶべきですわ。そう……ハルカさんなんかと違って、ね?」
それが、最後の引き金となりました。シエルは勢いよく立ち上がると、二人の間に入り込み、両手をいっぱいに広げてハルカを守るように盾になりました。
「ハルカの悪口を言わないで」
「悪口? 悪口なんて言ってないわよ、シエルさん。わたくしはただ、事実を話しただけよ?」
「わたし、あなた嫌い」
それは、初めてシエルの口から出た嫌悪を示す言葉。シエルはまだ人間関係の機微が分かりません。しかし、この場の空気が居心地の良さからは遠く離れたもので、一番の友人が謂れなき言葉の槍によって心を痛めていることだけは理解していました。
「あら残念。嫌われてしまいましたわ」
マレゴが芯の伴わない言葉を零して薄笑いを浮かべます。
「後学のために、先程の言葉はお留めになった方がよろしくてよ、シエルさん。付き合うお友達は選んだ方がいいですわ」
シエルは無言のまま、いつもの彼女らしくない険しい眼差しでマレゴを睨みつけます。マレゴは最後にハルカの方を流し見て軽く鼻で笑うと、そのまま踵を返してこの場から立ち去っていきました。
「ハルカ! なんで何も言い返さないの!? ハルカだけじゃなくて家族のことも馬鹿にされたんだよ?!」
静かに地面を見つめるハルカに、シエルは怒りを露わにします。一番大切な人たちが目の前で愚弄されたことが、シエルは悔しかったのです。
「マレゴはね、私のことを嫌ってるの」
指を弄りながらハルカは口を開きました。
「マレゴのお父さんはね、軍隊の士官なの。あっ、士官っていうのは戦争で部隊を指揮する偉い人のことなんだ。戦場で命を捧げる代わりに、たくさんお金をもらえるの。だから、マレゴの家はお金持ちなんだ。何度か前を通ったことあるけど、立派なお屋敷だった」
マレゴの棘のある発言とは対照的に、ハルカの言の葉には少なからず彼女への尊敬が感じられました。
「この国……というか、今の時代ってさ、教育は贅沢品でしょ? みんながみんな、学校に通えるわけじゃない。マレゴは、家計が貧しいくせに学校に来てる私に目くじらを立ててるの」
「そんな……っ、そんなのハルカは悪くないじゃん!」
「実際、私は頭もよくないし。学校に通わせてもらってる両親に申し訳ないっていうか」
「ハルカは一生懸命に勉強してるよ! それに、その理屈なら、居候のわたしが一番ここにふさわしくない存在でしょ!?」
「マレゴは、実力とか将来性で付き合う友達を選んでる。シエルは優秀だから、きっとマレゴも気に入ったんだよ」
マレゴがハルカを蔑んでいる理由は、なにも貧富の格差だけではありません。
ハルカの父は街の小さな鋼鉄工場で働いています。以前は家具や日用品の補助材を生産していましたが、戦争が激化してからは兵士が使う武器の部品を組み立てる仕事に変わりました。
朝から晩まで同じ工程を繰り返す単純作業。彼女からすれば、自分の父親は前線で命のやり取りをしているのに、一方で、直接火が飛んでこない安全地帯で小銭を稼いでいるハルカの父親を見下していたのです。
加えて、マレゴは幼い頃から父に厳しい教育を施されてきました。登り坂の人生を歩んできたのに、のうのうと日々を送ってきたハルカが、自分と同じ学び舎で勉強している――それが許せなかったのです。
「マレゴは正面から敵意を示してくれるけど、他の子たちも多かれ少なかれ私とは距離をとってるよ」
「ハルカ……」
それは、シエルも薄々気付いていました。シエルは周りの子から雑談を持ちかけられたり、家にお呼ばれされたりしているのに、ハルカに話しかけてくる生徒は誰もいません。
嫌われているとか、雰囲気が険悪とかという訳ではありません。親睦を深める機会を逃したまま今日まで来てしまい、見えない壁がお互いの距離を遠ざけているようでした。
まるで歯車の歯がひとつずつ噛み合わないような歯がゆさを感じながらも、シエルは見て見ぬふりをしてきたのです。
「ここの生徒はみんな、親が軍の関係者だったり、家柄が良かったりで裕福な子が多いの。勉強だって出来るし、将来有望な人が多い。私だけだよ、空っぽなのは」
「ハルカっ!」
シエルがハルカの両頬をむにっと掴んで顔を近づけます。シエルの吐息が感じられるほどの至近距離で、彼女の透き通るような碧瞳にはハルカの像がくっきりと映っていました。
「人はみんな平等だよ! たしかにお金をたくさん持ってる人もいれば、持っていない人もいる。でもそれが、そのまま人と人とを区別する段差にはならない! 格差なんて本来あるべきじゃない! みんな平等なんだよ」
シエルから初めて向けられた強い言葉に、ハルカは思わず目を見開きました。今の世界では、シエルの発言は理想論に成り下がるのでしょう。純粋なシエルはそれが分かりません。けれど、この正解を導き出せない議題に否定をかけるなんて野暮な真似も、ハルカはしません。
「ハルカはさっき、自分のことを空っぽって言ったよね?」
「実際そうでしょ」
「ハルカは雪に埋もれていたわたしを助けてくれた。記憶がなくて、身寄りもいないわたしの面倒を見てくれた。そんなこと、ふつうの人だったら出来ないよ」
「私じゃなくてもそうしたよ」
「そんなことない。助け合いは人間の美徳だけど、実際に出来る人は多くないよ」
不貞腐れそうになっていた心がふわっと軽くなる感じがしました。
「そうなの……かな?」
「そうだよ! ハルカは特別だよ。少なくともわたしにとっては、誰よりも特別だよ」
気持ちが安らぎます。一体どれだけ彼女の笑顔に救われてきたことでしょう。
ハルカは平坦な声で言葉を継ぎました。
「シエル、ちょっと付き合ってほしいところがあるんだけど」
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