祝主が来ないと愛依はストライキを起こす
さて、その後しばらく
いい事ではあるが、そうなすると
ひと月が過ぎ、ふた月が過ぎる頃までは良かった。そのうち来てくれると思っていたからだろう。
が、ふた月半も過ぎ、三月めに掛かる頃、翔士はだんだんと元気がなくなった。浮かない顔で毎日を過ごし、ご飯もあまり食べなくなった。
あれだけ元気に外を走り回っていた子がすっかりおとなしくなり、友達が遊びに誘っても外に出ようとしない。
部屋の隅に蹲り、翔士は一枚の深衣を胸に抱きしめていた。
上品な色合いのそれは、前回司凉が残していった衣である。
時々くんくんと残り香を嗅いでいたが、そのうち香りも消えてしまい、「ふぇー」と泣きながら涙と鼻水と涎をつけまくっていた。
「しりょー、俺のこと嫌いなのかな」
涙声で聞かれた
「嫌う筈がないだろう?」
存在自体を忘れている可能性はあるが、少なくとも嫌いではないと心に呟く。
それにしても困ったなと、守役三人は顔を見合わせてため息をついた。
ものを食わないと言っても、まるで食べないという事ではない。水は飲むし、出された膳も少しは口をつけている。
だから命がどうとかいう問題ではなかったが、何せ、この子は今育ち盛りだ。しっかり食べて体を動かし、頭を使うのが、この年頃の子どもの大切な仕事である。
ものを食わないせいで、力も入らないのだろう。
翔士は歩く事もほとんどしなくなった。部屋の隅で司凉の深衣を抱きしめて蹲っているか、深衣にくるまれて眠るかのどちらかだ。
「しりょー」
くすんくすんと泣いて、翔士はまたうとうとと微睡み始める。
母親が抱いても、守役三人が代わる代わる抱いてやっても、翔士はその腕の中で祝主を恋しがって泣くばかりだ。
腹に力が入らないため、翔士はもう大声で泣く事もしなくなった。ただ、起きている間中、涙を零すので、目も鼻も真っ赤になっている。
「
「とにかく司凉が、一回顔を出せばいいのよ。泉恕に来るよう佑楽に説得してもらうわ」
その翌々日、司凉がやって来た。
部屋の隅で衣に顔を埋めていた翔士は、聞き覚えのある足音にぴくんと体を震わせた。
頭を上げ、体の向きを変えると、衣を抱きしめたまま、期待と不安の入り混じった目で扉の方をじっと凝視する。
「ふええええええええええええええん」
司凉が扉を開けた瞬間、翔士はまろぶように司凉の方へ駆けて行った。
真っ赤に泣き腫らした顔を見て、司凉は心底驚いていたが、それでも飛び込んできた小さな
「しりょー、会いたかったの、しょーし、会いたかったの!」
ひしっと首にしがみついて、かき口説くように翔士が訴える。
「しりょーが来ないから、ご飯も欲しくなかった。
しりょーがいないから、すごく寂しかった。
しりょーに会いたかったよぉ。
しょーしはね、しょーしはね、しりょーがいっとう、大好き…!」
司凉の上質の深衣の肩口は、翔士の涙と鼻水でぐしゃぐしゃだ。あれはおそらく染みになる。もう二度と着る事はできないだろう。
翔士がちょっと落ち着いてから、司凉は取りあえず口舐めを許してやった。
その後翔士には改めて食事が用意された。
しばらくまともな飯を食っていないので、先ずは粥からだ。
翔士は司凉に逃げられないように、司凉の袍の袖口を片手でしっかりと掴んでいる。僅かでも
口に粥を運んでやっているのは妓撫だった。自分で食べさせても良いのだが、翔士は司凉にばかり気を取られている。翔士に任せれば、盛大に粥を零しそうだ。
一椀完食すると、翔士は司凉の膝の上に乗っかり、胸に顔を埋めてうとうとと眠り始めた。
恋しくて堪らなかった祝主の腕の中にようやく抱きしめてもらえて、安心しきって眠りに落ちていく。
「何、こいつ…」
ぼそりと司凉が呟いた。
「ちょっと顔を見せなかっただけで、ここまでするか?」
司凉は今回、三晩泉恕に泊まってやった。
この間の翔士の後追いは、いつもにも増してすごかった。
片時も司凉から離れたくないらしく、目が覚めるなり、館に突撃してきて司凉の胸に飛び込み、ご飯時に連れ戻されても、飲み込むようにご飯を済ませて、また司凉に会いにやって来る。
それほど寂しかったのかと、さすがの司凉も少し絆されたようで、帰る前の晩には、ねだられるままに初めて一緒の布団で寝てやった。
祝主の匂いに包まれて、翔士は安心しきってぐっすりと深い眠りに落ち、厠に起きれずに司凉の布団におねしょをした。
……司凉は激怒した。
そしてもう一つ新たな発見をした。
曰く、子供は泣きすぎると顔に斑点ができる。
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