愛依はやんちゃをはじめる
さて、
熱を出したからと言ってすぐ
なので守役たちは、夜間に司凉を呼び出す事のないよう、日の明るいうちに早めに符を裂くようになっていた。
早めの対処はありがたかったが、代わりに無駄足だったなと思える時もある。
今回も司凉が顔を出した時は翔士はまだ比較的元気だった。
昼過ぎに飲ませた熱冷ましが効いたのか、峠はすでに超えていた。
まだ顔は赤いが、この程度の発熱ならば翔士は慣れている。司凉が来たと知るや、今度は嬉しさに目を潤ませて祝主の方へ手を伸ばしてきた。
「こんなに元気なら来るまでもなかったな」
ため息をつきながら、司凉は仕方なく脇を抱えて持ち上げる。すると翔士は小さな手足をバタバタさせて、全身で喜びを表した。
「んまんま」と言いながら、自分から司凉の口に顔を寄せ、勝手に口舐めを始める。
しばらくびちゃびちゃと気を貪っていたが、やがてお腹もくちてきたのだろう。
昨晩は体の火照りと苦しさでよく眠れていなかった翔士はそのうちこっくりこっくりと船をこぎ始め、やがてだらんと手足を弛緩させた。
「寝たか」
その様子を眺めていた司凉が、あっさりとそう呟く。
そしてそのまま翔士を布団の上に下ろしたのだが、横にした途端、寝ていた筈の翔士が「ふえーん」と泣き出した。
目を覚ますと面倒くさいので、司凉は仕方なくもう一度抱き上げた。すると翔士は司凉の胸に顔を寄せ、安心しきったように微睡み始める。
寝た頃合いを見計らって慎重に布団に下ろしたのだが、寝かせた途端、また「ふえーん」と声を上げた。
どうやら布団の上はお気に召さないらしい。
「ったく手の掛かる」
布団に寝かせるのを諦め、司凉は翔士を抱いたまま胡坐をかいた。祝主の腕に抱かれた翔士は、とても幸せそうだ。
ようやく新しい館が完成し、つい五日ほど前に
守役三人は居心地のいい邸宅に満足げだが、一番嬉しかったのはこの邑の長かもしれない。
ずっと親族の家に間借りする状態が続いていて、久しぶりの我が家に喜びもひとしおだった。
突貫工事で建築された館だが、依人が住まうだけあって内装はそれなりに豪華である。
広い玄関を入ってすぐは見事な吹き抜けになっており、欄間には花や蝶、風景などが彫り込まれて、座敷や廊下に飾られた額の絵も非常に趣があった。
新築されたばかりの館の内をしみじみと眺め渡していた司凉だが、ふと何かを思い出したように眉を顰め、守役らの方を向いた。
「こいつは、どこまで言葉の意味が分かっているんだ?」
こいつとは、勿論翔士の事である。
先ほどの翔士が口にした言葉がどうも引っかかっていたからだ。
問われた
「まだ意味なんて、まるで分かってないと思うぜ」
「そうなのか?」
実を言うと、翔士はもう、ごはんが『まんま』だと知っている。そしてさっきは明らかに司凉の顔を見て、「んまんま」と声を上げていた。
司凉が帰った後、守役たちは翔士を呼んで教育してみる事にした。
司凉は翔士のご飯ではない。
そう教え込もうと思ったのだが、翔士はどうしてもそれが理解できなかった。
月が替わって司凉が
とにかく司凉さえ傍にいると、翔士はご機嫌である。
死に掛けた当日はまだ大人しくしているが、翌朝目が覚めるやすぐに司凉のところに行きたがる。
ある朝も、部屋の向こうに司凉の姿を認めた翔士は高速はいはいで突進していき、段差に気付かずそのまま土間に落下した。
ものすごい勢いをつけて頭から落下したため、司凉は目の前で昇天されたかと思った。
「目の前に段差があるだろう! お前は馬鹿か!」
おでこに大きなたんこぶを作った翔士は大泣きだったが、それ以上に司凉は腹を立てていた。
熱を出して呼びつけた挙句、勝手にはしゃいで怪我をするなど、この
翔士と関わるとそんな風に精神を消耗させられるため、司凉は時々、畳の上で寝転がっている事がある。
気持ちよく午睡を楽しんでいたら、何となく胸が重苦しくなり、変な夢に魘されて目を覚ませば、胸の上で翔士が気持ち良さそうに寝入っていた。
お前が諸悪の根源か! と司凉は怒髪天を突いたが、この場では決して怒鳴らない。
いや、心の中では激怒しているがそれは理性で抑えつけ、赤子を起こさないよう細心の注意で傍に畳の上に置く。
これは翔士のためではなく、自分のためだ。
起きると面倒くさいので、目を覚まさせたくないのである。
そうやって再び寝入っていれば、またもや胸が重苦しくなり……、以下略。
……非常に迷惑な愛依だった。
そんなこんなで祝主は手間のかかる愛依から心底解放されたがっていたが、一方の愛依は全霊で祝主を恋い慕っていた。
だから司凉が都に帰ってしまう時は大変な騒ぎとなる。
ふんぎゃああああああああと凄まじい泣き声が響いて来て、これだけ元気なら当分死に掛けないだろうと馬上で安堵する司凉である。
が、じたばた暴れて司凉の後を追おうとする翔士を引っ掴んでいる守役の方は大変だ。
腕の中で暴れまくり、この世の終わりとばかりに泣かれた挙句、泣きすぎてお漏らしまでされていた。
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