赤子の守役の座に同胞が殺到する


 ちゅんちゅんと鳴く愛らしい雀の声が長閑のどかに聞こえてくる。

 明るい太陽の日差しがあばら家の障子越しに入ってきていたが、朝を迎えた麗しい依人よりうどの眉間には深い皺が刻まれていた。


 明け方の一番心地良い眠りを漂っていたところを再び授血で起こされ、待ち構えていたように猿顔の愛依ういに指を吸い付かれた司凉しりょうである。


 計三回血をやったせいか赤子の容態も落ち着いてきて、朝方からは母親の乳に吸い付き始めたが、お陰で司凉は寝不足だった。

 隣に寝ていた殊額しゅがくは明け方の騒動を気にする事なくすやすやと眠っていたから、それもまた一人貧乏くじを引かされたようで無性に司凉の気に障る。


 それはともかくとして、むら長からは早速、朝飯の差し入れがあり、それで腹を満たしたところで二人の依人は邑長の家に移る事となった。

 勿論、司凉にはもれなく赤子がついてきて、世話をする母親も一緒である。

 まだ弱っていた母親は荷車に乗せられ、赤子はその母親の胸にしっかりと抱かれて邑長の家にやって来た。


 そして引き合わされたのは、宗主からの詔勅しょうちょくを預かってきた蔵人くろうどだった。

 曰く、泉恕せんど邑の与黄よきの三男坊を正式に依人よりうどとして認定する事、十になるまではこの子どもをこのまま泉恕に置き、その守役もりやくとして三人の依人が派遣される事などが正式に伝えられ、更に邑長には依人を輩出した泉恕邑への褒賞目録が手渡された。


 一たび依人の託宣が出されたら、それを拒否する事は不見みずの民には許されていない。

 だから問答無用で子を取り上げる代わりに、宗家は莫大な褒賞を二親に用意した。

 百姓であれば、ある一定年数の邑全体の年貢や労役の免除を、商家や工人、仕え人らであれば、相応額の金子が個に対して下される事となる。


 翔士は泉恕邑の小作農の倅であったから褒賞として前者が言い渡され、それと合わせ、邑に常在する依人らの館と、ついでに赤子と家族が暮らす家が館の隣に建てられる事となった。

 とは言っても一朝一夕に館が建つ筈もなく、その間、依人は邑長の家で世話になり、赤子の方は家族もろとも邑長の離れで暮らすようになる。


 翔士の父や兄姉らは早速屋移りの支度に追われ、館が建つ土地周辺では工夫らのかしましい声が響き始めていた。

 



 そんな風に邑はかつてない慌ただしさに包まれたが、その夕刻、今度は邑人をたまげさせるような華々しい行列が泉恕の邑に入ってきた。


 まず姿を見せたのが旗持ちで、後ろに騎馬の随身四名が続く。

 そして前後を随身に守られる形で現れたのが、一際華やかな束帯に身を包んだ三人の依人だ。


 先頭を馬で進むのはいかにもがっしりとした体つきの二十四、五の男で、どこか人好きのする実直そうな顔立ちをしている。

 残り二人は女性依人で、一人は二十代後半と思われるきりっとした面差しの美しい女性で、もう一人はおっとりとして優し気な雰囲気を持つ二十歳前後の女性だった。


 三人とも腰には小脇差を佩いているが、随身らの持つような大ぶりの剣は持していない。

 依人の戦う相手は異形であるため、戦いの場では専ら自らの真霊で生み出す破邪の剣を使うからだ。

 

 そして後ろを守る随身が通った後は、道具箱を積んだ数台の荷馬車が続き、列の最後は荷を背負った仕え人が十名ほど徒歩かちで従ってきた。


「邑長の家に入るもんかね」


 それを見ていた殊額は、他人事のようにそう呟いた。

 ここで暮らすようになるから荷も多くなったのだろうが、荷ばかりでなく仕え人の数も半端ない。


 案の定、行列を見た邑長は顔を引き攣らせていた。

 おそらく邑長一家は家を丸ごと依人一行に明け渡し、自分たちは親族の家に居候になるしかないだろう。


 屈めた膝に頭が付くほどに頭を下げた邑長に、男の依人が「世話になる」と短く声を掛けた。

 残り二人の依人は物珍しそうに辺りを見回してからようやく同胞はらからの殊額に気付き、挨拶代わりに小さく頷いてくる。


 因みに、この場に司凉はいなかった。日中に泉恕の地形を歩いて見て回り、先ほど奥の客間で横になったところだ。

 昨日はまともに眠れていないので、余程眠かったのだろう。


 邑の重鎮らとの顔合わせを終えた後、三人が早速、殊額の方へやって来る。

 その顔ぶれを改めて見渡し、殊額は何とも言えない表情で顎の下を撫でた。


「あー、お前達だったんだな」

 どのような選定で彼らが守役に決まったのか、詳しい事情を聞かずとも顔を見ただけで殊額にはわかってしまった。


架耶かや佑楽うらくの愛依だから宗主が選んだのだろうが、後の二人は祝主はふりぬしのねじ込みだな」


 そう耳元で囁いてやれば、一番若い架耶以外の二人、宜張ぎちょう妓撫きぶがどこか気まずそうに瞳を逸らせた。


 二人は金眼を持つ依人の愛依である。

 宜張は闇食みの宮の腹心の女依人、沙羽さう祝主はふりぬしに持ち、一方の妓撫は依人筆頭よりうどひっとう補佐の成唯せいいを祝主としていた。

 この二人は筆頭格である葵蘙きえいの次に格が高く、この二人が出張ったのであれば他の依人は太刀打ちできないだろう。




 泉恕に泊まり込んでいた殊額は知らなかったが、昨晩から昼前にかけて御所に住まう依人達は大いに浮足立っていた。

 何故なら生まれ落ちてすぐに依人として覚醒した司凉の愛依を、宗家がこのまま邑で育てさせると宣言したからだ。


 鄙で育てさせるなら、その子どもには当然守役が必要となる。

 そしてちんまい愛依を見守り育てるという役職は、人の営みから切り離された依人らにとっては大層魅力のあるものとして映った。


 その情報を仕入れてまず動いたのが、伊崔いさいという一人の祝主だった。

 常識で考えれば宗家出身の伊崔が血筋の劣る赤子の守役となって鄙で暮らすなどあり得ない事だったが、自他ともに認める子ども好きの伊崔は何が何でも守役がしたかったらしく、真夜中に筆頭格の葵蘙きえいの寝所に突撃した。


 時は丑三つ時。

 御所は寝静まり、葵翳も勿論夢の中にいた。

 気持ちよく寝入っていたらいきなり叩き起こされ、すわ火急の事態か! と飛び起きれば、赤子の守役に自分を選んでくれという(葵翳にとっては)クソしょうもない用件だった。


 額に青筋を浮かべたまま、葵翳は即座に訴えを却下した。


「お前は祝主だろうが。宗家出身が鄙の同胞はらからの守役では理が通らん!」

 一刀両断してその場から追い出し、それで一件落着の筈だった。

 なのにその情報は瞬く間に仲間内に拡散した。


 守役は愛依と断言された事で、喜んだのは愛依達である。

 それを聞いた者たちはじゃあおのれが! と名乗りを上げ始め、可愛い愛依らにおねだりされた祝主らが一斉に葵翳の許に馳せ参じる事となったのである。


 葵翳にすればいい迷惑だった。

 朝、目覚めるとすでに取次ぎを求める長蛇の列ができており、聞いただけで頭が痛くなった。


 取り敢えず、面会は全部断る事にした。

 と言っても、若干気を遣わなくてはならない相手もある訳で、その一人と嫌々会った後、今度は宗主に呼ばれてそっちに行く破目になった。


 宗主と葵翳、どちらが偉いかと聞かれれば、一応宗主である。

 葵翳ら宗家筋の依人は現宗主のご先祖みたいなものだから、宗主に対する発言力は強いのだが、同胞を生み出せるのは宗家筋しかいないので、宗家筋あっての依人とも言えるからである。


 とはいえ、宗主や次期宗主がぼんくらであったなら、引きずり下ろせるだけの力は持つ。

 葵翳とはそういう存在であった。


 さて、今代の宗主は別にぼんくらでも何でもなく、その宗主からの頼みを受けて葵翳はすぐに動いた。

 で、それが終わった頃に一人の男が葵翳を訪ねてきた。 

 こちらも立場上無視はできない相手で、用件はわかっていたが葵翳は渋々会う事にした。


 昨日、会話を交わしたばかりの成唯である。

 普段はこれ以上ないほどに有能で、補佐として頼りになる男であったのだが、そのそわそわした様子を見れば用件など自ずとわかるものだ。


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