愛依は無関心にされた仕返しを始める
さて、鄙に生まれる
その間、
封じの傍ら女遊びをそこそこ楽しんで、さして面白くもない毎日を送っていた。
司凉は知らなかったが、ついひと月ほど前に同胞の一人が胴元となって、『愛依が生れたら司凉がこっそりと顔を見に行くか否か』という賭けを始めた。
未だかつて、幼い愛依の様子を見に行かなかった祝主はいなかったからである。
因みに愛依をこっそり見に行く祝主たちの行動は、
愛依や周囲の人間になるべく見つからないよう気配を隠して見守る事からつけられた言葉だが、あまりに隠形が下手過ぎて、邑人から不審者扱いをされた祝主もちらほらいた。
まあそんなこんなで、祝主が覚醒前の自分の愛依を見に行くのは『祝主あるある』であったのだが、こと司凉の場合はどうなのだろうと、皆、首を捻る事になった。
結果、全員が行かない方に賭けたため、この賭けはあっさりとお流れになった。
実際、司凉は愛依の事など忘れ切っていた。
仮腹の臨月が近くなった頃、「そろそろ愛依が生まれるんじゃないか」と同胞に聞かれた司凉は、「もう生まれてたんじゃないのか?」と他人事のように聞き返している。
生まれてない事くらい気付いてやれ……! と愛依の一人が秘かに涙を拭っていた。
が、司凉がそんな風に泰然としていられたのはこの頃までだった。
その後司凉は、無関心にされた仕返しとばかりにその愛依に振り回されていく事となる。
そりゃあも、ここまでするか! と文句を言いたくなるくらいに。
始まりは、仮腹の様子を見ていた同胞からの急を告げる報せだった。
いよいよお産となった訳だが、何故かひどい難産となり、このままでは愛依児が死んでしまうと慌てふためいて式を飛ばしてきたのだ。
事は一刻を争った。
このまま愛依を見殺しにするか、あるいは
葵翳はすぐさま宗主、
曲がりなりにも宗主の息子である司凉を鄙の地に遣わすようになるのだ。
衆目を集める事態であれば、相応の理由が必要だった。
そうして算段を終えた葵翳が御所を北に下っていると、筆頭補佐である
依人の中でも五本の指に入るほどの真霊を有し、御所から動けない葵翳に代わって、異形との戦いの最前線に身を置いている男だ。
いかにも武人といったがっしりとした体躯を持ち、性格は豪放磊落。
せいぜい二十代後半といった外見をしているが、身から放たれる真霊の高さから相当の年月を生きている事が窺える。
同胞からの信頼も厚く、いつも穏やかな笑みを浮かべている男だが、今日に限っては珍しく顔を強張らせていた。
どうやら司凉の愛依の話を聞いたらしい。
「難産になっていると聞いた。一体、何がどうなっているんだ」
厳しい顔をして聞いている成唯を、葵翳は取り敢えず脇の小部屋に連れ込んだ。
成唯の言う通り、愛依の胎魂を宿した赤子が出産で死にかけるなど通常では考えられない事だ。
愛依の母体には腰回りのしっかりした経産婦が選ばれるし、胎内に根付いた時からその赤子は闇食みの宮の祝福をいただいている。
万が一にも、難産になろう筈がないのだ。
「
「宮が隠れられて、まだ数か月しか経っていないのにか?」
愕然とした表情になる成唯に、葵蘙は苦々しい顔で頷いた。
「俺も俄かには信じ難いが、それ以外に考えられん。
祝を失ったとなれば、不見の地に
普通の赤子が持つ魂を歪めて植え付けられた胎魂だ。その分繊細にできているし、不浄に対して
地にはまだ宮の祝が残っているが、それだけでは足りなかったという事だ」
くそっと、成唯は髪をがしがしと掻いた。
「後四、五か月、宮の隠れが遅ければ、差し障りなく生まれていただろうに」
「仕方がない。例の不浄で、宮はごっそりと力を奪われた。もう限界だったのだろう」
この隠れという言葉は、別に闇食みの宮の死を意味しているわけではない。
不人の頂点に立ち、闇の呪陣を封じるために常に己が真霊を陣に流し込んでいる闇食みの宮は、他の不人らに比べれば老化が顕著だ。
二百余年も生きればしわしわの梅干し婆さん(非常に失礼な言い方だが)になってしまい、見栄えはともかくとして肉体に限界が訪れるため、宮は新しい器を得て蘇るためにしばらくの間、繭の中に籠られる。
不見ではこれを隠れと呼んだ。
隠れと呼ばれるこの闇の時代は、巫女宮の力が極端に弱まり、
悪意はたやすく念となり、陣の封印も弱まって様々な不運がこの不見の地を覆うようになるのだが、その影響を一番に食らったのが生まれ来る予定であったこの愛依だった。
「今、赤子が死ねば、司凉は命を
それだけは回避しなければならない」
葵蘙の言葉に成唯は「そうだな」と頷いた。
「……それにしても、まさかこのような闇の時代を迎えるようになるとはな」
恨み言のような言葉が、つい成唯の口から零れる。
本来であれば、宮の隠れは二、三十年先である筈だった。
司凉の愛依が贄としての役割を十分に果たせるようになってから隠れる予定であったのに、三、四年ほど前、思いがけない凶事が不見を襲い、宮の力は大いに削がれてしまった。
宮は司凉の愛依が生まれるのを待たずに、力尽きたように繭籠りに入ってしまい、陣の封印や異形に対する封じ全てが筆頭格である葵翳の肩に乗っている状態だ。
今はまだ宮の祝が残っているから、葵翳たちにもまだ余裕がある。だがいずれ、櫛の歯が欠けていくように地から祝が失われていくのは必須だった。
「さっき、同胞が司凉に知らせに行っていた。そろそろ御所を発った頃だろう」
成唯の言葉に、葵蘙は「ああ」と頷いた。
「泉恕までは凡そ半刻か。間に合えばよいのだが……」
そのちょっと前、司凉が何をしていたかと言うと、言い寄ってきた官女をちょうど宮舎に連れ込んだところだった。
非常にいい雰囲気になっていよいよ大人な時間を始めようとしていたところ、いきなり扉を壊す勢いで同胞らが寝所に踏み込んできて、扉を開けた同胞もびっくりだが、開けられた方はもっとびっくりだ。
うっとりと司凉の首に両腕を回していた官女は踏み込んできた闖入者に悲鳴を上げ、慌てて司凉を突き飛ばした。
女ははだけた胸元を隠しながら這う這うの体で逃げていき、後には間抜け顔で尻餅をつく司凉と、気まずそうに視線を逸らせる同胞の二人だけが残された。
「一体、何が……?」
状況が理解できずに呆然と呟く司凉に、
「お前の愛依が死にそうだ!」
と、ようやく状況を思い出した同胞が叫ぶ。
着崩れた
すでに騎馬していた
何て間が悪い奴だ!
馬上で司凉がそう憤慨しても仕方がないだろう。
地響きを立てて大通りを馬で駆け抜けていく二人を、都人らが驚いた目で追っている。
鄙出身の赤子が依人に認定されたという前代未聞の報せが都中に広がるのは、この後すぐの事だった。
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