祝主の言い分

 邑の夜は静けさに包まれ、何事もなく平穏に夜が更けていった……と、続けたいところであったが、翔士がそこにいる限り、事はそう簡単には運ばなかった。


 祝主から血を与えられ、しばらくおとなしく眠っていたのだが、その内むずかるようになり、ふええと弱々しい声を上げ始めたのである。

 傍に寝ていた母親が抱き上げて乳を含ませようとするが、赤子にはまだ乳首に吸い付く力がなかった。


 衰弱しながらも、先ほどまみえたばかりの祝主を恋しがり、必死に声を振り絞っていたのだが、だんだんと顔がどす黒くなり、へはへと今にも死にそうな息をし始めた。


 驚いた母親は、部屋の隅で壁にもたれかかるように寝ていた随身ずいじん(貴人の外出の際、護衛として付き添う武官)に頼み、隣室の依人様を起こしてもらう事にした。

 生まれたばかりとは言え、我が子はすでに依人として認定されている。このまま放っておく訳にはいかなかった。


 司凉は寝苦しいせんべい布団でようやく眠りに落ちたところで、これ以上ないタイミングで揺り起こされて機嫌は最悪だった。

 異形の襲来とかで起こされるのならば納得できるが、猿のような顔をした赤子の世話のために安眠を妨害されたのだ。

 これで腹を立てるなという方が無理な話だろう。


 怒髪天をついている祝主とは対照的に、恋しい祝主の掌に包まれた愛依はこれ以上ない程に幸せそうな顔をして指に吸い付いていた。

 祝主からはこのクソッタレがと言わんばかりの目で睨みつけられていたが、まだ目が見えていないので全く問題はない。

 一心不乱に血を舐め啜り、先ほどまでどす黒かった顔にも血の気が戻り始めていた。


 そうした二人の様子を、殊額は何とも言えない目で眺めていた。

 掌に乗るようなちんまい愛依は見ていて大層可愛らしいが、祝主の体から溢れ出る怒気が物騒すぎる。

 関係ないから寝直そうかなと思っていたが、殺伐とした光景に眠気もどこぞに吹っ飛んだ。


 寝入りばなを起こされた司凉は長い髪を紐で括る余裕もなく、つややかな黒髪を無造作に肩に流している。

 不見みずの国一と称えられた母妃の美貌を色濃く受け継ぐ司凉は男の殊額の目から見ても十分に美しく、更に寝起きでひとえが僅かに乱れているため、無駄な色気に溢れていた。


 司凉のこんな姿を御所の女官らが見ればイチコロだろうなと、殊額は思わず口元に乾いた笑いを張り付けた。

 女ばかりではない。下手をすると、正常な性癖を持つ男までが凄絶なこの色香にやられそうだ。


 不愉快そうに愛依を見下ろす瞳は、身に秘める真霊の高さを表わすように見事な金色をしている。

 殊額を含め、不見の民はみな黒髪に黒い瞳をしているから、こうした瞳は非常に目立った。


 殊額の知る限り、このような金眼を持つ者は、依人を統べる闇食やみはみの宮と、葵蘙を筆頭とした七名の依人だけだ。

 三年前には後もう一人、力に溢れた依人がいたが、鬼に食い殺されて今はいない。


 その死んだ依人と共に、戦いの核となるように望まれて生を受けたのがこの司凉だった。

 依人の中でも五本の指に入る真霊の高さを持ち、よわい十八にして、依人の精鋭と呼ばれる格付けに抜擢された逸材である。


 ……間違っても、生まれたての赤子の世話のためにあばら家に呼びつけられ、真夜中に授乳ならぬ授血をさせられるような依人ではなかった。


 そもそもこの赤子は司凉が命の危機に陥った時のために生み出された贄であった筈なのに、どうしてこのような事になってしまったのだろう。 

 



 この司凉しりょうについて語る前に、まずはこの、不見という呪われた国について説明しなければならないだろう。


 そもそも不見という名前自体、見たくないという人々の願望から呼ばれ始め、いつの間にか定着した土地の名だ。

 温暖な気候と肥沃な大地に恵まれながら、負の念が溜まりやすく、人々の怨嗟えんさが容易に異形や鬼を生み出してしまう、怨念の地、不見……。

 その地に暮らす人々は、せめて言霊によって鬼や異形から身を守ろうと、不見という言葉を祈るように口にし続けた。

  

 やがて、異形どもに蹂躙されるばかりだった人間を天が哀れんだか、不浄をぐ力をした者たちが不見の地に現れ始める。

 宗家と名乗る一つの血筋にのみ時折生まれ落ちる、ヒトとは明らかに異なるモノ。


 不浄を薙ぐ力ゆえかゆっくりと年老い、畢竟ひっきょう、長命である彼らは、人にあらざるモノ、すなわち不人あらずびととして畏れられ、やがては闇食 《やみは》みの巫女宮を頂点とする依人よりうどの一大集団を不見の地に築いていく事となる。

  

 宗家のべる不見は、その後も常に異形との戦いの連続だった。

 前線に身を置くがため、次々と命を落としていく同胞はらからを憐れんだ宮が、彼らの贄となる愛依うい鄙女ひなめ胎魂たいこんに植え付け始めたのが、宗家の統一から百年が過ぎた頃の事。


 ただし、生餌いきえとも言うべき愛依の存在はあまりに外聞を憚ったため、その事実は民には固く伏せられている。


 さて司凉の話に戻るが、司凉は現宗主の四番目の息子である。


 宗家直系であるから当然身分も高く、それに加えて御伽草子おとぎぞうしから抜け出たような美貌に恵まれたから、幼い頃から司凉は大層モテた。


 管楽や書にも優れ、立ち居振る舞いも優美であったので、十二、三を過ぎた頃から付け文をされるようになり、誘われるままに官女らと仮初めの恋に興じ、そしてそれが当たり前のように許されている。


 まさに人生の勝ち組であり、傍目には我が世の春を謳歌しまくっているように見えていたが、当の本人は日々の営みに何の手応えも感じておらず、人生そのものに退屈しきっていた。


 大抵の事はさほどの努力なしにできてしまうし、欲しいと思って手に入らなかったものはない。

 依人であれば若さも保証されており、異形との戦いで命を落とさぬ限りは、このまま延々と命を繋いでいくだけの人生だった。


 そんな心構えであれば生きあぐねてしまうのも無理はなく、だから自分の生餌として用意された愛依に対してもさしたる感慨を覚えていなかった。


 ……まあ、司凉にだって言い分はある。

 少なくとも三年前までは、司凉は愛依というものに相応の興味や期待を抱いていたのだ。


 愛依とは祝主の執着と庇護をかき立てる特別な存在だと事あるごとに聞かされていたから、愛依が自分に与えられる日を密かに心待ちにもしていた。


 この世でたった一人、祝主の飢えを満たしてくれるという愛依。

 それはきっと、退屈に凍てついた自分の日常をいくばくかでも紛らわせてくれるに違いない、と。


 そんな期待はある衝撃的な事件によって木っ端みじんとなり、司凉はいよいよ性格をこじらせた。

 事件から一年が過ぎる頃には、誘われれば一夜の恋を楽しむという今の生活様式が完全に定着してしまい、そしてそんな頃に用意されたのがその愛依だったという訳だ。


 愛依の胎魂が仮腹かりばらに植え付けられたと父から聞かされた時、司凉はもはや何の感動も喜びも感じなかった。

 ああ、その時が来たんだなと、諦念と共にそう納得しただけだ。


 ただ、どこぞの鄙女に胎魂を植え付けてくれた闇食みの宮に対しては、きちんと礼を言いに行った。

 そうしておかないと、後で宮からどんな嫌味を言われるかわからないからだ。


 依人や民たちから神のごとく崇められている闇食みの宮は、非常に頑是ない子どものような性格を持ち合わせていて、機嫌を損ねると面倒くさい事は幼い頃からよく知っている。


 しかも今回は、宮自身がかなり消耗した状態でありながら、司凉のために無理をしてくれていた。

 愛依に対する個人的な感情はどうであれ、宮には深く感謝すべきだろう。

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