贄なのに、役に立っていません

タイガーアイ

役立たずの愛依、生まれる

  愛依ういとは何か。


 鬼や異形いぎょうを滅する運命を背負った祝主はふりぬしにえである。

 祝主と同じように若さを保つ事が許され、異形を祓う力を纏い、祝主が死に瀕した時にはおのが命を与えて祝主を守る、愛依とは元々そうした生き物である筈だった。


 だがここに、祝主の役には全く立たず、立たないどころか散々に祝主の手を煩わせ、延々と迷惑をかけ続ける、どうしようもないみそっかすの小さな愛依がいた。

 名を翔士しょうしと言う。




 翔士は体の弱い子だった。

 まず生まれ落ちた時から、棺桶に半分足を突っ込んでいた。


 腹の中で首にへその緒が巻き付いて土気色の塊となって世に送り出され、へその緒が切られるや否や、取り敢えず祝主の掌の上に渡された。


 渡された祝主は非常に生まれ育ちの良い人間で(何と言っても、国を統べる宗家の四男坊である)、こんな僻地のあばら家に足を踏み入れた事も初めてなら、生まれたばかりの赤子を見るのも初めてだった。


 産声を上げる事もできず、ぐったりと手足を弛緩させたそれを、その祝主――司凉しりょう――はちょっと指先でつついてみた。

 掌に乗っけられたそれは何の反応も示さない。

 これはもうダメだろうと思いつつ、司凉は自分の指の先を裂き、試しに赤子の口の中に突っ込んでみた。


 指から滲み出る血が小さな赤子の口中を濡らしていく。

 死にかけた赤子の体に覚醒を促す祝血はふりちがゆっくりと染みわたっていき……、止まりかけていた心の臓がとくんと動いた。

 そして赤子は血を与えてくれたこの相手こそが魂をかけて慕う唯一の相手だと本能で思い知った。

 

 赤子はふえーと弱々しい産声を上げ、祝主恋しさに死に物狂いであの世から舞い戻ってきた。

 そして指先から滲んでくる祝主の血を弱々しく吸い続け、顔に何とか血の気が戻った辺りで、赤子は寝落ちした。

 失神したと言ってもいいだろう。


「これ、どうすればいいんだ?」


 一方の司凉は、へその緒が付いたままの状態で手足を丸めている真っ裸の赤子を見て、途方に暮れたように傍らの同胞はらからを見た。


 御所で寛いでいたところを、お前の愛依が死にそうだとど田舎に無理やり呼びつけられた司凉である。

 訳も分からぬまま馬を駆って必死に辿り着けば、ちょうど愛依とやらが生まれ落ちたところで、連れ込まれたぼろ屋で手の上に赤子を渡されて今に至る。

 この先何をどうしていいかさっぱりわからない。


「どうって、取り敢えずそこら辺の布でくるんで母親に渡しておこう」


 殊額しゅがくというその同胞は慣れぬ手つきながらも傍にあった布で赤子の体を包んでやり、隣の部屋へと消えて行った。


 その後ろ姿を目で追いながら、あれはないだろう……と司凉はげっそりと心中に呟く。

 目は糸のようで眉もなく、顔はやや赤く、髪は申し訳程度にちょろっと生えていた。

 生まれたばかりの赤子は大体そんなものだが、宗家の末っ子であった司凉はそもそも赤子というものを見た事がなかった。


「あのへちゃむくれが俺の愛依?」

 赤子を渡してちょうど部屋に帰ってきたひょろりとした長身の殊額が、司凉の言葉に目を剥いた。


「いやお前、へちゃむくれって……」


 こんなひどい言われ方をした愛依は、おそらく不見みずの国、始まって以来だろう。

 祝主恋しさに必死にあの世から舞い戻ってきた小さな愛依が馬鹿みたいである。

 哀れさを覚えて無言になる殊額とは対照的に、司凉は本当の事を言って何が悪いとばかりにふんと顎を逸らせた。



 ……これが、祝主が大好きで大好きで堪らない甘えたの愛依と、その役立たずの愛依にひたすら振り回される祝主との最初の出会いだった。




 さて、生き返った赤子は翔士と名付けられた。

 本来なら小作農の息子なので、余作よさくとか稲太とうたとか名付けられる予定であったのだが、生まれてすぐ依人よりうどの宣旨を受けたため、ご立派な名前が用意された。


 因みに依人というのは、鬼や異形を滅する神霊を生まれながらに宿した者達の事で、祝主や愛依がこれに当たる。

 むらから依人が出る事は非常な名誉とされていて、邑長などは歓喜に踊り狂っていたが、その頃、宣旨を出した宗家の方はこの先どうしたものかと頭を抱え込んでいた。


 見殺しにできなかったから祝主の司凉を遣わしたが、本来ならばこの赤子が十になるまでは、宗家は司凉を傍に近づけさせるつもりはなかった。

 祝血を与えてしまえば、その赤子は本能を呼び起こされ、依人として覚醒してしまうからである。


「あんなところで無防備に甘い香を撒き散らせたら、あっという間に鬼に食い殺されるな……」


 弱り切った声でそう呟くのは、この不見を統べる宗主、儀容ぎようだった。


 因みに宗主が言うこの香というのは、鬼や異形を呼び寄せる気のようなもので、封じを宿命とする依人ならではのものである。


 宗家筋に生まれる祝主たちは、そのまま御所内で育つから何の問題もなかった。

 御所は幾重にも結界が敷かれているし、特に幼い依人が育つ本殿は厳重に気封じがされている。


 が、赤子が生まれ落ちたのは結界とは無縁のど田舎のむらだ。


「御所に迎え入れるか、邑に守役を遣わすか、どちらかしかありませんな」


 吐息混じりにそう応じたのは、宗主の正面に座すどっしりとした面構えの壮年の男だ。

 国中にいる依人の頂点に立つ男で、名を葵蘙きえいと言う。


 一般に真霊が高い依人ほどよわいを重ねる速度が遅くなるといわれるが、この葵蘙は一千年以上の時を長らえて尚、始終そこそこの矍鑠(かくしゃく)さを面差しに見せていた。


 四十八の儀容とは比べ物にならないほどの長い年月を生き抜いてきた男だが、その葵蘙にしても、生まれたばかりの愛依が依人として覚醒するなど初めての経験だ。

 思わぬ事態に苦虫を潰したような顔になっていた。


「とはいえ、御所に引き取るのは難しいでしょう。

 御所には前例やらしきたりやらが山のようにあって、折り合わせに時間がかかり過ぎる」


「ならば守役を遣わせるか……」

 葵蘙の進言を受けて、儀容が小さくため息をつく。

「二人、いや三人いれば守り抜けるか?」


「大丈夫でしょう」

 葵蘙は即答し、「ただ」と言葉を続けた。

「依人を常在させるとなると、専用の館や仕え人らも必要となってきます。かなり大掛かりなものになりますが」


「構わん。司凉の愛依を守るためだ。そのくらいは安いものだ」



 という事で、その翌日には早速、大工やら世話人やらが邑に遣わされていく訳だが、生れて初めての賤屋しずやで小汚い布団にくるまっている司凉はまだそれを知らない。

 本当は邑長の家に泊まりたかったが、しばらくは赤子の傍にいてやらねばならず、生まれたての子や産褥の母親を動かせなかったのでどうしようもなかったのだ。


 依人さまに場所を明けるために、翔士の父親や兄姉が邑長の家に泊まりに行ったが、それを羨ましそうに見送るしかない宗家の四男坊だった。

 



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