第10話 作戦
ヨートの目の前には、上半身がない、ハヤテがいた。
それをハヤテと言っていいのか、分からない。
下半身はまだ立っている。
が、次の瞬間、ゴキュッ! と、ドラゴンに食べられてしまった。
血が滝のように流れている。
一瞬にして血の海が出来上がった。
ドロドロと、ヨートの足元まで流れてくる。
「う、うぉ――」
衝撃だった。
さっきまで笑顔を見せていたハヤテが、そこにいた。
そして、これから一緒に旅をする、はずだった。
はずだったのに。
「おぇ、うおぇ――っ」
吐き気が内側から這い上がってきた。
一部始終を見てしまったのだ。
人間の体の構造が全て分かってしまうほどには、しっかりと見てしまっていた。
ヨートがそこで崩れ落ちる。
口を手で押さえ、裏返った虫のようにもがく。
(――吐くなッ! 吐いちゃダメだっ!)
そう思えば思うほど、さっきの映像が頭の中で何回も再生される。
「ぐ、ううう……ッ」
「んー、子供には少し刺激が強過ぎたか? えぇ、おい」
その声は、オセだ。
まさか最初からいて、ハヤテを食い殺したのか?
「――な、んで……?」
「あん? だってよ、裏切り者には、制裁が必要だろう?」
そんな、ことで……ッ、ハヤテを殺したのか、と怒りが湧く。
だが、今にも殴りかかりそうな衝動も、
どうにもならない吐き気が、その行動に移すことを邪魔する。
瞬間、
シンッ!
と、空を斬る音がした。
それに一足先に気づいたオセが、ドラゴンの背中で跳躍する。
すると、ドラゴンが真っ二つに斬れた。
ギャアアッ!? という悲鳴と共に、ドラゴンが動かなくなる。
「――ヨート!」
走ってきたのは、ソラだ。
オセと戦っていたのだろう。
体には、少しの擦り傷があった。
「ソ、ラ……か?」
ヨートに怪我はない。
だが、それは肉体的なものだ。
精神は、もう崩壊寸前まで追い詰められている。
ソラはそれに気づいた。
状況なんて分からない。
なにが起きたのかも知らない。
だけど、ヨートが危ないということだけは、しっかりと分かった。
「大丈夫なの!? ねえってば!」
ピチャッ! と。
ソラが地面に膝をついたら、生温かい液体の感触があった。
真っ赤な血。
そして、これが誰のものなのか、すぐに予想ができた。
今までここにいて、でも、この場にいない者――。
そう、その人物が、ハヤテだということが。
「……っ!」
自分がいない場所で、信じられないことが起きていた。
ソラにはそれが分かる。
そして、
それにより、ヨートは今、大きな傷を負っている――。
ヨートは決して強くない。
それは、能力のことではない。
精神の強さだ。
ソラと出会うことで、人を助けることに、積極的になった。
それは、例え自分が危険でも、構わず助けに行ってしまうほどには。
その精神は、普通の人に比べれば、強いのだろう。
だけど、まだ、強くはない。
それは助けられなかった時の結末を、まだ味わっていないからだ。
今まで、みんなを助けられた。
失敗はなかった。
それはすごいことだけど、
でも、
失敗がなければ、本当に強いとは言えない。
そして、今。
ヨートは、その失敗を叩きつけられた。
今までの自分を全否定されるような痛みだ。
恨まれるかもしれないという恐怖。
でも――、
これを乗り越えた時、彼は本当に強くなれる。
ソラはそれを知っていた。
味わった。
痛いほどに。
ソラは、ヨートの頭を優しく撫でる。
弟を泣き止ませるように、優しく、包み込むように。
「ごめん、傍にいれば、苦しみを分けられたのに……。全部を背負わせちゃって、ごめん」
ヨートは許せなかった。
ソラに、そんなことを言わせてしまっている自分が、許せなかった。
(……こんなことで、折れてんじゃねぇよ、一道、陽斗ッ! ソラにまで心配をかけて、そんなこと、言わせやがって! 決めたんじゃねぇのかよ――全部を守るってっっ!)
ヨートが右の手で拳を作り、そして。
思いっきり、地面を殴った。
ゴギンッ! と、鈍い音が響いた。
痛みはきちんとヨートに伝わっているはずだ。
逆に、それで目覚めた。
さっきまでの腐った少年は、消えた。
その眼光には、力が戻っていた。
立ち上がる。
「ソラ、ごめん。……ハヤテ、救えなかった」
「……うん」
「でもこれ以上は、絶対に失わせないから」
「……うん」
「だから」
「一人でとか考えないでね。あたしもいるんだから」
ああ、とだけ返した。
ドラゴンの死体の後ろで、オセが待っている。
確実に殺すための作戦でも、練っているのかもしれない。
だけど、関係ない。
どんな状況でもきっと、二人ならなんとかなると思ったからだ。
ここから先は死地だ、そして地獄だ。
それでも、確実に一歩、踏み出す。
目の前の敵を倒すために、ハヤテの仇を討つために。
「ふう、やっとか。
あんまり待たせんなよ、萎えるからさぁ」
しっかりと、ヨートたちの準備を待ってくれている態度を見ると、彼女は極悪非道、というわけでもないらしい。
だからと言って、何が変わる、というわけではないが。
「悪かったな、待たせちまって」
「いいや? ちょうどいいぜ――ほら、『あいつら』もいま来たところだしさ」
あいつら? と質問する前に、明確な変化が訪れた。
上空、雲に覆われた世界に、影があった。
それも、一つではない。
「嘘……でしょ?」
ソラが、そう呟いた。
ヨートも、それほどの衝撃があった。
一、二、三、四、五――、
五つの影が雲の中にいる。
そして、その正体は分かっていた。
分かってしまうのだ。
天空の世界から、この人間の世界へ、明確に侵入してくる。
両腕をかき、邪魔だと言うように雲をどかし、その姿が見えた。
「どーだぁ? ワタシの可愛くて可愛い、ドラゴンちゃんたちはよぉ」
どれか一体を相手するのも大変なのに、それが五体……だと!?
それは単なる、五倍というわけではない。
同時に襲われたら、どうしようもない。
ヨートとソラに、緊張感が走る。
ただじっと、降りてくるのを待っていることしかできない。
そうしている間にも、ドラゴンはゆっくりと、確実に降りてきている。
そして、一体のドラゴンが、オセを背中に乗せた。
「ご苦労さん」
と、オセは、ドラゴンのことを見なかった。
「(なあ……、ソラ)」
「(なによ?)」
二人が、お互い、顔を近距離に近づける。
内緒話だ。
「(作戦があるんだけどさ)」
「(嫌な予感しかしないわ)」
「(いいからいいから)」
そう言って、ヨートがソラの耳元に口を近づける。
思いついた、その作戦を伝えた。
「(――――――!?)」
ソラはそのヨートの作戦を聞いて、まず呆れた。
「それ、できるの?」
「やってみなくちゃ分からねえな。いや――やってやる!」
ソラは、やれやれ、と首を左右に振った。
でも、その作戦に反対はしない。
ヨートなら、必ず成功すると、信じているからだ。
「じゃ、後は任せたぞ」
「任された」
「お? 作戦は決まったのかよ?
そろそろやってくれねえとよお、ドラゴンたちが、がまんできなくなるぞ?」
周りのドラゴンは、どうしてか、殺気立っていた。
目の前を横切るだけで、襲われそうな予感がする。
「もういいぞ……、というかさあ、
ちゃんと待ってくれるんだよなあ……お前、案外良い奴だよな」
ヨートの言葉に、オセは無言だ。
無言で、ドラゴンを、動かす。
「さあ行け、食事の時間だぞ、お前らぁ!!」
ムチを叩きつけた時と同じような感覚で、オセがドラゴンの背中を踏みつける。
それが合図だった。
ドラゴンが一斉に、攻撃に移る。
空に飛び上がり、炎を吐く一体。
自滅覚悟で突撃してくる、一体。
連携などしない。
ただ単に、個人技での勝負。
ソラがオセに向かって、
ヒュンッ! と、絶対的な彼女の刃が、オセに向かって一直線に向かう。
オセはそれを軽々と避ける。
その顔には、笑みと余裕があった。
だがそれは、ソラも同じだ。
ソラの目的は、オセに攻撃を当てる、ためではない。
オセの意識を、自分に向けるためだ。
なぜそんなことをする必要があるのか――。
それは、ヨートの作戦に大きく影響する。
これが失敗に終われば、作戦の失敗へ繋がってしまうのだ。
(あたしの役目は終わったわよ! あとはヨート、あんたの仕事よっ!)
その頃、ヨートは、一匹のドラゴンに目を付けた。
低空飛行をして、突撃してくる、あのドラゴン――。
『――ギャアアアアアッッ!』
ドラゴンの方も、ヨートに気づいたようで、狙いを定める。
低空飛行で、地面すれすれを飛んでいる。
そこに、ヨートは、真正面から突進した。
無謀だろう、
正面衝突して、勝てるはずもない。
いくらキセキを起こせると言っても、こんな土壇場で発動するほど、都合良くはいかない。
ということはだ、突進が目的ではない……。
突撃することが、目的でないのなら――、
(相手の懐に、まずは入る!)
衝突の瞬間、ヨートは体を、グリッと横へ捻る。
少し体と鱗が触れたが、突撃は避けられた。
そして、そのまま――、
ドラゴンの尻尾を、思いっきり握る。
当然、ヨートを襲う、当たり前の浮遊感。
ドラゴンが上空へ、猛スピードで飛ぶ。
「――う、うぉおうわあああああああああ!?
ち、超怖ぇえええええええええええッッ!?!?」
ドラゴンがいる高度は、もう落下したら助からない。
ヨートは本当に、手を離すわけにはいかない――絶対に。
ブンブンッ、としがみつくヨートは振り回されるが、気合で背中をよじ登る。
鱗は鋭く尖っていて、ヨートの手を切り刻んだ。
血が出ていたとしても、さっきハヤテの血を浴びていたせいか、まったく分からない。
「……ふ、ふう……なんとか、ついたな――」
ドラゴンは、背中のヨートに気づいている。
そのため、体をブンブンと揺らしたり、
グルングルンと回転をしたりして、どうにか振り落とそうとしている。
対抗するように、ヨートは必死にしがみつく。
鋭く尖った、その鱗に。
(ッ、くそ、やばい――限界、だ……ッ)
ヨートが手を離そうとした、その瞬間だった。
「鬱陶しいな……ッ、さっさと動け、このノロマがッッ」
その瞬間、ビクッ! と、ドラゴンの動きが止まった。
だからヨートも、振り落とされずに済んでいた。
「あ、あぶなか……っ、うん? いま……」
ヨートが、些細で小さな動きに気づいた。
ドラゴンが、微かに、震えていたのだ。
「え?」
別に、ヨートがなにかをしたわけではない。
ということは、オセだろう……。
「怖がってるのか……、あいつのことを……」
恐怖政治。
恐怖を植えることで、この主従関係が成り立っている――らしい。
証拠はない。
だが、これを見れば、一目で分かるだろう。
ドラゴンは、ヨートが背中にいるのにもかかわらず、安全運転だった。
まるで、オセの視界の邪魔にならないように、速度を落としているようで。
「乗り心地は最高、なんだけどなあ……」
別に、このドラゴンに同情してるわけではない。
オセに従うかどうかは結局、ドラゴン本人が決めるのだから。
それでも、気になった。
このまま、使い捨てにされ、殺されるのなら、放ってはおけなかった。
ヨートも人間だ。
この世界にいる全ての人を救えるわけではない。
完璧ではない。
不可能だってある。
失敗だってある。
だけど、目の前にいて、手が届く相手のことは、絶対に救う。
そう決めたら、止まらない。
ヨートはドラゴンの背中を這って進み、その頭に辿り着いた。
「おい、おーい! ドラゴーン!」
『ギャ?』
通じたのか分からないが、一応、返事があった。
ドラゴン自身も、もうヨートを警戒していなかった。
「通じてるのか、これ? まあいい……お前に頼みたいことがあるんだよ」
『ギャオ』
「お、通じたのか。通じたんだよな?
――でさ、頼みってのは、あのご主人のところまで、連れて行ってくれってことだが」
『ギャフ』
「本当に通じてんのか!? めちゃくちゃ不安なんだけどさ!」
通じているわけがなかった。
本当に心を通わせるには、
オセのような【ドラゴン使い】の【アビリティ】がないと不可能だろう。
だから、オセ以外が、ドラゴンと心を通わせるのは不可能なはず――。
しかし。
ヨートが諦めながら、ドラゴンの頭を、なんとなく撫でた瞬間だった。
カチッ、と、どこかのスイッチが、入ったような感覚がして、
「ん、なん、だ……今の感覚……」
『なんだ、じゃないよ。あんた、オイラになにをした?
ほらみろ、喋れるようになって――』
「し、しゃ」
『しゃ?』
「喋ったぁああああああああああああああああ!?!?」
えええええええええ!? という驚きが止まらない。
ヨートに、世界変化よりも大きな、人生最大の衝撃が走り抜けた。
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