第9話 弱者

「ふざけんなよ、てめえ……」


 ヨートが目の前にいるハヤテを睨みつける。

 彼とはさっき会ったばかりだ。

 この短時間で信頼をしろ、というのも難しい話だが、


 それでも、ヨートは信頼していた。


 友達として、仲間として。


 だけど、ハヤテの方は違う。


 最初から裏切る事を前提に、ヨート達と出会った。

 そして、一緒に行動をした。


 思えばそうだった。

 最初に倒れてきたのも、なぜ、ヨートとソラの前なのか?


 別に他の人でも良かっただろう。

 逆に、飯をもらえるとしたら、その辺にいるおばさんの方がまだ可能性がある。


 だが、そうはしなかった。

 ヨート達も最初は警戒をしていたはずだ。

 それでも、次第に警戒が薄まっていった。


 つまりはそういう事だ。

 ハヤテは、ヨート達をはめるために、近づいた。


「なんだ? 騙された事がそんなに悔しいのか? だったらお前も騙してみろよ」

「……ふっ、ざけんなよ……ッ」


 そして、騙された事。

 ヨートにとって、それについては、もうどうでもいい。

 そっちではない。


「――弱いから、裏切る事でしか生きていけない、だと?」


 ヨートの怒りは、それだ。

 弱い。

 それを誰よりも知っている。


 だからこそ、そんな方法しか思いつかないハヤテに怒っている。


「弱いなら弱いなりの戦い方ってもんがあるだろうが! 

 人に頼ってもいい、物に頼ってもいい! 弱いからこそ、足掻くんだろうが!」


 それは、ハヤテではなく、自分に言ってるようにも聞こえた。


「裏切るなんて、一番最悪な方法なんか選んでじゃねぇよッ!

 お前は自分の力を、可能性を、自分から手放しているんだぞ!?」


 弱いからこそ、自分の周りに、味方をつける。

 それを自分の力として使う。

 利用するのではない、協力を頼むのだ。


 今までそうしてきた。だからこそ言えた。


「――お前は、誰よりも、弱い!」


 ヨートのその言葉に、しかしハヤテは微動だにしなかった。


「言いたい事はそれだけか?」


 そして口だけが動く。

 その瞳も、ヨートを捉えたまま、動かない。


「お前は忘れているんじゃないか?

 僕には、風の力があるんだ。これがどういう意味か、分かるか?」


「…………」

「お前の偶然とは違う。この力は自由自在に、動かせる!」


 ハヤテが両腕を交差させるように、振り抜いた。

 その瞬間、周囲の風が収束し、ヨートを襲った。


 体が宙に浮き、そのまま真後ろに吹っ飛ばされる。

 後方にある壁に叩きつけられ、ヨートの呼吸が詰まった。


「――がッ、はぁッ!?」

「弱い者いじめは好きじゃない。だから、さっさと殺してやるよ」


 今までヨートの隣にはソラがいた。

 絶体絶命のピンチでも、ソラとどうにか切り抜けてきた。


 だが、今、傍にソラがいない。

 正真正銘、一対一の勝負。


 ヨートにとって、初めての一人きりの勝負だ。


 恐怖がないと言えば嘘になる。

 だけど、負ける気もなかった。


「ははは……」

「どうした? ピンチに頭がおかしくなったか?」


「いや、なんかさ、おれって弱いじゃん? だからもう、吹っ切れたわ」


 笑う目の前のヨートが、ハヤテの目には不気味に映っていた。


「おれの力は頼りにならない。そんな事は、当然、分かってた。

 今まではソラに頼り過ぎてたんだ。だから、おれのやり方で、足掻いてやる」


 ダッ! と足を大きく踏み込む。

 ハヤテに向かって、勢い良く駆け出す。


 拳を握り、それを顔面に叩きこもうとするが、しかし当たらない。


 ハヤテが体を捻り、避けていた。


「っ!!」


 ハヤテは避けた勢いのまま、ひじをヨートの腹に突き刺した。


 ドゴッ! という、杭を打ちつけたような音が、ヨートの体に響く。


「うぐ!?」


 悲鳴は上がらない。

 腹を押さえてその場でうずくまる。

 そうしないと痛みが頭の中で爆発しそうだった。


 しかし、ハヤテはそんな暇すらも与えない。


 うずくまったヨートへ、風が向かう。

 今度は、体は宙に浮かないが、その代わり、

 ザラザラの床の上を、引きずられるように吹き飛ばされた。


 まるでヤスリの上を転がってるようだった。


「いぎ……ッ!? く、くそ!!」


「暇なんて与えない。僕の手中で転がり、死ね」


 ハヤテを中心に、風が渦を巻いていた。

 まるで竜巻の鎧のようだ。


 手で触れたら吹き飛ばされる。

 今の段階で竜巻に触れた物が、ハヤテの周囲を旋回した後に吹き飛ばされているのだ。


「どうした? もう諦めるのか?」


 これでもできる限り、足掻いてる方なのだが、それをハヤテに言う必要もない。

 言葉は発しない。

 それが答えだと言うように。


(まずは、あの風をなんとかしないと……)



 と、その時、

 ガゴンッ! と、この廃ビルが大きく揺れた。


 揺れたというよりも、傾いた。


『なにっ!?』


 二人同時に叫ぶ。

 そして、立っていられず、大きく転倒した。


 ――そう、ハヤテだけ。


「なんだと!? なんでお前は立っていられ――」


 ヨートは立っていたわけではなかった。

 傾いたビルの床を、駆けていた。


(なにっ!? この傾きで、走るだと!?

 一歩間違えれば、空中に投げ出されて終わりだぞ!?)


 ハヤテは全身に纏っていた風をヨートに向けて放った。

 これで戦いは終わる――はずだったのだが。


 その風は、ヨートに当たる事なく、


 そのまま真後ろへ、吹き抜けた。


「え?」


 という、ハヤテの間抜けな声が出た。


 そうこうしている間にも、ヨートがハヤテに迫っている。


「なぜだ、どうしてだ!?

 今ので終わるはずだった! 確実だった! お前は一体、なにをしたんだ!?」


 ハヤテにとって、今の一撃は絶対だった。

 それが通用しなかった、ハヤテの不安を煽るには充分だったようだ。


 ヨートはなにも答えない。

 言う必要はない、とでも言うかのように。


 そして、これがヨートの足掻き方だ。

 イレギュラーな事態さえも、利用する。


 もう、ヨートとハヤテの差は、数十センチもない。

 ハヤテは見た。

 強く握られた、ヨートの拳を。


 そして、ヨートはもう、ハヤテさえ見ていない。

 見ているのは、握られた拳のみ。


 ヨートは出会った時とは違う、敵としての冷たさで言った。


「なにをした、か――さあな?

 キセキでも起きたんじゃねえの?」


 鼻っ柱を折るようなヨートの拳が、ハヤテの顔面を撃ち抜いた。



 ――ガクンッ! と傾いたビルが、さらに傾く。

 勝負は決まったが、この問題が解決されるわけではない。


「うおっ、と、って、これは――ヤバい! 落ちっ、るっ、てっ!」


 踏ん張りなんて利くはずもなく、

 そのまま、ヨートの体が宙に投げ出される。


「―――っ!」


 フワッ、と内臓が浮く感じがした。

 落ちている。そう認識するのに数秒かかった。


 咄嗟に何かに掴まなければ。

 そう思い掴んだものは……、


 ハヤテ、だった。


 気絶してるため、今この状況に気づいてない。


 そんな人間を一人抱えているヨートに、この問題を解決する術などない。


「くそっ! どうすればッ!!」


 このままでは地面に叩きつけられて終わりだ。

 だが、どうする事もできない。


 迫る地面を、ただ見ている事しかできない。


 やがて、だ。

 そんな状況で、ハヤテの目が醒めた。


 げっ、と、ヨートの顔が引きつる。


 時既に遅く、目覚めたハヤテが状況に目をパチクリとさせ、


「――な、な、なんだこれよおおおおおお!?」

「お前、起きるなよぉおおおおおおおおおお!」


 当然の反応だが、今はいらない。

 リアクションに時間を割いている時間などないのだ。


「ちょっと待て! なんだこの状況は!? 落ちてるじゃねえかッ!」

「知ってるよ! だから今、困ってるんじゃねえか!!」


 この状況で言い合いができるというのは、

 案外、二人には余裕があるんじゃないか? とも取れるが。


 ヨートが気づく。


 ヨートになくて、ハヤテにあるもの。


 それを使えば、こんな危機でも助かるのではないか?


「おい! お前の風でなんとかできないのか!?」


「――いや、無理だな。この落下してる中では、風が複雑に絡まってる。

 操る事もできるけど、それなりに時間がかかるんだ。

 とてもじゃないけどこのスピードじゃあ風を使ったとしても助からない!」


「なんだ、使えねえな」


 その言葉に、ハヤテが腹を立て、


「なら、お前の力を使えばいいじゃないか! 僕を頼りにするな!」

「使えたら苦労しないんだよ! だからお前に頼ってるんじゃねえか!!」


 言い合いの喧嘩はまだ続く。

 落下中なのだ、そろそろ地面でもおかしくないはず……、


 そんな中で、冷静さを先に取り戻したのは、ハヤテだった。


「って、気づいたらもうすぐ地面じゃないか! 

 これ……ホントどうするの!? このままじゃ死ぬよ!?」


「どうする?」


「聞き返すなぁあああああああああッ!?」


 どんどん、どんどん、地面が迫る。

 もう無理だ、と諦めた時――、


『うわぁああああああああああああああああああああっっ!?』


 その悲鳴が辺りに響き、反射してもう一度、聞こえた。

 そして、地面目前、ヨートの体が――、


 真上に上がった。


 その様子に気づいたハヤテが、反射的にヨートの腕を掴んだ。

 掴まれたヨートも、その手に自分の手を重ねて握り、離さなかった。


 え? と、なにが起きたのか分からない。

 なぜなら、助かるわけがなかった。


 あのまま地面に叩きつけられて終わりだった。


 そう、そのはずだった。

 ヨートは、自分を救った救世主の姿を見た。



 鉄骨。



 この廃ビルにあったであろう鉄骨が、ヨートのジャケットを引っかけた。


 鉄骨は、上から落ちてきたもう一つの鉄骨で、テコのように打ち上がったのだろう。


 それが、たまたまヨートに引っ掛かった。

 偶然にしては、出来過ぎている。


(また、おれの力か……?)


 こんなにもキセキが起こって、

 反動で、後で酷い目に遭わないだろうかと、ヨートは本気で心配した。



「ま、とりあえず、生きていられたからいいか」


 後でどんなに酷い目にあってもいいだろうと思った。

 だって今、この瞬間、生きていられたのだから。



「痛っ、てて……お前も、大丈夫か?」


 ああ、と、ハヤテが言葉を返した。


 鉄骨から降りる時、誤って手が滑り、二人一緒に地面に落ちてしまった。

 さっきの空中ダイブに比べればどうって事ないが、

 それでも地面に叩きつけられるというのは痛いのだ。


「お互い、生きていたな……」

「僕は死んでいた方が良かったか?」


 さすがにそれには、首を左右に振る。


「……で、どうする? 二回戦でもやるか?」


 さっきの戦いで勝負はついた。

 だが、イレギュラーな事態が起きたので、無効試合、となるかもしれない。


 だが、ハヤテは乗らなかった。


「いや、止めておくよ。

 さっきの戦いで僕は負けたのだから。もう一度なんて、往生際が悪い」


 ヨートは、ふうん、とテキトーに相槌を打った。

 そこでもう一つ、気になる事があった。


「なあ、お前、なんであんな奴にくっついているんだ?」


 あんな奴、というのは、第五位のオセの事だろう。

 ハヤテは、彼女と裏で手を組んでいた。

 それから、ヨート達をはめたのだ。


「理由なんかないよ。ただ、そこが今、一番効率が良かったんだ」

「効率?」


「そうだよ。強い者の後ろは、どこよりも安全だ。

 さらに、自分を大きく見せる事ができる」


 ヨートは素直に、頭が良いな、と思った。


 となると、


「別に、あの女と、なにかあるわけじゃないんだな?」

「なにかって、なんだよ?」


「そうだな……、たとえば、助けてもらったから、恩返しに着いていきます、とかさ」

「そういうのじゃないな。本当に、お互いがただ得する事が多いから、一緒にいるだけだ」


 そうか、とそこで会話が途切れた。

 お互い、今も敵同士だ。

 こんな場所でゆっくりと話し合っているというのもおかしい。


 それに、勝者と敗者だ。

 本来なら、一緒にいてはいけないものだ。


 いち早く気づいたハヤテが立ち上がり、この場から去ろうとした。


 が、


「おい、一緒に行こうぜ」


 と、ヨート。


 ハヤテは――その意味が分からなかった。


 一緒に行く、というのは、どこにだ?


「ハヤテは、得するから、あいつについて行ってるんだろ?

 おれに負けたなら、もう用済みって言われる可能性があるぞ」


 ハヤテも、一応その可能性も頭には入れていた。

 彼だってバカではない。



「そうなるなら、一緒に行こう。ソラと合わせて、三人で旅をしよう。

 きっと楽しい。お前の事も絶対に守ってやる。それにさ、ソラもいるんだぜ?」


 ヨートが笑顔で、


「だから、一緒に行こうぜ!」


 ……こいつはバカなのか? 

 まさに今、戦ったばかりで、殺し合った仲なんだぞ?


 ハヤテは何回も何回もそう思った。

 だけど、ヨートがそんなこと、気にするわけがなかったのだ。


 本気の本気で、ハヤテの事を誘っていたのだ。

 友達として、仲間として。


 裏切られてもなお、まだ仲間として見てくれていた。


「はは……」


 ハヤテが、思わず笑っていた。

 この世界になって絶望しかなかった。


 しかし、今、目の前には希望があった。

 まるで、少し開いた窓から日の光が差し込むように。


「はは――あっはははっ!」


 ハヤテは今まで、人を騙し続けてきた。

 信じる事はバカがする愚行だと、本気で信じていた。


 だけど。

 こいつは、信じていいのか?


 手を伸ばす。

 深い穴の中に垂らされた、一本のロープを掴むように。


 そこから、抜け出すように。


「ぷはっ――あははははははっ!」

「さっきから、なに笑ってんだよ?」


「いやー、ごめんごめん」


 ハヤテは呼吸を整え――そして。


「ああ、一緒にいこ――」




 しかし、言葉はそこで途切れた。

 当然、その先はない。


 もう二度と、聞くことはない。



 ――バキャッ!?


 ハヤテの、ドラゴンに

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