第7話 ドラゴン使い その1

 慌てて外に出たヨート達の前に現れたのは、一体のドラゴンだった。


 空中をバサッバサッと飛んでいて、いつ暴れるか分からない。

 周囲には相当な数の野次馬が集まり、ここ一帯に、人が密集していた。


 少し動いただけでも人と人がぶつかってしまうほどには。


「なんだ、あれ」

「おいおい、誰かなんとかしろよ」

「お前がしろよ」


 と、野次馬が言い合いを始めていた。

 この世界になってから二週間が経った今では、

 ドラゴンが来たくらいでは、もう驚く事もない。


 ようは、慣れなのだ。

 そして、この世界に警察はいない。


 ……いない、と言うよりは、いなくなるほどのダメージを受けた。

 人の手によって、だ。


 ある、たった一人の少年に壊滅させられた、という話があった。

 返り血なのか、真っ赤な髪の色をしている少年に。


 そんなわけで、警察の代わりは、今、『自警団』が務めている。


 だが、そんな得体の知れない者達を、信じられない人もいる。


 一般人の大半は、自分の身は自分で守る……そういう風に過ごしてきたのだ。


 だから本来は、こんなドラゴンがいる時に外になど出ない。

 こうして集まって見物する事などしない。


 慣れは、人の感覚を麻痺させる。

 ここは充分、危険だ。

 そう分かっていても、慣れがあると「別に大丈夫だろう」と思ってしまう。


 ざわざわ、と野次馬が一斉に喋り出し、やかましい騒音に変わる。

 ヨートはそんな中で、上空にいるドラゴンを見た。


 変化は唐突に起こった。


 ドラゴンの翼に隠れていたのか、今まで見えなかった一人の女が姿を現したのだ。


 ざわつきがさらに激しくなる――そして、



「――るっせぇなぁ」



 ピタッと、ざわつきが止まった。

 相手が、なにかしたわけではない、なにもしていない。


 ただ言葉を発しただけ。

 たったそれだけで、一般人の慣れを、破壊した。


 静寂に包まれ、一言でも喋れば殺されるような緊張感が漂う。

 誰も話さない、動こうとしない、逃げようとしない。


 あの女はたった一言で、縛り付けた。


「おいおい、ここはまだだったんじゃねぇか?

 それに、いー感じに人が集まってるしよぉ。

 ここでいっちょ、暴れるとするかぁ――なぁ、おい」


 その言葉に、ヨートの最悪の予想が当たった。


「くっそ……、マズイぞ。みんなっ、早く逃げろ!」


 ヨートが叫ぶ。

 だが、動く者などいない。

 動ける者などいない。


(全員もれなく固まってやがる! 

 こんな状態で攻撃なんてされたら、ここ一帯の被害が半端ねぇ!)


 ヨートはすぐ隣にいた男を掴み、


「早くしろ! 命がかかってんだぞ! こんなところで死んでもいいのかよ!?」


 男の体がプルプルと震えていた。

 この男もそんな事、分かってる。

 けれど体が言う事を聞かないのだ。


「ヨート! 他のみんなも同じ、体が動かない――恐怖が支配してる!」


 ソラも他の人に声をかけていた。

 だが、結果は同じだった。


 そして、タイムアップが告げられる。


「さぁってと、やるか。

 そんなわけでさぁ、お前ら―――死ねよ」


 ゾクっと、

 ヨートの背中をなにかが這い上がった。


 そして感じる、これは本当にマズイと。


 ドラゴンが攻撃の予備動作に入る。

 攻撃に入るまでのほんの少しの猶予――そこにチャンスはある。


 今から攻撃される。

 それなのに、誰も動けない。

 ただ見ている事しかできない。

 そんな奴らに、ヨートはイラッときた。


「お前らッ、死にたいのかよ! 体が動かないのは分かってる! 分かってるんだよ!」


 喉が裂けるほど叫び、


「それでも今、逃げなきゃ、死んじまうんだよ! 少しは努力しやがれッ! 

 お前ら、この二週間、生き残ったじゃねぇか! こんなとこで諦めてんじゃねぇぞッ!」


 この声が届いたのか分からない。

 けど、みんな、動けるようになっていた。


「――よし。お前ら早く、今すぐ逃げろぉおおおおおおッッ!」


 それと同時にドラゴンが炎の玉を吐いた。


『うわぁああああああああああああああああああッッ!?!?』


 悲鳴が轟音のように響き渡る。


 生きるために逃げる、死ぬほど走る。


「よし、これなら一人も犠牲者は――」


 と、そんな時、

「きゃあ」と、一人の女の子が転んで、逃げ遅れているところが見えた。


 その子は自分に迫る炎の玉を見て、動けなくなっていた。

 ……まだ小さな子供だ、あんなの純粋に、恐いに決まっている。


「――っ、ちくしょうが!」


 ヨートが走り出す。

 あの子を助けるために、駆け出す。


 だが、走り出す瞬間に、ヨートの体が後ろに引っ張られる。

 ハヤテが、ヨートの腕を引っ張ったらしい。


「なにすんだっ!?」

「なんで助けに行く必要がある!? あんなもん、死にに行くようなものだぞ!?」


 だが、ヨートは吐き捨てるように言った。


「――だからどうした?」


 強く、低く、そう言った。


 本気で、どうでもいい事のように言った。


「なん、だと……?」


 ハヤテは信じられないようなものを見るように、その掴んだ力が強くなっていった。


「そんな事、どうでもいいって言ったんだ。なら逆に、なんで助けない?」


 ハヤテはその言葉に返せなかった。


「目の前で死にそうな奴がいて、それをなにもせずただ見て見ぬ振りをして立ち去るような奴は、異常だよ。人の面を被った、化け物だ」


 たとえば、崖から落ちそうになってギリギリ右手だけで崖に掴まってる人がいたとして、それに手を差し伸べて助けようとする事は、当たり前なんじゃないのか?


 それを見て見ぬ振りをする奴の精神は、きっと壊れてる。

 気づかなかった、そう言う奴は、なにに対しても興味がないのだろう。


 人間にも、命にも。

 ヨートはそんな奴にはなりたくはない。


 もし、崖から引き上げようとして、一緒に落ちてしまったとしても、悔いはない。

 見捨てるよりはマシだ。

 そう言い切れる自信があった。


 だから、ハヤテの腕を振りほどく。

 まだ大丈夫。

 まだ女の子は助けられる。


 ソラも同じ決意だった。


 打ち合わせはしない。

 作戦は立てない。

 そんな時間は、もったいない。


 それにもかかわらず、ヨートとソラの息はぴったりだった。


 ハヤテを残し、二人同時に走り出す。



 ――炎の玉が女の子に迫る。


 あと少し、のところで、ヨートがその子を抱きかかえ、横に跳ぶ。


 ゴバッッ!!


 という爆発音と共に、熱風がヨートの体を叩く。


「あっつぅ!? ……が、はっ、っ、だ、大丈夫か!?」


 女の子は、コクンと頷くだけだった。

 それでも無事な事には安心した。


「ひとまず逃げろ! 遠くに! ずっと遠くにだ!」


 女の子は転びながらも、

「ありがとう」と小さく言って、走って去っていく。


 そのヨートの背中に、炎の玉が迫ってきていた。



「なに!?」


 ヨートはすぐさま地面を転がる。

 中腰の体勢からなら、立って避けるよりは、転がった方が避けられる。


 と思ったが、さっきの炎がまだ残っており、地面が灼熱に熱せられていた。


 ジュワッッ、と、ヨートの体が焼ける。


「っ、たぁ!? ……こんなんで日焼けなんて嫌だぞ!!」


 日焼けより、もっと酷くなると思うが、

 運良く触れたのが一瞬だったために、過度な火傷はしなかった。


 すると、ドラゴンが低空飛行で迫ってきている。


 これを避けようと、ヨートが横に跳ぼうとしたところで、目の前にソラが現れた。


 腰から取った木刀を横に振るう。

 絶対的なアビリティが発動する。


 ザンッ、という音が響き、

 ドラゴンはその翼を一つ失った。


 巨体のバランスが不安定になり、地面へダイヴする。

 ザザザザッ、と地面を擦る。


「――な、こっちにくんのかよ!?」


 ヨートの方に突撃してくるドラゴンは、ギリギリでその勢いが死んだ。


 ヨートの鼻先、触れるか触れないかのところでぴたりと止まる。


(うぉおぉお……っ! し、死ぬかと思った……!)


 ドラゴンは動かない。

 気絶しているのか、死んでいるのか分からない。


「あー、ったく、使えない奴だなぁ、おい!」


 ドラゴンの頭をガンッと蹴りながら、その女が言った。


 女の名前は、浅間あさま小瀬おせ


 その鋭い目つきは、睨んだだけで相手を威圧する事ができそうだ。


 そして、ヨートは気づく、


 胸元に刻まれた、数字に。


「お前、それ――」

「ん? なんだ、気になるか? そこまで見たいなら見せてやってもいいがな」


 そう言って、ドラゴン使い――オセは、自分の服のチャックをゆっくりと下ろす。

 あと少しで見える、というところで、ヨートの視界が真っ暗になった。


「い、ぎゃああああああああああ!?!?」

「なにを見ようとしてんのよ!」


 ソラがチョキの形を作り、ヨートの両目にグサッと、指を突き刺したのだ。


「お、前、これは、酷いぞ……っ」

「それはあんたよ! なに会ったばっかりの女の裸を見ようとしてんのよ!」


 まぁ、オセのやり方もそうだが、裸を見ようとしていると見えなくもない。

 正しくはオセの胸元にある数字を見ようとしただけなのだが。


「なんだ? ワタシが見せたらダメなのか?」

「ダメに決まってんでしょ! あと、なんであんたも脱ぐのよ!」


「そいつが見たがってたからな」

「見たがってたら見せるのあんたは!?」


「まあ、別に減るものでもないしな」


 ダメだ、とソラは思う。

 オセは女としての防衛が甘い。


 完全に開かれたチャック。

 風が吹いた時、不意に見えてしまった数字。


 見間違いだと信じたかった。

 ソラの目に見えている数字は、なにかの間違いだと思いたかった。


「っつ、おっ! 目の前が明るく……見えそう……あ、見えてきたぞ……っ」


 回復した視界の中で、ヨートも見る。

 その開かれたチャックの中にある存在を。


 もう男のロマンなど、どうでもいい。

 そんなものよりも存在感があるものがあった。


『5』


 その数字は揺るがない、現実だった。




 久しぶりの狩りだ、せいぜい楽しませろよぉ――おい」



 いきなり現れた強敵に、蛇に睨まれた蛙のように。


 ヨートとソラは、まだ動けなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る