第3話 絶空 その1

 目を閉じながら、ここはどこだ? と陽斗は思う。

 音は無く、その静けさが少し不気味だった。


 すると、頭に柔らかい感触がある事に気づいた。

 クッションなどではない。

 これは、人間の温かさがあった。

 まるで、いやたぶん、膝枕をされてるらしい。


 目を開けようとする。

 が、まぶたは重くて上がらない。

 だから声をかけた。


「誰……だ?」


 その声は掠れそうで、今にも消えてしまいそうだった。

 すると、陽斗の上から声が聞こえた。

 同い年くらいの女の子の声が。


「気が付いた? まだダメージが残ってるからあまり動かさない方がいいわよ」


 あれ? と陽斗は思う。

 この声、どこかで聞いた事がある。


 重いまぶたを無理やりに開ける。

 大量の光を見たためか、目が眩む。


 けれど、目の前の少女をしっかりと見た。

 そうだ、この少女は見た事がある。

 それも、ついさっきだ。


「あんた、あの時、横断歩道ですれ違った……」

「あたしの忠告を聞かないからこういう事になるのよ」


 忠告? と陽斗は首を傾げる。

 そんな事を言われた覚えがないからだ。


「あたしはしっかりと言ったわよ。『そっちには近づくな』って」


 さっきあの横断歩道ですれ違う時、少女は忠告していた。

 しかし、それが陽斗の耳には届かなかった。


 ただそれだけの事だった。

 忠告はしたのだから、聞こえてなくともその危険地帯に行くのは陽斗の意思だ。

 この少女が助ける必要がない。


 だが、少女は今こうして陽斗を助けて、看病をしている。

 それは、陽斗にとって素直にうれしい。

 それと同時に、なんで? と思う。


 こんな事をされたら嫌でも裏があると思ってしまう……それが自然だ。


「なんで……? 助けた?」


 少女は呆れたように、


「なんでって。あのねぇ、よく考えてごらんよ。目の前に血だらけで倒れてる人がいて、それを見て見ぬ振りをしてそこから立ち去る事ができると思う?」


 言っては悪いが、見て見ぬ振りをする事なんか、今時の若者はだいたいできると思う。

 みんな厄介ごとには巻き込まれたくない。

 そう思うのは当然だ。


 他者を蹴落として、自分が上がる。

 それが今の腐り切った社会なんだから。


 それでもこの少女は助けてくれた。

 今日会ったばっかりの、名前も知らない赤の他人を、救ってくれた。


「ありがとな」


 陽斗は礼を言った。

 今生きていられるのは、この少女のおかげなのだから。


 少女は笑いながら、「どういたしまして」と言った。

 それは人の命を救ったにもかかわらず、

 まるで従妹にプレゼントを渡したような気軽さだった。


 静けさが気になり、周りを見る。

 誰もいない。

 ここは駅の中らしかった。


 体を起こす。


 少女が慌てて、

「まだ起きたらダメ」と言っていたが、

 これ以上その柔らかい太ももにお世話になるわけにはいかない。


「もう大丈夫だ。だいぶ楽になった。あんたのおかげだ、ありがとう」


「二回目はいらないわよ。それに『あんた』じゃない。

 あたしにはちゃんとした、七夕たなばたそらっていう名前があるんだから」


「ああ、おれは一道いちみち陽斗ようとだ。よろしくな、ソラ」

「こちらこそ、ヨート」


 すると、ソラはなにか忘れていたものを思い出したように、身構える。


「あの、もしかしてだけど、能力者?」

「いんや。まったくない」


 ソラは、ふぅ、と安心したように息を吐いた。

 それを不思議そうに見ていた陽斗は、


「どうかしたのか?」

「いや、なんでもない」


 慌てて言うソラに違和感を感じたが、

 別にそこまで重要な事ではないと思い、追及はしなかった。


「っと、おれ、帰らなきゃ。

 あれ? おれが買ったデラックスサンドイッチは? スーパーおにぎりは?」


 なんだその食べ物は、とソラは呆れる。

 そして現実を突きつけた。


「ああ、それならぐっちゃぐちゃになってたよ。

 もう食べられそうにないから放っておいたけど」


「なにおう!?」


 いきなり叫ばれビクッとする。


「ちょっとぉ! いきなり大声出さないでよ! びっくりするじゃない!」


 すると陽斗はソラの肩を掴み、


「あの中には一週間分の食糧が入ってったんだよ!

 ――ああ、もうダメだ、終わった……」


 ガックリと肩を落とし、絶望する陽斗を見て、ソラはなにか申し訳なくなった。

 命を救ったのは、紛れもないソラなのだが。


 すると、カツッカツッっと階段を下りてくる足音が聞こえた。

 バッとそちらを勢い良く振り向くソラ。


 音は確実に近づいてくる。

 ソラに緊張が走った。


 こんな所に一般人が来るはずはない。

 なら、可能性は一つ。


 能力者。

 そして、その姿が現れる。


 それは、一人の少年だった。

 ソラは腰に手を回す。

 戦闘体勢に入る。


 ――そして、


 後ろにいた陽斗がソラの横を通り抜けて行った。


「な、!」


 息が詰まった。

 あの少年が能力者なら、今度こそ陽斗は死んでしまうかもしれない。


 緊張が走り、陽斗を守るため走り出そうとした時、


「おーい、雄太ゆうたじゃねえか」


「へ?」

 という間抜けな声がソラから出た。


「お、陽斗じゃん。こんなとこで何してんの?」


 なんなのこの状況? とソラは展開に追いつけてない。

 敵だと思っていた少年は、陽斗の知り合いだった。


「えっと、どうゆう事?」


 ソラが質問した。

 まずはその少年が誰なのか、把握する必要がある。


「こいつは学校の友達。工藤くどう雄太ゆうた、よく遊んでるんだよ」

「よろしく」


 工藤はソラに向かって言った。

 けれどソラはこの男に得体の知れない何かを感じていた。


「それにしても二日間も学校に来なくてなにしてたんだよ?」

「は? なにお前、行ってたの?」


「まぁな。まずは状況を見たかったし、それにみんなに会えば少しは安心すると思って」


 陽斗はそんな事、考えてもいなかった。

 みんなに会う。

 そんな簡単な事すら、選択肢から除外してしまっていた。


「おれは、まぁ家にいたよ。おれんちから学校まで遠いしな」

「あんなもん遠いに入らねぇよ」


 その会話を聞いても、ソラは会話に入れない。

 それもそうだ。

 なぜならソラはこの少年達とはいま知り合ったばかりなのだ。


 それに会話の内容も、知ってる人にしか分からないようなものだった。

 まるで、自分の知らない学校の先生のモノマネを見せられているようだった。

 それで周りが盛り上がっても、そのノリにはついていけない。


「陽斗、お前ずっと家にいたんだよな? なら能力なんて目覚めてないだろう?」

「ああ、全然だ。出そうな雰囲気がまったくねぇよ」


 ははは、と笑う中で工藤の笑みが邪悪に変わるのを、ソラがはっきりと見た。


「あ、放っておいて悪いな、ソラは――」

「目を逸らさないで!」


 しかし、その忠告は遅かった。

 工藤の伸びた手は、陽斗の心臓に向いていた。


 そして、聞こえた。


 明確な、死の宣告。



「死ね」



 それと同時に工藤の手から衝撃波が出る。

 この近距離、はずれるわけもない。

 運など絡まない。


 だが、衝撃波が陽斗を襲う事はなかった。


 ただし、陽斗ではなく工藤と陽斗の間に割り込んできたソラを、襲った。

 ガギィン! という大きな音。

 それと共にソラの体が地面を滑る。


 吹き飛ばされた、と気づくのに数秒かかった。


「――な!? ソラ!?」


 自分を二度も救ってくれた少女に駆け寄る。

 意識はある。

 死んではいない。

 けど、危険な状態だ。


 陽斗は工藤を睨みつける。

 なぜだ? なぜなんだ? と言うように。


「おいおい、なんだよ。十位圏内ってのはこんなもんか?」

「なんだよ、それ? 十位圏内ってなんだよ!!」


「そのままの意味だよ。

 このランキングで十位よりも上の奴、そいつらの事をそう呼ぶんだ」


 陽斗は驚いていた。

 工藤が能力者、という事ではない。

 今まで現実味がなくて信じていなかった。


 始まっていたんだ。

 あの謎の男が言った、サバイバルゲームは、始まっているんだという事に。


「それにしても、陽斗。お前は能力者じゃなくて良かったぜ。

 これなら楽にぶっ飛ばせるからな」


「な、にを言って」


「おいおい、こんなすっげぇ力があるんだぜ? 

 それを使わなくてどうする、ストレス発散には最高だぜ」


 ふざけるな、と思う。

 その力は、そんなものに使うようなものじゃない。


 そんな力を使って、人を不幸にさせていいはずがない。

 工藤は誰にも信頼されてて、それに明るく、人の心配をするような人間だった。


 けれど、そんなもんはたった一つの力で砕けた。

 人格が歪んでしまった。


「お前、まさかそんな事を学校でやってきたんじゃないだろうな?」


 やっていない。

 そう信じたかった。

 けど、その言葉は裏切られた。


「お、よく分かったな。俺を影で悪く言う奴は潰してきたぜ。確か、田中と山内だったか」


 ふざけるな、と思う。

 田中も山内も、陽斗の友達で、工藤の友達でもあった。


 一緒にカラオケに行ったりした、ゲーセンに行ったりもした。

 なのに、それを壊してきていた。


「ああ、あとなんだっけかな? 

 俺の事を見てバカにしてきた奴やコソコソ話をする女子共もぶっ飛ばしてきた。

 陽斗、お前は運がいいな。一昨日、昨日学校に来ていたらお前までぶっ飛ばしてたぜ」


 その言葉で、陽斗の怒りが頂点に達した。


「――けるな、ふざけるなッ!!」


 陽斗は走る。

 目の前のふざけた野郎をぶっ飛ばすために。


 けれど、それは叶わなかった。

 伸ばされた右手から出た衝撃波で、陽斗の体が真後ろに吹き飛ばされる。


「うぐ、があッ!?」


 背中を何度か打ちつけ、呼吸が止まる。

 隣には、ぐったりとしたソラがいた。


「あーもう、うっぜぇ! もういいや、お前も死ねよ――」


 右手を伸ばす。

 工藤にもう躊躇ためらいがない。


「てめぇら二人共、吹き飛ばしてやるよ。その八位ごとなぁ!」


 その言葉に少し驚いた。

 工藤が言った八位という言葉。


 陽斗じゃなければ一人しかいない。


「ソラ、お前……八位だったのか」



 あの時、上から降ってくる鉄骨がなぜ真っ二つに割れたのか分からなかった。

 けど、これで分かった。

 ソラはその八位という力を使って助けてくれたのだ。


 そんな彼女を、死なせたくない。

 自分の問題に巻き込ませて、死なせたくない――と、陽斗は思う。


 けど、陽斗に力などない。

 守る力など、あるはずもない。

 自分を犠牲にする方法しか、ない。


 そんな方法はなにも解決しないだろう。

 ただの一撃、防いだとしても、その次の一撃がくれば、ソラは死んでしまう。


 なら、相討ちを狙う。

 そうすれば、ソラは助かる。


 工藤は手を伸ばしている。

 まだ、撃たない。

 大きい一撃のためか、溜めが必要なのかもしれない。


 そこにチャンスはある。

 今度こそ、走り出す。

 持てる限りの力で走る。


 今なら、行ける!

 そう思った時、工藤が、笑った。


「とっくのとうに溜まってるよ。

 そうやって走り出してくるのを待ってたんだ。

 ほんと、バカだなぁ……――さよならだ、陽斗」


 しまった、と思う時にはもう遅い。

 もう避ける事なんてできない。

 進路修正などできるはずもない。


(……おれ、死ぬのかぁ)


 諦めた。

 静かに目を閉じようとした時。


 ――隣を駆け抜ける者がいた。

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