第6話「父さんと母さんの話」

「大丈夫ですか?」


それがきっかけだった。



小柄な女性が、倒れている俺に急いで声をかけた。扉を超えて人間界にやってきたのだが、あの凄まじい勢いは予想していなかった。


「すまぬ、うっかりしていた。」


遥か昔の時代からタイムスリップでもしてきたかのような古風な口調に一瞬母さんは戸惑っていたようだったが、すぐににっこりと微笑んだ。母さんは「貴方のその瞳はどこか人懐こく愛嬌があるので、なんだか緊張がほぐれた。」と言ってくれた。


それから数日後、俺たちはあの商店で再会したのだ。


人間について学ぶのが目的で妹とこちらに来ていたので、あの町に商店を構えて営みを始めていたのだが、なんと母さんがうちの店に買い物に来たのだ。その姿を見た瞬間、俺は母さんに一目惚れした。いや、既に惚れていたのだが、あの時は意識が朦朧としていて、彼女の親切な声だけが脳内に反芻していた。


「父さんは、このチャンス逃すまい!と思って、勇気を振り絞って声をかけたんだ。」


「父さん、やるねぇ。」

父さんはふふっと照れ臭そうに目線を逸らし、話を続けた。



その日を境に、俺と母さんは文通を始めた。後から聞いた話、実は母さんも俺のことが初めて会った時から気になっていたらしいんだ。なんか、嬉しいもんだ。


「その様子をこっそり覗いていた妹…あの女店主は、『兄さん、いきなり人間に声をかけるんだもん。びっくりしちゃった!』ってさ。ははっ。」


「あそこの店主さんが父さんの妹…ね。ん、あのさ、その時父さんたちはいくつだったの?」


「今から17年くらい前だから…父さんは17歳で、母さんは15歳じゃないかな?」


「うへぇ、父さんたち…若い…。」


「ははっ。そりゃ父さんたちにも若い頃はあるだろうよ。」




そこから順調に進んでゴールインすると思っていた。


そんなある日。



母さんが16歳の時。


母さんの2個下の弟が、病に倒れた。


原因不明で、治療法が無いと診断された。恐らく、俺ら鬼の気だろう。


これをきっかけに、母さんは医者を目指すようになった。俺も次期頭首として、修行の毎日だった。お互いどんなに忙しくても、文通を絶やさなかった。母さんからの手紙が、俺の何よりの励みだった。辛くても頑張ろうって思えた。


「父さんは、母さんのことが本当に好きなんだね。」


「ああ、勿論だとも。今でもな。」



そして初めて出会ってから5年が経ったある日。ついに俺はプロポーズをした。あの時の表情は今でも忘れられない。夕日のせいでもあるだろうが、頬を赤らめ涙目で『はい!』と。


俺は鬼だから、母さんに結婚を申し込んで良いものか、毎日毎日そのことばかり考えていた。ふと、気づいたんだ。”これは2人の問題だ”って。だから俺は母さんに思い切ってそのことを打ち明けた。すべて聴いた後で母さんは『何となく、他の人と違う気はしていたよ。』と穏やかな口調でそう言った。俺は正直驚いた。だって、予想外の答えだったのだから。



「鬼だぞ?人間にとっては、怖い存在だとばかり思っていた。だから、俺はより一層母さんのことを大切にしなければなるまいと誓ったのだ。」



母さんは、両親が離婚している。母さんは16歳になってすぐひとり立ちして、そこから連絡をとっていないようだ。俺は母さんのそばに居たいと思っていたので、住み慣れているであろう人間界への移住を決めていた。式の予定も、これからの新生活も、母さんとあれこれ一緒に考えていた。




とても楽しかった。




………。





結婚することを頭首に知らせるため、文をしたためて羽根犬に届けてもらった。それを読んだじいさんが、猛反対した。羽根犬から受け取った文にはこう記されていた。



『人間と結婚するのは構わんが、お前はこちらの世界にいなければならぬ。次期頭首であろうに、何故人間界に留まる。お前の務めを果たせ。』と。



俺は、母さんが本気で医者を目指して…救えなかった弟のように苦しむ人々を救いたい一心で目指していることを痛いほど知っていた。



それなのに…。




『私も、あなたについていきます。』




俺は、反対した。




「互いに成し遂げねばならぬことがある。本当は肩時も離れたくはないが…。いや、やはりいかんな。年に一度、扉が開く月に会いに来るから。如月の季節に必ず会いに行くから。」


そう告げて、俺はこちらの世界に戻ってきた。母さんとお前を人間界に残して…。



…………。




………………。




「…。」


「今まで黙っていて悪かった。1年に一度しか会えない生活をさせてしまってすまない…。俺も、寂しい…。」


「…。正直、よくわからない。でも父さんも母さんも、お互いにちゃんと好きで、やるべきことをやってるんだってことはわかった。父さんも、頑張ってる。」


「結永…。」


「寂しくないよ。年に一度、会えるんだから。」


「ありがとう。俺は、少しずつだけど、この世界を変えたいと思っているのだよ。鬼はもっと人間のことを、人間には鬼のことを、知って欲しいんだ。そして互いに生きやすい場所にしていきたい。お前に頭首の座を渡すときには、どんな景色になっているだろう。」


そうか…僕は………いずれ頭首になる身なんだ。この鬼の世界で。




***




さぁ、次はお主の番だぞ、と言わんばかりにゆーとのとーちゃんがウチのとーちゃんを見つめていた。




なんだかもやもやした。

ウチは目線を逸らし、遠くを見つめながら思った。




父ちゃんの姉さんは、今でも人間なんだな…と。


ゆーとは、頭首になるんだな…と。

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2月に開く扉 河原葉菜陽 @Hanabi_871

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