第5-1話

どれくらい経っただろうか。気がつくと風が止んでおり、足の裏に地を踏む感覚があった。見覚えのある光景が辺りを包む。綺麗に陳列された珍しい商品、少し古くなった暖簾。間違いない。


「あれ、あんた。なんでここにいるのさ?向こうでの仕事はどうしたんだい。」


手拭いを割烹着にしまいながら、目を丸くしてかーちゃんが出てきた。


「やぁ。ここも変わらないね。」

「あんたは人間界に来たことないだろう?」

「ウチ、憶えてるんだ。産まれる前のことも。ずっとこの世界に来たかった。かーちゃんばっかり人間界にいて羨ましいよ!」


ウチのやるべきことをやるために来たんだ、と言おうとしたが、飲み込んだ。


「ふふ。あんたは向こうでじーちゃんの手伝いを頑張りなさい。扉の開いているうちにかーちゃんも一度とーちゃんに会いに行くからさ。」


木製のカウンターに置いてある丸い椅子に腰掛け、早く元の世界へ帰れ、といわんばかりに手を振っている。


「はーい、がんばりますよー!じゃ、またねー!」


来た方向と真逆に進み、カラカラと引き戸をあけるとすたこら走り去っていった。


「あんた、そっちじゃないだろう?まったく…。」


女店主…かーちゃんは呆れた顔でため息を吐き、暖簾の奥へと戻っていった。


出産直前までこの店を切り盛りしていたかーちゃんは次の扉の開く時を待てなかったので、急遽じーちゃんの仲間である羽の生えた狗に鬼の世界まで運んでもらったのだ。それで産まれたのが…ウチ。


だから、この道もなんとなく憶えてる。かーちゃんが通った道だから。


暫く歩き、ウチは表札を見つけた。生垣の陰から、見つからないようにそーっと中を覗いた。こじんまりとした一戸建てで、小さな庭は花で丁寧に彩られている。そこへ縁側に1人の少年が出てきた。「豆撒きすんだら、お父さん帰ってくる前に迎える準備しておいてねー!」「んー。」女性の声に対し、ぶっきらぼうに返事する少年。間違いない、彼だ。


「ねぇ!!」

顔だけ出して、少年に声をかけた。

少年は手に小さな巾着を握りしめており、これから何かしようとしていたらしい。


「…?」

声をかけられた少年は、眉を寄せて目を細め、訝しげにこちらを窺っている。


「君だよ、こっち来て!!」

そりゃそうだ。彼はウチのことを知らないもん。めげない。ウチはそう続けた。


少年はきょろきょろと辺りを見回し、縁側に巾着をそっと置いて、近くに置いてある下駄をつっかけてこちらへカラコロとやってきた。


「やぁ!ウチ、しょうらって言うの、翔羅。いきなりごめんよ。」

「あっ、あぁ…。」

「君は?」

「僕は…ゆぅ…結永。」

「へぇーー!ゆーと!いい名前だね!」

「ありがと…。で、君は…?」

「ん??」

「君は…誰なの…。」

「あぁ、ごめんごめん。ウチ、君と仲良くなりたい。」

「…へ?本当にいきなりだな…。そんなこと急に言われても…。」

「よろしくね!ゆーと!じゃあ、行くよ!」





僕がしどろもどろしているうちに翔羅という少年のペースに流されてしまった。少年は僕の手を強く握ると「走るよ!」とだけ告げると同時に、ものすごい速さで走り出した。僕はつっかけていた下駄をどこかに落としてしまった。ふと彼の足を見ると、彼も何も履いてない…。


「大丈夫?」

「大丈夫…。」

いや、大丈夫じゃないなと思ったが訂正するのも面倒だった。

「ウチのペースでついてこられる人間はいないってじーちゃん言ってたんだけどなぁ。」

「…?」

ごほん、翔羅は咳払いをした。


翔羅に向けていた視線を横に移すと…ここは、あの商店じゃないか。彼もここのお客さんなのだろうか。


「さぁ、行こう!」


突然大声を出す少年に対して、何をそんなに気合を入れているんだ、と僕は理解出来ずにいた。





ポカンとしているゆーとをよそに、ウチはカラカラと勢いよく引き戸をあけ、ピシャッと閉めるとゆーとの手を再び引いた。


「あらあらあんたおかえり…えっ、ちょ、なんでゆーちゃんと一緒なの…」


商品の陳列をしていたかーちゃんが、ウチらを見るなり何やらぶつぶつ言ってるようだ。その横を「ただいま!いってきまーす!」とだけ残してさっさと通り過ぎ、暖簾をくぐって、扉を開けた。





半ば強引にここまで連れてこられた僕は何がなんだかわからない。


(少年…翔羅は女店主にただいまと言っている…知り合いか?女店主もおかえりと言っていた…いやそもそも何故僕はここに連れてこられているんだ…なんの説明もないし訳がわからない)


と考え事をしていると急に視界が白んだ。僕は顔の前に右手を翳して光を遮った。翔羅は大きな扉を華奢な手で押さえている。店の中にこんな扉があったのか。



「ゆーと…君の父親の、本当のこと、知りたくない?」

「え…!?」


眩しくてはっきり見えないが、翔羅は僕の様子を窺うようにこちらを見つめている。その目は、少しの悲しさが混じった色だった。


「知りたいか、知りたくないか。」

「…知りたい。」

「……よかった。」


翔羅の目が、安堵と決心の色に変わった。


「さぁ、行こう!」


その台詞、さっきも聞いたな…なんてぼんやりしてしまったからなんの準備も整わないまま光の方へ吸い込まれてしまった。





ウチは、ずっと前からゆーとのことを知っていたけど、この出会いがウチらの運命を変えることになることは知らなかった。

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