第二章 忍び寄る冬 5

 ピオに会った翌日の昼。ウムトも伝言した通りの時間と場所にやって来た。来てくれてありがとうと微笑み、昨日と同じようにお茶を差し出したユラだったが、彼は首を振ってその申し出を断った。


「悪いな。お前を疑うつもりはあまりないが、外で飲み食いするときは極力自分で作ったものしか口に入れないようにしている」

「いいえ。とても……懸命だわ。用心するに越したことはないもの」


 気にしないで、とお茶を引っ込めたユラは笑顔の奥で次の手をどうするか思考を巡らせる。ピオが全く気にせず飲んだこのお茶は、疲労回復と体をほぐす効能の他に、気分を高揚させる効能の薬草も仕込んであった。本人が気づかない程度の緩い効能ではあるが、これを飲むと饒舌になり、つい色々なことを話してしまう──そんなお茶だった。

 自分の里でひっそりと暮らし、あまり他部族と交流することのない雪豹族とは違い、灰狼族は草原の開けた場所で暮らし、いつ他部族が攻めてくるかわからない驚異にさらされている。その分彼は狩人の少女よりもずいぶんと戦いや駆け引きに慣れており、また十分に用心深かった。


「なんだかえらく臭うが……なにか香を焚いているのか」

「ああ、鼻に障ったらごめんなさい。ビナイが私を疑って監視をつけないよう、万が一のために鳥避けの香を焚いているの。ここには内緒できているから」

「なるほど。ひどい臭いだが、それなら場所を移さずこのまま話をしよう」


 ユラに疑いの目を向けていたウムトだったが、答えには納得したらしく、洞窟の中へと腰を下ろす。どうやら話し合いに応じてくれるつもりではあるらしい。第一段階をとりあえずは突破したことに内心ほっとして、ユラは本題を切り出した。


「この前私がいった言葉、族長さまには伝えてくれた?」

「伝えた。かなり衝撃を受けていたが……エヴィラの洞窟へは出向くと言っていた」

「本当?! よかったわ。信用してもらえなかったら、どうしようかと思っていたの」

「背に腹は代えられんからな……だが、俺は一つ疑問に思っていることがある。お前がなぜ、わざわざ自分の一族を裏切り、俺たちに利のあるような行動をするのかということだ」


 嬉しそうに手を叩くユラに、ウムトは眉根に皺を寄せたまま疑いの言葉を差し向けた。だがユラはそれに動じることなく、すらすらと返答を口にする。疑り深い彼ならきっとその事にまで切り込んでくるだろうということは、あらかじめ予想していたことだった。


「やっぱりそう思うわよね……疑われても仕方ないわ。だって、私がなんの理由もなくこんな行動をとるのは、不自然だもの。本当は二人の族長さまだけに話そうと思っていたことだけれど、あなたにも教えてあげる。わたしの──とっておきの秘密を」


 ふふ、と笑ってユラは目深に被った布を頭からそっとはずす。シャラシャラと音を立てる細い縁飾りが顔を覆っていたときには隠されていたものが露になる。布の下から現れたのは赤い髪と灰色の瞳だった。


「お前のその目は……」

「気づいた? 私の母は灰狼族の出身なの。これがあなたたちに協力する理由よ」

「ならば、雪豹の方は捨て置き灰狼だけに協力すればいいだろう。なぜ両部族とも助ける?」

「それは……私が赤鷲族の人間に恨みを持っているから、かしらね」


 疑いの目を向けたままのウムトに、ユラは自嘲するように笑って見せた。彼には、生半可な演技などは通じないだろう。そう思って、ある程度は本心をさらけ出そうと覚悟してこの場に臨んだのだ。ウムトの信頼を得られるかどうか、ここが正念場だった。


「赤鷲の人間はね、とても血統を重んじる部族なの。純血の赤鷲であるほど尊敬されて高い地位につけるわ。なぜなら、他部族が親交の証にと嫁がせた娘は子供ともども間諜の可能性があるからよ」

「なら、娘を差し出されても断ればいいだろう」

「こっちも同じように間諜の娘を送り込む機会をみすみす逃すのはもったいないでしょう。なにより一夫一婦制のあなたたちとは違って、赤鷲は4人までなら妻を持つことができる。妾として囲ってしまえば、いざというときの人質にもなるのよ」


 淡々と語るユラに、ウムトは反論の言葉を失ったようだった。自部族との違いをまざまざと感じたのだろう。多くの部族と親交を保つための施策とはいえ、それは混血の子供たちにとってあまりにも過酷な環境だ。多くの混血児たちは幼い頃に親と引き離され、行商の荷の運び手や、旅を共にする呪術師となることが多い。だが隊商を率いたり、他部族と交渉をするような地位には決して上がれることはなく、過酷な労働の末に短い一生を終えるものも少なくないという。そういう中でユラも生きてきたのだ。


「母が他部族のものだというだけで差別され、赤鷲族の安寧と引き換えに未来を奪われたのよ。復讐をしたいと思うのは、当然じゃないかしら」

「──なるほど、よくわかった。それなら……お前には一族を裏切るだけの十分な理由があるな」


 話を聞き終わったウムトはようやく疑いを解いたらしい。はじめと比べてずいぶんと警戒心を解いた姿に、ユラは情に訴える作戦がうまく行ったことを確信した。ここまで来たら、あともう一押しで作戦は成功するはずだ。そろそろ、香に仕込んだ効果も出始める頃だった。


「わかってもらえたのなら嬉しいわ。もうあまり時間がないの。ビナイは秘宝の封印の第一段目を解除して、冬を呼ぶことに成功したわ。山脈にはまもなく木枯らしが吹き始めるでしょう」

「まずいな……なにか打つ手はないのか」

「第二段階目の封印には大分と手こずっているみたいだから、まだ少し時間はあるはずよ」

「ああ、そうか。力を解放することはできても、その力を意のままに操るのは難しいだろうな。あれは灰狼の族長にしか扱えないものだ」

「族長にしか扱えないもの? どうして?」

「蒼剣は灰狼を率いる者の『声』にしか反応しない。その上、命令する言語は灰狼族だけに伝わる古代アーク語だ。そうそう使える者がいるとも思えない」


 無口で警戒心の強いウムトにしては珍しく、淀みなくユラの問いに答えていく。ほんのり頬を紅潮させ、熱弁を振るう男はどこか熱にでも浮かされているような様子だった。

 思いの外香が効きすぎたかしら、と思いながらユラはそっと微笑む。ここまで聞き出せれば、もう目的を達成したも同然だった。


「それなら安心ね。だって灰狼の族長さまはお強い方だし、そうやすやすと人質になったりはしないもの。ビナイが意のままに秘宝を操れるようになる前に、きっと秘宝を取り戻せるわ」

「ああ、我ら灰狼も最大限お前に協力しよう。必ず、秘宝を取り戻してくれ」


 向こうから差し出された手をぎゅっと握りしめ、同じ灰色の目を見返してユラが秘宝を取り戻すことを誓うと、ウムトは満足げに息を吐く。これで、舞台は整った。あとは来るべき会合に備えて最大限の準備を進めるだけだ。最後にもう一度会合の日時と場所を確認して、ユラはウムトに別れを告げたのだった。

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