第二章 忍び寄る冬 4

 次の日の昼。ユラが伝言をした通り、ピオは洞窟へとやって来た。いつもより神経を尖らせ、辺りのようすを警戒しているのは、近くに鳥がいないかを確認しているのだろう。あらかじめユラが鳥避けの香を焚いているので覗き見をされる心配はないが、警戒をするに越したことはない。少しほほえましいな、とそのようすをしばらく眺めてから、ユラはピオの前へと姿を表した。


「こんにちは、ピオ。伝言通りに来てくれてありがとう」

「ユラ! 用事ってなんだ?」


 首をかしげて用件を尋ねるピオに、ユラは微笑みながらまずは飲み物を差し出した。薬草をいくつか配合したお茶だと説明してやると、ふんふん鼻をつけてと匂いを嗅ぐ。その匂いに目を丸くして、いい香りだと笑みくずれた少女は何のためらいもなく器に口をつけた。


「このお茶、すごくおいしいな! もしかしてユラが作ったのか?」

「ええそうよ。疲労回復効果がある薬草と、体の強張りをほぐす効果がある薬草を配合しているから、今夜はよく眠れるんじゃないかしら」

「すごいな、ユラは。なんだか魔法使いみたいだ」

「そんなに褒めても何も出ないわよ」


 目を細めて美味しそうにお茶を飲むピオをしばらくのんびり眺めながら、ユラは他愛もない世間話に興じる。ユラに対してはすっかり警戒心を解いたのか、狩人の少女はいろんなことを話してくれた。相棒の雪豹のこと、山での狩りのこと──そうしてピオが二回お茶をおかわりし、大分と饒舌になった頃。ユラはようやく今回の用件を切り出した。


「さて、世間話はこれくらいにして、本題に入りましょうか。私が前に伝えてほしいと言ったことは、雪豹の族長さまに伝えてくれたかしら?」

「ああ、すぐに伝えた。アーティカさまは約束通り、エヴィラの洞窟へ向かうと言っていたよ。ユラへの協力も惜しまないと」

「そうなの? ああ、よかったわ。わたし一人でビナイに立ち向かうのはひどく骨が折れることだけれど、雪豹族の援助が得られれば、これほど力強いことはないもの」


 感極まったように少し涙ぐみ、ユラがピオの手を握ってお礼を言う。少女は少し驚いた顔をしてから任せておけと笑い、アーティカさまは本当に強いんだぞ、と目を輝かせた。頬を紅潮させながら族長の武勇伝をあれこれと語る少女に頷いてみせたあと、ユラは不安げな様子でそっと目を伏せる。慌てて表情を伺うように覗き込んできたピオに、憂いを帯びた声でユラはそっとささやいた。


「あなたたちと別れたあと、二つの秘宝がどうなっているのかを確認しにいったの。そうしたら封印はすでに半分解けて、あと一週間もすれば山脈には木枯らしが吹くと言われたわ」

「なんだと?! それじゃあ、一週間も待っていられないじゃないか。早く秘宝を取り戻さないと、冬が来てしまう……!」

「まって、ピオ。向こうも攻め入られるのは承知の上で、最大限罠をはって待ち構えているのよ。山脈には無数の【鳥の眼】がある。むやみに攻め込んでも、返り討ちにされてしまうわ」


 ユラの話に血相を変えたピオを慌てて引き留めて、言葉を重ねていく。慎重に、巧妙に──ユラに秘宝の封印の解き方を伝えなければならない、とピオ自身が思うように仕向けなければいけないのだ。


「なら、どうしたらいいんだ……雪華無しで、私たちは冬を越すことができない……」

「心配しないで、ピオ。封印はまだ全部解けた訳じゃないの。何か……ずいぶんと手こずっているようだったのだけど、きっと雪豹の族長にしか解けない封印があるのでしょう?」

「あ、ああ……そうだ。雪華の力をきちんと制御するためには、継承の儀を受けなくてはならない。秘宝は継承の儀を受けたアーティカさまの声にしか反応しないんだ」

「それなら安心だわ。だって、アーティカさまを人質にでもとらない限りは、封印は解除されないってことでしょう?」


 優しく言い諭すようなユラの言葉に、ピオはほっとした表情で体の力を抜いた。必ず私が何とかするから、と手を握って約束をしてやると、安心しきった表情でピオはうなずいた。


(……馬鹿な子。騙されているとも知らずに)


 なんの疑いもなくユラを信じきった目で見つめる雪豹の少女に、ほんの少しだけ、胸のなかに罪悪感が沸いた。今まで何十人、何百人と騙してきたときには感じなかったものなのに、今さらなぜそんな感情を抱くのだろう。紙の上にインクを落としたときのようにじわりと広がる感情からは目を背けて、ユラはさらに言葉を重ねる。己に与えられた役割を、ただ全うするために。


「雪華に命令をするときは、なにか特殊な方法を使ったりするの? それとも、普通の言葉で命令するだけ?」

「うん? どうしてそんなことを聞くんだ?」

「ああ、ごめんなさい。わたしも赤鷲にいたときは神殿にいて、赤鷲の秘宝を扱っていたものだから……ちょっと興味があるだけなの」

「ああ、そういうことか。雪華は普通の言葉には反応しない。古代語で話しかけないといけないんだ」


 ピオの話によると、次期族長になるためには雪華を制御するためにその古代語も勉強しなければならないのだという。読み書きが苦手だから勉強が大変で、とこぼすピオにどの古代語かを問うと、彼女はあっさりと答えてくれた。


「古代ハルク語だよ。ユラも話せるの?」

「ええ、一通りの文法は理解しているわよ」

「あんなに難しい言葉なのに……やっぱりユラはすごいんだなあ」

「書物を読んで、知らない知識を得るのが好きなだけよ。ピオが弓の扱いに長けているのと同じ」


 あんまり自信をなくさなくても大丈夫。そうピオを励ましたユラは、そろそろ帰る時間だと言って話を切り上げた。そうピオを励ましたユラは、そろそろ帰る時間だと言って話を切り上げた。必要なことはもう十分に聞き出せたので、あとはビナイに知らせるだけだった。最後にもう一度日時と場所をピオに確認してから、狩人の少女に別れを告げる。次の標的は、灰狼族のウムトだった。

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