第二章 忍び寄る冬 3

 岩がそびえ立つ崖の間を、人目を忍ぶように一人の少女が進んでいた。周りの岩と同化するように作られた石の扉を押し開け、薄暗い石室の中へはいる。そこは色とりどりの布が壁に張り巡らされ、部屋の奥には祭壇がもうけられていた。


「……ユラ、戻ったか。首尾はどうだ」

「ビナイさま。無事、雪豹と赤鷲に接触することができました」

「エヴィラの洞窟に来るように伝えたか?」

「はい。命じられたままにお伝えしました。きっとあの二人なら、それぞれの族長を連れてくることが出来るかと」


 祭壇の前で身じろぎひとつしない男の背中を見つめて、ユラは感情を廃した声で報告をした。秘宝を奪われた両部族の動向を探ること。機会があれば、捜索を命じられた者に近づき、赤鷲が秘宝を掌握している事実を伝えること。もし秘宝を取り戻したければ、二週間後族長自らエヴィラの洞窟へ出向くよう伝えること。それがユラの受けた命だった。


「よくやった。あの二つの部族も、族長さえいなくなってしまえば支配は容易い。ユラ、次にお前がすることはわかっているな?」

「はい。麻安香まあんこうを用意いたします。エヴィラの洞窟は崩れやすい場所がいくつかあるので、そこに案内した上で香を嗅がせ、眠ったあとに地崩れを起こします。そうすれば、不慮の事故に見せかけて二人とも始末できるでしょう」


 麻安香──両部族の秘宝が奪われた際に使用された甘い匂いの香で、ユラが調合を一番得意とするものである。知力と身体能力に優れた両部族の族長は、ただ生き埋めにするだけでは生き延びてしまうかもしれない。そのため、意識を奪った状態で洞窟を埋める必要がある。だがひとたび扱いを間違えれば、香を扱う本人の意識すら奪いかねないほどの威力が麻安香にはある。この計画は、香の扱いに長けたユラにしかできないことだった。


「期待しているぞ、ユラ。お前が首尾よくことを運んだ暁には、たっぷり褒美をとらせよう」

「ありがとうございます、ビナイさま。このお役目、赤鷲の翼にかけて必ずや完遂して見せましょう」


 跪くユラの言葉に、ビナイは満足げに頷く。その様子を見てほっとしたように体の緊張を解いたユラは、祭壇の上に祀られる三つの秘宝へ視線を向けた。


「こちらの……秘宝の封印の方は如何ほどですか」

「第一段階は解除できたゆえ、あと一週間もすればフィヨロ山脈には木枯らしが吹き始めるだろう」

「まあ、もう封印が解除できたのですね」

「まだ一つ目だけだ。これで冬を呼ぶことはできるようになったが、こちらの思うようには制御ができん。さすがに一筋縄ではいかんな。呪術師が三人がかりになっても二段階目の封印が解けない。何か合言葉があるのか、それとも特定の声にしか反応しないのか……」

「わかりました。わたしがそれとなく探りをいれてみます。きっと、あの正直な二人なら話してくれるでしょう」


 ふふ、と笑ったユラを見て、ビナイは「これだから女は怖い」と首をすくめて見せた。

 赤鷲の呪術師は香の取り扱いや天候を読むのに長けた女たちばかりだが、同時に同じくらい人の懐に入り込む術も身に付けている。赤鷲族が山脈にすむ部族へ行商ルートを確立させ、こうして商売を続けられているのは、ひとえに呪術師たちのお陰といっても良いのだ。赤鷲が取り扱う品は、物品だけではない。女たちは行商に訪れたさきで言葉巧みに情報を仕入れ、その部族の弱みや要求を把握する。そうしてその情報を売ったり、取引に使うことで赤鷲族はフィヨロ山脈で確固たる地位を築いてきたのだ。


「ユラにお任せください。必ずや、ビナイさまが望む情報を手に入れて見せましょう」

「赤鷲一の呪術師といわれるお前の手腕なら、赤子の手を捻るよりも容易いだろう。任せたぞ」

「はい、ビナイさま」


 目深に被った布の奥で、ユラの瞳が煌めく。彼女がこうやってビナイに信用をされているのは、ユラが一番「ビナイの望む情報」を手に入れてきたからである。彼の望む行動を取り、彼の命に従順なものしか彼は信用しない。諜報活動を得意とする呪術師顔負けの疑り深さを持つビナイの信用を勝ち得るのは、並大抵の努力でなし得ることではなかった。


 ビナイの元を辞し、赤鷲族のすむ集落へと戻ったユラは、まっすぐに鳥小屋を目指した。ここは赤鷲族が狩猟や偵察、伝令に使う鳥たちが管理されている場所である。その中でも小柄な、手のひらに乗るくらいの灰色の鳥を一羽選び、ユラはそっと手首の上へとのせた。この鳥は音を真似るのに長けており、簡単な単語の羅列であれば覚えてさえずることが出来る。赤鷲族が伝令として一番よく使う鳥だった。


「ユラ ピオに あいたい。あすのひる まえの どうくつ」


 ひとつひとつ、根気強く繰り返し聞かせると、やがて鳥はユラと同じ言葉を繰り返せるようになった。良い子だと背中を撫でてやり、木の実を数粒やってから鳥を空へ放す。これでおそらく、ピオは前に雨宿りをした洞窟へ来るはずだ。そうしてユラは同じ作業を繰り返し、ウムト宛にも別の日を指定した伝言鳥を放った。ふたつの作業を数時間かけて終えたユラは大きく一つ息を吐き、疲れた体を引きずるようにしながらようやく自分の天幕へと戻っていったのだった。

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