第二章 忍び寄る冬 2

 ウムトの話を聞き終わったあと。さあ次はあなたの番ね、とユラに言われて、今度はピオが話すことになった。要点をかいつまみつつ、あまり秘宝の効能などは話さないように注意しながらいきさつを伝える。ピオが話し終わったあと、洞窟の中には重苦しい沈黙が落ちた。あれだけピオに敵愾心てきがいしんをむき出しにしていたウムトも、眉根に皺を寄せたまま、なにか考え込むように黙っていた。


「これで、二人の言い分はそれぞれ聞けたわね。で、お互いこれでもまだ本当に雪豹と灰狼がそれぞれ秘宝を盗んだって思うかしら?」


 二人の顔を見比べながらユラがいった言葉に、ピオは肯定も否定もできないままだった。彼が嘘をついているようには見えないが、雪豹が灰狼の秘宝を盗んだことはありえない。それでも状況証拠は揃っているし、赤鷲の証言もある。そして何より一番不可解なのは、どちらも同じ手口で秘宝が奪い去られていることだった。


「ウムトの話を聞いて疑いが晴れたわけではない……だが、ひとつ気になったことがある。秘宝が盗まれたとき、甘い匂いがして意識がなくなったという証言は雪豹と灰狼どちらにも共通する手口だ。実行犯は同じと考えた方が自然だろう」

「ええ、そうよ。じゃあウムトに質問。フィヨロ山脈一体にすむ部族の中で、香を炊くことで医療行為を行う部族があるのを知っているかしら?」

「もちろん知っている。だが、それは……」


 ピオがおずおずと述べた意見にうなずいて、ユラは話をウムトに振る。だがウムトははっきり意見をのべようとせず、口ごもるばかりだった。それもそうだろう。ピオも、ユラがいったいどの部族の話をしているのかは言われなくともわかる。だがもしそれが本当なのであればひどい裏切りであり、とても恐ろしい話だった。


「言えない? じゃあ、かわりに言ってあげましょう。此度、二つの部族から秘宝を盗み出したのは──赤鷲族よ」


 嘘だ、と言葉にならない悲鳴がピオの口からこぼれる。あの強くて優しいビナイがそんなことをさせるはずがない。あれだけ雪豹族と友好的な関係を築いている赤鷲がどうして、と叫びたくなるのをぐっとこらえて拳を握りしめる。信じたくないという気持ちと、そうであれば全て話が繋がる、とユラの話を肯定したい気持ちがない混ぜになって、胸がひどく苦しかった。

 向かいに座るウムトもひどく衝撃を受けているらしく、二の句を告げないまま黙り込んでいた。苦悶と葛藤──彼が浮かべる表情もまた、ピオと同じものだ。雪豹と灰狼は赤鷲の仲介があってこそ和平を結ぶことができたし、また二つの部族は赤鷲がもたらす恵みにかなりの恩恵を受けている。その赤鷲がそれぞれの一族の秘宝を盗み出した上に、お互いの部族の火種になるような裏工作をした、という話が本当なのならば、これ以上恐ろしい話はなかった。


「赤鷲の……ユラといったか。その話が本当だという証拠はどこにある」

「意識をなくさせる甘い香。あれは、赤鷲の呪術師のみに伝わるものよ。本来は悪い出来物がある部位の切除や、深い傷の縫合時に使うものなの。扱いが難しく、大量に嗅ぎすぎると命が奪われることもあるから、門外不出の秘薬とされているわ。つまり──この犯行は、赤鷲以外のひとたちには実行し得ないの」


 感情を廃した声で、ユラは淡々と事実だけを述べていく。自分の部族、それも同じ呪術師の犯行となれば隠しておこうと思ってもよいはずなのに、どうして彼女は雪豹と灰狼の人間にその話をしてくれるのか。ピオはその真意を図りかねていた。


「じゃあ、実行犯は赤鷲の人間というだけで、赤鷲族として秘宝を盗んだ、とは限らないんだな。もしかして、ユラが私たちにこの話をしてくれたのは、この犯行は赤鷲族全体の本意ではない、と言いに来たのか?」

「……あなた、次期族長候補のくせにずいぶんとおめでたい頭をしているのね。赤鷲族の呪術師は族長の命で動くわ。秘宝を盗むように指示したのも、当然族長であるビナイに決まっているでしょう」

「で、でも……だってそんな、ビナイさんがそんなことするはずは……!」

「ああ……あなたもあの男の外面に騙された人間なのね。その小刀、ビナイにもらったものでしょ。次期族長を目指すなら、もう少し思慮深くなった方がいいわよ」


 もしそうだったらいいな、というピオの幻想を粉々に打ち砕き、ユラは冷たい眼で言い捨てた。ビナイさんを悪く言わないで、と弱々しく反論するピオに深くため息をつき、彼女は琥珀色の小刀を指差す。ビナイに贈られてからずっと、ピオが肌身離さず身に付けているものだった。


「赤鷲の族長は【鳥の眼】を介して遠くを見ることができる。生きている鳥はもちろん、鳥の眼を模しているものも使えるわ。つまり、あなたの持っているその小刀を介して雪豹の里を盗み見ることも可能なのよ」


 ユラの言葉に、ピオは思わずぎゅっと小刀を握りしめた。布か革で覆えば見えなくなるわよ、と助言を受け、慌てて首からはずした小刀を背嚢へ放り込む。いくらビナイにもらったものとはいえ、そんな危険をはらんだものを身に着けておくわけにはいかなかった。


「ビナイさんは……本当に……?」

「信じる信じないは、あなたたち次第。でも、雪豹の雪華も灰狼の蒼剣も、冬を越すには必要不可欠なものでしょう? もっと言えば、この二つをそろえた時、山には恐ろしいことが起きるわ」

「なんだ? その恐ろしいことというのは」

「赤鷲族にはね、こんな言い伝えがあるのよ。『雪を溶かせし秘玉』と『氷を切り裂く神剣』がそろうとき、全ては雪と氷に閉ざされるだろう――と」


 歌うように告げられたユラの言葉に、思わずピオとウムトは顔を見合わせる。彼女の告げた二つは、まさしく「雪華」と「蒼剣」のことを指すものだった。初めて聞く言い伝えだが、二つがそろってはいけないものだということは理解できる。その二つがないままフィヨロ山脈が雪に閉ざされてしまえば、雪豹も灰狼も死に絶えてしまうだろう。


「お前の族長は、いったい何を企んでいる?」

「あいつが――ビナイが画策しているのは、フィヨロ山脈に住む全部族の支配よ。秘宝を二つとも自分の手中に収めれば、どの部族も赤鷲に従わざるを得なくなるでしょう。いうことを聞かなければ、山は雪に閉ざされてしまうのだから」


 雨の音が満ちる洞窟の中に、ユラの声が響く。あまりにも恐ろしい陰謀の全容に、ピオは思わずあげかけた悲鳴を飲み込む。彼がそんな恐ろしいことを考えていたなんて、全然気づけなかった。今こうやってユラの話を聞いても、全く実感はわいてこない。ビナイは、強くて優しくて格好良くて、ピオの憧れの人だった。どうして彼に嫁ぐのが自分ではなく姉なのだろう――そう、アーティカを恨んだこともある。そんな憧れの人が雪豹と灰狼から秘宝を盗み、フィヨロ山脈全体を支配しようとしているなどと、信じたくはなかった。


「もし私の話を信じてもらえるなら、あなたたちの族長に伝えて。『赤鷲の呪術師ユラが秘宝を取り戻す。もし助力をしてもらえるなら、一週間後エヴィラの洞窟に来てほしい』と」


 決意を秘めた瞳が布の奥で煌めく。ピオとウムトはその言葉に力強く頷いた。絶対に秘宝を取り戻す――そのための助力は惜しまない。たとえ、仲の悪い部族と協力することになっても。そうピオは決心して、必ずアーティカにユラの言葉を伝えることを約束した。

 いつの間にか雷の音はやんでいた。三人が洞窟の外に出てみると、雨に洗い流された緑が夕日に照らされてまぶしく輝いていた。

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