第二章 忍び寄る冬

第二章 忍び寄る冬 1

 三人が洞窟に転がり込んですぐ、大粒の雨が降り始めた。つんざくような雷の音を聞きながら、入り口から少し離れた場所にそれぞれ腰を下ろす。暗い場所と湿った土の臭いで、ざわつく心がすこしだけ落ち着いた。たたきつけるような雨と雷はしばらくやみそうになかった。


「じゃあ、とりあえずみんなで自己紹介してみましょうか。お互い知らない者同士だし」

「……名を名乗るならまず自分から名乗るのが礼儀だろう、赤鷲」

「まあ、それもそうね。私はユラ。赤鷲族の呪術師よ」


 呪術師の少女はぶっきらぼうな灰狼の男の言葉に気分を害した様子もなく、ふわりと笑って名を名乗った。彼女の柔らかくて少し低い声は、あまり大きくない声なのにも関わらずとても聞き取りやすい。半分嫌味のつもりで言ったのだろう男は当てが外れたのか、毒気を抜かれた様子で彼女に続いて口を開いた。


「俺は灰狼族のウムトだ。雪豹が奪い取った秘宝を取り返すために山へ来た」

「だから、何度も盗っていないって言ってるのに……私は雪豹族のピオ。そこの狼と同じく、灰狼族に盗まれた秘宝を探している」

「嘘をつくな、泥棒猫――」

「はいはい喧嘩はそこまで。いったん二人とも相手の言い分をちゃんと聞きなさい」


 また言い争いになりそうな険悪な雰囲気にユラが割って入る。だって、と言いつのろうとしたピオを目で制して、ユラはウムトに話をするよう促した。男は不満そうなピオを一瞥してから、低い声でいきさつを語り始めた。



 今から半月ほど前のこと。赤鷲の隊商が草原の民の元へやってきた。初夏と中秋のころに来て羊毛や織物を買い付け、生活に必要な調味料や革製品を売ってくれる赤鷲は灰狼族と良好な関係を築いており、彼らが灰狼の天幕を訪れれば宴を催して歓迎するしきたりになっていた。

 灰狼の現族長であり父でもあるルヴルが年若い赤鷲の族長ビナイをもてなす席には、息子たちも臨席していた。ウムトは八人いる兄弟の一番末の息子で席も末席だったので、最初に挨拶を交わしたあとはずっと、饒舌に山の各部族の様子を語るビナイと談笑する父の話に耳を傾けながら酒を飲んでいた。

 そんな和やかな席が少し不穏な雰囲気になったのは、ルヴルが雪豹族について言及したときだった。赤鷲族の仲介でなんとか和平を結んでいるとはいえ、もとは縄張りを争っていた者同士、相手方の動向には常に敏感でいなくてはならない。今は夏でまだ彼らと関わる時期ではないが、一番動向を把握しておきたい相手だった。


「雪豹ですか。そういえばここに来る途中、山の麓で数人の狩人を見かけました。去年の冬はかなり寒さが厳しく獣の数が減ってしまったために、もしかしたら狩場を広げているのかもしれません」

「なんと、麓まで……?! 我らが住む草原の目と鼻の先まで下りてきているのか。ううむ、警備の数を増やして草原の守りを固めなければ……」

「ああ、ご心配には及びません。この後私たちは雪豹の里へと出向きます。そこで、無為な戦いは起こさぬように十分念押ししておきましょう」

「そうか。そなたが族長になってから、我らは平穏な生活を送れるようになった。その点は非常に感謝をしておるし、また評価をしてもいる。これからもよろしく頼むぞ」

「ええ。お任せください。我ら赤鷲の名にかけて、山脈と草原の和平に尽力いたしますゆえ」


 そう言って父とビナイは大きな声で笑いあい、杯を交わす。その光景を、ウムトは静かに見守っていた。



 その三日後のことだった。一日前に灰狼のもとを去った赤鷲の隊商の一人が、深い傷を負った状態でウムトたちが暮らす天幕の元へ駈け込んできたのだ。ただならぬ様子に事情を聴くと、彼は「雪豹の者に襲われた」と語った。なんでも雪豹の里に向かう途中、草原へ向かう雪豹の戦士数人に出会ったのだという。その場では波風を立てぬよう見送ったが、ビナイの命により数名の赤鷲の男たちが雪豹の戦士たちを追いかけ、説得を試みた。だがその努力むなしく切りかかられ、何とか一人で逃げ延びてきたというのだ。その話を聞いて色めき立った灰狼の戦士たちは守りを固め、いつ攻め入られてもよいように準備を整えた。

 だがそんな灰狼の戦士たちをあざ笑うように、ある一報がもたらされた。なんと、灰狼の秘宝である「蒼剣」が祀られている場所に何者かが攻め入り、秘宝を盗んでいったのだという。その場所へウムトたちが赴くと、女数人と雪豹の足跡が残っていた。フィヨロ山脈一帯で女が戦士として戦い、かつ雪豹を従えることができるのは雪豹族のみである。先日赤鷲の男が語った「雪豹の戦士たち」の狙いは灰狼の集落ではなく秘宝だったのだ、ということに気づいたウムトたちはすぐに集落へ引き返し、ルヴルに報告をした。彼は開戦の準備を整えるとともにウムトへ一つ命を下した。


「――極秘に雪豹の里へ近づき、彼らの動向を監視せよ。そして秘宝の行方を追え」

「は。承りました。狼の牙にかけて、必ず」


 命を受けたウムトはすぐに準備を整え、灰狼が冬営地として使う土地へと向かった。そこが灰狼の縄張りの中では一番雪豹の里に近い場所だったからだ。そうして雪豹の動向を監視しながら部下に命じて秘宝を祀る場所を守っていた者たちへ、どういう形で襲撃をされたのかの聞き取りを行った。彼らが口をそろえていったのは「甘い匂いがしたかと思うと意識がなくなり、気づけば秘宝を奪われていた」という言葉だ。正々堂々と正面から戦うことを至上とする灰狼の戦士たちにとって、卑劣な術を使って襲撃をし、秘宝を奪った雪豹の蛮行はあまりにも許しがたい行為だった。


「――そうして冬営地で雪豹を監視していた最中に、こいつに出会った。あとは……お前の知っての通りだ」


 苦々しげにそう吐き捨てて、ウムトは話を締めくくったのだった。

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