第一章 紅風を呼び起こすもの 3

「あーあ、私も宴に出たかったなぁ……」


 赤鷲族を歓迎する宴が開かれている頃。雪塔から少し離れた建物の影に、二人の少女がいた。はぁ、とため息をつく一人の少女の傍らで、物憂げな顔をしているのは宴を抜け出してきたピオだった。

 隣の少女は神殿守しんでんもりのフィフィで、ピオの幼馴染みである。山野を駆け巡るほどの体力はないものの、非常に剣の腕がよいので雪豹の秘宝を祀る神殿の衛士を任されている。普段はここから少し離れた神殿へ詰めているのだが、今日はたまたま非番の日で里に戻ってきていたらしい。

 毎年、赤鷲族を歓迎する宴に出られる雪豹の女はほんの一握りだ。族長アーティカと側近の二人、次代族長候補の三人、ビナイの許嫁のルイーシャだけが宴に出ることを許されている。眉目秀麗な赤鷲の族長は人気があり、いつも里に赤鷲の隊商が現れたときは非番の女達がその姿を一目見ようと雪塔の回りへやって来る。ビナイと直接言葉を交わすことのできるピオはいつも里守さともりや神殿守の女たちに羨ましがられるのだった。


「あんな宴、疲れるだけだぞ……ビナイさまともろくに話せないし」

「ああ……ルイーシャがお世話を仰せつかってるんだっけ? ほんと、ビナイさまもあんな柔な女のどこがいいんだかねえ」


 鼻を鳴らして言い捨てるフィフィに、ピオは深くため息をついた。今までは、次代族長候補の三人が交代でビナイの相手をすることになっていた。ようやく今年最年少のピオに回ってくるはずだったのに、あろうことか今回の宴ではルイーシャがその役目を任されることになったのである。嬉しそうにかいがいしくビナイの世話を焼く姉を見ていられなくて、ピオは宴を抜け出してきたのだった。


「あーもう辛気臭い話題はやめよう。それよりフィフィ、狼どもの動向はどうだ? 一昨日|冬営地で何人か見かけたって話だっただろ」

「そうなんだ。あいつら、冬でもないのに山に上がってきやがって……いったい何を企んでいるんだか」


 二人が鼻に皺を寄せて話す「狼ども」――それは、フィヨロ山脈の麓に広がるリラ平原を縄張りとする部族のうち、もっとも大きい部族とされる灰狼はいろう族のことである。

 蒼い狼を祭神として崇め、狼と共に暮らす灰狼族は夏と冬で暮らす場所を変える習慣があった。夏は麓の平地で青草を家畜に食ませ、冬は山岳の中腹で越冬を行う彼らの冬営地は、雪豹の縄張りと隣接している。

 普段は春頃に夏営地へ移動し、次に戻ってくるのは秋頃のはずだが、なぜかここ数日の間に冬営地をうろつく灰狼族の姿が目撃されたのだという。そのため雪豹の女たちは警戒を強め、里守の数を増やしたと先日聞いたばかりだった。


「ビナイさまの代になってからはあいつらも揉め事を起こさなくなってたってのに……」


 赤鷲族が若き族長に代替わりして五年ほど。彼はフィヨロ山脈の部族達の和平を何よりも重要視し、その仲介に全力を注いできた。毎年冬営地と雪豹の縄張りの境界線で小競り合いを起こしていた二つの部族の間を取り持ち、境界線を明確にして不可侵の取り決めを結ばせたのである。そのお陰で冬はずいぶんと神経をすり減らさなくてよくなり、戦いで命を落とすものも少なくなった。雪豹族の皆がビナイを好意的に出迎えるのにはそういったわけがあるのだ。


「まあ、ビナイさまが逗留されている間はあいつらも揉め事は起こさないだろ。やるならそのあとだ」

「ピオも里守に加わるのか?」

「いや、私は――」


 フィフィに返事をしようとしたとき。微かな物音を聞きつけて、ピオが言葉を区切る。だれだ、と低い声で唸る二人の前に転がり出てきたのはルイーシャだった。


「ここで何してるんだ。あんたはビナイさまの世話を任されてるはずだろ」

「ビナイさまがピオとお話をしたいんですって。だから私、貴女を呼びに来たの」

「……そうか。すぐ行く」

「私はビナイさまの寝所の支度を見てくるから。あとはよろしくね、ピオ」


 ルイーシャの言葉に鼻を鳴らし、ピオは踵を返して雪塔の方へ歩きだした。ひどく腹の中がむかむかする。姉にたいしてひどい態度をとっているのは自分でもよくわかっている。ただ思いどおりにならないことに対して、八つ当たりをしているだけなのだ、ということも。

 建物の影から滑り出るようにして、相棒の雪豹が現れる。立ち止まってその柔らかな毛並みに手をうずめると、ほんの少しだけささくれだった心が落ち着いた。相棒の喉を撫でてお礼をいってから、雪塔へとまた歩きだす。


(これからビナイさんのお相手をするんだから、しっかりしなければ……!)


 自分の頬をぺちぺちと叩いて気を奮い立たせる。ビナイと話せるのだということだけで緩みそうになる口許をしっかり引き締めて、きびきびとした足取りで塔の中へと入っていく。雪豹の次期族長候補として、失態は許されない。グッと顎を引いて背筋を伸ばしてから、宴の間の入り口へ立つ。中からは、朗らかなビナイの声が響いていていた。


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