第一章 紅風を呼び起こすもの 2

 雪塔の入口を出ると、ちょうど赤鷲族の隊商が到着したようでざわざわと人が入り乱れていた。黒馬からひらりと飛び降りた若君を見つけ、ピオは姉とともにひざまずいて歓迎の意を示した。


「ようこそおいでくださいました。我ら雪豹族は夏の恵みを運んでくださるあなた方を歓迎いたします」

「雪豹の申し子ピオどの、出迎え感謝する。それから――ルイーシャどのも」

「ビナイさま、お会いできて嬉しゅうございます。どうかここで旅の疲れを癒やされますよう」


 短く刈り込んだ朱の髪に、鋭く光る黄金の瞳――赤鷲の若き族長ビナイはピオとルイーシャに一礼をしてから、先導を務めるルゥルゥとともに建物へ足を踏み入れる。後ろに男たちが続き、最後に数人マントのフードを目深に被った女達が続く。山の変わりやすい天気を占い、過酷な山旅の中で病気や怪我人が出れば治療を行う彼女らは、赤鷲の隊商を守る呪術師たちである。彼女ら無くして安全な山越えは出来ないと言われるほどに、赤鷲の呪術師たちは隊商に欠かせない存在であった。

 全員が建物内に入り、男たちが馬を引いていくのを見届けてからピオは隊商のしんがりにつく。呪術師たちの衣装についた金属の音が涼しげで良いな、と考え事をしながら歩いていくと、あっという間にアーティカがいる部屋へと到着した。

 隊商全員が入るとなると部屋はかなり手狭になるが、里に招き入れた旅人はまず初めに全員族長に挨拶するのが雪豹族の習わしである。族長アーティカは一度会った人間の顔と匂いを忘れない。集落で万が一何かが起こっても、すぐに犯人を捜し当てることが出来る。この異能を持つものだけが次代の族長候補として選ばれ、武芸を磨く。一番年若いピオ、すでに二十歳を迎えたルゥルゥとファティマの三人が現時点での次代族長候補だった。


「赤鷲の族長ビナイが雪豹の族長アーティカ殿にご挨拶申し上げる」

「面をあげられよ。長旅の苦労は我が里でゆるりと流されるがよかろう」

「アーティカ殿のご厚意は、我らが運んできた荷でお返しせねばなるまいな」


 優雅な動作でビナイが礼をする。その動きにピオが見とれていると、一瞬彼と目があった。ふ、と目尻を柔らかく下げて微笑むビナイに胸が高鳴る。すぐにたるんだことを考えてはいけない、と気を引き締めたが、その笑みはなかなか脳裏から離れてくれなかった。


「――ピオ。今年の新しい来訪者は何人いるかしら?」


 一通りの挨拶を終えたアーティカが恒例の質問を投げかけた。去年もピオたち族長候補はすべての来訪者の挨拶に立ち会っている。本当に会った者たちすべてのにおいと顔を記憶し、新たな来訪者を見分けられるかどうかを試されているのだ。

 前に進み出たピオは注意深く一同の顔を見渡し、においを記憶の中から呼び起こす。合致しないものの数は四人。年若い少年が二人と四十代くらいの女が一人、そして最後尾を歩いていた呪術師の女が記憶にない来訪者だった。

 ピオがアーティカに答えを告げると、続けてルゥルゥとファティマは五人と回答をした。答えを聞き、興味深そうに目を細めたアーティカは、ピオに五人目を数に入れなかった理由を問う。一つ深呼吸をしてから、少女はよく通る声で答えた。


「その方はたしかに去年の隊商にはおられませんでした。ですが雨の時期に赤鷲の使者としてお一人で里を訪ねてこられた記憶があったので、新たな来訪者の中には入れませんでした」

「見事だな。いやはや恐れ入ったぞ。」

「ありがとうございます……!」


 ビナイからの言葉にピオが頭を垂れる。尊敬する赤鷲の族長に誉められたことは、何よりも嬉しかった。顔をあげると、ぽんぽんとビナイの大きな手で頭を撫でられて、一気に顔へ熱が集まる。びっくりして固まったピオは、しばらくしてから照れ隠しの言葉をひねり出すのが精一杯だった。


「ビ……っ、ビナイさまっ、こどもあつかいをしないでください……!」

「おや、これは失礼。では何か褒美をとらせよう。ディリ!」


 呵呵と笑ったビナイが側近を呼ぶ。痩身の青年が差し出したのは、美しい宝石で作られた小刀だった。柔らかな黄色に黒い斑紋が浮かぶその宝石は、赤鷲族だけが加工できる技術を持つ「鳥眼ル・ルフェ」である。こんな高価なものはいただけません、と身を引いたピオに笑って、ビナイはそっと小刀のひもを首からかけてやった。


「ピオどのの才能に敬意を表して――そなたに、赤鷲の加護があらんことを」


 石と同じ色の瞳を見返して、ピオはそっと頭を垂れる。その光景を雪豹の女たちが羨ましそうに見守る中、族長アーティカだけが凍てつくような厳しい目でじっと見つめていた。

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