10 受け継がれるもの


 フラスコから繋がったガラスの管を伝って、透明な液体がポタポタと冷やした試験管に溜まる。

 それを見てリィシェはため息をついた。本来ならば、試験管に落ちた瞬間に粒状になるはずなのだ。

 眠り薬の二番目の工程で失敗続き。アロイシウスの作業と比べても問題なくできているはずなのに、とリィシェは失敗したそれを別の器に移した。あとでまとめて中和して、それから捨てるのだ。

 大量に下拵えしていた材料が尽きてしまったので、もう一回初めから用意しなければならない。


「根を詰めすぎだ。出かけてこい」

「お師匠さまに言われたくないです」


 リィシェが腕を捲ったところで、アロイシウスから制止が入った。そのアロイシウスも、うっすらと目の下にクマがある。きっと寝られていないのだ。

 その点、リィシェは夜はきっちり寝ているので問題ないはず。


「俺のことはいい。ほら、行ってこい」


 リィシェはむうと唇を尖らせたけれども、アロイシウスに追い出されてしまった。

 仕方がない、何をしようか。最近は調薬の修行にかまけて簡単な料理しか作っていない。せっかくだからアロイシウスの好物でも用意しようか。いつか聞いた、竜の背沿いの店で蜂蜜を買ってもいい。

 リィシェは手早く実験用のローブを脱ぎ、倉庫の隅の暗がりでのんびりしていたトランクリュに声をかけた。


『トランクリュもお買い物行く?』

『行く!』


 ふわふわのトランクリュを頭の上にのせ、外に出る。風は冷たいが、日は中天にあった。

 エルマのところにも顔を出してから行こう。

 リィシェは意気揚々と竜の背沿いの『蜂屋』を目指した。




 竜の背は、島の東を縦に走る山脈をさす。その山裾にこじんまりとした山の恵みを商う『蜂屋』がある。

 蓮華の蜂蜜だけではなくて、ジャムや干した山菜、キノコも豊富に扱っていたし、入山に必要だと思われる道具もひとしきりあった。

 なかなか見ないものの説明を聞いたり、何種類かの蜂蜜の試食をさせてもらって、リィシェは目的の蜂蜜と巣蜜、食材をいくつか買った。


 戻ったらパンケーキでも焼いて、買ったばかりの蜂蜜をたっぷりかけて食べよう。パンケーキはシンプルなものの方がいい。

 店を出ると、ちょうど目の前に、竜の肋骨であった男がぼうと立っていた。名前はヴァー・ゲーテハイド、といったはずだ。黒ずくめの格好なので、道に落ちる影のようにも見える。


「ヴァーさん?」

「おや、雛チャンじゃないか。こんなところで会うなんて奇遇だね。蜂蜜でも買いにきたのかい」

「そうなんです。ヴァーさんもですか?」


 リィシェが店に入らないのかと尋ねると、ヴァーは首をゆっくり傾けて否定した。


「ウーン。オレは違うよ」

「お好きなのでは? 蓮華の蜂蜜」

「それ、誰から聞いたんだい? アロイシウスは知らないと思ってたけど」


 ミシェーレのメモから、ヴァーも『蜂屋』の常連だと思ったのだが、その予想は外れたらしい。

 指摘すると驚いたのか、ヴァーは目を見開いた。別に隠すことでもないと思ったので、リィシェは種明かしをした。


「ミシェーレさんのメモに書いてあったんですよ」

「アー。あれ捨てられてなかったんだ」


 ヴァーは納得、という表情で頷いているが、その声は苦々しい。

 逆にメモが残っていないと思っていた理由はなぜだろう。アロイシウスとも知己であるようだし、彼がミシェーレに執着しているのは知っているはずだ。

 リィシェがそう尋ねる前に、ヴァーは自身の好物を訂正した。


「オレは蓮華の蜂蜜が好きってわけじゃなくて、蜂蜜が好物の材料だったんだよネ」

「材料ってことは料理か何かですか? 難しくなければ、たぶん作れますけど。お作りしましょうか?」

「遠慮しておくよ。オレはミシェーレが作るものが好きだったんでね。記憶の中の味が変わるのはゴメンだし。懐かしいからついこの辺まで来ちゃうけど、いつも通り過ぎるだけサ」

「余計なお世話でしたね。すみません」


 エルマは変色したのど飴を捨てられずにいるように、ヴァーは記憶を大切にしている。

 差し出がましいことを言ってしまった。

 リィシェは軽く謝るついでに、ヴァーに話を聞こうと思った。あわよくば、リィシェが躓いている眠り薬について何かアドバイスをもらえるかもしれない。

 リィシェはアロイシウス以外に精霊と交流がある者を、ヴァーしか知らないのだ。


「ヴァーさん、お時間ってありますか? 聞きたいことがあるんです」

「雛チャンったら大胆! そうだね、雛チャンに付き合ってもイイけど、対価が欲しいな」

「エルマさんからのお裾分けがあります。気にいるのがあればいいんですけど」


 対価か。精霊みたいなことを言うなあ、とリィシェは思った。確かに竜の肋骨であったときも、次回はタダではない、といっていた気がする。

 差し出せるのは行きがけに押しつけられたエルマの手料理だろうか。

 ヴァーもミシェーレの友人なら、きっとエルマの料理だって食べたことがあるだろうから、味は知っているはずだ。

 リィシェは肩にかけていた鞄の紐を、中が見えるように寛げた。お裾分けは紙袋に小分けにされていて、料理名が書いてある。


「ウン、じゃ、このフリカンデル? を食べてる時間だけ付き合おう。それにしても懐かしいなあ。母親はまだ生きてたのかー」


 ヴァーは鞄の中を覗きこんで、そのうちの一つを手に取った。フリカンデルは揚げた細長いミンチ肉をパイに包んだものだ。口を広げると油の匂いが漂った。

 ヴァーは言葉通り懐かしそうに目を細めて、それにかぶりついた。「そうそう、こんな味だった」と言って、なかなかの食べっぷりだ。見ているリィシェも食べたくなってくる。

 トランクリュもリィシェをタシタシと叩いて自分の分を要求した。


「まだ生きてたのかって……。集落に住んでいるんじゃないんですか?」

「住んでないなあ。それで、オレに聞きたいことってなに?」


 トランクリュに芋のパイを与えてやると、リィシェではなく何故かヴァーの足元に陣取って食べ始めた。

 それを見ながら、リィシェはふと疑問に思ったことを聞いた。さほど大きくはないこの島で、誰かが来たりいなくなったりすればすぐに知れること。エルマが生きていると知らないのはおかしい。

 気になると脇道にそれてしまうのはリィシェの悪い癖だ。質問の時間は限られているのだから、とリィシェは気を取り直して眠り薬について尋ねた。


「眠り薬を作るコツとか、あります?」

「ワカンナイ。オレは薬師じゃあないんでね。ミシェーレのメモに書いてあるんじゃない? いつもメモ帳とペンを持ってたくらいだ。探せば一つ二つあると思うなあ。質問はそれだけ?」


 にべもない返答にがっかりするが、ヴァーの目線の先のフリカンデルはまだ半分以上ある。

 他に聞きたいこと、となると、やはり時の精霊についてだろうか。

 ミシェーレは契約した精霊たちにあだ名をつけていたようで、メモの大半は、精霊に関する記述なのか、過去に存在した島民に関する記述なのか、アロイシウスであっても見分けがつかないという。

 ヴァーが何か知っていればいいのだが。


「それじゃあ、ミシェーレさんが契約していた時の精霊についてご存知でしたら教えていただきたいんです」

「なあに、雛チャンもミシェーレを戻したいの」


 食べかけのフリカンデルから口を離して、ヴァーは無機質な瞳でリィシェを見据えた。

 どこか咎めるような平坦な声にリィシェは怯む。


「……そうですねえ。エルマさんに会わせてあげたいなって思いますよ」

「アロイシウスは関係ないんだ?」

「そっちは、ちょっと、自分でもよくわからないんですよね。ヴァーさんはどうなんですか? ミシェーレさんと仲が良かったんですよね?」


 意外そうな顔をするヴァーの方が、リィシェにとっては意外だった。

 てっきり、アロイシウスと同じでミシェーレを起こしたいと願っていると思っていた。ミシェーレのメモにはヴァーの名前がよくあがっていた。きっと仲が良かったのだろうと思っていたのだ。


「オレ? 確かにミシェーレとは深い付き合いだけどさ。オレはいい加減、アロイシウスとミシェーレは時を進めるべきだと思うよ。自然の摂理だし、人間がどうこうする範囲じゃない」

「ずいぶん、さっぱりしてるんですね」

「雛チャンから見ればそうかもネ。アロイシウスは必死だけど、オレが助ける義理はないかなあ」


 なんとも薄情な人だ。

 もしかしてアロイシウスとヴァーは仲が良くないんだろうか。

 思い返せばアロイシウスからヴァーの名前を聞いたことがない。しかし、アロイシウスはミシェーレの名前も、リィシェがその存在を知るまで教えてくれなかった人である。

 目の前にその片方がいるのだから、このまま聞いてみてもいいだろう。


「お師匠さまとヴァーさんってどんな関係なんですか?」

「ミシェーレしか接点はないね!」


 笑顔でほぼ他人だと言い切られて、リィシェは呆気に取られた。


「想像していたより無関係でびっくりです。それで、時の精霊については、なにもご存知でないんですか」


 さっきから話題を逸らされているような気は、そこはかとなくしていた。そう指摘するも、二つ目のフリカンデルを食べはじめるヴァーに悪びれた様子はない。


「ありゃ。誤魔化されてくれなかったか」

「気付きますよ、それくらい! ミシェーレさんから聞いたことはないんですか?」

「ないかなあ。それこそミシェーレのメモに書いてあるんじゃない?」

「対価と同じだけの価値があるとは思えない情報ですね」

「ンッフッフ。そりゃ、オレはお菓子のかわりに時の精霊について教えるって了承してないからね! 雛チャンの話に付き合う時間はとった、これでお願いは達成されてる。

 精霊と交渉するときは、注意した方がいいぜ。とくに歳月を経た精霊相手にはね。揚げ足をとるのも、縛りをくぐり抜けるのだってお手のモノさ! ……そんな目で見ることないだろ? オニイサン、傷ついちゃう」


 リィシェがジトリとした目を向けてしまうのも仕方のないことだろう。あまりにも屁理屈がすぎる。

 シクシクとフリカンデルを片手に泣き真似をされても、茶番にしか見えない。


「不誠実な男性はモテませんよ……」


 ボソリとつぶやいた文句は、きちんとヴァーの耳に入った。大袈裟に「ありえない!」と両手を広げる。


「雛チャンってば、ヒドいこと言うね! まったく。オレはこれでもモテモテだよ。老若男女問わず!」

「本当に?」


 黙っていれば男性的な魅力もあると思うが、こうして話していると軽薄で人を揶揄って遊んでいるロクデナシだ。

 ヴァーの言い分に微塵も信憑性を感じない。

 最後のひとかけを口の中に押し込みながら、ヴァーは「怒っています!」と子供っぽいポーズを崩さなかった。


「なんでそんなに信じてくれないのさ!? 本当だってば。もう。あーあ。せっかく時の精霊のヒントをあげようかなって思ってたのに」

「すみませんでした。エルマさんのお裾分けまだありますよ」

「ンッフ。オンナノコってそう言うところあるよね、キライじゃないよ! そうだね、このストロープワッフル? を貰おうかな」


 ようやく教えてくれる気になったらしいヴァーに、リィシェはそそくさと追加の貢物をした。

 見事な手のひら返しがツボにはまったのか、ヴァーは上機嫌に笑って、今度はストロープワッフルの紙袋を開けた。

 飴色の平たいワッフルはこうばしいキャラメルの香りを垂れ流し、口の中でぱり、と音を立てる。


「これも、ミシェーレがくれた味だ」

「エルマさんとミシェーレさんは親子ですから、そうでしょうとも。私も同じ味が出せるように教わっているんですよ」

「ふうん……」


 リィシェは当然のようにそう言った。

 脈々と受け継がれていくのだ。味も、技術も。途中でよりよくなるかもしれないし、逆に途絶えてしまうかもしれないけれど。

 さっきまでの饒舌さを潜めて、ヴァーがワッフルを食べる。ぱり、ぱり、とワッフルが砕かれる音だけがしばらくあった。リィシェは静かに待っていた。


「時の精霊について知りたいなら、竜の角が一番だろうね。精霊信仰が盛んだったころの名残がある」

「精霊信仰……?」

「行ってみて自分で調べるといい。ミシェーレと契約した精霊ではないけど、時の精霊もちょっとはいる。眠り薬の試験にもピッタリだと思うぜ」

「竜の角ですか、行ってみます。眠り薬が作れるようになったら、必ず」


 落ち着いた口調で話されれば、確かに、いつもそうであれば男女問わず人気になりそうだと頷けた。信じたくなるような、それが絶対の事実であるような、そういう威厳があるのだ。

 現に、リィシェは背筋を伸ばして頷いていた。


「今日は懐かしいもん食えて楽しかったよ。じゃ、薬作り、応援してるぜ。またな!」


 ひらりと片手を振って、ヴァーの姿はあとかたもなく掻き消える。綺麗さっぱり、気配もない。


「消えた!? そんなことあるの? ……もしかしなくても、ヴァーさん、本当にすごい人なのかも」


 精霊も呼び出さずにそんなことをしてのけるなんて。

 厳粛な空気は微塵も残っていなかったが、リィシェはちょっとヴァーのことを見直したのだった。

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