09 精霊病に効く薬
「お師匠さま、眠り薬の作り方、教えてください」
エルマの願いを叶えると決めて、リィシェがまず初めにしたのは、眠り薬の作り方をアロイシウスに尋ねることだった。
アロイシウスはミシェーレの残したノートを顔に載せて寝そべっていたけれど、声をかければノートをずらしてリィシェを上から下まで見た。
「……そうだな。そろそろ教えてもいいだろう。眠り薬を作れない精霊薬師ほど、役に立たぬものはない」
アロイシウスは適当に髪をかきあげ身を起こす。ぼりぼりと顎を掻いて、一つ頷いた。
「お前は精霊病の末期患者を見たことは——ないか。一番近いのはエルマだが」
リィシェはエルマの名前に内心ドキリとした。
まるでエルマに眠り薬を頼まれたのを知っているかのように錯覚してしまいそうになる。アロイシウスは変なところで勘がいい。
幸いリィシェの動揺に気づいた様子はなく、座れと対面のソファを指された。
「きちんと精霊病について説明したことはなかったかもしれないな。どうせだから、一から話そう。長い話になる」
「あ、お茶淹れます!」
長くなるならとエキナセアのハーブティーを淹れ、リィシェは聞き逃さぬように耳をそばだてた。琥珀の声には淀みはなく、
「精霊病には精霊につまみ食いされると罹る。まあ、精霊の言い分では『イタズラ』だな。イタズラされた部分に残った残滓から、その精霊の特徴が現れる。ここまではいいな?」
「はい」
精霊に喰われるという点では、精霊士と精霊病の患者に違いはない。しかし大きな違いが二つある。
契約をして精霊に喰われる時期を指定できるか、指定できず少しずつ削られるか。
自分を喰らう精霊がわかっているかどうか。
「精霊病を完治させるためには、その原因になった精霊との繋がりを切る必要がある。精霊の真名を握って契約主を精霊士に書き換えた上で相応の贄が必要だ」
「竜の肋骨でもそんな話をされていましたね」
「ああ」
精霊が契約を望んでいなくても、真名を握れば契約に持ちこむことができる。
アロイシウスはそれを使ってミシェーレから時の精霊を除くつもりでいるのだ。一年の決まった日に時の精霊が贄を受け取りにアロイシウスの前に現れる。
「基本的に、多くの精霊は『イタズラ』を終えるとすぐに対象から興味を失って患者のそばから離れてしまう。因果のある精霊を追えなくなるので、交渉もできない」
けれど、一般的な精霊病の患者はそううまくいかない。患者をつまみ食いした精霊が側にいないからだ。
リィシェのように一つの精霊だけに執着されていて、代替の贄で満足して症状を緩和させられる症例は稀なのだ。
リィシェ自身が精霊病から劇的な回復をしたからか、リィシェにはいまいち納得がいかない。
「そんなにわからないものですか?」
「自分の契約している精霊が教えてくれればわかるが、知るためにも相当な贄を積む必要がある。わかるなら島の者たちは皆、今ごろ不具を抱えていない」
「確かに、それもそうですね」
島の人々はリィシェが竜の島にきたときから体の一部が異形であったからか、今まで疑問に思っていなかったらしい。
そういうものだと思ってしまえば、見慣れてしまえば、不思議に思うのも難しい。
リィシェが納得したのを見計らって、アロイシウスは続きを語った。
「それに、精霊は横取りはしないという暗黙の了解がある——このおかげで精霊士は精霊病に死ぬまで罹らないわけだが。精霊に
「つまり?」
「複数の精霊に食われている場合、追跡は困難を極める。大抵は同じ系統の精霊に気に入られるが、複数の系統に齧られていると悲惨だ」
「えーと、まとめると、一つのオモチャを集落の子供で使いまわしているってことですか? そして誰のオモチャなのか、わからない?」
「マア、端的に言えばそうなるだろう。その場合は、集落の子供全員からオモチャを貰い受けるという話をつける必要がある、ということだ」
「なるほど……」
許可をとる相手がいればいるほど手順は面倒で、必要な贄も比例していく。とてもではないが完治させるとなると星から資源が枯渇するか患者が先に狂うだろう。
リィシェは身近な例に置き換えてようやく精霊病の完治の難しさを理解した。けれど、一つ理解したところで別の疑問が湧いた。
「精霊って混ざりものが嫌いってお師匠さまは前に言っていましたよね。複数の精霊につまみ食いされる理由はなんですか? あと、お師匠さまは複数の系統の精霊と契約していますよね。それとも矛盾しません?」
アロイシウスはリィシェの記憶力の良さに感心した。かつてアロイシウスもミシェーレにぶつけた質問である。
ミシェーレは自分のメモを何枚もひっくり返してようやく答えてくれたが、通常は忘れない。精霊士であれば、竜の島の意義を忘れるのは難しい。
リィシェもまた、忘れないだろう。
「いい質問だな。まず最初に、竜の島が精霊の檻であることを説明せねばならんだろう」
「精霊の、檻?」
「そうだ。一度人の味を覚えた精霊は、もう一度と願う。しかし、人の味を覚えた精霊は島に施された封印により、島を離れられない。『イタズラ』できる人間はここの島民と動植物だけだ。まっさらな、健康の人間はここにはいない。だから『あるもの』で我慢する」
「出来立てのパンを食べたいけど、ないから食べかけのパンで我慢するってことですか?」
「そうだな」
リィシェは竜の島の精霊の行動を知って、呆れたように眉を下げた。
アロイシウスとしては残酷な事実を伝えたつもりであったが、リィシェの例えを聞くとそこまで絶望するようなものでもないような気がしてきた。
渇いた唇でハーブティーを含むと、ぬるくなった茶は喉によくしみた。美味い。
「次に、精霊士が複数の系列の精霊と契約できる理由だが、大きな要因は精霊の好みがバラバラだということだ」
「精霊の好みですか? 真名を知っているとかではなく?」
「そうだ。例えば、ジーミミンは俺の頭部、火の精霊は心臓、風の精霊は耳、と言うふうに、契約している精霊と好みが重ならなければ契約できる。もちろん、真名を知る必要はあるが」
「ええ……。そんな、ちぎりパンみたいな」
「残念ながら事実だ。なんならジーミミンに聞くか?」
「遠慮します」
唖然としたリィシェは苦し紛れにそう漏らした。
言い得て妙だとアロイシウスはひっそりと笑った。
なんなら、らしくないことに、大した用でもないのに契約精霊を呼び出すのに乗り気ですらあった。リィシェにはきっぱりと断られてしまったが。
「少し話が逸れたが、現時点では精霊病の安価な治療法がないことは理解できたか」
「はい。でも、代わりに延命できる原理がわからなくなりました。精霊が離れているのに薬を与えても意味がないのでは?」
「ああ、それは、精霊の残滓が贄を先に変質させるからだ。人間の体よりも、元々贄として設定されているものの消化が優先される、というべきか」
「うーん。お菓子はあとのお楽しみに回される? ってことです?」
「そんな感じだな。厳密には少し違うが、そう解釈しても問題ないだろう」
ひとしきり質問を終えたリィシェは、今までの話を咀嚼するためにしばらく黙りこんだ。見かねたアロイシウスがメモ用紙とペンを寄越すので、ありがたく使わせてもらう。
調合室でメモを取るのは禁止されているが、ここは居間だ。最初からメモを取っていれば良かった。
リィシェはせっせと今まで聞いた話を書き出してホッと息をついた。
「たぶん、わかったと思います。眠り薬について教えてください」
「ああ、そういえばそういう話だったな」
「私にとっては本題ですよ」
前提の知識が濃すぎて、リィシェ自身も忘れかけていたのは内緒だ。
「末期の精霊病患者は、狂う。狂ってだれかれ構わずに襲う。脳や神経を侵され自我を失うが、精霊の影響で飢餓や病気に苦しむこともない。それを幸いだというバカもいないわけではないが……。
その状態では、身体は生きているが、精神はもうない、とされている。狂った者は精霊獣と判断され、討伐か精霊の森に追放だ」
「そんな……、」
リィシェは人が獣に落ちる——
「お前がなりたがった精霊士は、そういう仕事だ。大多数の安寧のために個を隔離する」
精霊薬師の作る薬は大別して二種類ある。
前述の、延命用の薬。そして狂う前に服用する、人間として生き、人間のまま死ぬために必要な薬だ。
「精霊病の患者は、最終的に狂うのを避けられない。だから、思考や精神にまで精霊病の影響が出はじめたら、その前に死ぬために眠り薬を服用する。眠り薬を処方するのが、俺たち
の仕事だ」
人を殺す薬を作らなければならないと言われている。
逃げ場もなくそう言われている。
せりあがったすっぱさは、飲みこまなければいけないものだ。飲みこんで、ずっと腹の中で飼わなければならない薬師の毒だ。
リィシェはこれからきっと、泣きながら眠り薬を作り続けることになるだろう。
「どうしても、作らなきゃなんですよね」
「……精霊薬師は、人間のままに死ぬ自由を与えられる者でもある」
アロイシウスは必死に口を押さえるリィシェを、気休めの言葉と伸ばした手で慰めた。
当然の忌避反応だ。
アロイシウスはその毒に慣れてしまったとはいえ、まったく効かないわけではない。効かなくなってしまったら薬師としては失格であると知っている。
リィシェが落ち着くのを待って、アロイシウスは眠り薬のレシピを伝えた。
「眠り薬は、痛みを伴わずに昏睡させる毒薬をベースに、遅効性の致死薬と、その身に影響を及ぼしている精霊の種類と同じ要素を持ったものを混ぜて作る」
「……同じ要素?」
「土に還る——正確に言えば、世界に還元されるスピードを早くするためのものだ。お前が作りたいのは、エルマの薬だろう」
「お見通しでしたか……」
リィシェは眠り薬を作りたい理由をあっさり言い当てられて、がっくりと項垂れた。
別に恥じるようなことではないけれど、なんとなく隠しておきたかった気持ちがあったのだ。
表に出しこそしないが、アロイシウスはリィシェの様子を面白がっている。喉がしきりに震えていた。
「お前はずいぶんエルマに懐いているからな。エルマも、たいそうお前を可愛がっている。推測は容易い。……エルマの眠り薬なら、夏の花、やや効果は落ちるが夏に花をつける植物の果実や種子を混ぜておけ」
アロイシウスのアドバイスに、リィシェはエルマの姿を思い起こした。
言われて見れば、エルマを侵食する花々はどれも夏に咲く花だ。
ウツギ、ブーゲンビリア、クチナシ、ルリマツリ、ポーチュラカ。薬師の修行を始めたばかりで判別できる花はさほど多くないが、わかるものはどれもそうだ。
今はもう秋の半ば。自分で材料から集めるのは難しそうだ。
「死ぬとき、親しい者に惜しまれたいというのは、多くの人間が願うものだ。材料ならいくらでも、とは言わないが豊富にある」
アロイシウスはそう言って、いつの間にか空になった茶器を押しやり、倉庫の方へと足を向けた。背後に足音が続かないので一度立ち止まる。
リィシェはソファに座ったままだった。
「何をしている。作るんだろう?」
「っ! はい!」
暗に、時間は限られていると示されて、リィシェは慌ててアロイシウスの後を追った。
アロイシウスの喉を鳴らしそうな様子に反して、なぜだか嫌な予感がした。すごく、扱かれそうだ。
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