幕間 メモだらけの部屋


 『薬屋』の二階のどんづまりには、真っ白なドアがある。

 リィシェが今まで入ったことがなかったその部屋は、メモの山に占拠されていた。それらは全て、アロイシウスの師——ミシェーレが遺したものであるそうだ。


「今まで時の精霊に捧げた贄で反応が良かったのは、蜥蜴の系列と俺の見る夢だ。逆に微妙な顔をされたのは師の遺したメモからレシピを復活させたもの。いくつか謎の素材があって、それを似た効能の薬草で代替したんだが、そのせいか上手くいかなかったものがある」


 十年経ってもまだ読みきれていないと言うそれの内容は多岐にわたっていた。

 試しに手に取ったものでも、「明日はキャベツがお買い得」や「今日はダレソレさんから柘榴のケーキをもらった。三日以内に食べること」という日常のメモのようなものから「質のいい石炭は薪よりも多くの精霊が反応した」という実験のメモまで、それはもう雑多だった。

 散らばったメモを一枚一枚読んではみるが、あまり力になれそうになかった。調薬について学び始めたばかりのリィシェが理解できるのは、楽しかった日々の記憶や料理のレシピといったものばかりだ。

 リィシェはメモの中に見知った名前を見つけて手を止めた。


『アロイシウスの好物は蓮華の蜂蜜。ヴァーと同じね』


 メモ用紙の隅には蓮華の花の絵が描いてある。なかなか上手い。


(へえ、アロイシウスさんって蓮華の蜂蜜が好きなんだ)


 ヴァー、というのは竜の肋骨で会った男だろう。精霊士っぽかったし、知り合いでもおかしくはない。他にも、リィシェが知っている人も知らない人も、その外見や好物、癖、ほんとに些細なことがメモされている。

 ミシェーレを知らずとも、とんでもないメモ魔だったということはわかった。わざわざ書くことでもないようなことで足の踏み場を奪っているのだ。

 リィシェは自分の興味に従って、料理や知り合いに関するメモを漁る。


「なにかわかったか?」


 いくつかこの季節に良さそうなレシピを見つけたところで、背後からいつも通りののんびりとした琥珀の声が掛かった。


「お師匠さま、もう少し期待してくださいよ。期待してないの、バレバレですよ」


 あまりにもいつも通りなので、リィシェは口を尖らせた。


「なんだ、なにか見つけたのか?」


 意外そうな口調は、リィシェが重大な発見をするとはついぞ思っていなかったと白状するようなものだ。


「お師匠さまが蓮華の蜂蜜が好きってことがわかりました。今度、集落に行ったら買ってきますね」

「……買うなら、竜の背沿いの『蜂屋』のものがいい。巣蜜もだ」

「大好きじゃないですか」


 なにも言わないのも腹に据えかねて、リィシェは先程見つけたメモをひらりと見せた。

 アロイシウスが甘いものを好んで食べているのを目にしたことはないから、隠していたのかもしれない。そっぽを向いた師の姿に、リィシェは思わずくすりとする。


「うるさい。俺は調合室に戻る」

「あっ、拗ねないでくださいよ! 私も調合室に行きます!」


 とうとうぶっきらぼうに吐き捨てて階下の調合室に向かうアロイシウスの背を、リィシェは慌てて追った。

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