06 墓参り(上)
薬作りは、料理によく似ている。
リィシェはスープをかき混ぜる軌跡が、無意識に、薬を作っている時のそれと同じものになっているのだ。
必要な材料を揃えて、刻んで、目的の味——薬だと効果を引き出す。薬の場合は味見もできないし、食欲を誘うような匂いでも見た目でもないけれど。
倉庫内の薬草や薬木も、扱いを学ぶ名目でちょこちょこ使っている。
今日の昼食に用意している鳥の丸焼きも、かじると程よい苦味や辛味があるハーブをたんと擦り込んで冷蔵室に寝かせている。
薬草の数々を少し齧って味を確認して、追加したらどう味が変化するのか。逆にどういう手順を加えたら雑味を減らすことになるのか。リィシェは薬草辞典と実際の料理結果を見比べてチマチマと使える素材を増やしている。
料理しているときと、調合しているときの境目が曖昧になっていく感覚。ふとした時にそれに感じ入るのだ。
精霊が入った食事にも見慣れてきた。それでも精霊の姿を避けて一口だけすくって味を確認する。あとは時間になったら温め直せばいい。
「お昼の下拵えはこれでいいでしょ。ほんと、いつ精霊言語ができるようになるんだろう」
リィシェの横でだらんと伸びているトランクリュとは、まだ会話はできていない。できるようになる兆候も見えず、リィシェはそっとため息をついた。
早く精霊言語ができるようにならないだろうか。そうすればもっとできることが増えるのに。
(今日はこの薬草の山かな。えーと、このへんの薬草は干すから……)
薬を作る作業は、下準備も意外と馴染み深い。日に当てたり、特別な酒に漬けたりする——日干しや漬物と思えばさほど苦ではない。
ただ干したり漬けるものが内臓を抜いた爬虫類や虫だったりするだけだ。
幼い頃は問答無用で掴んでいたけれど、いつの間にか素手で触れなくなっていて、手袋がかかせない。
納屋の軒下に紐を渡して、花束やきのこ、背筋の青い
故郷でもよく保存食を作っていたので、リィシェの手つきは実に慣れたものである。
「リィシェ。俺は少し、出かけてくる」
もう少しでキリが良くなる、というところで、背後からアロイシウスに声をかけられる。
首だけそちらに向けると、珍しく白以外の——とはいえ黒だが——のローブを身に纏っていた。いつも白衣がわりのローブ姿なので、他の色のローブをもっていたことに驚いた。
「珍しいですね。どこに行かれるんです?」
「竜の肋骨に。お前は留守番をしているように」
「はい。いってらっしゃい」
言いつけ通り大人しく見送ったものの、リィシェの中ではムクムクと好奇心がもたげた。
買い物も薬の配達も、最近はもっぱらリィシェの仕事だ。アロイシウスが外に出るときはたいてい精霊の森に採取にいく時で、その場合は勉強もかねてリィシェも連れていかれる。
いったい何をしにいくのだろう。竜の肋骨は、島民であっても訪れない場所だと聞いている。リィシェも行ったことがない。
手は今までの習慣もあって問題なく薬草を処理しているけれど、思考はあっちこっちにふらふらと彷徨っていた。
『****?』
『*****、*****』
いつ来たのか耳もとで潮騒と
ついていきましょうよ、とでも言っているのだろう。
彼らは悪戯好きだ。アロイシウスはしばしば「精霊を信じるな」と口にするので、ついていくのはよろしいことではない。
トランクリュと契約した日だって、精霊に導かれた先が断崖絶壁だったことは死ぬまで忘れないだろう。
けれど、リィシェも気になるのだ。滅多なことでは出かけないアロイシウスが外出したのだ。気にならないはずがない。
言いつけを守れないことに少し良心が咎めたが、悩んだのは一瞬、知りたい欲に負けるのも一瞬だった。戸締りと火の始末をしっかりすれば留守にしても問題ないはずだ。
「今刻んでいるぶん、これだけお酒に漬けたら、竜の肋骨に行こう。こっそり。アロイシウスさんにバレないようにね」
『****!』
しー、と人差し指を口に当てると、ジーミミンとトランクリュは喜色満面に早く終わらせろとリィシェをせっついた。
こっち、こっち。
そう言うように空中を泳ぐジーミミンを追いかける。
竜の左翼から海に向かってジグザグと伸びる階段。馴れ馴れしいカモメの鳴き声と潮風を耳に、リィシェとトランクリュは足音を忍ぶように不揃いの足場を降りていく。
終わりが見えず、とうとう海面まで来てしまった。足元でぱしゃりぱしゃりと水が跳ねる。洞窟がそこにあった。
リィシェは水を避けて壁沿いに、迷いなく奥へ進むジーミミンの後に従う。
頭上からは僅かに光を宿す鍾乳石が垂れていて、灯りがなくてもなんとか進める。
(ここが、竜の肋骨……。綺麗……)
四半刻のさらに半分くらい歩いて、唐突に空間が開かれる。
巨大な闇の中に、淡く光り輝く青白い石柱が、いく筋もボウと浮かんでいる。
恐ろしいほどの静けさに、ときおり水滴が水溜まりを打つ音が響く。海水とも真水とも違う、ひんやりとした独特な匂いがその場に充満しており、神秘的ですらある。
圧倒的な光景に立ち尽くしていると、横から男性に声をかけられて驚く。彼のローブが黒いので、声をかけられるまで気づかなかったのだ。
「おや、久しいね、ジーミミン。それと、そっちの雛チャンたちは初めて見る顔だね!」
「こんにちは。リィシェです」
『*******』
軽薄だけれど化石を思わせる口調、その口元には黒い魚の鱗のようなものが見えて、リィシェは安堵した。アロイシウスではないからだ。
鱗の男はどうやらジーミミンとは知り合いであるらしい。彼は二言三言、ジーミミンと精霊言語で話すとリィシェの方に向き直ってフードを取った。
「つまり、雛チャンたちはアロイシウスに内緒でここにきたってわけだよね。それはいい! 実に愉快だ! おっと自己紹介が遅れてしまった。紳士としてそれはいけない。オレはヴァー・ゲーテハイド。ようこそ精霊士の墓地へ、精霊士の雛チャン!」
褐色の肌、見事な黒髪に一房二房白い髪が混じる、挑発的な表情の青年だ。やはり頬から口にかけての黒い鱗がひときわ目立つ。歳の頃はアロイシウスと同じくらいだろうか。
ずいぶん親しげな様子なので、友人なのかもしれない。アロイシウスから友人の話どころか、他の人の話を聞いたことはないけれど。
リィシェはそれより、最後に付け加えられた言葉が気になった。
「精霊士の、墓地……?」
「あれ、知らなかったのかい? アロイシウスは月に一度は必ず墓参りに来るんだ。ここ、竜の肋骨は精霊士の黄泉路さ。この先は精霊と精霊士しか歩けない。
マ、オレと話せるってことは雛チャンは精霊士で間違いない。たとえどんなに未熟であっても、この先を行く資格アリだよ! 雛チャンも墓参りに行くんだろう? 違う?」
アロイシウスの用事は墓参りだったのか。なんともいえない奇妙な据わりの悪さが胸を占めた。
目的を知ってリィシェの好奇心はある程度満足してしまっていた。誰の墓なのか、まで詮索する気はない——いや、ちょっとはある。
あの出不精のアロイシウスが毎月欠かさず来る相手だ。家族の話も聞かないアロイシウスのことを知るまたとない機会である。
「ええと、そうですね。せっかくここまで来たので」
「ヒュー! イイネ、そう来なくちゃ!」
リィシェが頷くと、男は上機嫌で壁にかけてあった華奢な細工のランプを手に取る。火を灯してリィシェに手渡した。
「さて、生きた人間がここを散歩するならランプが必要だ。花の香りがするとなおいい。どうだい、美女の雛チャン! 男なら対価を要求するけど、可愛いオンナノコの頼みだからね、今回は特別にタダさ!」
「いただきますね、ありがとうございます!」
「竜の腹の中、気をつけてね! 期待しているよ! ンッフッフ」
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