3-2 エンジェル・愛

———楓花との同居生活5日目




 今日も学校から帰ってきた楓花がクロエの部屋を訪れる。クロエは相変わらず基本姿勢ソファで海外ドラマを見るを保ったままだ。


「ただいま。クロエちゃん」


「おかえりですわー」


 目線をテレビに向けたままクロエは全く心を込めずに返事をする。


「あの……。クロエちゃん」


「……」


 何か言いたげな楓花をクロエは無視し、だらしなくソファに寝転び肩ひじを付きクッキーを食べながら海外ドラマを見る。


「クロエちゃん!」


 テレビの前に立つ楓花。

 クロエは薄っすらと楓花の顔を見上げてみる。

 何か決意したような顔つきをしている。


「楓花、なんですの?」


 身を少しかがめテレビの前に立つ楓花の股下から海外ドラマの続きを見ながら、クロエは楓花に心ここにあらずな雰囲気で問いかける。


 楓花はクロエの傲慢な態度に怒りを覚え、無言でリモコンを持ちテレビの電源を強引に切る。


「な、なにしますの! 楓花!」


 楓花はリモコンを持つ手を自分の体の後ろに回して俯いている。クロエはソファから起き上がり楓花からリモコンを奪い取ろうとする。


 楓花との背丈の差が20センチ程あるクロエにとって、楓花からリモコンを奪い取ることは造作もないことだったが……。普段、温厚な楓花の久しぶりの怒りの雰囲気マジギレモードに少しだけ動揺する。


「クロエちゃんってさ」


「な、なんですの?」


「私のお友達だよね?」


「そうですわ。私は楓花の友達ですわ」


 クロエは腰に手を当て胸を張り楓花の質問に応える。楓花の怒りの雰囲気マジギレモードにクロエは虚勢威圧感だけで対抗する。


 クロエのという即答に対して、楓花からは怒りの雰囲気マジギレモードが無くなり急に顔を少し赤らめてモジモジしだす。

 

「だ、だったら、私の……」


「な、なんですの?」


 楓花は顔を赤らめながら顔を上げ、モジモジするのを止め意を決したようにクロエに話かける。


「私のお願い。聞いてくれない?」


 楓花は瞳をウルウルと潤ませながらクロエに何かを訴えかけるキラキラとした眼差しを向けてくる。

 

 楓花(本人は無自覚)の必殺技である。


 大抵の大人と楓花の屋敷の人間は、楓花が百合園家の1人娘ということもあり皆が楓花の願いを有無を問わず叶える。


 しかし、例え楓花がお嬢様ではなく一般の高校生であったとしても、高校生には見えない幼く可愛い顔、ウルウルと潤んだ瞳エンジェルアイ大人心おとなごころをくすぐる謙虚でおしとやかな姿勢。大抵の大人は楓花の純情な訴えには敵わない。

 

 だがクロエには楓花のその攻撃は通じない。

 何故ならクロエは純情な感情を持ち合わせていないからだ。


「えー。面倒ですわー」

 

 クロエは楓花の眼差しを無視してそっぽを向く。


「そっか……。そうだよね、お友達だといっても、私のお願いを聞いてくれるってことじゃないもんね……。ごめんね、クロエちゃん。がクロエちゃんなら、聞いてくれるって言っていたから、調子に乗っちゃった」


「楓花、何か困っていますの?」


 という単語を聞いたクロエは、瞬時に楓花の前で片膝をつき真剣な顔つきで楓花を見上げる。


「え? クロエちゃん……?」


「何か困りごとでもありますの? 楓花の願いは何ですの?」


 楓花は不思議そうな顔をしながらクロエを見つめる。クロエの顔は真剣そのものだ。クロエのその顔つきは主人に仕える騎士そのものだった。


 楓花はクロエのまばたきよりも早い変わり身に少し困惑しつつも、顔を赤らめながらクロエに語りかける。


「あ、あのね。私、学園の子と下校してみたいんだ……」


 クロエは首を傾げる。楓花は赤面した顔を両手で隠している。

 クロエは疑問に思っていることを、どんどん楓花に尋ねた。


「楓花、下校というのはなんですの?」


 楓花は体をモジモジとさせながらクロエの質問に答える。


「下校というのはね、学園からお家に帰ること」


 クロエは更に首を傾げる。


「何を言っていますの? それなら楓花はいつも下校をしていますわ」


 楓花はブンブンと首を大袈裟に横に振る。

 そして楓花にしては珍しく声を荒立てた。


「違うの! そうだけど……いやっ! そうじゃなくて! 私、いつも帰り車なんだ。校門まで迎えの車が来ていてね、歩いて帰ったこと今まで一度もないの。私もみんなみたいに、学園のお友達と一緒に歩いてお家に帰りたいの!」


 クロエは楓花の言葉がまったく理解できず、ほぼ直角に首を横に傾げている。


「そのクルマっていうのは?」


「ああ。クロエちゃん、見たことないかな? クロエちゃんに分かりやすく言うと、なんて言うんだろ? あのー、馬じゃなくて機械で半自動に動く金属の馬車みたいな……?」


 クロエは自分の世界にあるものを、この世界に来て得た知識海外ドラマに脳内変換した。


『おお。あの自動で動く鉄の馬車の事か。あれクルマには一度乗りたいと思っていたところだ。ん? 楓花はクルマで学び舎と屋敷を行き来していると言っていたな。自分で歩くよりも全然、楽ではないか?』


「楓花……。それは贅沢な悩みですわ」


 楓花はそんなことは分かっているという顔をしながら、頬をムスッと膨らませてクロエに怒ってくる。


「ク、クロエちゃんには分からないよ! 学生にとってお友達との登下校は学生時代の大切な思い出なんだよ! お友達と歩きながら沢山お話するのが楽しいの! お友達と帰り道、寄り道したりするのが楽しいの! 私もみんなと同じように楽しく登下校がしたいの!」


 頬を膨らませながら手を猫のように丸めてポコポコと弱々しく殴ってくる楓花を軽くあしらうクロエ。


全く私には理解できませんわコイツなに言っているんだ。歩いて帰る同級生負け組を横目に自分はクルマというもので快適に足を動かす事なく帰る。これほど優越感に浸れる場面そうありませんわ。でも、まあ楓花の願いがそれくらいのものでしたら……ん?』


「楓花、願いは叶えてあげますわ」


 クロエの言葉に目をキラキラと輝かせながら抱きついてくる楓花。


 一旦は楓花を抱きしめたが、すぐ楓花の体を自分の体から優しく引きはがす。そして、楓花の肩に自分の手を優しくのせクロエ最大級の優しいトーンで言葉を発する。


「……ところで楓花」


「ん? なに?」


「学び舎に友達いますの?」


 沈黙する楓花。

 先程までの輝きが嘘のように楓花の瞳からは見る見る生気が失われ、何やらブツブツと念仏を唱えだしている。

 

 段々と涙目になっていく楓花をクロエは再度、優しく抱きしめた。


 人間の優しさの感情の全てが欠落しているクロエであったが、このとき生まれて初めてクロエの中に思いやりみたいなものが芽生えた瞬間であった。







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