2-2 速水’s クッキング

 グオオオーッ!!


 猛獣の雄たけびのような物音。

 楓花は取り乱し怯えている。クロエは腰に差した剣を抜く……をした。

 怯えて動けなくなっている楓花に声を掛ける。


「楓花! 部屋の隅に隠れるのだ!」


「うん! 分かった!」


 大きな本棚に身を隠す楓花。

 クロエは臨戦態勢をとっている……をした。


「クロエちゃん! 大丈夫!?」


「私に構うな! 私は騎士だぞ!」


 グオオオーッ!!


 再び猛獣の雄たけびのような物音がする。

 身を隠している楓花が恐怖で身をかがめる。


 クロエは……。


 グオオオーッ!!


 猛獣の雄たけびのような物音が頻繁に聞こえてくる。


 グオオオーッ!!


「きゃあっ!」


 恐怖に耐え切れなくなり、楓花がクロエに抱きつく。


 グオオオーッ!!


 ……。


 楓花は抱きついていたクロエの顔を覗き込む。クロエは顔を真っ赤にしている。クロエが棒立ちのまま、何も反応を示さないのでクロエの背中に耳を当ててみる。


 グオオオーッ!!


 間違いない。猛獣の雄たけびのような物音はクロエの体内から聞こえてくる。クロエは赤面したまま、体を小刻みに震わせている。


 もしかして……。


「ク、クロエちゃん……お腹空いてるの?」


 楓花の問いかけに、クロエは一点を見つめたまま臨戦態勢をとっているフリをして返事をしない。言葉を発しないクロエの代わりに、グオオオーッ!!という音を立てクロエの腹が返事をした。


「わ、分かった。クロエちゃん、下の階に降りてダイニングへ行こ。多分、料理人さんの誰かがこの時間でもいるはずだから」


 クロエは赤面したまま、無言で頷く。

 あまりの恥ずかしさから、いつもの威勢も心の声本心も出せないでいる。楓花に案内されるがまま、楓花の後を付いていく。ダイニングの扉を開けると、キッチンの方に向かって楓花が声を出す。


「あのー。すみませーん。誰かいらっしゃいますかー?」


 キッチンの方から物音が聞こえる。誰かいるみたいだ。


 足音がキッチンの方から楓花たちのいるダイニングに近付いてくる。

 楓花の姿を確認すると慌ててコック帽を脱ぎ、楓花に話しかける。どうやら若い男のようだ。


「お、お嬢様? いかがなさいましたか?」


「あっ。速水はやみさん。遅くにごめんなさい」


「いえ。滅相もございません」


「速水さんにお願いがあるんですけど……。これから食事を用意してくれませんか?」


「は、はい。それは構いませんが……お嬢様がお召し上がりになられるのですか?」


「いえ……。私の友人に」


 赤面した状態で楓花の背後に無言で立っているクロエの存在に気付きギョッとする。


 速水は楓花が友人を自宅へ招いていた事にも驚いたが、それ以前に友人が中世の騎士の恰好をしている事に驚く。速水は思考を巡らせたが、あるじの娘の友人。深く考えている場合ではない。


 速水は思考を放棄した。


「はい。かしこまりました。お嬢様のご友人の方は、どういったものがお好きでしょうか?」


「クロエちゃん。何か好きな食べ物はある?」


「……く」


「え?」


「……肉」


「お肉ね。分かった。速水さん、お肉料理をお願いします」


「かしこまりました。すぐに調理いたしますので、少々お待ちください」


 そう言うと速水は楓花とクロエに丁寧に一礼し、キッチンへと足早に向かって行った。楓花に指示されるがまま、クロエは大きなダイニングテーブルの席に着いた。


 クロエは生まれつき傲慢な性格で、騎士という役柄、屈強な精神も持ち合わせている。更に将軍という地位についていたことから、誰よりもプライドが高い。基本的に男勝りな性格だが、不思議なところで女性独自の羞恥心を発揮する。


 今現在、クロエの心は羞恥心に支配されていた。


 いつもなら乱暴なのか上品なのかよく分からない口調で楓花を捲くし立てるクロエであったが、爆音で腹の音を鳴らしてから十数分間、まったく言葉を発さないクロエを楓花は不思議そうに見つめていた。


「失礼します。お嬢様、申し訳ございません。いま野菜などの食材を切らしておりまして、ステーキしかご用意ができませんでした……」


「ううん。速水さん、私が悪いから気にしないで。時間が時間だもんね。ありがとう」


「い、いえ。滅相もございません」


 速水は楓花に深々と頭を下げ、料理の皿をテーブルに着いているクロエの前に置く。


「ご友人の方のお口に合えばよろしいのですが……」


 羞恥心で言葉も心の声本心も出せないでいたクロエが、目の前に運ばれてきたステーキに目を向ける。

 

 大好物の肉を目の前にして閉ざされていたクロエの心の声本心が開く。


『肉……肉ですわ。なんですの? この小さな肉は。ソースもかかっていますの? 私の知っている肉は、もっとこうボリュームがあって骨がついていてソースがたっぷりとかかった……。まぁ、いいですわ。楓花とシェフ痩せ男がせっかく用意してくれたのだから。食べてあげますわ』


 将軍という地位について、一通りテーブルマナーをマスターしていたクロエは上品にフォークとナイフを使い、肉を切り分け口へ運ぶ。


『……っ!! なんですの!! この肉!! 口の中に入れた瞬間、溶けて無くなりましたわ!! この上質な油、舌の上で溶ける柔らかさ、後味さえも美味!! これはまさしく肉の王キングオブビーフ!! これはもう食い物くいものではなく、上質な飲み物ワインですわ!!』


「楓花、おかわりですの!!」


 楓花はクロエの鬼気迫る表情に驚き、速水にすぐもう1皿、いや2皿分のステーキを注文した。速水はすぐキッチンへ走っていく。


 そして運ばれてくるステーキの皿を強奪するように速水から乱暴に奪い、テーブルマナーを無視して素手で肉をどんどん食していく。


「おかわりですの!!」と鬼の形相で連呼するクロエ。


 そのクロエの様子にドン引きするお嬢様・楓花、絶え間なく肉を焼かされる2番目シェフスー・シェフ・速水、わんこそばのようなスピードで肉を食していく悪鬼・クロエ。食卓とキッチンは戦場と化した。


「お、お嬢様。申し訳ございません。もう肉も……ぜぇぜぇ……」


「あ、ありがとう。速水さん。お疲れ様、もう奥で休んで大丈夫だから」


「失礼します……」という言葉を残して、速水はふらつきながらキッチンの奥へと向かって行った。


「あ、あの、クロエちゃん……」


 20皿を軽く超え重ねられている皿の隙間からクロエが楓花を睨む。

 歴戦の猛者、クロエの威圧感にお嬢様の楓花は怯える。


「ひっ!」


「楓花、なんですの? おかわりですのー」


 椅子にもたれかかって遠慮することなく、不躾にぐいぐいと手だけ出して次の皿を要求してくるクロエに対して、楓花は生まれて初めて他人に少しだけ怒りを覚えた。


「クロエちゃん……」


「おかわりー。まだですのー?」


「もう、ないの」


「は? ないなら買ってきますのー」


「ダメ。クロエちゃん、それはダメだよ」


「……」

 

 2人の間にピリついた空気が流れる。


 無言のままお互い睨み合いを続ける。騎士のクロエに負けじと、楓花も頑張ってクロエを睨み返す。膠着状態がしばらく続いた後、楓花が口を開く。


「クロエちゃん。お友達になってくれたのはとても嬉しいけど、今のは良くないと思うよ」


「なに? 私の10分の1も生きていない子供クソガキのくせに。生意気ですわ」


 またピリついた空気と共に、無言の睨み合いが再開する。


『この子供クソガキ。意外と根性がありますわね。このままではらちが明きませんわ。私の鉄拳制裁ナイトブローですぐに分からせてあげてもいいですのよ』

 

 拳に力を込め楓花の隙を伺っていたクロエ。

 幾度も死線を越えてきたクロエの第六感がまたも冴えわたる。


『待つのよクロエ。このまま、楓花に嫌われたら私は路頭に迷うわ。私の流儀に反しますが、ここは大人しくでも楓花に謝るのが得策なのでは……』


「楓花、ごめんなさいですの。謝りますわ」


 楓花はへなへなとその場にしゃがみ込んで、クロエの方に満面の笑みを向けてきた。


「クロエちゃん。分かってくれてありがとう。私の方こそ睨んでごめんなさい。私、初めて人と喧嘩しちゃった」


 そう言い終わると楓花はニコニコと1人で微笑んでいる。


『初めて喧嘩? 楓花は、なに言っていますの。喧嘩は1日1回必ずするモノですわ。いわば日課ですわ。それにしても……。チョロい。チョロすぎですわ、楓花』


 クロエは楓花に向けて無理矢理ニコニコと微笑む。

 はたから見れば2人の間には微笑ましい空気が流れている。


 2人の喧嘩はこうして両者、違った価値観で幕を閉じた。







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