1-2 クロエ・ベアトリクス

「おい! 子供! これはどういうことですの!?」


 気が付くと見知らぬ場所にいて夢だと思い咄嗟に頭突きで確認はしたものの、どうやらこれは夢ではないようだ。とりあえず目の前にいた子供に問いただしてはいるものの、先程から空を見つめたまま私の方を向かない。


「おい! 子供! ここは何処ですの!?」


 子供は私の問いかけにようやく反応し、ゆっくりと私の方を向く。

 私を見る目はまるで捨てられた子犬を見るような目ではあったが、今はそれどころではない。

 

 子供が私に反応すると同時に背後に人の気配を感じる。


「おい! 誰かいるのか!?」


 私は子供の手を咄嗟に引き、付近の木の陰に子供を身に寄せて隠れた。


「敵兵か……?」


 子供は先程の捨てられた子犬を見るような目を止め、尊敬の眼差しを私に向けてくる。


 敵兵の男は自発的に光を発する不思議な棒で周辺を一通り確認し終えると「うーん……。気のせいか?」と言い、再び歩を進めて私たちのもとから去って行った。

 

 あのような道具、見たことがない。何かの魔道具マジックアイテムか……?


 いや、今はそれどころではない。

 私にいったい何が起きているのか……。


 私は質問をするため子供の方を向く。

 だが子供は私が質問するよりも先に目をキラキラと輝かせながら私に質問してくる。


「あなたは天使様ですか?」


「……へ? 私は天使ではない。騎士だ」


 子供は一瞬、呆気にとられたような表情を浮かべたものの、私に続けざまに質問をしてくる。


「き、騎士? あなたは騎士様なの?」


「そうですわ。私は女騎士、クロエ・ベアトリクス。とても偉いですのよ」



 ハッ!



 あまりにも急な出来事で、すべて忘れていた。

 そうだ、私は勲章授与式でベアトリクスの称号を手にしたのだ。


 思い出すのだ、出来るだけ詳しく、勲章授与式で何があったのか。そこにヒントがあるはずだ……。




 王の玉座の前には5人の将軍。その後ろには何千人もの兵士たち。


———そこはもういいですわ


 白銀色のプレートアーマーを身に纏い、金色のロングヘアをなびかせながら王のもとへ向かう。そして王の御前にひざまずく。


———そこもいいですわ


 世はまさに、大山賊時代だいさんぞくじだい!!


———それもいいですわ ……これはいつの記憶ですの?


 今日から私はクロエ・ベアトリクスだ。


———そうそう。そこからですわ


「では、これより儀式を執り行う。ムーン教皇、よろしく頼む」


「……うむ」


 王の背後から上質なローブを着た老人が現れる。

 ムーン教皇。国を治める王と唯一、地位を並べる者。


「クロエよ。其方にこれより叙任じょにんの儀式を執り行う」


「はっ」


 私はひざまずいたまま、目を閉じ祈りの姿勢をとる。

 ムーン教皇が私の側に寄り、頭上に手をかざしてくる。


『ひゃっほー! ついに……ついに、ベアトリクスの称号を手にしましたわ。これから私には豪華な屋敷や生活、多くの執事バトラー召し使いサーヴァントなどの部下下僕たちが王から与えられ、私は国民共からは神のように崇められる存在になりますのよ』


 薄っすらと片目を開け4人の将軍の中の1人に目線を送る。


 胸元まで伸びた銀色の髪のセミロングヘア、クロエと同じ形状の黄金のプレートアーマーを纏った女騎士が悔しそうにプルプルと震えながら、紫色の瞳でこちらを睨んでくる。


『ひゃははっ。悔しいかソフィア。お前は明日から私の部下になりますのよ。どんな気持ち? いま、どんな気持ちですのー?』


 再び目を閉じ、儀式を受ける。相変わらず微動だにせずムーン教皇は私の頭上に手をかざしている。


『それにしても長いわ。この儀式、いつまで続くのかしら。この体勢にも疲れてきましたわ。疲れたことですし、少し眠ることにしますか。目を閉じている訳ですし、どうせバレないでしょ。まぁ冗談ですけどね』


 次第に体全体に暖かい空気オーブを感じる。何かが全身を優しく包んでいるようだ。


ジジイ老いぼれとはいえ流石、教皇。侮れないですわ。不思議な空気オーブが全身を包んでくるよう。何だか心地が良いですわ』


 やがて全身を包んでいた暖かい空気オーブを感じなくなった。その代わり膝に大理石の固い感触とは違う感触がする。


 何かこうフサフサッと……目を薄く開けてみる。



 ……へ?



 周りの景色が一変していた。目の前にいた王と教皇がいない。

 

 ……そもそも場所が全然違う。


 私が先程までいた場所と何もかもが違う。私がいるのは芝生の上、四方を大きな屋敷に囲まれている。


 ……ここは、どこかの屋敷の中庭?


『夢ですわ。これは夢ですわ。心地が良すぎて冗談だったのに本当に儀式中に寝てしまったようですわ。目を覚ますんです。早くっ! 皆にバレる前に……っ!』


 地面に対して何度か頭突きをする。



 イ、イタイッ……。



『夢ではない。これは夢ではないですわ。知らない場所。私は知らない場所に飛ばされてしまったのですか? ……いやいや。そんなバカな事、あり得ないですわ』



 

 あー。一連の流れを思い出してみたものの全然、分からない。

 簡単に整理してみよう。


 ……まず勲章授与式で王宮に呼ばれ、そこで王からベアトリクスの称号を授けられた。そのあと、教皇から叙任の儀式を。


 ……ん? 儀式?


『儀式。そう、あの儀式。私にすきがあったのはそのときだけ。それ以外、考えられないですわ。あのクソジジイムーン教皇、私に何かしやがったな……っ!』


 激しい怒りが私を支配する。拳を強く握りしめクソジジイムーン教皇に復讐を誓う。私自身の名誉セレブのため。


「あ、あの……」


 全身から禍々まがまがしい邪のオーラを放ち、ブツブツとクソジジイムーン教皇への悪態をつきまくるクロエに楓花が恐る恐る声をかける。クロエは再び楓花の両肩を鷲掴みにして大声を出す。


「おい! 子供! 王都アレキサンダーはどの方角ですの!?」


「ア、アレキサンダー?」


「大国アレクサンドロスの王都だ! 早く答えますの!」


「し、知りません……と言いますか、王都アレキサンダーもアレクサンドロスという国も聞いたことがありません……」


 沈黙する両者。楓花は困惑した表情を浮かべ、クロエは再び頭を抱え混乱した。


「おい、子供……。ここはなんと言う国ですの?」


「日本です」


「ニホン……?」


 ニホン。


 クロエは初めて聞く国の名前に驚く。

 子供の困惑した表情から嘘を付いているようには見えない。私が知らないだけなのか、それとも……。


 ここが異世界?


 クロエの国、アレクサンドロスには古来から伝わる言い伝えがあった。

 この世界とは別次元に異なる世界は存在する、と。迷信だと思っていた。

 クロエだけではない。アレクサンドロスの国民のほとんどがその言い伝えは知ってはいたが、皆が迷信だと思っていた。


『冗談でしょ。異世界なんて迷信……いや、ここが本当に言い伝えによる異世界だと言うのなら、私は1人でどうすればいいのだ……ううっ』


「あ、あのー。ク、クロエちゃん」


「ううっ。なんですの……って! 私に対してクロエとは無礼な!」


「ああっ! ごめんなさい! ごめんなさいっ!」


 クロエの威圧に何度も慌てて頭を下げて謝る楓花を余所よそに、クロエは死んだ魚の目をして夜空を見上げる。


『ああ……もうどうでもいいですわ。私はこの知らない世界で路頭に迷うのですわ。さようなら、富と名声。さようなら、華々しい未来セレブリティライフ


「あの、クロエ様……」


 楓花の弱々しい声に、クロエは夜空を茫然と見上げたまま返事をする。


「なんですの?」


「わ、私とお友達に」


 楓花の意外な一言に、慌てて楓花の方に目を向ける。 


「へ?」


「私とお友達になってくれませんか!」


 楓花は顔を真っ赤にして、クロエに対して必死に深く頭を下げ頼みこんでくる。


「トモダチ?」


 幾度も死線を越えてきたクロエも、楓花の突然の申し出に言葉を詰まらせる。

 

『友達ですって? 突然なにを言い出すの、この子供は……。友達よりも私に必要なのは従順な部下たちと富と名声セレブリティライフですわ』


「ダ、ダメですか……?」

 

 楓花は不安そうに少しだけ顔を上げる。

 クロエは楓花の申し出を無視しようとした。

 

 その時、幾度も死線を越えてきたクロエの第六感が冴えわたる。


『待つのよクロエ。私の見たところによると、この子供はこの家豪邸の子供ですわ。豪邸に住んでいる子供、すなわち金持ちの子供。お嬢様セレブ。それにこの豪邸の規模から相当な金持ちに思えますわ。このままでは私はこの世界で路頭に迷ってしまいますわ。金持ちの子供と友達になることで得することが沢山あるのでは。ここは、この子供を利用するほかないですわ。よし……』


「いいですわ。友達になってあげますわよ」


 クロエの言葉を聞いた楓花の表情が、不安なものから花が咲いた様に明るくなる。


「やったー!」 と、大きく叫びまるで子供が欲しがっていたおもちゃを手に入れたように、はしゃいで喜んでいる。嬉しそうな笑みを浮かべながら、クロエに近付き右手を差し出してくる。


「これからよろしくね。クロエ様」


「クロエちゃんでもいいですわよ。子供」


「わぁー! ありがとう! クロエちゃん! あとね私、子供じゃなくて楓花だよ」


「ああ、あなたの名前ね。ではこれから楓花とお呼びしますわ。よろしく、楓花」


『これから利用させてもらいますわよ、楓花。ふふふっ』


 クロエは楓花の右手をギュッと握り返した。

 楓花は目に涙を浮かべながら満面の笑みを浮かべた。



———これは夢の叶ったお嬢様と腹黒女騎士の少し変わった物語である







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