日記2
「どんどん食べてくださいね!」
私は竈から出して湯気の立つ特大のパイをアールダーさんの前に置いて言いました。秋の果物をたっぷり使ったパイは甘い香りが家中に広がっています。皆さんは最初に出したパイを食べ終えたところで2枚目にもすぐに手を伸ばしました。
「今度のパイはどうでしょうか?」
「ああ、美味しいよ!」
「最高だわ!さっきのミツリンゴもよかったけど、こっちも絶品よ!」
「クロモモと生地の焼き具合が絶妙でござる!」
顔は見えないけど、アールダーさんたちは私の料理を褒めてくれました。
どんどん食べてくれるので私も作り甲斐があります。でも、全身ピンク炉の鎧を着たアキールさんは一口も食べていません。
「ワタシは宗教上の理由がアリ、今は食事が摂れないノデス。お気にナサラズ」
なんとアキールさんは特別な宗教に入っていて、決まった時刻にならないと食事ができないそうです。そう言われると信仰を破ってほしいなんて頼めません。世の中には変わった決まり事があることを知りました。
「デスガ、色と匂いで素晴らしい料理だとワカリマス。フィーネさんは素晴らしい料理の才能をお持ちデスネ」
「ありがとうございます!」
料理を褒められるのはいつも嬉しいものです。私は自警団の人たちみたいに武器を持って戦えないけど、こうやって戦ってる人たちの心とお腹をいっぱいにすることで村に貢献してきたつもりです。冒険者のアールダーさんたちにも好評で本当によかった。
ちなみにアキールさんには後で食べてもらうために冷めても美味しいパイやサンドイッチを作って持って帰ってもらう予定です。果物はたっぷりあるのでフルーツサンドなんて喜ぶかもしれません。
「フィーネ。家の外に子供たちが来ておるぞ」
「あ、はーい」
私はお爺ちゃんに言われてパイをいくつか持って玄関のドアを開けました。
そこには近所に住む小さい子供たちがいました。この子たちは去年の秋も家から出てくる甘い香りに誘われて家に来たんです。
「フィーネお姉ちゃん!こんにちは!」
「パイ焼けたの!?」
「いい香りがする!」
「私も食べたい!」
「はーい。みんなで仲良く食べてね」
私は特製のパイを子供たちに渡しました。
すると近くの石垣に腰を下ろしてみんなで夢中になって食べています。去年も私のパイをねだったのですが、立ったまま食べ始めたので「ちゃんと座って食べないともう作ってあげないよ?」と注意すると子供たちはみんな言うことを聞いてくれました。1年経ってもちゃんと覚えているんですね。
そういえばうちのお兄ちゃんは立ったままお菓子を食べてて、近所の子に注意されたことを思い出しました。あれは恥ずかしかったです。私も何度も注意するんだけど、なかなかいい子になってくれません。ちゃんと子供たちの手本になるように振舞ってほしいのに。
アールダーさんたちも行儀よく椅子に座って食べているし、強い剣士や冒険者に憧れてるお兄ちゃんには今の彼らを見せて「ほら、あの人たちを見習わないと立派な大人になれないよ」と言ってあげたいです。でも、今日に限ってお兄ちゃんは自警団の人たちと湿原に行ってるなんて運が悪いです。
「た、大変だー!」
「え?」
私がお兄ちゃんの教育計画を立てていると村の人が叫んでいました。
そして滅多に使われない村の警鐘が鳴り響いたんです。
「ど、どうしたんですか?」
「おお!フィーネ!ゴブリンたちがやってきたんだ!」
それを聞いた私はすぐに森の中で起きたことを思い出しました。
ゴブリンが人の集落を襲うことはそんなに多くありません。村の周囲に柵や掘りを作って、村の人たちも武装していることを知ってるからです。森の食べ物が不作でどうしても飢えて仕方ない時は襲われることもあるそうですが、今年の森は秋の恵みでいっぱいです。村を襲う理由はないはずなのに私は嫌な予感がしました。
「なんであいつらが!?普通は森から出てこないはずだろ!」
「そんなことはいい!蔵から槍を出せ!」
「ウボオオオオオッ!」
村の皆が叫んでいると野太い声が重なりました。
近くにないはずなのに思わず耳を塞いでしまうくらいの大声でした。
「なんかデカい奴もいるぞ!」
「アベトスだ!」
村の見張り台にいる人が叫びました。
その名前は私だって知ってます。森の巨人アベトス。猟師が雨の降ってきた時に雨宿りした巨木がアベトスの足だったという昔話は子供なら誰でも知ってます。それくらい大きな魔物がやってきたら柵や掘りを踏み越えて村の中に入ってきてしまうんじゃないか。そんな暗い不安が頭を過りました。
こんな日に自警団のお兄ちゃんやみんなは湿原に出かけています。
「やっぱり来たわね」
私の後ろからエミリアさんの声が聞こえました。
やっぱりってどういう意味でしょう?
「あの……」
「大丈夫だ。俺たちがついてる」
「食事を邪魔するなど無粋でござるなあ」
「イイエ、彼らはコチラの事情は知らないノデ情状酌量の余地はアリマス」
アールダーさんたちは食事を中断して外に出て来てくれました。
そして彼は頼もしい声で私たちに言ったんです。
「みんな、心配するな!魔物はすぐに片付けるから!」
村の人たちはアールダーさんのことをよく知らないけど、それだけで皆の不安が消えてゆきました。私がパイをあげた子供たちはついさっきまで怯えてたけど、今度は目をきらきらさせて冒険者の皆さんを見ています。
「皆は家の中にいてくれ」
「村には絶対入らせないけど、石とか投げてくるかもしれないしね」
「ゴブリンの一部は投石を得意とスル記録がアリマス」
「地下室があるならそこに入っているでござる」
そう言われて村の人たちは家に避難して鍵をかけてゆきます。
もちろん私もそうすべきなのはわかってましたけど、迷いました。
「さあ、君も家に入ってるんだ」
「あの……ゴブリンたちがどうして村に来たのか聞きたいんです」
私がそう言うとアールダーさんは困った顔をしました。
でも、私が思っている通りの理由なら一人だけ隠れているわけにはいきません。
無理を頼んでいるのはわかっていたけど、私は一緒についていくのを許してもらいました。村の外にはゴブリンたちと大きな木と見間違えるのも無理はない巨大な魔物がいました。
「ゴブブブ!こいつらだゴブ!」
「俺たちをいじめたゴブ!」
「仇を打ってほしいゴブ!」
彼らは私たちを指さしながら巨大な魔物に言いました。
やっぱり森で私を追いかけたゴブリンだったようです。あの時の仕返しをするために仲間を連れてバルオキー村までやってきた。つまり私が森に一人で入ったせいで村が襲われたってことです。危険な目にあわせてしまった村の皆に申し訳ない気持ちがしました。
「オデノコブンダチ!ヨグモイジメタナアアアッ!」
アベトスという魔物は私たちを悪者扱いしていました。
きっとあのゴブリンたちがあることないことを言ったんだと思います。
みんなが悪者かはわからないけど、彼らは本当に酷いゴブリンです。
「いじめてなんかいません!」
私はアベトスに帰ってもらうために叫びました。
「森に勝手に入ったことに怒ってるなら謝ります!どうか帰ってください!」
「あいつ、嘘つきゴブー!」
「あいつが俺たちを追い回したゴブ!」
「森の食べ物を全部奪うと言ってたゴブ!」
「そんなこと言ってません!」
こんなに簡単に嘘をつける魔物がいると私は初めて知りました。
私たちも森の恵みをもらっているけど、取り過ぎないように気を付けています。アベトスはゴブリンたちを信じているのか私をじっと睨みました。
「タベモノ!ウバウ!ユルサナイイイイッ!」
アベトスは大きな棍棒で地面を叩いて叫びました。
その迫力に足が震えているとアールダーさんが私の前に立ってくれました。
「いじめてたのはそっちだろう……」
「ちょうどいいわ。完全に討伐しちゃいましょ。素敵な食事を邪魔された恨みもあるし」
エミリアさんも機嫌が悪そうに言いました。
でも、私の料理がおいしいと言ってくれたのは嬉しかったです。
すると名前を教えてくれなかった緑色の剣士さんが私を見ました。
「これから起きる事はフィーネ殿に見せない方が良いのではござらんか?」
「同意シマス。フィーネさん、こちらへ来てクダサイ」
アキールさんが私の手を引っ張って皆から離れてゆきます。
優しく握ってくれているけど振りほどける気が全くしません。
「え!?アールダーさんと一緒に戦わなくて大丈夫なんですか!?」
「戦力は十分デス。アノ程度に苦戦スル人達ではアリマセン」
「あんなに大きな魔物が要るんですよ!?」
「詳細は伏せマスガ、彼らは世界を滅ぼすヨウナ敵とも戦いマシタ。大きいダケノ魔物デハ勝負にナリマセン」
世界を滅ぼす厄災。一体どんな相手と戦ったんでしょうか。それじゃあまるでアールダーさんたちは世界を救う英雄みたいです。ただの冒険者じゃないんでしょうか?気になる事はたくさんあったけど、アキールさんはなんだか聞かれたくないような様子だったので我慢しました。
それから戦いが起きたらしく、アベトスの唸り声や地面を打ち鳴らすような音が何度か聞こえました。そして大きな悲鳴が聞こえると村はしんと静まり返り、戦いが終わったのがわかりました。
アキールさんを信じていなかったわけじゃないけど、それからすぐにアールダーさんたちが無事に帰ってきたのを見て私は安堵しながら駆け寄りました。
「皆さん!お怪我はありませんか!?」
「え?別にないよ」
「あんな敵、楽勝よ」
「つまらぬものを斬ってしまったでござる」
アールダーさんたちは怪我もなく平気な様子でした。
一体どれだけ強いんでしょうか。私のお兄ちゃんは小さい時に世界一の剣豪になると言ってたことがありますが、こんな風になれるのでしょうか。お兄ちゃんにはあまり高望みしないで欲しいです。
村の皆が家から出てアールダーさんたちに感謝を伝え、子供たちは物語に現れる英雄を見るような目で冒険者の皆さんを見ていました。
いくらパイを焼いても釣り合いが取れないくらいの恩ができてしまい、私は困ってしまったのですが、変な出来事はまだ重なります。湿原へ魔物を討伐しに行った自警団の一人が息を切らしながら帰ってきたんです。
「た、大変だー!」
「どうしたんじゃ?」
村長である私のお爺ちゃんは不安を抑えながら聞きました。
私もお兄ちゃんと皆の身に何かがあったのだと察しがつきました。
「湿原に見たこともない魔物が出たんだ!強すぎて俺たちじゃ手に負えない!」
「なんだと!アルドたちはどうしたんじゃ!?」
「湿原の中を追いかけ回されてはぐれちまった!運が良ければ俺みたいに逃げたはずだが……」
他に誰も戻ってきていない。
それがどういう意味かわからないほど私も子供じゃありません。恥も外聞も忘れて私はアールダーさんに頭を下げました。
「アールダーさん、お願いします!皆を助けてください!」
私はあのゴブリンたちを悪いと言う資格がありません。強い魔物の盗伐依頼なんて本来なら騎士団を丸ごと雇うような料金が必要で料理しかできない私が頼めるわけがありません。それでも私は同情を買ってもらうために頭を下げました。
その時、アールダーさんはすごく強い力で私の肩を掴んでそれをやめさせました。
「俺に頭なんて下げないでくれ」
その声はものすごく怒っていました。
でも私が憎いとか嫌いというわけじゃなくて、もっと別の何かを感じていたんだと思います。上手く言えないけど、言葉には表せない感情のせいでその時の私を見ていられなかったんだと思います。
「湿原の魔物は俺たちが倒す」
「そうそう。戦いは私たちに任せて」
「その代わり厨房はフィーネ殿に任せるでござる」
「よろしくお願いシマス」
そう言ってアールダーさんたちはカレク湿原へ出発していきました。
そして私が彼らを見たのはそれが最後です。お礼もお別れの挨拶もパイのお代わりも渡せないまま皆はどこかへ去ってしまったのです。
後になって考えるとあの人たちは村へ戻らないと決めていたのがわかります。だってアールダーさんは最後にこう言っていたんです。
「人生にはいろんなことが起きる。君もいろんなことがあると思う。とんでもない魔獣に出会うとか、信じられない場所に行ってしまうとか。でも、どんなことが起きてもなんとかなる。だから安心してくれ」
アールダーさんがどうして急にそんなことを言ったのかはわかりません。
でも、私の事を気遣ってくれてるのはよくわかりました。
だから私は元気よく返事をしました。
「はい!アールダーさんもどうかご無事で!」
あの人たちは手を振って湿原に向かっていきました。
私はその顔を見る事は出来なかったけど、きっと素敵な笑顔をしてたと思います。その後、彼らは戻らずにお兄ちゃんと自警団の皆は村に帰ってきました。湿原で見つかった強い魔物から逃げ回り、じっと息をひそめていたそうです。しばらくすると魔物の悲鳴や地面が割れるような音が聞こえて、その後で魔物の死体が見つかったそうです。
もちろん私は誰が倒してくれたのか知っています。でも、彼らがどうしてお兄ちゃんたちに会わず、村にも戻らないで去ったのかはわかりません。きっと私たちに言えない事情があるんだと思います。
今日の日記はこれでおしまいです。
アールダーさんたちは今もどこかを旅しているのでしょうか。
どこかでまた会えることを願っています。その時は食べきれないくらいのパイをご馳走するつもりです。
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