Sの話
KはSとカフェーでしか逢うことはなかった。店外でKといるところを贔屓の客にうっかり見られてはSにとって都合が悪いので、これはK側の配慮であるらしい。しかし懇ろな男女がこれまで肉慾はおろか、逢引きすらないということがありえるのだろうか。K曰く、Sがカフェーを年内で辞める目途がつき、来年に晴れて夫婦となるまでの辛抱である。先の理由から二人が通じ合っていることは内密にしなければならないとのことだった。好意的に捉えるならば二人の関係はプラトニックであると云えよう。しかし芸者の水引きであるまいしSはカフェーの女給である。Kの実家は履物問屋としてそれなりに裕福であり、Sにとっては女給など年内と云わず辞めて、さっさと問屋の若女将に収まる方が暮らし向きも大分良いはずだ。しかしKはSに金銭も援助していた。来年には嫁いでくる女なのでK家の家計としては同じことであるというのがKの考えだった。
いよいよ私が閉口していると、Kは懐からおもむろに一枚の写真を取り出した。Sのものだった。写真のSはにこやかな笑顔を向けていた。それはファインダー越しのKに向けられたものではなく、(当然ながらKにSを撮る機会はなかったのだが。)活動写真の女優のブロマイドのようなどこか無機質な印象を受けた。満足に二人で逢うことができないKはSより貰ったこの写真を常に懐に忍ばせていた。私はSの印象についてKに云うことはしなかった。このような恋の盲者に第三者が何を云おうと無意味であることを私は知っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます