第3章-3

 四時間目終了のチャイムが鳴った。さて、今は何の時間だっただろうか。そんな事を思いながら保健室で盛大にため息を吐いた。

 あの後、救急車で輝耶と棚中は運ばれていった。ちょっとした事件に学園中がザワザワと騒ぎになっていた気がする。雷は教師によって生徒指導室に連れられ、何があったのかを細かく説明した。僕も後から呼ばれて同じく説明した。

 イジメの初期の対応としては、これが正解だったのか失敗だったのか。先生も判断できない様だった。だけど、一つだけ確かな事。


「暴力はダメだ」


 それに、僕ははっきりと頷いた。最初の暴力は棚中だ。彼女が輝耶へビンタしようとした。それに対しての輝耶の過剰反応。そして、それを止める為の僕の一撃。あの時は、間に合わないかもしれないと全力で蹴ったんだけど……もしかしたら輝耶は止めていたかもしれない。


「何にしても難しいところだな。イジメを止める為の行為は正義だが、行き過ぎた人助けは褒められない。どうすりゃいいのやら」


 そう言って先生も頭を抱えた。悪いのは棚中だ。と、言いたいのを堪えた。それは先生も重々承知だろう。すでに、棚中と仲の良い生徒から証言が出ている。雷へのイジメの主犯は棚中で間違いはない。

 そんな出口の無い問題を抱えた先生に言われたのは、保健室待機。今更、教室になんか帰れないので有り難い判断だと思います。空気が読める先生で良かった。

保健室の教諭である溝畑先生も事情は承知していてくれた様で、寝てていいわよ、との御言葉を頂いた。その後、忙しいのか空気を読んでくれたのか先生は出て行った。

 青い顔の雷はそれに甘えた様で、ずっとベッドに潜り込んでいる。僕はというと、ずっと椅子に座って自分の右足を見ていた。輝耶を蹴り飛ばした足は、ずっと震えていた。ともすれば貧乏揺すりの様に見える。だけど、ちっとも力が入らなくなっていた。

 未だに足に輝耶の感触が残っている。意外と軽かった輝耶は、想像以上に吹っ飛んだ。守らなければならない相手を、僕は蹴り飛ばしてしまった。いつも一緒に練習しているから、大丈夫だと思っていたのに。

なのに、彼女の身体は、僕の想像以上に、弱かった。

練習では力を抑えていたのが原因か。それとも、居残り特訓の成果なのか。何にも分からなかった。

またひとつため息を吐いた瞬間に、勢い良く保健室の扉が開いた。


「やっほ~! ただいま~!」

「みやび君! 無事か! 噂は聞いたぞ!」


 と、保健室にけたたましく姉妹の声が響いた。

 ……いや、あの、空気読んで頂けませんか? 振り返れば、そこには頭に包帯を巻いてネットを被った輝耶と、心配そうな顔でこちらに飛び込んできた煌耶ちゃんが居た。


「お、おかえり、輝耶」

「いやぁ、びっくりしたよ~。最近はホッチキスで止めるんだね。私思わず、私は紙じゃないですよドクター! って叫んじゃったよ」


 頭の包帯を指差しながら、輝耶はあっけらかんと笑った。


「ご、ごめん輝耶。怪我させちゃって……」

「いいよいいよ。もうちょっとで殺人犯になるところだったしね。いやぁ、危なかった」


 ま、マジで殺すつもりだったんだな……


「棚中は?」

「無事よ無事。もうちょっと上に裏拳が決まってれば肋骨ぐらい折れたのに」

「それじゃ傷害罪だ」

「ま、ただの女の子同士のケンカになっちゃって良かったよ。影守流に傷が付いちゃうもんね。あ、でも長い歴史に初めて勝ち星が付いたんじゃない?」

「あぁ確かに。白星だけど、褒められたものじゃないけどね……父さんに何て言おう」

「きっと褒めてくれるね!」


 なんでそんな楽観的なんだ。そこまで言い終わると、輝耶は雷のベッドに飛び込んでいった。いやいや、やめてやれよ。というか、そんな暴れて頭の傷は大丈夫なのかよ。


「心配したぞ、みやび君。お姉様を蹴り殺したと聞いた時には肝が冷えた」


 どこをどう曲解したらそんな話になるんだ? いや、小学部ではそんな噂が流れているのか。恐ろしい……というか、それだったら僕よりも輝耶を心配するべきじゃないのか煌耶ちゃん。


「……右足か」


 さすが煌耶ちゃん。僕の右足が震えている事に気付いたらしい。煌耶ちゃんが僕の右足に触れる。しかし、まるで痺れている様に、感覚が鈍い。麻痺しているみたいだ。


「本気で人を蹴った代償かのぅ」

「いや、僕自身に覚悟が足りなかったんだろう。結局は、僕の本当のところは、品行方正でも何でもなく、ヘタレだったって事じゃないかな」


 結果にビビって、足をガタガタ震わせている。無様にも嘔吐してしまった現実。どこからどうみてもヘタレでビビリだ。


「なに、それでこそみやび君じゃろうて。お姉様を蹴り殺してニヤニヤと笑っておる様な人間ならば、私はこうやってみやび君にくっ付いておらぬよ」

「……そう言ってくれると、とても嬉しい」

「ふっふっふ、惚れ直したか? なんなら熱い接吻を交わしても良いぞ」


 ん~、と唇を突き出す煌耶ちゃんを止めたのは溝畑先生だった。みんなの分の給食を持ってきて下さった。なぜか煌耶ちゃんの分まであるのが不思議なんだけど。


「こんな事もあろうかと、お姉様をダシにして早退しておいた」


 じゃぁ給食は食べずに帰れよ、というツッコミは野暮かなぁ。とりあえず、ご飯と一緒に飲み込んでおく事にした。それなりに和んだ空気だったけれど、僕は余り食べる事が出来ず、ほとんどを残してしまった。

 給食が終われば掃除の時間となる。一応、何のダメージを受けてない僕と煌耶ちゃんとで保健室の掃除をしておいた。そして午後の授業が始まるが、僕達はまだ保健室で待機の様だ。


「いっその事、帰らせてくれたらいいのに」

「そうじゃのぅ。今更クラスメイトにも顔を合わせずらいし」

「いや、煌耶ちゃんは帰ってもいいんじゃないのか?」

「私はお姉様が心配だから、お姉様と一緒に帰るという名目じゃよ」


 波乱があったというのに落ち着いたものだ。本当ならば、これぐらいの胆力が必要なんだろう。現に、輝耶もケロっとしている。堕ちた皇族、という不名誉なレッテルを継承し続けた一族だけはある。という事かなぁ……


「……はぁ」


 また、ため息を吐く。右足は震えたまま。一向におさまりそうに無い。

 ひたすら窓の外を眺め続けるというアンニュイなまま午後の授業が終わり、部活動の時間が過ぎ、下校時刻が迫った頃、ようやく僕達は解放された。

 トボトボと帰る僕と雷にとっては、輝耶と煌耶ちゃんの姉妹の明るさは助けとなった。普段、僕は輝耶の明るさを馬鹿にしていたけれど、これはこれで意味があったのかもしれない。これが、彼女の強さだったのかもしれない。

 そんな事実を、輝耶を蹴り飛ばし、怪我をさせて気付くなんて。


「品行方正の前に、人間失格か」


 帰って、父さんにボッコボコにしてもらおう。

 そう思った。

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