第19話 わがまま候子のいとも奇妙なる数日間・2

2.


「まあ、なんということ」

 騎士から厨房の使い走りまで、いまや物見高い砦の老若男女でひしめきあう広間の真ん中で。城主夫人の座にいます奥方が驚きの声を上げた。

 彼女の前には、地味な灰色のローブを纏った若者――デュフレーヌのレオが、いまだおさまらぬ動揺と珍奇な見せ物になっている屈辱とをないまぜにした表情で床に膝をついている。


 さわやかな朝のひとときを揺るがした、それはそれは大きな叫びを耳にして。なんだなんだとざわつきはじめた周囲の者たちを案じたらしい奥方イズーの命により、わがまま候子は有無を言わさず広間へと呼び出されるはめになった。

 こんな姿を人に見せられるかとわめいたレオに、確かになと真剣にうなずいたのはリシャールだ。そこに一縷の望みを見いだしたのもつかの間、見た目だけ大人になった少年は、続く騎士とじゃじゃ馬娘のやりとりに打ちのめされることになった。

「淑女の御前へ参ずるに、いくら何でも破れた寝衣はなかろうしな」

「こんなものを見たら、繊細な方々が悲鳴を上げて卒倒してしまいますわ。ブランシュなんて三日はうなされそう」

「なに。まあはしたないと手で顔を覆いつつ、指の間からこっそりのぞき見るのがご婦人というものですよ」

「いやですわ、リシャールさまったら」

「じ、ジェフレ卿もじゃじゃ馬もひとの不幸をいったいなんだと」

 そんなレオの抗議は、盛大なくしゃみに遮られることになった。

 さすがに風邪をひかせるのはまずかろうというわけで、やかましい相棒の災難に巻きこまれたヴァルターが書庫まで使い走りにやらされ、のっぽの学僧からローブを借りてきたというわけだ。

 おかげで、ぼろきれと化した寝衣よりはいくぶんましになったものの、どうも今のレオはウィリアムよりも背が伸びているらしい。それが証拠に、ローブの裾はくるぶしから掌ひとつぶん短いうえに、肩幅は相も変わらず窮屈だ。

「ウィリアムさんならいかにも学者さんらしいけど、あんたじゃどう見たって借り物よね」

 そのたてがみみたいな頭もなんとかしなさいよと、レネが簡単に髪をまとめてくれたのはまあいいのだが、ついでとばかりに結わえられた新緑のリボンはいったいどういうことなのか!

 女の子じゃないんだぞというレオの抗議にも、じゃじゃ馬娘は別にいいじゃないとどこ吹く風だ。

「せっかく、あんたの好きそうな色を結わえてあげたのに」

 いま流行ってるのよと、砦や町の娘たちがこぞって始めたという遊びを口にするレネに、冗談じゃないと顔をしかめリボンに手をかけたところで、いいからさっさと行けよと、さんざん振り回されたため不機嫌が最高潮に達したらしいヴァルターに部屋から叩き出された。

 そうして今では、はるか東方からやってきた虎かさいのごとく、唖然呆然と興味津々とが群がる広間の真ん中にいるというわけだ。


 戻ったら絶対にこの鬱陶しい髪を切りそろえてやると誓うレオの耳に飛びこんできたのは、周囲の者たちをも脱力させるほどにのんきな奥方の称賛だった。

「一晩でこんなに凛々しき若子わかごにおなりだなんて。まるで、若き日のユーグ殿にまみえているかのようですこと」

「たやすく喜んでいる場合ではございませぬ、奥方」

「いかなるまやかしか分かりかねますぞ」

 壮年の<狼>たちの諫めにも、砦の母たる淑女はやわらかな笑い声で応じるのみだ。

「まこと妖術であれば、今わたくしの前にあるはうるわしき若子などではありますまい」

 我が身は馬か羊かはたまた灰色狼かと、姿を変えられ森をさまよった騎士の言い伝えをそらんじると、奥方は重鎮たちのそばに控えていたリシャールに視線を向けた。

「ジェフレ卿、長老がたはいかがお過ごしですか」

「ウルリックとディブランによる尋問を」

 穏やかならざるいらえに、居並ぶ人々の間にどよめきが起こったが、中にはなんだまたじいさんたちかよと妙に納得した声を上げる者もいる。眉唾ものの惚れ薬から泥人形ゴーレムまで、長老たちの迷惑な道楽につきあわされている人々は、今度はわがまま侯子が何か巻き添えを食ったのだと思いはじめているようだ。

「お年を召されておいでです、あまり手荒な真似は」

「ご安心を。裸足を孔雀の羽根でくすぐる程度にとどめております」

 リシャールの言葉に、鞭打ちやら焼きごてやら血腥いものを想像していたらしい人々がほっと胸をなで下ろす。とはいえ、これやめんかやめてくれと涙と鼻水を流して笑い転げるご老体がたを眺めつつ、こちょこちょと羽根を動かす騎士たちの胸には「転属願」の文面が寂寞としたおもいとともに去来しているに違いない。

「奥方」

 短い呼びかけに、奥方が傍らに立つ副団長を見やる。シロス伯との協議を終え、今晩にも砦への帰還を果たすことになっている騎士団長の代行を務める老騎士は、喜劇じみた場にあっても峻厳さを微塵も損なってはいない。

「小僧の処遇は」

「今まで通りに」

 さらりと発せられた奥方のいらえに、居並ぶものたちがみな呆気にとられた表情を見せた。

「奥方、それはあまりにも早計というもの」

「齢十五にして<向こう見ずホッツパー>の名をほしいままにする小僧ですぞ。姿かたちのみとはいえ若造ともなれば、いかような騒ぎを引き起こすか知れたものでは」

「いっそ事態の収拾を見るまで私室に蹴りこ――いや蟄居が妥当かと」

 何とぞ再考のほどをと口々に申し立てる重鎮たちに、ひとをまるで災厄みたいにとわがまま侯子は憮然とする。

 そりゃ確かに、砦にやって来るなり聖女に向かってつんけんした態度を取ったり、樹海の王の世継ぎを託されたり、ひとや魔物相手に拳で語り合ったり、隠し通路に秘められた王の封印をたどったりとさんざん暴れたものだけれども。年寄り連中だって人のことが言えた義理かというのがレオの主張だ。だいたい隣国にさらわれた愛しい姫君を救うために、城ひとつを陥落寸前にまで追いこむような所業なぞ、自分だってまだやっちゃいない。

「では誰ぞ、わたくしに猛る若獅子を鎮めるすべを教えてはくださいませぬか」

 奥方の投げかけに、それまで口々に騒いでいた壮年の騎士たちがぴたりと静まりかえる。獅子のこころを宿せしアルトリウス、その裔たるデュフレーヌの激甚と矜持を並の者がとどめられようはずもなかったからだ。返答に窮し、当惑の面持ちを並べる重鎮たちに奥方がやんわりと微笑みかけた。

「このようなできごとはわたくしも初めて。みなと同じく、いかなる処遇がふさわしいかと頭を悩ませずにはいられませぬ。いかに見目うるわしき若子とはいえ、宿したこころは十五の齢そのままなのですから」

 奥方の言うとおりだった。

 リシャールとレネのからかいに憤激していたときには感じる余裕もなかったが、時が経てば経つほどに、こころと釣り合わぬ我が身の現実がひしひしと押しよせてくる。

 いったいどうなるんだと柄にもなく悲観的になりかけたとき、レオはそこで広間のあちこちで顔を覗かせている婦人たち――ことに若い侍女たちや小間使いたちが向けてくる視線に気がついた。

 いつもならば、修練場の埃にまみれた仔狼をくすくすとからかってくる彼女たちが、レオが見やるなりぱっと頬を染めたり、こっちを見たわよと声を上げてはしゃぎ合ったりと何やら忙しい。中には茫洋とこちらを見つめたまま、身動き一つせぬ娘までいるぐらいだ。

 女の子の気まぐれってのは分からないなと、きのうとはまるで異なる乙女たちの態度にそこはかとなく身の危険を感じながら、レオはつとめて彼女たちを気にしないようにした。

 そんな彼の様子を、まなざしに笑みを含みつつ眺めやった奥方が、居合わせた皆に聞こえるように名を呼ばわった。

「デュフレーヌのレオ」

「はい」

「ことの真相が明らかになるまで、そなたは騎士たらん者として普段どおり鍛錬に努めなさい。くれぐれも、怪我などなきよう気をつけるのですよ」

 慈母の笑まいで諭す奥方に、レオは深々と一礼する。いまや広間のあちこちでは苦い顔を並べる重鎮たちをよそに、なんだとねりこ坊主がちょっとでかくなっただけか、そんなに大したことじゃないなと安堵の声が上がっている始末だ。

 いいのか皆そんなことでと、新たなる非常識にあっさりと順応しはじめた砦の人々に逆に不安を覚え、問いかけようとしたわがまま侯子の目と口がぽかんと見開かれる。

「奥方さま、支度がととのいましてございます」

 人々の波をかき分けて現れた古参の侍女に、ご苦労でしたと奥方がうなずきかける。何やら首筋にざわつくものを感じたのか、副団長が灰色の双眸で奥方を見やったとたん、

「さ、おまえたち。こちらへ運びなさい」

 侍女の号令一下、小間使いや従者たちがうやうやしく捧げ持ってきたものに広間じゅうの者たちが唖然とする。

 紺碧に猩々緋、皇帝紫に鬱金に常磐緑、金糸銀糸もあでやかに。エーグモルトの宮廷人すらうらやむような、デュフレーヌの瀟洒と洗練がきわだつ衣装の数々がたんと積まれていたからだ。

 いったい何の酔狂かと口をぱくぱくさせるレオに、いたずら好きな姫君の面影そのままに、砦の母たる貴婦人は満面の笑みをほころばせた。

「せっかく凛々しき若子におなりなのですよ。ならば装いもそれにふさわしきものにいたしませんと」

 ああ、またしても現れたる奥方の困った趣味。

 大きな祝祭や華やかな催しのたびに、砦じゅうの乙女たちや子供たちをそれぞれにふさわしい装いに仕立て上げては喜ぶ御方だが――どうやら貴婦人の情熱は、こんなところでもまっしぐらに発揮されたらしい。

 着せかえ人形じゃないぞ、と退路を確保するべくあたりを見まわしたレオを、年季も気合いも十分な侍女たちがあっという間に取り囲む。逃げ場はなかった。

「さ、レオ殿。どうぞこちらへ」

 母や祖母ほども年齢の違う侍女たちは、レオの訴えなぞ聞こうともしなかった。ひとりが逃げだそうとした若者の襟首を丸太のような腕でがしりと捕らえ、そのまま広間の奥へと引きずっていく。

「よせ、引っ張るな、破ける」

 ウィリアムからの借り物なのに、ともがいたところで虚しかった。

「ご安心くださいませ。そのときはわたくしどもで繕ってさしあげますゆえ」

「そういう問題じゃなくて」

「レオ殿。べつに取って食らおうというわけではないのですから、そう案じなさいますな」

「さあさ、どれにいたしましょう。デュフレーヌのお世継ぎにふさわしく、緋色に金もよいのだけれど」

「ベランジェールの紺碧も捨てがたいですわね。みごとな黄金のおぐしにさぞ映えることでしょう」

「今はそんなことをしている場合じゃ」

「ああ、どのような若武者になられるのでしょう。わたくし年甲斐もなくときめいてしまいそうですわ」

「誰かーッ」

 抵抗も虚しく、貴婦人の一団に連行されてゆく哀れな若者に、広間に居合わせた者たちからはおうがんばれよーと何とものんきな声援が上がる。ひとごとだと思ってえええぇ、という叫びが小さくなってゆく頃合いを見はからって、奥方が広間に集うた人々に退出の合図を示す。

 これから愉快な騒動になりそうだという予感にわくわくしている人々が、それぞれにたった今起きたできごとを話し合いながら散じてゆくさまを穏やかに見送っていた奥方が、おかしげに問いを発した。

「いかがいたしました、ナイジェル殿」

「伝令より報告」

 眼前の珍事などなかったのように、副団長――ボウモアのナイジェルは淡々と告げる。

「ヴァンサンの一行は、夕刻には砦へ到着との由」

「まあ。ではそろそろ出迎えの支度をいたしませんと」

 わたくしが行かなければ殿がすねてしまわれますからと、椅子から立ちあがろうとした奥方に手を貸しながら、副団長は短く問いかけた。

「エクセターへは?」

 丁重なる辞退にもかかわらず、結局わがまま侯子のお守りを押しつけられた若い騎士は、騎士団長に同行した<髪あかきダウフト>の護り手として、ふもとの町にあるシロス伯の別邸に赴いていた。いかな<災厄エリス>の寵あつき若者とはいえ、一晩で十年ぶんも成長した少年の世話係などという事態は想定外のはずだ。

「事実のみを」

 先刻と同じいらえにわずかに眉を動かしたものの、老いぼれ狼はそこで皮肉げに片頬を歪める。

三年みとせで十八」

「ナイジェル殿」

五年ごとせで二十、十年ととせで二十五――南の獅子が牙を剥くにはよい頃合いだ」

「北の灰色狼に?」

「それを案じておられたのだろう。小僧に疑いを抱く者どもを牽制しながら」

「ご存じでしたの」

 驚いたように問うてくる奥方に、貴女のことだと副団長は短く応じる。

 この広間に集うた者すべてが心通いあう味方とは限らない。エーグモルトから送りこまれた間者とて、はたして幾人いることか。

 大公家にしてみれば、デュフレーヌのレオが妖術で姿を変じられたという噂はまたとない吉報となろう。かつて親族どうしでありながら、王冠をめぐって血みどろの争いをくり広げた敵の世継ぎを呪われた存在として喧伝し、公の場から葬り去ることすらできるのだから。

 アーケヴ各地からかき集められた砦の兵士たちの中には、迷信深いものたちとて少なくない。そんな彼らの耳に妖術の存在を囁けば、どのような事態が引きおこされるかは自明の理だ。世継ぎの君であった息子をいくさで喪い、ただひとり遺された孫にすべての望みを託したユーグ老侯には、二度と立ち上がれぬほどの痛手となろう。

「小僧もうすうす、そのあたりを感づいていたようだが」

「なればこそ、わたくしの呼び出しにも応じようとしなかったのでしょう」

 ですが隠そうとすればするほど、危険もより増すというものと奥方は呟く。

「ならばいっそ、後ろめたきことなど何もないと堂々と披露してしまえばよいのです。皆が知っているのですから、秘密はおろか弱みにすらなりませぬゆえ」

「併せて、砦の者どもの不安を払拭なさったか」

 小僧はすっかり見せ物だったがと呟く副団長に、実はいまひとつ懸念がございますのと奥方は眉根を寄せる。

「広間のざわめきをごらんになりまして、ナイジェル殿」

「小娘どもがのぼせあがった顔をしていたが」

「道ゆくだけで乙女たちを釘づけにした、お若いころの貴方のようでしたこと」

「ぼんやりと町を歩くなと命じておく」

 奥方のからかいにはあえて気づかなかったふりをして、砦の鬼は騒ぎに浮かれるであろう若い<狼>たちの気を引き締めるべく詰所へと歩みを進めかけたのだが、

「ナイジェル殿?」

「人は何故、その時そうありたいと望む姿ではいられぬのか」

 声音に、重ねた歳月とほろ苦さが滲む。右頬に残る古傷と、灰色の双眸に南シェバの熱砂を奥方が見たように思ったのもつかの間、老いたる騎士はでは御免と一礼し回廊へと歩み去ってゆく。

「……なぜなのでしょうね」

 去りゆく背に向かって発せられた、砦の母の呟きを知るものはない。

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