第18話・そして嵐はながれを運び・5


 梢をざわめかせる春風のなか、どこからともなく仔羊の鳴き声が聞こえてくるような、明るい月夜のこと。

「どうした、ギルバート」

 奥方さまが催した、ランスの使節団と砦や町の有力者を招いた盛大な宴が果てたのちのことです。

 つかみどころのない人となりからは想像もつかぬ、緑を基調とした落ち着いた雰囲気の自室で、ゆったりした普段着姿で長椅子にくつろぐ琥珀の騎士は、向かいに坐したまま浮かぬ顔をする幼馴染を見やりました。

「呑みすぎか、それとも食い過ぎ」

「違う」

 憮然と応じると、黒髪の騎士は長椅子の背もたれに身を預け、上着の襟元を留めていた金のボタンを外して大きく息をつきました。宴の間じゅう、他の騎士や兵士ともども警備の任に就いていたのですが、ものものしい雰囲気にならぬようにとめったに袖を通すことのない<狼>の礼装に身を包んでいたためでした。

「なら何だ。広間を彩ったあでやかなる花々のなかに、姫君の可憐な姿がなかったことにふてくされているのか」

「人酔いだ」

 勝手にこじつけるなと睨んだ幼馴染に、琥珀の騎士はそうかとからかうような口調になりました。

「カンドル夫人は、ずいぶんとおぬしにご執心だったじゃないか」

 商談に夢中の夫君をよそに、宮廷ふうの舞踊に興じるふりをして秋波を送っていたぞと告げた琥珀の騎士に、目に埃が入ったわけではなかったのかと黒髪の騎士は大まじめに答えました。

「さもなくば、決闘寸前の鸚鵡か孔雀のまねごとかと」

「おぬしの感性が、俺はときどき無性にうらやましくなるよ。ギルバート」

 力なく首を横に振ると、琥珀の騎士は傍らにうずたかく積み上げられた何十通もの恋文を手に取りました。

 噂に高きジェフレのリシャールとやらが、どんなうぬぼれ屋の田舎者なのか確かめてやりましょう。

 くすくすと囁きあっていたランスの姫君がたは、広間に集った人々のどよめきと感嘆のなかを颯爽と現れた、琥珀の騎士をひとめ見るなり恋のとりこに。よそものに負けじと彼の周りをとりまいた、ふもとの町の姫君や令嬢がたと見えぬ火花を散らしあいながら、それぞれが隙を見て騎士の礼服に想いのたけを綴った文をねじこんだり、使いの者に届けさせたというわけです。

「近頃のご婦人はなかなか積極的だ」

「どこかの貴族がおぬしを睨みつけていたぞ。いずこかの姫君に懸想しているのだろう」

「ああ、そうか」

 決闘の申し込みならいつでも歓迎するがと、琥珀の騎士ときたら同性のねたみそねみなど意に介したふうもありません。こやつの気楽さがいっそうらめしいと嘆息しつつ、黒髪の騎士は懐から一通の手紙を取り出しました。

「恋文か?」

「違う」

 幼馴染の揶揄をきっぱりと退けると、黒髪の騎士は手紙を広げてみせました。送り主の趣味の良さをうかがわせるしゃれた便箋には、『麦穂星を捉えんとする暗雲。月夜に用心』とだけ綴られています。

「何だ、これは」

「セレスが運んできた」

 警備の打ち合わせが一段落し、昼食がてら郷里の母から届いた手紙を読もうとしたときでした。

 いつもならば未来の戦乙女と遊んでいる白銀の姫君が、黒髪の騎士の私室へとひょっこりと姿を見せたのです。得意げに彼を見上げ、きゃんと鳴いた仔狼をよく見れば、首に結ばれたリボンに手紙がくくりつけられていたのです。

「おかげで、俺の昼食はセレスの報酬になった」

 伝書鳩ならぬ伝令犬の大役を果たし、期待のまなざしで彼を見つめる狼姫をすげなく追い返すわけにもゆかず。昼のおかずだった鶏手羽のローストを、すべて献上するはめになったと黒髪の騎士はぼやきます。

「文面から、へぼ詩人に関することだとは分かるが」

「どうしてそう断言できる、ギルバート」

 不思議そうに問うた琥珀の騎士に、麦穂星はダウフトだと黒髪の騎士は答えました。

「素朴な村娘を、豊穣を司る星になぞらえた聖エイレネの讃歌がある。事実、デュフレーヌやオードでは、かの星の動きを見て麦撒き時と刈り入れ時を決めるそうだ」

「麦穂星がダウフト殿ならば、暗雲はへぼ詩人というわけか」

「そこまでは読めたが、月夜に用心というのがどうにも」

 麦穂星は月のない夜にこそ明るくまたたくのにと、解けぬ謎に首を傾げたのですが。ぼんやりとしている場合ではありませんと生真面目な従者にせっつかれ、そのまま宴の警備に当たることになってしまいました。派手やかな南国の鳥にも似た、淑女の誘惑どころではありません。

「で、送り主は誰か分かったのか」

 琥珀の騎士の問いに、おそらくはアルキュシアのクロエ殿だろうと黒髪の騎士は応じました。

「便箋はシエナ・カリーンの特注品だ。それもご婦人向けの」

 そんな高価な品を使うことができる方といえば、砦では奥方かボーフォール卿夫人だろうと黒髪の騎士は続けます。

「奥方ならば、回りくどいことなどせずに俺を呼ばわれば済む。ボーフォール卿夫人に至っては、そもそもこんなことをする理由がない」

 奥方さまの名前を出したとたん、黒髪の騎士がいささか心もとない口調になったのは無理もありませんでした。彼が娘さんがらみの騒動に巻きこまれ右往左往するたびに、そこにはいつも貴婦人の上品な微笑みがあったからです。

 しかも今回ときたら、迫り来る変人の魔手から乙女を守りつつ攻勢に転じろとの仰せです。へぼ詩人が放つ、禁忌の召喚呪文に抗するだけでも精一杯だというのに、いったい砦の母君は何を考えておいでなのでしょうか。

 ちらりと脳裏をかすめた、よい子は決して見てはいけない図面のことを慌てて頭から追い出した黒髪の騎士に、琥珀の騎士ののんびりとした声が届きました。

「つまり、消去法で補佐官殿に行き着いたというわけか。変態を牽制するためにおぬしに警告を発したと」

 そこまで読みとればあとは単純だろうにと呆れた琥珀の騎士に、分からんからおぬしに知恵を借りようと思ったんだと黒髪の騎士はめずらしくも愚痴めいたものをこぼしました。

「へぼ詩人がいらんことをしでかそうと企んでいるなら、せめて具体的な日時くらい」

「じゅうぶん具体的じゃないか」

 けろりと応じた琥珀の騎士に、どこかだと黒髪の騎士は返したのですが、

「今宵の宴はたいそう盛況だったな。ことに市長の衣装が話題を呼んで」

「生け垣の次は砂漠でな」

 『月の砂漠をゆくわたし』――シェバの砂漠を模したという金糸を織り込んだ生地に、かの地の夜空を彩る月や星々を真珠や月長石で表したきらびやかな衣装で登場したランスの市長に、皆そろって唖然呆然。砦の母君だけが、まあベルナール殿ったらたいそうな気合いの入れようですこととやわらかに微笑んでおりました。

 これならきさまも何も言えまいエクセターと、哄笑する市長の頭を飾る大きな羽根飾りがひらひらと揺れるさまに、確かに何を言う気にもなれずに首を横に振った黒髪の騎士でしたが。

 <髪あかきダウフト>殿は急なご不例につきと、おふれ係が聖女さまの欠席を告げるなり、我が装いはうるわしきひとつ星へのあかしなのにと嘆いた市長へ、星どころか駱駝も逃げ出す仕様かと容赦ない追い打ちをかけたものでした。

 ただ。おふれ係の知らせを聞くなり、広間の片隅から上がったこそこそとした囁きや忍び笑いを、娘さんが聞かずに済んだことは幸いでした。

 宴に出ようと出るまいと、砦の聖女を快く思わぬ者たちが言いたい放題であることは変えられぬ事実でしたけれども、そのような輩が集う場からはできる限り娘さんを遠ざけておきたいというのが、若い騎士の偽らざるおもいだったからです。そうした意味では、薔薇とレースとリボンに埋もれたランスの市長は、聖女さまが宴に欠席する理由を作ってくれたありがたい存在といえました。

「いい月だったな。嘆く市長のきらきらしい衣装がじつによく映えて」

 琥珀の騎士が放った言葉に、黒髪の騎士ははたと面を上げました。

「リシャール」

「ようやく気づいたか」

 いつまで座りこんでいるつもりだと、琥珀の騎士は逆に黒髪の騎士へと問い返しました。

「ランスの変態が動き出すのは今宵、満月がいちばん輝くときだろう」

 あまい逢瀬をたくらむにはもってこいだとつけ足した琥珀の騎士のまなざしは、すたすたと扉へと向かった幼馴染の背を面白そうに見やっておりました。

「どうする、ギルバート」

「婦人部屋へ警告を」

 いかに緊急事態とはいえ、若い騎士が夜更けにご婦人がたの寝所へ押しかけるわけにはいきません。ヴァルターを使いに出すか、ほかの従者にとあれこれ悩みながら、黒髪の騎士は暇を告げて部屋を出てゆきました。

「まあ、ランスの変態はともかくだ」

 猛然と駆け出していったらしい幼馴染の靴音を聞きながら、琥珀の騎士は山と積まれた恋文のなかから一通の手紙を取り出しました。

「麦穂星を捉えんとする暗雲。月夜に用心」

 黒髪の騎士へと送られた内容と、そっくりそのまま同じ内容の手紙。ランスの補佐官から奥方さまに宛てられ、ひそかに自分へと託された一通を手に琥珀の騎士はぼやきます。

「少しぐらい、ブリューナクを見習えばいいものを」

 ほかの牡馬を容赦なく蹴り出して、娘さんに頭をすり寄せ甘えまくる黒鹿毛をたとえに出した琥珀の騎士でしたが、彼とてひとの子。すべてのできごとを見抜いているわけではありません。

 そんなわけですから、琥珀の騎士は予想だにしていませんでした。

 部屋に駆け戻った黒髪の騎士が、従者の少年を呼ばわりつつ扉を開けたとたん、轟音とともに迫りきたものが橙色も鮮やかな巨大かぼちゃであったこと。

 咄嗟によけきれず、今回二度目の<かぼちゃの接吻>を食らった己があるじが昏倒するさまに、ひゃあと悲鳴を上げた生真面目な従者をよそに、決まったと快哉を叫んだのがとねりこ館のわがまま侯子であったことです。

「な、なんてことを」

 こんなの聞いてないぞと猛烈な抗議をする生真面目な少年に、しかたないだろうとわがまま侯子は応じました。

「まさかエクセター卿が、早く戻ってくるとは思わなかったんだ」

「だからって、かぼちゃで殴る奴があるか」

 扉を開くと同時に、縄でくくった巨大かぼちゃが侵入者めがけて繰り出されるしかけを指さし、<かぼちゃの接吻>を食らうようなことなんてまだ何もしていないのにと、己があるじのふがいなさをさりげなく暴露する従者の少年に、わがまま侯子は反省するそぶりすら見せません。

「ダウフトのところへ押しかけて、<ヒルデブランド>に粉砕されるよりはましだろう」

「かぼちゃに殴られるぐらいなら、ダウフトさまに平手打ちを食らったほうがましだと思ってるよ俺は」

 ああたんこぶがと、星々の語らいをまとわせながら目を回しているあるじの姿に生真面目な少年は嘆きます。

「ふん。こうなったのも、おまえがさっさと図面を書き写さないからだろう」

「しょうがないだろ、どこにあるのか探すのに手間取ったんだから」

 爺やから聞かされたおとなのひみつに、驚天動地の勘違いをしでかしたわがまま侯子。かぼちゃ頭の思い通りにはさせじとの決意も固く、嫌がる生真面目少年を引きずりこんで暗躍のはじまりだと意気ごんだまではよかったのですが。

 当直にあたる騎士たちをのぞき、大半が今宵の宴へと出向いた頃あいを見はからって、相棒の手引きで騎士の私室へと忍びこんだものの、件の図面がどこに隠されているのか皆目見当もつかぬときたものです。

 散らかすなって言っただろ、うるさい早く図面を見つけろと、寄れば始まる口喧嘩。探しものは遅々として進まぬうえに、時間ばかりが過ぎていきます。

 ええいどこにあると、思わず愚痴をこぼしたわがまま侯子の目が、エクセターの質実剛健を表したかのような趣ただよう書き物机へととまりました。

 どうやら読みかけであるらしい「シェバ女王バルキス、またはバテシバに関する考察」の間から顔を覗かせていた紙を、何の気なしに引っ張ってみればこれが大当たり。砦の先達たちによる涙ぐましい努力の成果、もとい婦人部屋へと続く隠し通路をあらわした図面でした。

 これだと、相棒とふたりで思わず声を上げたところへ部屋の扉が開き――たいへんすがすがしい音が部屋に響き渡ることになったというわけです。

「なんで、こんなに無駄な気合いが入ってるんだ」

 図面をざっと眺めやるなり、呆れ顔で評したわがまま侯子でしたが、黒髪の騎士よりもはるかにおとなの事情に疎いぶん、彼のことばはひたすら純粋な疑問から発せられたものでした。

「這ってでも逢いたい方でもいたんだろ、察しろよ」

「だったら、昼間に逢えばいいじゃないか」

 時間と工費の無駄だろうとこき下ろすわがまま侯子に、いいからさっさと出て行けよと、やや年かさの少年は力なく促しました。

 大公家と父祖を同じくする、権門の世継ぎがこんな調子では先が思いやられるというものですが、妙齢のご婦人とみれば見境がないとの悪評も高き、エノー伯家のどら息子よりははるかにましなんだろうと、生真面目な騎士見習いは無理やり己を納得させることにしました。

「その図面をどうするんだよ、レオ」

 陰謀といったところで、わがまま侯子の計画なぞ所詮は行き当たりばったりです。たいして考えちゃいないだろうなと思って問いかけた生真面目な少年に返ってきたのは、案の定な答えでした。

「厨房の焚きつけにする」

「だと思った」

 間髪入れずに応じた相棒に、ほかに何の方法があるとわがまま侯子は憤然と応じます。

「こんなもの、残しておいたらとんでもないことになるぞ。我先に婦人部屋へと押しかける奴らが続いたらどうする」

「おまえな、ここはとねりこ館じゃなくて東の砦だぞ」

 一筋縄でいかないことくらい分かりそうなもんだろと告げた生真面目な少年でしたが、

「のぼせあがって、莫迦をやらかす奴だっているかもしれないだろう」

 誰とは言わないけどなと、砦の先達が残した図面をさも軽蔑したように見やったわがまま侯子に、ギルバートさまがそんなことをするもんかと生真面目な少年は猛然と反撃します。

「そりゃむくむくの羊に蹴倒されたり、いまだに嫁のあてもないけどな。おまえみたいに、真正面から突っこむことしか知らない猪になんて理解できないくらいダウフトさまを」

「……かばっているのか、けなしているのかどっちだ」

 ふいに聞こえてきた、たいそう低い声にふたりの少年は身をこわばらせました。

 おそるおそる声のしたほうを見てみれば、かぼちゃとの望まぬ接吻に沈んだはずの黒髪の騎士が上体を起こしてこちらを睨みつけているではありませんか!

 その身から放たれる、ましろき雪原に遠く低くうたう凍える嵐のような怒りに、少年たちは思わず扉まで後ずさりました。

「ヴァルター」

「は、はいっ」

「レオ」

「ず――図面はもらったからなッ」

 言うが早いか相棒の手をひっつかみ、とねりこの侯子は鹿のごとき勢いで部屋を駆け出していきました。あああごめんなさいわざとじゃないんですギルバートさまもとはといえばこいつがと、釈明を試みる従者の哀れな声に、いいからおまえは黙ってろというわがまま侯子の声がかぶります。

 どうにか扉のへりに手をかけて、よろめきつつ立ち上がった黒髪の騎士でしたが。そのころにはいたずら小僧どもの姿ははるかかなた、廊下の角を曲がって階下へと降りてゆくところでした。

「……何の真似だ」

 目の前を乱舞する星たちを追い払いながら凶悪なご面相で呟いたものの、かぼちゃ嬢との熱烈なる愛の痕跡をとどめた顔ではどうにも間が抜けています。あたりを見まわし、己が部屋の惨状に思わず北の古語で呪いのことばを呟きかけた黒髪の騎士は、読みかけの本の間にひそませておいたものが消えていることに気がつきました。

「…………レオ」

 かぼちゃはどっちだあの向こう見ずめがと、できのよろしい弟子のおこないを愛情たっぷりに評すると、黒髪の騎士は騒ぎに気づいてやってきた兵士に、ただちに婦人部屋へ赴き警告を発しろと命じます。

「で、ですが僕――わたしがご婦人がたの部屋に行くわけには」

 兵士として砦に上がって間もない、わがまま侯子たちよりも年下であろう少年がうろたえるさまに、構わんと黒髪の騎士は続けます。

「俺が行くよりはましだ」

 急げと手短に命じ、うわずった声ではいと応じた少年が慌てて駆け去っていくのを見届けると、騎士は嵐が通り過ぎたかのような部屋へと向きなおりました。やんちゃ小僧たちの首根っこを捕まえて引きずってくるには、堅苦しい礼服では動きにくいため、埋もれた私物の山から動きやすい服を探す必要があったからです。

「……まさかな」

 私室にもぐりこみ、隠れんぼに興じていた子供たちの誰かが忘れていったらしい仔羊のぬいぐるみが出てきたことに思わず飛び上がりそうになりながらも。占い婆のことばを思いだし、黒髪の騎士はどうにもぬぐいきれぬ予感に身を震わせるのでした。



                ◆ ◆ ◆



 さて、いっぽう。

「こ、ここまで来れば」

 ぜいはあと息を切らしながら、わがまま侯子は四阿から月明かりにやさしく照らし出された中庭を見まわしました。どこからか漂ってくるのは薔薇の香、古いことばで暁かまったき白のいずれかを意味する美しい大輪です。

「やっぱり、おまえにつきあわされると、ろくなことが」

 ギルバートさまに捕まったらおしおきだと、息を切らしつつ嘆く生真面目な相棒に、それがどうしたとわがまま侯子は呆れました。

「子供じゃあるまいし、おしおきが怖いのかこの腰抜け」

「お、おまえは知らないからそんなことが言えるんだ」

 魚が白い腹を見せて浮かぶような、ランスの市長の詩を湖のほとりで百遍読み上げてこい、行きと帰りには単騎で魔物退治つきだなんて言われておまえできるのかと睨んできた友に、わがまま侯子はぐっと詰まりました。

「リシャールさまなんかもっとえげつないぞ。いくつも詩を書かせたうえ、実名必須で町のど真ん中で大声で読み上げてこいっていうんだから」

 こんな恥ずかしい仕打ちがあるもんかと嘆いた生真面目な少年に、なぜにエクセターの騎士に仕える従者たちが、とねりこ館の従者たちよりもお行儀がよろしいのかを、わがまま侯子は垣間見た気がしました。

「おまえ、おしおきを食らったことがあるのか。ヴァルター」

「聞くなッ、俺に聞くなッ」

 ひたすら怖ろしさに身を震わせる相棒に、怒れる師匠の姿が不吉に重なったのですが。

 ま、まあいざとなったら町に逃げこめばと開き直ると、わがまま侯子はふたたびないしょの図面を広げました。

 はじめこそ気がつきませんでしたが、名も知れぬ先達たちが築き上げた隠し通路は、やみくもに掘り進めたものなどではなく、外つ国の優れた建築技術と古王国時代の魔法とを融合させた、世にもまれなる代物であることがわかりました。

 いずれは世継ぎの君として一軍を率いるべく、おじいさまが選りすぐった教師たちに戦術や戦略の基礎から、城の構造や攻守に至るまで幅広い知識を叩きこまれていたわがまま侯子は、目的はともかくこれを作った奴は相当な変わり者だなと呟きます。

「入り口がどこにもない」

 歳月の流れとともに、破壊と再建をくり返してきたはずの砦です。かつて、ひそかに伝えられていたであろう入り口はとうに喪われ、今では中庭を散策する小径に敷かれた白い石畳があるばかりです。

「図面が正しければ、この四阿あたりに入り口が」

「どうでもいいけど、焚きつけにするんじゃなかったのかそれ」

 相棒の問いかけをすっかり無視して、わがまま侯子はなんだごたいそうな文句までつけ足してと、いにしえの言葉で記された箇所を読み上げます。

「求めよ、されば応じん――なんて」

 月並みだなと笑ったわがまま侯子と、生真面目な少年の足元が突如としてぐにゃりと歪みました。声を上げる間もなく、ふたりの身体は石畳の中へとみるみるうちに沈んでゆきます。

「ば、ばかおまえ何やったんだ」

「な、何にもしてないぞッ」

 やった、やらないと言い合ったところで時すでに遅し。

 ふたりの少年を悲鳴もろとも飲みこんで、もとのかたちに戻った石畳と四阿は、ふたたび月明かりの静けさに照らし出されるのでした。

 とねりこの若枝をかたどった、金のブローチひとつだけを残して。

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