第18話・そして嵐はながれを運び・3
砦のてっぺんで、<狼>の騎士団旗とランス市の旗がのたりとひるがえるある日のこと。
「何をしておられますの、ダウフト殿」
ふだんは騎士たちや兵士たちが弓矢の鍛錬にいそしむ的場で、ひとり溜息をついていた聖女さまに穏やかな声がかけられました。
「クロエさん」
振り返り、ランスの補佐官の姿を見た娘さんは、アーケヴの野に咲く花のような笑みをみせました。
「どうなさったんですか、こんな所まで」
「砦や町の皆さまとの会談に向けて、準備に走り回っておりましたの。そうしたらお姿が見えたものですから」
今晩のおかずはどうしようかと、まじめに悩んでいるお顔ですわねと涼やかに笑う銀髪の麗人に、さまざまな大きさのイワカボチャを草地に積み上げていた娘さんはちょっぴり顔を赤らめました。
「いえ、練習です」
「練習?」
はしばみ色の瞳に驚きを満たした補佐官に、ええとですねと娘さんはたいへん言いにくそうに口を開きました。
「<かぼちゃの接吻>を」
「まあ」
ランスの補佐官が、思わず声を上げたのも無理はありません。
ほっくりとあまく美味なれど、食すには斧でかち割らねばならぬほどの固さを誇る珍妙な野菜は、オードの乙女たちを手ごわいと言わしめるわざとともに広く知られておりました。
その理由はいたって単純。かの乙女たちを相手どり一敗地にまみれた男たちが、涙と鼻血に彩られた若き日の思い出を息子や孫へと語り継いでいったためでした。
「おばあちゃんは、<かぼちゃの接吻>が上手だったのに」
わたしはさっぱりですと肩を落とした娘さんの向こうでは、大きな的にかすりさえもしなかったイワカボチャがあちこちに転がっています。聖なる剣で奇跡と輝く
「元凶はベルナ――市長ですのね」
問いかけた補佐官に、娘さんは申し訳なさそうにうなずきました。
「クロエさんには申し訳ないんですけど、そのう」
「よいのです。出会い頭に、あのような振る舞いに及んだ考えなしが招いた結果ですもの」
だからフォル・カルキエ家の姫君ばかりか、
「みゅーず?」
聞き慣れない言葉に首を傾げた娘さんに、学問や芸術を象徴する九柱の女神ですと銀髪の補佐官は答えます。
「詩人や楽師はもとより、歴史に天文をたしなむ者たちは例外なくかの方々の加護を希うのですけれど」
うちの市長はあれですからと、魔物も人間もおかまいなしに未曾有の災厄をまき散らす詩を思い浮かべたのか、うるわしき淑女は深々と溜息をつきます。
「市長さんって、そんなにすごいんですか」
「
学生のころ、あのひとが町の広場で自作の詩を披露した直後に、物陰に身を潜めていた手配中の男が泣きながら赦しを請うてきましたからと淑女は答えました。
「地獄の悪魔のほうが、まだやさしかろうと思えるほどの響きだった。捕まった男は後にそう語ったとか」
「……」
「
ディジョン公を招待した宴で一曲披露した折には、鼠という鼠が一夜のうちにランスから姿を消しましたと淑女は続けます。
「おかげで、穀物倉は鼠害が減って万々歳でしたけれど。公の親族にあたるモンマスの姫君が連れておられた仔犬までもが逃げだし、市庁舎総出で探しまわる騒ぎに」
「…………」
「
そう告げた銀髪の補佐官に、娘さんは頭がくらくらしてくるのを覚えました。女神さまがみんな逃げだすくらいなら、わたしにどうすることもできないのは当たり前だわと確信しました。
とはいえ、ランスの御仁が暑苦しい調べに乗せて送るあの呪言をたやすく受け入れるわけにもいきません。いくら<かぼちゃの接吻>が下手くそでも、母から娘へと受け継がれてきた真の名にかけて、オードの女はおいそれと誰かにあかしを与えたりしてはならないのです。
「ダウフト殿。よろしければ、かぼちゃをひとついただけませんこと」
わたくしも練習してみようかしらと、手に取ったかわいらしい橙色を真剣な面持ちで見つめるランスの補佐官に、ええどうぞと娘さんはうなずきました。
「クロエさんはとてもきれいですから、よけいに気をつけなくちゃいけません」
「いえ、わたくしのためなどでは」
そう言いかけて、銀髪の補佐官はあわてて言葉を継ぎました。
「ああ、いえ――そうした意味でも役に立ちますわね」
近頃はランスも物騒ですからと、己が身のことなどまるで考えてもいなかったらしい麗人の表情に、驚きのしかけが満載なあの一室で、自分と黒髪の騎士に微笑みかけた彼女の姿が重なりました。
うらやましいこと。
たしかアルキュシアのクロエ殿は、そう言ってはいなかったでしょうか。どこかさみしささえ感じさせる表情で。
「クロエさん」
「さ、どう扱えばよろしいのですか。ダウフト殿」
的にぶつけるのですか、それとも鎚矛仕様かしらと、明るく問うてきたランスの補佐官に問い返す言葉もないままに、娘さんはおばあちゃん仕込みの技を披露することになったのですが、
「その調子です、クロエさん」
「まあ、なんだか姉さまたちと遊んだ球技みたい。こんなに楽しいなんて」
ひとりでは気の重かった鍛錬も、ともに学ぶひとがいればそれはそれで楽しいもの。たちまちはなやいだ笑いを響かせながら、ランスの淑女とオードの娘さんは、たがいに一撃必殺やかぼちゃ三連撃を披露しあうのでした。
ふたりの背後にそっと近づいた、がさりと草を踏みしめる足音にも気づかずに。
◆ ◆ ◆
さて、それより少しばかり前のことです。
「笑っている場合か、リシャール」
騎士たちの詰所で、椅子からずり落ちそうな勢いで抱腹絶倒する幼馴染に、彼と向かい合わせに坐していた黒髪の騎士はたいそう苦い顔を見せました。
「いやはや、いつかはこうなると思っていたが」
笑いすぎたあまりに、
「まさか今、ランスの市長みずからが砦に襲来しようとはな」
「のらりくらりとほっつき歩いていた奴の言うことか」
町での騒ぎは聞き及んでいるぞと、黒髪の騎士は幼馴染を睨みつけました。
つかみどころのないこころねのごとく、琥珀の騎士が町をそぞろ歩き、頬を染める娘さんたちに愛想を振りまいていたところ、災厄の歌声が正門から堂々と侵攻してくる姿に出くわしました。
怯える娘さんたちをやさしく諭してすぐさま家へ帰らせ、逃げようとして転んだ小間使いを助け起こしたついでに名前と住まいをちゃっかりと聞き出して。腰が抜けたと訴える靴屋のおじいさんをおぶって家まで送り、騒ぎに乗じて裕福な商家に押し入ろうとしていた輩へは鉄拳制裁を食らわせました。
そのかわり、腕に覚えありな老若男女が魔物たちと広場で始めた肉弾戦には目もくれずに通り過ぎ、琥珀の騎士は状況を把握するために町に留まっていたのでした。
「だいたい、広場の騒乱を見過ごす奴があるか」
「なに。出店の親爺におかみはもとより、流れの楽師も市場の元締めも長老も楽しそうにやっていたからな。いやあ、アンヌ殿がこれまたみごとな活躍ぶりで」
若い連中が尻ごみした魔物を、蝶のごとく舞い蜂のごとく仕留めていたぞと、仕立て屋のご隠居の武勇伝を感嘆まじりに語る幼馴染に、いったいこの町はどうなっていると若い騎士はうめきました。
「それで、古いしかけにはめられて<帰らずの森>まで空中滑走したランスの長はどうした」
「寝台で一晩うなった後は、けろりとした顔で職務をこなしている」
あのしぶとさはどこからくると呆れた若い騎士でしたが、彼にはいまひとつ解せぬことがあるようでした。
「市長の職務にあたっているときは、いたってまともに映るんだが」
見た者すべてを極彩色の悪夢へといざなう、派手な衣装はどこへやら。
濃青のお仕着せに眼鏡というたいへん地味ないでたちで、ランスのベルナール殿は、小さな市庁舎と化した客間へ入れ替わり立ち替わりやってくる部下たちと議論を重ねておりました。
デュフレーヌへの使節団は誰を遣わすか、木材の搬入に関して自由開拓民との交渉日程を、パンにかける税率の見直しは。
いくさの嵐に木の葉のごとく翻弄されながら、皆と力を合わせランスの舵取りをすすめようとする姿は、市民から絶大な支持を得ている男だけのことはあります。それは黒髪の騎士とて認めるところです。
「そうでなければ、ランスの連中が市庁舎とあの男を守ろうとはせん」
過ぎし日の包囲戦で、極刑を減免され追放されるだけにとどめられた前市長が、人々を裏切りランスへと引き入れた魔物たちの掃討に<狼>と市民たちが奔走したときのことです。
イグザムの二の舞になるがよいわと、尽きぬうらみと昏い哄笑を響かせ、己が血肉を制約のあかしに異形へと捧げた男の狙い通り、自由と自治の象徴として人々に愛されてきた市庁舎と、そこを預かる若き長のもとへと敵が押しよせたのですが、
「ランスのベルナールは市長の正装で、ひとり執務室にとどまっていた」
並の男ならとうに逃げていたと評する黒髪の騎士に、それなりの気概はあるわけかと琥珀の騎士は応じました。
「だが、ある一点に関してまるきりだめなのはおぬしと同じじゃないか」
「奇人変人と一緒にしないでもらおうか」
少なくとも俺は奇天烈な衣装で町をねり歩いたり、よろけた愛の賛歌で周りを恐怖に陥れたりはせんぞと心底嫌そうな顔をみせた黒髪の騎士に、
「熟れすぎた林檎」
町の娘さんたちをとりこにしてやまぬ笑顔で、琥珀の騎士はさわやかに追い打ちをかけました。
「……リシャール」
羊の恐怖に次いで忘れたい、少年の日の痛手をほじくり返してきた幼馴染を、黒髪の騎士はたいそう低い声で呼ばわったのですが、
「見境なしに突撃を試みてはたき落とされるランスの怪鳥と、ここぞという時に鼻面を蹴飛ばされて涙を呑む灰色狼。愛くるしい仔羊にぶざまな敗北を喫するのはどっちもどっちだろう」
ああ美しくないと、同性にはまるで容赦のない琥珀の騎士は、幼馴染の凶悪なご面相に動じた様子もありません。
「だが積極さにかけては、あちらのほうがはるかに分があるな」
「だからどうした」
いつにも増して回りくどい幼馴染のことばに、黒髪の騎士は気持ちを鎮めるべくあたたかなお茶の杯を口に運んだのですが、
「おや。かの変態が、我らが守り姫を花嫁として連れ帰ろうとしている噂を知らないのか」
琥珀の騎士がここぞとばかりに放ったひとことに、黒髪の騎士は思いきりむせかえりました。
「どこから、そんな、はなしが」
「ああ、逢い引きの約束を取りつけたさるご婦人から」
ランスの淑女はなかなか情熱的でと感心する琥珀の騎士のことばを、黒髪の騎士はむせこみをこらえながら聞くしかありません。
「ランスでは有名なはなしらしいぞ。今回の訪問にかける市長の意気ごみは並々ならぬものであったそうだ」
カタイの絹に香木、南洋の真珠と珊瑚、ボヘミアの繊細な硝子細工。アーケヴでは珍重される外つ国の草花の数々に、ランスが誇る世にも美しい色あいの毛織物と七宝細工。
砦への友好のあかしとして披露された豪奢な品々に、市庁舎へ見物に訪れた淑女がたは、ヤルカンドの若き太守が薔薇色の都ダマスカスの王女へ贈ったと伝えられる、世に二つとない求婚の品々もかくのごとくであったでしょうと羨望の溜息をついたのだとか。
「まあ、あくまでも噂だがな」
ことさらに噂だという点を強調しておいて、琥珀の騎士は幼馴染をちらりと見つめました。
「そもそも聖女が嫁いだり、母になってはならぬという決まりはこの国にはないしな」
「……」
「幸いにも市長は平民の出自。貴族の末端に、かろうじてぶらさがっているような騎士なぞよりはるかに制約は少なかろう。ダウフト殿さえ是とうなずけば、とんとん拍子にはなしが」
「下らん」
幼馴染の言葉を突っぱねるかのように言い放った黒髪の騎士に、そのくらい危機感を持てということだと琥珀の騎士はやり返しました。
「相手は、俺たちの予測をはるか斜め向こうに超えた変態だぞ。下手をすれば、哀れダウフト殿は涙ながらにどこぞの某のもとへ」
「させるか」
間髪入れず放たれた黒髪の騎士の声音と表情に、おやこれはと期待した琥珀の騎士が次のことばを待とうとしたときでした。
「市長が逃げたぞーッ」
「ああっ、おやつを取りに行っていたほんの一瞬に」
「探せ、探して連れ戻せ。多少たんこぶができたところで構わんッ」
砦じゅうに警戒体勢発令を依頼しろ、取り逃がしたとあっては我々がクロエ殿におしおきをされるぞと、ランスの人々がくり広げる緊迫した騒ぎと慌ただしい足音に、
「かの市長はどこへ消えたと思う、ギルバート」
「ダウフトの所だ」
こういう時だけあの男の勘は冴え渡ると、黒髪の騎士はうんざりした顔で椅子から立ち上がりました。
「ほう、そういうおぬしは姫君の居場所が分かるのか」
たいした自信じゃないかと揶揄した琥珀の騎士に、当然だと黒髪の騎士は答えました。
「的場にいろと言ったのは俺だからな」
「的場? ダウフト殿に弓矢でも習得させるつもりか」
乗馬と<ヒルデブランド>をのぞけば、聖女さまが武芸の才にてんで恵まれておらぬことは周知の事実でした。それをなぜ今さらと問いかけようとした琥珀の騎士へ、
「<かぼちゃの接吻>強化中」
あやつに使えるものといえばそれだけだろうと答えると、黒髪の騎士はそのまま詰所を歩み去っていきました。
「<かぼちゃの接吻>か」
そう呟きながらも一歩、二歩、三歩と指折り数え――十歩めあたりで、角を曲がったらしい幼馴染の足音が駆け足へと転じたことを、琥珀の騎士はしっかりと耳に捉えておりました。
「強情は、我らが母エイリイの血かな」
「髪あかき乙女に弱いのは、父祖コルマクの血でしょうか」
呟いた騎士の耳に、やわらかな笑い声が届きました。
「<南瓜の
優雅な仕草で貴婦人への礼をとった若い騎士に、ここでその呼び方はなりませぬと物陰から姿を現したのは奥方さまでした。
「さすがはジェフレ卿ですこと。あのエクセター卿が、やきもち焼きのこどものような顔を見せるなんて」
「とりあえず適当に焚きつけてみましたが、さてどう出ることか」
「騎士たる者、この程度の試練には耐えねばなりませんからね」
ところで、熟れすぎた林檎とは何の合言葉なのですかと問うてきた奥方さまに、人には誰しも触れられたくない古傷がと琥珀の騎士はかわしました。
「あやつみずからの失言が招いた、じつに間抜けなてんまつです」
そういらえを返した琥珀の騎士に、ではあえて問いますまいと奥方さまはそれ以上の追及をとどめました。
「ですが贈り物の一件は、わたくしも初耳ですよ。殿やナイジェル殿が知ったらなんと仰せになるかしら」
「いえ。わたしは何も『ダウフト殿への求婚の品』とは申し上げておりません」
あくまでも、今回の訪問に対する市長の意気ごみの強さと、ランスのご婦人がたの間でまことしやかに流れている噂について語ったのみですと、琥珀の騎士はしれっと答えました。
「噂が真実とは限らぬというわけですか」
謀りましたのねとかるく睨んできた奥方さまに、あやつがどう勘違いしたのかは<母>のみぞ知るですがと、琥珀の騎士は楽しそうに一礼しました。
「いっそのこと、思い切ってながれに身を任せてしまえばよいのです。ランスのベルナールは、そうした面ではまさに逸材です。対抗馬としてはいまひとつですが」
「ジェフレ卿のおめがねにかなう対抗馬を、ぜひ見てみたいものだこと」
「しじゅう目にしておられますよ、奥方」
「一撃必殺」
「オードに名だかき<かぼちゃの接吻>ですね」
あら何てすがすがしい音だことと感心する奥方さまに、守り姫がかのわざに熟達するのはよいのですがと、琥珀の騎士ははじめて複雑そうな顔を見せました。
「どこぞのかぼちゃ頭には、ある意味諸刃の剣です」
「我が殿ではありますまいに、エクセター卿ならば<かぼちゃの接吻>を食らうことはないと思いますけれど」
「騎士団長がそのような過ちをなさったのですか。奥方」
初耳ですがと問うた若い騎士の追及を、ひとには誰しもまばゆき五月のごとき日々がありますのよと、奥方さまは優雅に笑ってごまかしました。
「さ、的場に参りましょう。ジェフレ卿」
ことのてんまつを確かめたくてしかたのない奥方さまに促され、これから砦の守り姫とかぼちゃ頭を見舞うであろう騒ぎをそっと予感しつつ、琥珀の騎士は目的の場所へと案内するべく貴婦人の手を取るのでした。
ところが、的場にたどり着いた琥珀の騎士と奥方さまを待っていたものは、あまりにもあんまりな光景でした。
「ギルバート、お願いですから返事をして」
施療室へ運べ、馬用の軟膏をと奔走する人々の真ん中で、草地へ大の字に倒れ目を回している若い騎士へ娘さんが泣きながら取りすがっておりました。傍らには手のひらほどの橙色のかぼちゃが転がっています。
「ああ、おばさま」
娘さんを懸命になぐさめていたランスの補佐官は、唖然とする奥方さまの姿に安堵の表情を見せました。
「何ごとですか、クロエ」
「ダウフト殿とわたくしとで、かぼちゃ談義に花を咲かせておりましたの」
そこへ背後から、草を踏みしめつつゆっくりと近づいてくる者の気配がしたのです。
きた、と身をこわばらせた娘さんへ、今こそ鍛錬の成果を示すときですとランスの補佐官はそっと耳打ちしました。
「あの濃青の服。間違いありません、ベルナールです」
「くくくくくクロエさん」
「落ち着いて。十分に近づいた頃合いをみて、振り向きざまに一撃を」
そう励まされて、娘さんは意を決しました。気がついていないふりをして、ランスの麗人とおしゃべりに夢中になっているふうを装って、件の人物が自分のもとへとやってくるのを待ちました。
いち、にい、さん。
「ダウフ――」
なんだか聞き覚えのある声でしたが、娘さんには迫り来た恐怖のほうが勝りました。
悲鳴とともに放った一撃と、ええっきゃあだめ待ってという補佐官の制止と、間抜けな音とともに感じた確かな手ごたえはほぼ同じでした。
「やりました。わたしできました、クロエさん」
渾身の一撃ですと、喜びに顔を輝かせた娘さんがあたりを見てみれば――遅かった、と愕然と呟くランスの麗人と、へぼ詩人の魔手から乙女を守りまいらせんと参じたというのに、顎に痛烈な一撃を食らって昏倒してゆく哀れな騎士の姿があったのです。
「まさかエクセター卿が、きょうは濃青の服をお召しだったなんて思いもしませんでしたわ。すっかりベルナールだとばかり」
「それで、本来の標的はどこに」
問いかけた琥珀の騎士に、銀髪の補佐官は離れたところに転がっている市長を示しました。白目を剥きやわらかな春の青空を見上げている男の側にも、かわいらしいかぼちゃが三つ転がっています。
「先ほど聞こえた三連撃はあれですか、アルキュシアのクロエ殿」
「ええ、ダウフト殿へ背後からにじり寄ろうとしていたところをわたくしが」
恥ずかしそうに語る麗人の後ろでは、ようやく担架を担いだ人々が到着したようでした。あの、おふたりをどうしましょうかと兵士に問われ、琥珀の騎士はそれぞれの私室へ放りこめと命じました。
「ダウフト殿、ギルバートを頼みます」
「でもリシャールさま、わたし」
緑の瞳をたちまち新たな涙で彩った娘さんに、こやつにはいい薬ですよと琥珀の騎士は肩をすくめました。
「<かぼちゃの接吻>で、朴念仁ぶりをかち割られるくらいがちょうどいい」
そう諭されて、おばあちゃんが教えてくれた湿布薬を作りますと涙をぬぐって立ち上がった娘さんは、黒髪の騎士が乗せられた担架にそのまま付きそってゆきました。
「クロエは、いかがいたしますか」
「ダウフト殿につきそいますわ、おばさま。こうなった責任はわたくしにありますもの」
「あら、ベルナール殿はよろしいの」
「気つけ薬と縄を準備するよう、部下に伝言をいたします。目が覚め次第、さぼった分の職務を今日じゅうに終わらせていただかなくては」
真剣な面持ちで語る補佐官の後ろから、わらわらと駆けつけてくるランスの人々を眺めやり、
「……ことが済み次第、ランスの面々には早急にお引き取り願うほうがいいかもしれんな」
熟れすぎた林檎どころか、かぼちゃの接吻で昇天しかねんと呟いた琥珀の騎士の横で、橙色の山から小さなかぼちゃがころりと転がり落ちるのでした。
さて、その晩。
オード特製の湿布薬を顎に貼りつけ、黙って腕を組み椅子に座す黒髪の騎士の前で、かぼちゃのパンにかぼちゃのパイ、かぼちゃとチーズのあつあつ料理にと呟きながら、娘さんが山ほどのかぼちゃをくりぬく姿が詰所の騎士たちへと披露されることになりました。
「かぼちゃのスープ」
「はい、ギルバート」
「かぼちゃのプディング、大盛り」
「作ります、作りますからだから市長さんの詩の朗読だけは」
自らがしでかした不始末の責任を、聖女さまが涙のかぼちゃ料理一式をもって償わされているそのころ。
ランスの人々が滞在するある一室からは、ええい働けい、働かんかーという部下たちの鬼気迫る声や鞭の音に混じって、血も凍るような男の悲鳴が響いていたとかいなかったとか。
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