第15話・聖女と騎士と竜にまつわるてんまつ・11


 群がる闇を凪いだのは、ひとすじの輝きだった。


「エフィル、下がって」

 みどりの幼子をかばうように、魔物たちとの間にダウフトが立ちはだかった。その手で輝きを放つ<ヒルデブランド>、異界から渡りし不可思議の力に仔竜が目を見張る。

 うらみとにくしみとかなしみに蝕まれながら、異形たちは<ヒルデブランド>に引きつけられる。灯火に身を焼かれる羽虫と同じ運命をたどると知りながら、唯一の輝きを憎み、恋焦がれる。

「わたしが魔物を引きつけている間に、向こうへ」

 のんびりとした面影を消し去り、澄んだ双眸に光を照り映えさせながら告げたダウフトに、いやだと訴えるかのように声をあげると、仔竜はあたりを取り囲む魔物たちへと向き直った。


 自分のほうが、おかあさんよりもずっと丈夫なのに。

 鮮やかな翡翠の鱗は、魔物の爪なんてものともしないのに。きれいに並んだ牙は、しなやかな尻尾は、闇を駆ける魔狼さえ一撃で仕留めてみせるほどの力を秘めているのに。

 身の裡をかけめぐる力を思うがままに解き放てば、いまここにいる魔物たちすべてを砦もろとも焼き払うことだってできるのに――


「だめ」

 仔竜のおもいを読んだかのように、村娘がかぶりを振った。

「荒れ狂うままに力をふるってはだめ。ギルバートがお話をしてくれたでしょう」

 分かちがたき半身を暗君に差し出すことを拒んだがために、冷たい水晶の床を朱に染めた哀しき竜使いを。風が弔歌をうたい、おとなう者とて絶えて久しき廃都で、今なお己が罪に縛められている<嘆きの白竜>を。

「力はいつか、ふるった者にも返ってくるものだから」

 わずかなゆらぎを呟きに押し込めて、<ヒルデブランド>を手にダウフトが魔物たちに向かって踏み出そうとしたときだ。

 村娘の服がくわえられ、力いっぱい引き戻される。手から<ヒルデブランド>が離れ、床に落ちてからりと音を立てて転がった。均衡を崩して倒れかけたダウフトを、仔竜が大きな身体でかばったのと同時に、最初の魔物が爪を振り下ろしてきた。

「エフィル」

 かたい鱗に当たって跳ね返されたとはいえ、思わず身をよじった仔竜にダウフトが声を上げる。仔竜を引っ掻こうとした魔物を懸命に追い払い、他に比べてまだ鱗が柔らかい喉元を守るようにしがみついた。横あいから襲いかかってきた小鬼の体当たりを受けてよろめき、赤みがかった栗色の髪を乱暴に掴まれて思わず声をあげたが、それでも乙女はみどりの幼子から離れようとしない。


 おかあさんをいじめるなッ。


 長い尻尾をしならせて、ダウフトに飛びかかろうとした魔物を打ち据えたものの。数を頼みにした魔物たちに群がられ、首や尻尾に噛みつかれ、いまだ蒼穹の風を知らぬ弱い翼を掴まれた仔竜がたまらず悲鳴をあげるさまを、きじ虎の仔猫を掴んだ小鬼が残酷な嗤いを浮かべて見つめている。

「<ヒルデブランド>」

 聖剣を呼ばわったダウフトを、仔竜が遮るように巨体で覆い隠した。もろくはかない「母」を、この世のものならざる力から守ろうとするかのように。


 あれはだめ。おかあさんをつかまえたまま、放さないあの剣だけは。

 だから、おとうさんは――


 疾風のごとく飛び込んできた影が、刃を一閃させた。

 今まさに、エフィルの翼を爪で引き裂こうとしていた魔物が悲鳴を上げて地に落ちたのもつかの間、尽きぬ飢えを満たそうとした同胞たちにたちまち肉を食いちぎられ、血を啜られ骨を囓られてゆく。凄惨な光景に<母>の名を呟きながらも、仔竜の無事を確かめようとしたダウフトの目が大きく見開かれる。

「どうして、おぬしたちがここにいる」

 後でリシャールともども問い詰めてやると口にしながら、自らの業物を手に魔物たちを見すえている黒髪の騎士をとらえていたからだ。

「ギルバート」

 安堵のあまり、思わず名を呼んだダウフトへ不機嫌そうに振り返ったものの。潤んだ瞳にぼさぼさの髪、埃だらけの服というめざましい娘の姿に気がついたようだ。

「怪我は」

 問いかけたギルバートを真正面から見舞ったのは、巨大な衝撃だった。おとうさーんと、あふれんばかりの喜びを全身で表わした仔竜の抱擁もとい体当たりを食らったからだ。

「ちょっとひっかかれましたけれど、こんなのいつものことです」

「……そうか」

 自分にのしかかり、めいいっぱいに甘えてくるエフィルの頭を撫でてやりながら、ギルバートはかろうじてことばを振り絞る。身体のあちこちがみしりと軋むのを感じ、やっぱりお父さん子ねと笑う村娘と、明るく応じる仔竜の能天気ぶりに呪わしさすら覚えはじめたときだ。

「よかったな、恋女房とかわいい我が子の危機に間に合って」

 ふたりと一頭に、何とも緊張感のない声がかけられる。場に踏み込むなり、圧倒的な膂力を戦斧にこめて魔物の脳天に叩きこんだ髭面の巨漢と、ハルバードを繰り出し数匹をなぎ払ったお調子者とが、にやにやと笑いながらこちらを見ているではないか。

「誰が女房だ」

 何とかエフィルを脇にどかせ、剣を杖代わりによろよろと立ち上がったギルバートに、そう照れるなってとサイモンは手を振る。

「安ぴか剣に救いを求める、乙女の切なる叫びが聞こえたとたんに臍を曲げていただろうが。なぜに俺を呼ばぬのかと」

 からからと笑ってみせたお調子者に、放られたままの<ヒルデブランド>が低いうなりを上げた。どうやら、人間ふぜいに安ぴか扱いされたことが気に入らなかったらしいのだが、

「やかましい、このなまくら」

 聖剣の抗議を、冷ややかに一蹴したのはギルバートだった。安ぴかの上になまくら呼ばわりされた<ヒルデブランド>が、いたく衝撃を受けているさまを感じ取りながら、ダウフトが騎士へどうしたのかと問おうとしたとき、

「単に頭に来てるんだろ、エクセター卿は」

 エフィルに飛びかかる機会を窺っていた魔物を、足蹴にして追い払ったレオが肩をすくめてみせた。

「魔物には虚仮にされるし、ダウフトとでかぶつのことを聞かされる。おまけに<ヒルデブランド>ときたら、ろくな守りも務めることができないわで」

「エフィルです」

 しっかりと訂正しながらも、ダウフトの瞳がギルバートの姿をとらえる。やっぱりあれがいけなかったのかしらと、唇に残る額の感触を思い出してかすかに頬を染める。

 そんな村娘と騎士とを見比べて、わがまま侯子が面白くなさそうな顔をしたとたん、こちらの様子を窺っていた異形どもがざわめき始める。

「来るぞ」

 剣を構えたレオに、猛々しきことよと笑ったのはウルリックだった。

「偉大なるアルトリウスは、獅子のこころを宿していたというが」

 さしずめ、おぬしのごときであられたのかなと揶揄した<熊>どのに、王の裔たる少年はふんと鼻を鳴らす。

「ティグルを連れたやつは、僕がもらうぞ」

「手柄も狙う気か、坊主」

 意気込みだけは一丁前かと評したサイモンに、生け捕りにするようエクセター卿から言われているんだと反論する。

「鳥籠に押し込めて吊るした上に、ランスの市長が書いた詩をじっくり読み聞かせてやるって」

 うんざりしたように語る少年から、<狼>の名を戴く騎士たちが恐怖に顔を引きつらせて後ずさる。

 忍耐、そして家内安全。

 エクセター家に受け継がれてきた、なんとも地味な務めとは、耐えがたきを耐え忍びがたきを忍ぶ一方で、守るべきものを踏みにじらんとする輩は完膚なきまでに叩きのめせという鉄の掟であったのか。

「そ、そういうことなら任せた坊主」

 失敗しても、詩を聞かされるのはおぬし一人で十分だとのたまったサイモンに、それが大人の言うことかとレオが眉をつり上げる。

「じゃれておる場合か」

 ふたりに警告を発すると同時に、ウルリックが戦斧を振り払った。胴をなぎ払われた同胞の悲鳴を皮切りに、魔物たちが牙を剥いて押し寄せてくるさまに<熊>の哄笑が響きわたる。

「さあ、リキテンスタインのウルリックを屠って名を上げる者は誰ぞッ」

 凄味のある笑みを浮かべた髭面の巨漢に、抜け駆けするなと抗議したレオが、飛びかかってきた小鬼を剣の柄で殴り飛ばす。その際、黒髪の騎士を睨んだのは、討ち取った魔物の数で負けた悔しさばかりではないようだったが、

「あいつッ」

 悔しげな少年の声に、それぞれに魔物と対峙していた騎士たちが振り返る。思わぬ返り討ちに遭い、徐々に数を減らしてゆく同胞をよそに、小さなティグルを掴んだ小鬼が逃げ去ろうとしているではないか。

「おいおい、御大将が真っ先に逃亡か」

「イグザムに骸を晒した、エーグモルトの守備隊とどちらがましかな」

 同胞を見棄てた点では、ひとも魔物もさしたる変わりがないという現実を、サイモンとウルリックが軽口まじりに皮肉ったときだ。

「エフィル」

 ダウフトの静止を振り切って、異形たちの間を駆けぬけていったのは翡翠の影。今度こそ逃がすもんかという決意を瞳にこめて、みどりの幼子が逃げる小鬼を猛然と追い始める。

「待て、でかぶつ」

 僕の獲物だぞと主張しかけたわがまま侯子に、エフィルだと低い声音で訂正が入る。

「あのはねっ返りが」

 いったい誰に似たと呟きながら、仔竜を追って走り出したギルバートに、待ってくださいと声を上げたダウフトが続く。更に後を追いかけようとしたレオの襟首をすかさずウルリックが掴み、軽々と引き戻す。

「敵前逃亡は厳罰であるぞ、小僧」

「小僧じゃないッ」

 手足をばたつかせてわめくレオに、俺たちのお仕事はこっちなとサイモンはまだ残っている魔物たちを指さした。

「この際、目標を下方修正だ。師匠が討った魔物の数を越えておけって」

 笑う西の騎士に、誰が師匠だあんな奴と憤然とする少年の声を聞きながら。種族を越えた親子の追跡劇は、果たしてうまくゆくのであろうかとわずかばかりの不安を覚えるウルリックだった。



               ◆ ◆ ◆



「にぎやかなことじゃ」

 回廊にたたずみ、周囲で繰り広げられている人と魔物との拳と拳による熱い語らいを興がるように眺めていたガスパール老に、のっぽの学僧がおそるおそる声をかける。

「こんな所にいらしては、師匠」

 言ったそばから、数人の兵士たちがこちらに向かって慌てふためきながら走ってくる。

「ウォリック卿より退避命令ッ」

「リキテンスタイン卿のあれが始まったぞ」

 疾風怒濤、または大いなる迷惑と砦の男たちに評されるのがウルリックの戦いぶりだ。巻き添えを食らってなるものかとばかりに、自分たちの横を駆け抜けていった兵士たちを見送ると、バスカヴィルのウィリアムは今にも泣き出しそうな目をガスパール老に向ける。

「し、師匠」

「うろたえるな。『植物大全』があるではないか」

 もとは騎士であったため、多少のことでは動じぬ長老に、それはそうですがとウィリアムは恥ずかしそうに口ごもる。騒ぎに乗じて貴重な写本を汚そうとした魔物を、三千頁の一撃で沈めたばかりだったからだ。

「ダウフト殿とエクセター卿は、大丈夫でしょうか」

 仔猫を掴んで逃げる魔物を捕えんと、みどりの幼子があたりの物を蹴散らさんばかりの勢いで駆けていく姿を見たのは先ほどのこと。驚いたのもつかの間、毅然とした表情で回廊をゆく黒髪の騎士を、足なんて長ければいいってものじゃないんですからと悔しそうに追いかけていた村娘に妙な脱力感を覚えたものだ。

「時が至ったかの」

 どこか寂寞とした呟きに、若い学僧は思わずガスパール老の顔を見る。

「師匠」

「火と水と風、そして大地。四大元素エレメントの申し子たる竜が、我ら人の子と関わりを持つは稀なること」

 遠い遠い創世のとき、世界を見舞った災厄<ムートスペル>ののち、この世の些事に関わることを厭った竜たちは、はるか東の果てへと去っていった。建国王の妃ルーシエとの誓約により、アスタナの守護聖獣として東方に残った青竜と、廃都フェルガナに身を縛めながら、やがて訪れる赦しの日を待ち続ける白竜を除いては。

「オードの娘っ子が、森で仔竜と出会ったのは偶然であったのか、必然であったのか」

 名すら持たなんだ子に名を与え、慈しみ、時には叱り、そしてまた慈しみ。大河のごとき竜の刻から見たならば、あまりにも短いものであったとしても。

「エフィルにも、為すべきことがあるのですか」

 問うた弟子にさてなと笑って応じながら、老いた学僧は回廊のかなたを見やった。

「我らがおしなべて塵へと還り、この砦がいつしか朽ち果て人に忘れ去られた後に答えが出るやもしれぬな」

 そう、ここではないのだ。

 翼を広げ、翡翠の身を蒼穹と太陽にゆだね、風と雲と星たちがうたう歓喜の歌に耳を傾けながら。

 仔竜は去ってゆく。みずからの往くべき道を知り、そして往くために。

「なんだか、さみしくなりますね」

 友人たちの消沈ぶりを思い描いたウィリアムが心配そうに呟くと、これも親たる者の務めじゃよとガスパール老は笑う。

「娘っ子は言わずとも察しておるようじゃが、問題はエクセターの若造だの」

 なぜですかと問いかけたウィリアムの耳に飛び込んできたのは、信じがたいことばだった。

「あえて雌とは言わなんだのに、しつこい雄竜のあしらい方なぞ教えていたらしいからの」

 父親の勘かと人の悪い笑顔をみせた師匠に、開いた口がふさがらない弟子。

「女の子……だったんですか。あれでも」

 石壁をパンのように易々と穿ち、鋼をもとろかす紅蓮の炎を吐き、親と思いこんだ若い騎士を巨体の下に押しつぶし。

 ずいぶんとごついお嬢さんですがと呟いたウィリアムに、背に並ぶ棘と角が若干小さめであったことが決め手じゃとガスパール老はうなずく。

「イドリスとヴィダスも、その点だけは互いに一致したんじゃが」

 仔竜の出自をめぐり、議論が白熱するあまりにつかみ合いになりかけたふたりの友が、年甲斐もないとぼやいた弟子たちに担がれ、それぞれの私室に放り込まれたさまを思い出したのか、ふうと老人は溜息をつく。

「でしたら、知らせてさしあげればよろしかったのに」

「いや、はじめはそうしようと思ったんじゃが」

「素直に忘れていたと認めてはいかがです、師匠」

「何を言う。黙っていたほうが面白いと思うただけじゃ」

 若い者で遊ぶのは年寄りの特権だからのと、呵々大笑かかたいしょうする己が師を暗い面持ちで見やりながら。

 エクセター卿にばれたら、遊ぶどころか今度こそ本気で南の城壁塔から逆さ吊りにされますよ師匠と呟くしかないウィリアムだった。

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