第15話・聖女と騎士と竜にまつわるてんまつ・9


 不機嫌がひとのかたちを取ったら、エクセター卿そのものだな。


 侵入した魔物たちの掃討が行われている回廊で、みずから屠った獲物を数えながら、レオはやや離れたところにいる黒髪の騎士を見やる。

 <帰らずの森>で魔物に八つ当たりをしていたかの男を、まるで柊の茂みに突っ込んだ狼だとヴァルターが評していたものだけれど。

 今は柊どころか、蜂に追い回されたあげくに池に転げ落ち、ほうほうのていで這い上がってきたずぶ濡れの狼とでも表わすべきだろう。周りで後始末に奔走する兵士たちが、どう声をかけたものかとおそるおそる様子をうかがっている。

「もしかして、ダウフトさまと何かあったんじゃ」

 口を滑らせたどこかのうっかり者が、極北の烈風にも似た視線に射抜かれ震え上がるさまに、図星なんだなとレオは呆れかえる。

「存分に暴れてくるがよいぞ、小僧」

 男子たるもの、やんちゃなくらいがちょうどよいからのと豪快に笑っていた騎士団長の隣で、聞き慣れぬエクセターの古語でぶつくさ呟きながら、ざわつく心を懸命に鎮めようとしていた男の何とも情けないさまときたら!

「早まらないほうがいいぞ、ダウフト」

 不機嫌な狼に聞こえぬよう、喧騒にまぎれてこっそり呟いたわがまま侯子だったが。彼のいないところで起きていた、ちょっとした騒ぎを知ったならば、そんな余裕なぞどこかに吹き飛んでいたに違いない。


「七匹討ち取ったぞ」

 振り返ったギルバートへ、どうだと胸を張ってみせたのだが、

「十二」

 あっさりと返され背を向けられて、僕のよりも小さい奴ばかりじゃないかとレオは悔しまぎれに言い返す。

 雑魚の数なぞ誇ったところで何になると皮肉られたことを察したからだが、右頬を何かがかすめたと感じる間もなく、騎士の投じた短剣に喉を貫かれた魔物が少年の足元に転がった。

「十三」

「……ッ」

 やっぱり、毛布ごと簀巻きにして施療室に蹴りこんでおくんだった。

 そうしなかった自分を心で罵りつつ、レオは先をゆこうとする男へ問いを投げる。

「どこに行ったか、あてはあるのか」

 もがく仔猫を握りしめ、どうすることもできぬ人間たちを嘲笑っていた小鬼。とねりこの侯子を愚弄するとはいい度胸だと改めて腹立たしさがこみ上げてきたとき、ふいにギルバートが歩みを止めた。

「小鬼の行動は、大概決まっているそうだ」

 婦人部屋に使用人たちの居室、厨房に書庫そして厩舎――守りにあたる兵士たちを除けば、女子供や老人ばかりが身を寄せ合う区域だ。なぜか施療室が含まれていないのは、かの部屋から放たれる名状しがたき何かに、魔物が警戒心を抱いたからだろう。

「要するに、弱いものにしかちょっかいを出せない腰抜けか」

「だからこそ、エフィルの存在が許せなかったのだろう」

「でかぶつを?」思わず目を丸くしたレオへ、

「エフィルだ」

 律儀に訂正する騎士に、威厳がないとかぼやいていたくせにと少年はこぼす。どうやら砦いちの堅物も、婦人に手綱を握られる<狼>たちの伝統と悲哀からは逃れられぬ宿命にあるらしい。

「あいつと小鬼と、何の関係があるんだ」

 日だまりと昼寝と羊飼いのパイが大好きな能天気と、日陰に身をひそめる異形と。何の接点もないだろうにと返しかけたレオに、ギルバートがことばを継いだ。

「奴にとって居心地のいい縄張りに、突然現れたのがあやつだからな」

 ひょいと振られた尻尾にはたき落とされ、金髪娘に窓から放り出されたことがけちのつきはじめ。

 仕返しをしようと乗り込んだ中庭では、寝返りをうった仔竜に押し潰されたうえ足で踏みつけられた。婦人部屋に忍び込めば、針仕事そっちのけでおしゃべりに興じる娘たちの傍らで、仔竜が大きな身体を丸めてくつろいでいる。腹立ちまぎれに厩舎でいたずらをしてやろうと企めば、あるじにそっくりと評判の黒鹿毛に容赦なく蹴り出される始末だ。

「どう考えても、逆恨みじゃないか」

 ばかばかしいと肩をすくめたレオに、問題は奴がそう思ってはいないことだとギルバートはつけ加える。

「己の不始末を棚に上げて、誰かを責めなければ気がすまんらしい」

 とはいえ、聖獣と小鬼では実力の差は歴然としている。まともにぶつかっていったのでは、生命がいくつあっても足りやしない。

 ねじれた<おもい>をくすぶらせつつ、たまたま忍び込んだ部屋にいたのは、忌々しいことこの上ないみどりの幼子。どこにいっていたのかしらと、子供たちを見守っていたふたりの娘が、笑いながら見つめた先にいたものこそ――

「ティグルか」

 問うたレオに、おそらくなとギルバートはいらえを返す。

「小鬼には格好の標的だ」

 自分よりも弱いからこそ、好きなようにいたぶることができる。仔猫をかわいがっている人間たちにも、思い知らせてやることができる。

 冷たい雨を憮然と見すえ、泥を落としてこいと告げたギルバートに、じゃあご飯もあげますねと弾むように告げたダウフトの顔を悲しく曇らせて。

 おすわりをする白銀の狼姫へ仔猫を見せながら、セレスもなかよくするのよと言い聞かせていたアネットへ悪夢を思い起こさせて。

 獅子レオは虎がお気に召したようだねと、異国のけものにはしゃぐ幼子を抱き上げ目を細めた父と、獅子さまはお菓子の食べ方も勇ましいことと笑いながら、頬についた木いちごのジャムをやさしくぬぐってくれた母の思い出を踏みにじって。


「捕まえたら、主塔のてっぺんから逆さ吊りにしてやる」

 かたく手を握りしめた少年に、返ってきたのはそうかという短いいらえ。再び自分を置いて歩み出した騎士を、こら待てとレオは憤然と追いかける。

「悔しくないのか、エクセター卿は」

 あれだけ虚仮こけにされたのにと、どこかの金髪娘よろしく鼻息を荒くした少年には応じぬまま、ギルバートは主塔に通じる扉の脇に立っていた兵士のもとへ近づいた。

 あの俺、何かへまをと不安そうな顔をみせた兵士に、短剣をとだけ命ずる。おっかなびっくり渡された得物を手に、身じろぎ一つせぬままあたりの様子を伺っていたギルバートが、ふいに何もいない所をめがけて刃を閃かせた。

 耳障りな声が、あたりに響きわたる。

 それと同時に、分厚い木の扉に短剣で縫いとめられる末路を僅差で交わした小鬼が転げるように姿を現わした。恐怖におののく顔の先、枯枝のような手に掴まれた小さな毛玉が、にゃあとかぼそい鳴き声を上げたことに思わずレオは目を剥く。

「ティグルっ?」

「外したか」

 さらりと呟いた男に、そんなことを言っている場合かと返しかけ――砦の鬼にさえ平然と口答えをする怖いもの知らずの足が、一歩だけ後ずさっていた。


 かつて、聖女とは名ばかりの田舎娘めがけて鞠を投げつけようとした自分の手首を掴んだ男。

 漆黒の双眸に宿すひかりは、あの時よりもはるかに烈しく、はるかに凍えきってはいまいか――


「待てッ」

 一瞬の隙をつき、仔猫を握りしめたまま逃げ出した小鬼にレオが声を上げた。

 それには構わず、黒髪の騎士は冷ややかなまでの正確さで、魔物がゆこうとする方向へ次々と刃を放ってゆく。そのつど悲鳴を上げながら、それでも小鬼が何とか短剣をかわしているのは、なけなしの幸運というより他にない。

「往生際の悪い」

 眼前の光景に身を震わせ、うちに帰りたいようと涙を流す兵士をよそに、厨房へと逃げこんだ異形をギルバートは睨みすえる。小鬼も小鬼で、さっさと仔猫を放せばよさそうなものだが、そこに思い至らぬあたりがやはり雑魚なのだろう。

「一撃の慈悲より、耐えがたきを耐えるほうを選んだようだな」

 低く呟かれたことばに、どうやら騎士なりに魔物へのおしおきを考えていたらしいと知る。何をする気かと問うたレオに返ってきたのは、なんとも拍子抜けするようなこたえだった。

「籠に押しこんで、書庫の窓辺に三日間吊しておく」

「そんなもので、あいつがしでかしたことに見合うもんか」

 甘いと言い切ったレオだったが、すぐさま自らの発言を撤回することになった。

「ちょうどランスのへぼ詩人が、新作を送りつけてきたところだ」

 あれは詩というより禁忌の召喚呪文ではと、自らが治める都市の人々にすら怖れられる、若き市長の迷惑な趣味を口にしたギルバートに、またもやレオは後ずさる。

「逆さまになった世界を眺めるのもいいが、殺伐とした日常を忘れて、心洗われる響きを堪能するのも悪くはなかろう」

 そううそぶく騎士が、なぜダウフトから時々「いじわるギルバート」と呼ばれるのか分かったような気がした。

 もし、自分が魔物ならば。

 一面に薔薇が咲き乱れ蝶や小鳥が舞い踊る情熱の詩を、仏頂面の男がたいそう冷めきった調子で読み上げる新手の拷問にさらされるくらいなら、仔猫を置いて地の果てまでも逃げ去ることを選ぼうというものだ。


「……本当に、よく考えたほうがいいぞダウフト」

 今ならまだ後悔はしないからと、心からの呟きを口にして。

 この騒ぎが落ち着いたら、アンリやギュスターヴ――とねりこ館を守る若い騎士たちの誰かを砦に遣わしてもらうか、いくさの後で村娘が住めるような家を探すよう、お祖父さまにお願いするぞと決めた若君だった。



              ◆ ◆ ◆



「始まったな」

 窓の向こうから轟いてきた小鬼の悲鳴に、毛布にくるまって眠るアネットをあやしていた琥珀の騎士が満足げな笑みをみせた。

「リシャールさま」

 問いかけたダウフトに、案ずることはありませんよとにこやかに応じる。

「かぼちゃ頭が、果たすべき務めを果たしているだけのことですから」

「小鬼を追い回すことがですの?」

 驚くレネに、なにぶん頑固者の血筋ゆえにと片目をつむってみせる。

「我らの母たるエイリイも、偉大なるアルトリウスの他には剣を捧げることを肯んじなかったといいますから」

 そんな戦乙女たちが、やがて腕に抱き乳を含ませた子供たちもこれまた頑固者。最後の王がこうずるとともに、アーケヴの統治を高らかに宣言した大公家を、たやすく認めようとはしなかったほどだ。

「ギルバートの実家もそのひとつでしてね。周りの騒ぎをよそに、アスタナのご婦人を花嫁に迎え入れたのがはじまりで」

 銀の鳥籠から、果てない青空を夢見る鳥のようであった東方の舞姫は、彼女に焦がれた異国の騎士によって、欠けた片翼を得て春風舞う月の宵に消えた。堅物男の黒髪は、そんなふたりの裔だという証に他ならなかったのだけれど。

「息子を救おうと、魔物と半日渡りあったあげくに相討ちとなったのが七代前。一人娘をさらおうとした大公家の代官に、とても口では言えぬおしおきをしたのが曾祖父殿」

 リシャールが次々と挙げる、エクセター家の父たちや母たちにまつわるはなしを聞いていたダウフトとレネの表情が、しだいに唖然としたものに変わってゆく。

「意趣返しに村へ乗り込み、子供たちを人質に取った代官とその手勢を馬から引きずり落とし、頭から毛布を被って泣き出すほど恥ずかしい目に遭わせたのが当の一人娘、つまりあやつの祖母殿で」

「まあ、なんて男気にあふれたお祖母さま」

 感心したように目を輝かせるレネに対して、

「……なんだか、わかるような気がします」

 呆れたように首を振ったダウフトの新緑の瞳が、部屋の入り口を占領しているエフィルへと向けられた。

 片づけに訪れた従者たちが、扉を開けたとたん視界いっぱいに広がる巨体にたまげていることなぞおかまいなしに、みどりの幼子は早くおとうさんが帰ってこないかなと真剣に表を見つめている。放っておいたら、そのまま後を追いかけていきかねない。

「なぜそう思われたのです、ダウフト殿」

 彼方から響いてくる魔物の悲鳴をよそに、問いかけたリシャールと興味深げなまなざしを向けてくるレネへ、内緒ですよと何度も念を押し、

「だって、ギルバートもご先祖さまに負けていませんから」

 重大な秘密でも打ち明けるかのようなダウフトの表情に、琥珀と鳶色の双眸をそれぞれ見開いて。たまらず吹き出したリシャールとレネの傍らで、アネットがうるさそうに身じろぎした。

「ああ、すまんな」

 ふわふわとした金髪を撫でてやりながら、それでも笑いのやまぬ琥珀の騎士に、ほんとうですとダウフトは言いつのる。

「エフィルの名前を考えるときには、書庫にこもって色々な本を広げていましたし」

 伝承の聖獣にふさわしくと三日かけて挙げた候補は、ダウフトが仔竜を見たままに呼ばわった名ゆえに、ついに日の目をみることはなかったのだけれど。

「お昼寝のときには必ず目の届くところにいて、ちょっかいを出そうとする魔物や、鱗を抜き取ろうとするひとたちを睨みつけていました」

 何なら鱗の一枚だけ、いやちょっと傷つけて血の一滴でもしぼらせていただければ金貨一袋と交換を。

 中庭で遊ぶ仔竜を見て、万病に効く霊薬すなわち大もうけという薔薇色の未来を思い描いたのか。ギルバートにそんな話をもちかけたある商人が、積み荷よろしく驢馬にくくりつけられながらものんびり帰路につくことができたのは、砦を囲む堀へ男を真っ逆さまに放り込みかねない形相になった騎士を、村娘が懸命になだめたからだ。

「ダウフトさまったら、それはもう必死でしたものね」

 その時のことを思い出したらしく、おかしげに笑ったレネにうなずいて、この間なんてとダウフトは拳を握りしめる。

「もしおぬしが女の子で、たちの悪い雄竜に絡まれた時にはためらわずに火を吹けだなんて」

 誰が許さずとも俺が許すと言いきった騎士に、赤ちゃんに何てことを教えるんですかと思わず眉をつり上げたのだとか。

「エフィルが女の子だったら、あやうくおはね娘になるところでした」

 とんでもないおとうさんだわと頬をふくらませたダウフトへ、

「これもみな、予習と思っていただければ」

 笑いを収めようと必死に努力しながら、リシャールは応じる。

「ギルバートに女の子が生まれたら、きっと大変です。男の子と手をつないだだけで、剣を取れ小僧とか言い出しそうで」

 わたしの父さんみたいと溜息をついたダウフトの表情に、男親の悲哀はどこでも同じかと琥珀の騎士はまた笑い出す。

「そのあたりは、あやつの手綱を握る方にかかっていますよ。ダウフト殿」

「ギルバートの奥さんは、きっと苦労をしますね」

 微妙に合っているようで、どこかずれたふたりの会話を笑い半分呆れ半分で聞いていたレネが、何気なく仔竜のいるほうを見たとたんにあんぐりと口を開ける。

「え、エフィルが」

 調子っぱずれな金髪娘の声に、ダウフトとリシャールが振り返り――これまたそろってぎょっとする。

 人ひとりが通ることのできる戸口を、みしりと左右に押し広げながら。何かに興味を引かれたらしい仔竜が、大きな身体を部屋から外に出してゆくところだった。

「エフィル」

 引きとめようと声を上げたダウフトに、大丈夫だよおかあさんとばかりに一声鳴いてみせると、みどりの幼子は巨体に似つかわしからぬ素早さで、目の前を走り去ってゆこうとする何かを追いかけはじめた。

「待って」

 戸口に駆け寄り、引きとめようと声を上げたダウフトの瞳が大きく見開かれる。

 その辺りにあるものを蹴散らしながら、猛然と突き進んでゆく仔竜の鼻先を必死の形相で逃げまどっている小鬼。

 あちこちが節くれだった、枯枝のような手に掴まれているものは――


「ティグル?」

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