第15話・聖女と騎士と竜にまつわるてんまつ・8


「小鬼か」

 ひどく荒らされた部屋を見渡し、片づけに奔走する従者たちへいくつか指示を与えると、騎士団長はからくも難を逃れたものたちへと向き直った。

「みな、難儀であったな」

 安心させるかのようなことばに、椅子に腰かけたダウフトが表情をやわらげた。

 その膝では、守り姫の胸に頭をあずけたアネットが小さな手で服をしっかりと掴んでいる。怪我をしていないか確かめようと、従者たちがダウフトから離そうとしたところひどく怯えたためだ。ふたりのそばにはエフィルが大きな身体を寄せ、案ずるように小さな友達を見やっている。

「ほかの場所は、大丈夫だったんですか」

 幼子の金髪を撫でてやりながら問うたダウフトに、うむと<狼>たちの長は表情を引き締める。

「おおむね討ち取ったり、生け捕りにしたとの報告が来ておる。被害らしきものといえば、肉や魚を取られてノリスが怒り狂っておったことと、我がいとしきアンガラドが尻尾を少々むしられたことであろう」

 不憫な奴よと嘆息する老騎士の姿は、魔物の襲撃にこわばっていた人々のこころをわずかになごませたのだが。

 それが他に比べて、ここほど狙われた所はなかったのだという事実を巧みに覆い隠し、皆に不安を与えないようにするための術だとギルバートとリシャールは気づく。

「しかし、よく持ちこたえたものだ」

 忌々しい人間どもを脅かせてやろうと、砦へ侵入したまではよかったが。

 容赦のない返り討ちに遭い、人々につまみ上げられ麻袋へ詰めこまれてゆく魔物たちを見る騎士団長へ、子供たちに温かい飲み物を供していたレネが明るい声を上げた。

「エフィルのおかげですわ」

「エフィルの?」

 聞き返す老騎士に、レネは大きくうなずいてみせた。

「わたくし怖くて、部屋の隅で子供たちと震えていたのですけれど。この子が椅子を投げたり、尻尾を振り回したりともう大活躍で」

「嘘つけ――」

 言いかけたレオの顔が激痛に歪む。さりげなく側へ寄ってきた金髪娘に、靴のかかとで左足を思いきり踏みつけられたからだ。

「ダウフトさまだって、ご存じですわよね」

 振り向いたレネの瞳に浮かんだせいいっぱいの懇願と、なかなかのやんちゃぶりだなと仔竜に感心しているリシャールとを見比べて、さしもの聖女もかくかくとうなずくしかない。かよわき乙女ともあろう者、まさか意中の殿方の前で魔物を殴り倒しましたなどと堂々と誇ることができようか。

 おねえさん違うよと、仔竜が不満そうな顔を見せたのだが。涙目でもがくわがまま侯子の姿に、真実を口にすることは時として大きな代償を支払う必要があると察したらしい。みゃ、と怖れるような声をあげてダウフトに頭をすり寄せる。

「もちろん、ギルバートさまは信じてくださいますわよね?」

「……レネ殿がそう仰るならば、そうなのだろう」

 三人と一頭の様子から、おおよその真相を見抜いたらしかったが。どこぞの考えなしと同じ轍は踏むまいと、あえて言及を避けたギルバートが話を切り替えるべく口を開いた。

「対策はどのように、団長」

 小物ばかりとはいえ、頻繁な魔物の出現は時として大きな襲撃の先触れとなることがある。現にダウフトたちを襲った小鬼がもとで、砦のあちこちをものものしい雰囲気が支配しつつあるのだ。

「今頃は、老いぼれ狼が若造どもの尻を蹴飛ばしている頃だろうて」

 老いぼれ狼ということばに全幅の信頼をこめつつ、いつでも出撃できる準備を整えていることを騎士団長はほのめかす。

「だがエクセターよ、おぬしには療養を命じておいたはずだが」

「この状況で寝ていろと?」

 やや苛立ちを含んだいらえに、幼子をあやしていたダウフトが面を上げた。

「エフィルにちょっかいを出した時、小物と軽んじて捨て置いたのが間違いのもとだったのです」

 あのとき、確実に仕留めていればこんなことには。声にならぬおもいが横切る騎士の顔を痛ましげに見つめて、

「レオがついていたからこそ、まだ」

 大事に至らなかったものをと言いかけたギルバートが、手にした剣をかたく握りしめたとき、

「大丈夫です」

 思わぬ出来事がもたらした動揺を悟られまいと、ダウフトはつとめて明るい声を保とうとする。

「だれも怪我はありませんでしたし、それに」

「おぬしの大丈夫はあてにならん」

 振り返ったギルバートの表情に、村娘は目を見張る。

「ティグルはどうした」

 思いがけない名前を聞いたとたん、禍々しい手に掴まれ懸命に救いを求めていたきじ虎の仔猫がダウフトの脳裏に浮かぶ。

「ティグルは」

「魔物にもかまわず、取り返しに行こうとしていたのは誰だ」

 窓から身を乗り出しかけていたダウフトを、部屋に飛びこむなりその場から引き離して。何をするんですかともがく娘をよそに、けたたましい叫びを上げて窓から押し入ってきた魔物を、剣の鞘で打ち据えたのは他ならぬ騎士だったのだけれど。

「だってギルバート、最初は呆れていたのに」

 以前、傷ついた足を見せまいとした自分に向けられたものと同じまなざしに、ダウフトはようやくことばを紡ぐ。

 泥だらけの仔猫を抱えた自分に、もといた場所へ戻してこいと突き放しかけたところで冷たい雨に気がついて。

「ぜんぜん、気にもしていなかったのに」

 広げた本の上にころりと寝転がる、小さな身体を憮然とつまみ上げたものの。結局、何度床に降ろしても膝によじ登ってくる仔猫に根負けし、好きなように遊ばせていて。

「連れて行かれちゃったのに」

 いちど魔物に奪われたものが、無事に戻ってきたためしはない。自分を虚仮にした者たちへの意趣返しと嗤っていた小鬼に、仔猫がどんな目に遭わされるかなど言葉にせずとも明らかで――


 じわりと視界をにじませたダウフトの前を、ふいに鮮やかな翡翠の彩りが遮った。

「エフィル」

 村娘と騎士との間に大きな身体を割り込ませ、みどりの幼子は何かを訴えかけるように声を上げた。不思議な彩りをたたえたまなざしが、たいそう悲しげであることに気がついて、ふたりが互いに困惑した顔を向けあったときだ。

「泣く子に諭されおったか」

 部屋じゅうの者たちがぽかんと見つめていることにもかまわず、豪快な笑い声を響かせたのは<狼>たちの長だった。

「団長」

「たわけ」

 笑っている場合ではと抗議しかけたギルバートを遮って、老いた騎士はすっぱりと言い放つ。

「二親が言い合っておれば、いとけなき子が不安を覚えるのも当たり前であろう。エクセターよ」

 騎士団長の言葉に、若い騎士は知らず知らずのうちに自らが取っていた態度に気がついたらしい。

「己に腹を立てるのも、ほどほどにするがよい」

 いたらぬ息子を見守る父親のように、老騎士はうなだれるギルバートの肩を叩く。

「我らが為しうることなど微々たるもの。このかいなは、多くを受け止めるようにはできておらぬのだ」

 とはいえ、おぬしを苛立たせたのは儂の責任もあろうなと騎士団長は呟く。

「悔やむよりも、何を為すべきかだ。おぬしの父御と母御は、頭と違えて南瓜をつけたわけではあるまい」

 そう言って口の端を持ち上げてみせた老騎士に、さすがと呟いたのはリシャールだ。くせもの揃いの<狼>たちを率いるからには、相応の器量を求められるものであるらしい。

「しかし」

「おぬしには療養を命じたはずだ、エクセター」

 それ以上は聞かぬぞとばかりに、騎士団長はギルバートを見すえる。

「そもそも、施療室でうなっているはずの男がのこのこと歩きまわるはずもなかろう。想い人のもとに通おうと、猫を連れた魔物を追い回そうと」

 それは何かの見間違いであろうからなと、とぼけた表情で言ってのけた騎士団長をしばし見つめていたギルバートが、御意と呟いて頭を下げた。

「くれぐれも、ナイジェルに見つかるでないぞ」

 あやつにばれたら、儂が城壁塔から逆さ吊りにされかねんからなと騎士団長は声をひそめる。さしもの暴れん坊も、奥方と並ぶ砦の要にはおいそれと逆らうことができぬらしい。

「で、これからどう動く?」

 琥珀の双眸で居並ぶ面々を眺めわたし、リシャールが問いを発する。

「幼子らを守る乙女がふたり、不肖ながら護りをつとめる男がひとり、そして姫君を涙させたつぐないに出るかぼちゃ頭がひとつ」

「僕がいないぞ」

 不満げに主張するレオを、あえて入れなかっただけだとリシャールは受け流す。

「おぬしのことだ。ギルバートについて行くとごねるか、ダウフト殿のもとに留まるかのどちらかだろうと」

 からかうようないらえに、決まっているだろうとばかりに鼻を鳴らしてみせると、レオは剣を手に取り大股で部屋の外へと歩み出て行く。

「決まりだな」

 にこやかに告げた幼馴染へ、いらぬことをと苦い顔をしたのはギルバートだった。わがまま侯子が首を突っ込んだ物事が、穏便に収まったためしなどひとつもないからだ。

「そう睨むな。坊やとて、小鬼の横っ面を張り飛ばしたい正当な理由があるだろうに」

「理由?」

 怪訝そうに問うた黒髪の騎士に、リシャールはうなずいてみせた。

「まずはアネット」

 妹のようにかわいがっている、未来の戦乙女と。

「それから仔猫」

 亡き二親との思い出をしのぶ、虎の名を冠したちいさな生命と。

「三つ目は」

 仏頂面でたたずむギルバートに向けた双の琥珀を、おかしげに閃かせて、

「おぬしと同じだ」

「知るか」

 下らぬことをとばかりに、黒髪の騎士は友に背を向け外へ出て行こうとしたのだが――何を思ったか、たいそうばつの悪い表情でダウフトへと歩み寄った。

「ギルバート?」

 騎士に気づいたダウフトが、まなじりをぬぐっていた右手を慌てて背に隠す。

「あの、どうし――」

「すまん」

 唐突に発せられたことばに、涙の跡をかすかにとどめた新緑の瞳が丸くなった。

「きつく言うつもりはなかった」

 漆黒の双眸をまっすぐにダウフトへ向け、謝罪のことばを紡ごうとしている騎士ときたら、<狼>というよりは叱られてしょげ返っている大きな犬のようだ。

 せめて気の利いた一言をと考えているらしかったが、慣れぬことなどとっさにできようはずもない。そんな彼の姿を見つめていた村娘の顔を、いつの間にかやさしい笑みが彩っていることにさえ気づかぬままだ。

「その、つまり」

「あら、アネット」

 ギルバートの言葉をとどめるかのように、ダウフトが声を上げた。何事かと案じた騎士が、幼子の様子を見ようと身をかがめたときだ。


 ふいに伸びてきた手が前髪をかきあげる。額に触れたやわらかなぬくみが乙女の唇だと気づくまで、いったいどのくらいの間があったことやら。

「眠っちゃったんですね」

 唖然呆然の騎士から身を離し、寝息をたてはじめたアネットを抱えなおしたダウフトが輝くような笑みを見せた。策とも呼べぬような、単純きわまりないひっかけに騙されたと悟ったところで、しょせんは後の祭り。

「この」

 ひとが見ている前でと、うっすらと頬を染めている小娘に思いつく限りの言葉を並べ立てようとしたものの。背後から近づいた騎士団長にがっしりと腕を掴まれて、ギルバートはそのまま戸口へと引きずられていく。

「団長ッ」

「よいではないか、乙女の赦しを得たのだから」

 ランスの市長が見たらさぞ悔しがるだろうてと、騎士団長は泰然と応じる。

「そんなことより、あのはねっ返りにもう少し淑女の慎みというものを」

「エクセターよ。おぬしはそのうち、細君に出立の口づけをされるたびに卒倒するつもりか」

 儂なら小躍りするがのとぼやきながら、<狼>たちの長はそらさっさと務めを果たしに行かんかと、若い騎士を伴って外へ出てゆく。

「坊やがいたら、さぞ見ものだったろうに」

 覚えていろダウフトと、遠ざかってゆく悔しげな声を耳にしながら、いや惜しいなと心からの感想を述べた琥珀の騎士へ、

「狼と子犬では勝負にならないと思いますわ、リシャールさま」

 わがまま侯子が耳にしたら暴れ出しかねない、辛辣な一言をさらりとつけ足すと、レネはエフィルへと向き直った。

「よかったわね、父さまと母さまが仲直りして」

 金髪娘のことばに、幼い竜はみゃあと嬉しそうに応じる。目の前で起きたできごとを、曇りなきまなざしでたいへん素直にとらえていたからだ。

「ギルバートは、大丈夫でしょうか」

 かえって驚かせてしまったかしらと、ちょっぴり後悔の色をにじませたダウフトへ、気にすることなどありませんよとリシャールがひらひらと手を振ってみせた。

「しばらく、あのままにしておきましょう」

 本来ならば、南瓜の集いでのっぽの学僧が宣言したとおり、ダウフトを涙させた時点で即『植物大全』で張り飛ばされたかもしれないのだ。三千頁に及ぶ先人の叡智が頭にめり込むよりも、額への口づけひとつで済んだのだからはるかにましというものだろう。

「深呼吸でもして落ち着けば、エクセター家の男が果たすべき務めを思い出すでしょうから」

「務め?」

 きょとんとするダウフトに、リシャールはおぬしも覚えておくといいぞと仔竜の頭に手を置き片目をつむってみせる。

「まずは忍耐」

「分かるような気がしますわ」

 ぼそりと即答したのはレネだった。偶然にしろ必然にしろ、<髪あかきダウフト>の護り手たる騎士を見舞った、災難ともいうべき騒動の数々を思い浮かべたらしい。

「さて次は」

 こちらのほうが肝心かなと笑う琥珀の騎士に、どんなものですかとダウフトが興味津々で問いかける。

「大切なことですよ。いくさ場での手柄や、大公じきじきに賜る恩賞などよりもはるかに」

 いったい何かしらと、互いに首を傾げあう娘たちと仔竜の姿に、リシャールはやわらかな笑みを口の端にのぼらせる。魔物ごときに、守るべきものたちの心を踏みにじるような行為を許してしまったからこそ、あのかぼちゃ頭は施療室でのうのうと過ごしていた自分を赦すことができなかったのだから。

「教えてくださいませ、リシャールさま」

「大公さまが下さるごほうびより大事なものって、何ですか」

 降参とばかりに問いかけてくるダウフトとレネに、世の婦人たちを陶然とさせる笑みを返して。大きな目で自分を見上げ、おにいさん教えてと訴えてくるエフィルの頭を撫でながら、琥珀の騎士は楽しげに口を開いた。


「家内安全」

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