第15話・聖女と騎士と竜にまつわるてんまつ・3


「うーむ」

 詰所の窓から中庭を眺めやり、それぞれに複雑な表情を並べているのは東の砦の<狼>たちだ。

「じつに奇っ怪というか、何というか」

「魔物の大群よりも信じがたい光景だな」

 騎士たちの先で、うららかな日差しを浴びてまどろんでいるのは、春の名を冠する竜の仔だ。ふわふわと飛んできた黄色い蝶が、鼻の頭にそっととまった時にわずかに身じろぎしたものの、すぐさま平和そうな寝息が取って代わる。

「どうして、ちびが中庭にいるんだ?」

 あいつの家は、南の城壁塔じゃなかったのかと疑問を発した騎士のひとりに、種々の事情だとリシャールが応じる。

「すぐに空へ帰すからと、塔の上に急いで小屋を建てたのはよかったんだが」

 ここで寝るんだぞと諭したギルバートに、一度はよい子にうなずいてみせたたものの。神に近きものとしてあまねく存在を知らしめる一族の子は、皆が思う以上にまだ幼かったようだ。

 歩哨にあたる兵士たちや当直の騎士たちを除いて、ほとんどの者が寝静まった夜のこと。

 小屋からひょっこりと顔を出し、己が身に近しいはずの満天の星々を見つめ風の歌を聴いているうちに、どうにもさみしさがつのったか。

「人恋しさのあまりに、よりによって押しかけたのが婦人部屋だ」

 突然の来訪者に驚き、大いに慌てたダウフトやレネたちだったが――おれ竜といっしょに寝る、ずるいあたしもとはしゃいだ子供たちが、それぞれ毛布や枕を抱えて仔竜の周りに陣取ったものだから、無下に追い返すわけにもいかなくなってしまった。

 子供たちが押しつぶされやしないかと、おそるおそる様子をうかがっていたところ。ふだんから部屋に入り込んでは花瓶や人形を壊したり、菓子や果物を盗んでゆくたちの悪い魔物が、仔竜が軽く振った尻尾の一撃にみごとにはたき落とされるさまを見て、少し大きくなるまでここで寝かせてあげましょうかと意見がまとまったというわけだ。

 これに関しては、はじめから甘やかすのはと黒髪の騎士から異論が出たものの、

「まあ。ではエクセター卿が、乙女たちの心やすらぐ宵を守ってくださるというのですね」

「それをおっしゃるならば、ただひとりの乙女でございましょう。奥方さま」

 逆に年長のご婦人がたにからかわれ、慌てて退散するはめになった。

「かくてみどりの幼子は、昼は中庭で小鳥や子供たちと戯れ、夜はご婦人がたの愛に包まれながら眠りの園へというわけだ」

「な、なんてうらやましい」

 誰かが思わずこぼした本音に、大いにうなずく<狼>たち。どうしておぬしだけがそんなことを知っていると、多少やっかみを含んだ問いも飛んだのだが、どうしてかなと琥珀の騎士はさわやかに笑ってはぐらかす。

「中庭ならば書庫に修練場、それに婦人部屋も近い。まだ親恋しい時だと思えば仕方なかろう」

 リシャールの言葉を聞いて、何となく合点がいった騎士たちが、なるほどなとうなずきかけたときだ。

「……おい」

 声を低めた仲間のひとりに促され、それぞれのまなざしが中庭へと向けられた。

「小鬼だな」

 それも、淑女がたの心安らぐひとときを台無しにしてきた無粋者かとリシャールは呟く。

 尻尾の一撃を食らって失神したところを、じゃじゃ馬娘に無情にも窓から放り出され、すわ魔物だと兵士たちに槍で追い回されたためか。

 この恨みどうしてくれようかとばかりに、憎々しげに仔竜を睨みつける魔性の姿にまずいなと呟いて。それぞれ身に帯びた短剣を閃かせた男たちへ、まあ待てとのんびりした声が飛んだ。

「無粋なものなどしまっておけ」

 案ずるには及ばんさととどめる琥珀の騎士に、悠長に構えている場合かと口を開きかけた<狼>たちだったが。


「……エフィルとは、よく言ったもんだな」

「ああ」

 唖然呆然とは、まさにこのことか。

 どこから来たかも分からぬ新参者に、悪意もむき出しに近づいた小鬼。爪でひっかいてやろうか、噛みついてやろうか。身体の大きさに妙にそぐわぬあの貧弱な翼なぞ、痛めつけてやるにはうってつけではないか。

 そんなことを思い描いたのか、魔物がにたりと勝利の笑みを浮かべたまさにそのとき。何も知らず、夢の世界に遊んでいるエフィルがごろりと寝返りを打った。

 いかにも幼い、かわいらしい仕草だったのだけれど――何しろ雄牛のごとき体格を誇る竜の仔だ。

 視界いっぱいに覆い被さる、翡翠の鱗の鮮やかなさまに見とれる暇も与えられず。哀れな小鬼があっさりと押しつぶされるさまを目の当たりにして、騎士たちは思わず<母>への慈悲を請うしるしを切る。

「格が違う、格が」

「端から勝負にすらなっていないだろうが」

 一度は宙に逃れた黄色い蝶が、ふたたび鼻先へ止まったことにも気づかずに。暖炉の側でくつろぐ猫よろしく、腹を見せて寝こけるという聖獣にあるまじき姿を披露するエフィルに、男たちはそろって深い溜息をつく。

「お袋の昔話だと、竜ってのは空と人とをつなぐ御使いだったんだがな」

「俺は金銀財宝を隠した洞窟で、さらってきた別嬪さんを後生大事に抱えているとじいさんから」

 そのいずれもが、仔竜にはまるであてはまらないときたものだ。さらば幼き日のあこがれよと、中にはそっと目頭を押さえる者まで出る始末だ。

「どうしてうちの砦は、神々しさとか威厳とかそういうものに縁が」

「何しろ、守り姫からしてあれだからなあ」

 ではみなさん砦に帰りましょうと、細い身体を鎖かたびらと空色の陣羽織に包んだのんきな村娘がそれぞれの頭に浮かぶ。

「……似てないか?」

 こそりと放たれた誰かの呟きに、そういえばと騎士たちはうなずく。

「あの雰囲気というか、何というか」

「ちびの奴が、もとからのほほんとしていたにしてもな」

「まあ生まれた時に、なけなしの愛想をどこかに置いてきた朴念仁に似るよりは」

「そうか」

 背後から聞こえた低い声音に、ぎくりと身をこわばらせた。おそるおそる振り返った一同の目に映ったものは、相も変わらぬ仏頂面だ。

「ぎ、ギルバート」

「俺が忘れた愛想なら、妹たちが持っているが」

 漆黒の双眸に氷片を閃かせ、堅物騎士は仔竜の居場所を問うてくる。ええそのあちらですと、慌てた仲間が指し示した方向を眺めやり――たいそう苦い顔で、聞き慣れぬ北のことばを呟くことになったのだけれど。

「愚痴をこぼす間があったら、かわいい我が子を抱きしめてやったらどうだ」

 からかってくるリシャールを、誰が我が子だとじろりと睨む。

「様子を見てきてくれと、ダウフトにせがまれただけだ」

 ノリスさんと一緒に、エフィルにとっておきのおやつを用意するんですからと主張する村娘に背を押され、書庫から追い出されたのだという。なんと豪胆な、ダウフト殿もよくご無事であられたものよと、ギルバートの読書癖を知る男たちの間からどよめきが起こる。

「ダウフトめ、俺がいれば安心するなどと出まかせを」

 そんな必要もなさそうだろうにと言いながら、黒髪の騎士は中庭へ続く戸口から外に出て、石壁にもたれかかる。

「言動と行動が矛盾しているようだが、ギルバート」

 しっかり見守っているじゃないかと、幼馴染に痛いところを突かれて憮然としながらも、

「小屋の件では、かわいそうなことをした」

 呟いたギルバートに、思わず目を丸くして。

「なんだ、おぬしまだそのことを気にしていたのか」

 たまらず破顔すると、琥珀の騎士は友の肩をぽんと叩く。

 たしかにご婦人がたのように、エフィルの幼さやさみしさをすぐに見抜くことができなかったのは、ギルバートの失敗には違いない。

 けれども中庭で過ごすみどりの幼子が、時たま顔を上げては書庫に彼の姿を見とめると、たいそう安心した様子でまた遊びに戻ってゆくことを、はたしてこの朴念仁は知っているのやら。

「仕方なかろう、ふつうは竜の仔なぞ育てぬものだ」

 リシャールのことばに、そうだそうだと<狼>たちからも笑いが上がる。

「まあ、新米親父に多少の失敗はつきものくらいに思っておけ」

「思うように子は育たんというだろう」

「何なら、俺の体験談を聞かせてやろうか」

 仲間たちの心あたたまる励ましに、誰が親父だとこめかみに青筋を浮かべたギルバートの耳に、みゃあと嬉しそうな声が届く。

 見れば、ついさっきまで能天気に寝こけていたはずの仔竜が、仰向けになったままぱちりと目を開け、こちらを見つめて尻尾を振っているではないか。

「いちおう認めてもらえているようだぞ」

「よかったじゃないか、親父」

 うなずきあう<狼>たちに、あくまでもギルバートが抵抗を試みようとしたとき、仰向けのままでめいいっぱい伸びをしたエフィルが、よいしょと身を起こした。

 背筋を走ったいやな予感に<狼>たちが身構える間もなく、ひたすら甘えたい一心で、大きなちびすけは詰所に向かって突進をはじめた。

 うわよせこらやめろお春坊と、慌てふためく男たちの叫びも虚しく――


 ずしりと、重々しい音があたりに響きわたった。


 うららかな春の空に、ふわりと黄色い蝶が舞った。しばらく間をおいて、ぱらぱらと風に吹かれこぼれ落ちていったものは壁石のかけらだろう。

「エフィル、おぬしという奴は」

 翡翠の巨躯にのしかかられ、無邪気に甘えられているギルバートの、少しは加減というものを知れっという壮絶な叫びを聞きながら、

「親子のふれあいも、案外生命がけだな」

 石の壁に穿たれた鋭い爪痕と、先刻エフィルの下敷きになった魔物が、翡翠色の背から地べたにずり落ちたうえに、今また大きな足で踏みつけられてぴくぴくと痙攣するさまとを眺めやり。

 急いでダウフト殿をお呼びしろ、ガスパール師はどこだ、おい今何かぼきりと音がしたぞ、待て親父をつぶすなエフィルと上を下への大騒ぎをはじめる<狼>たちをよそに、

「まあ、ギルバートはよしとしてもだ」

 すてきなリシャールおじさんとしては、やさしき母ぎみやうるわしきご婦人がたへは、むやみやたらと突進しないように教えなくてはなと、琥珀の騎士はひとりうなずくのだった。



               ◆ ◆ ◆



 そよ風に、白い花びらが軽やかに舞う別の日のこと。


「どうしましょう」

 珊瑚の唇から、こぼれ落ちたのは困惑だった。

 誰もいない弓の的場の片隅で、やさしげな弧を描く眉を寄せるダウフトに応じるかのように、申し訳なさそうな声を上げたのは竜の仔だ。長い首をうなだれさせているさまに気づき、

「エフィルを怒っているわけじゃありません」

 微笑んで、村娘は仔竜の頭を引き寄せた。やさしく鼻面を撫でられて、大きなちびすけはどうやら安心したらしい。元気なく垂らしていた尻尾の先をぱたりぱたりと地面に打ちつけはじめる。

「どうしたんだ、ダウフト」

 背後からの声に振り返り、村娘は緑の瞳を丸くする。めずらしいことに本を脇に抱えたレオと、アネットとがたたずんでいるではないか。

「ふたりでお散歩ですか」

 たずねた娘に、ウィリアムさんの所に行ってきたんだよとアネットがにこにこと返事をする。

「レオ兄ちゃん、ご本を読むんだって」

「まあ、どんな?」

「ええとね、デュフレーヌのくらしかたとけっとうの」

 作法と答えかけたアネットの口をはたと塞ぎ、

「『地誌』と『エフライムの剣術書』っ」

 真っ赤になって訂正するレオに、ずいぶん趣の違う本を選ぶのねとダウフトは首を傾げる。黒髪の騎士に同じことをたずねると、異国の旅行記だとか、いにしえの伝承だと返されることが多かったものだから。

「またでかぶつか」

 大きなちびすけの姿を見とめ、面白くなさそうに唇をとがらせた少年に、だからでかぶつじゃありませんとダウフトは頬をふくらませる。

「ちゃんと、エフィルって呼んであげてください」

 じつに単純明快な理由でつけられた名前を、いとおしげに告げるダウフトの様子に、わがまま侯子はますます憮然とする。

「で、こいつがまた何をやったんだ?」

 絶対にエフィルなんて呼んでやるもんか、と言わんばかりにねめつけてくるレオに気圧されたか。おびえた仔竜はダウフトの後ろにすごすごと身を潜めたのだけれど――頭と尾が相当はみ出しているあたり、とうていうまく隠れたとは言いがたい。

「ええ、あの」

 どう答えたものかと当惑するダウフトだったが、

「兄ちゃん、あれ見て」

 すごいねえと感嘆の声を上げるアネットにつられ、的場の右手に位置する石壁に目をやり――わがまま侯子は、鋼玉の双眸を大きく見開いたまま立ちつくす。

「何だ、これ」

 灰白の石壁を黒く焦がす炎の軌跡をまじまじと眺めるレオに、エフィルですとダウフトが応じる。

「急に落ち着かなくなって、兵隊さんたちにお願いして外に出してもらったんです」

 おいどうしたちびすけと不思議がる人間たちをよそに、みどりの幼子はその巨体からは想像もできない素早さで城門をくぐり抜けていった。

 どこへ行くのと、懸命に後を追いかけてくるダウフトにも構わず、ひたすら誰もいない場所を目指して的場までやってくると、こらえていたものを解き放つかのように紅蓮の炎を吐き出したのだという。

「二日くらい前から、なんだか口や鼻をむずむずさせていて」

 風邪かしらと思って、長老さまがたに相談をしていたところだったんですとダウフトは答える。

「ちょうど、ギルバートのお見舞いもありましたし」

「見舞い?」

 怪訝そうに問うたレオに答えるかのように、みゃあと消え入るような声がした。見れば、仔竜がえらくうなだれているではないか。

「わたしが詰所まで来たときには、もうギルバートが目を回していて」

 そら施療室へ担いでいけ、馬用の軟膏を借りてこいと<狼>たちが大慌てで動き回る中、おろおろとするエフィルをなだめながら琥珀の騎士が待っていたのだという。

「リシャールさまは、ちょっとした事故だとおっしゃるんですけれど」

「……」

 そのちょっとした事故とやらは、でかぶつにのしかかられたことが原因じゃないのか。

 状況からすぐに察したものの、さすがにしょげ返る仔竜へきつい言葉を投げつけるのは酷な気がしてくる。何だかんだと驚かれたり騒がれたりしながらも、結局は大事に育てられているエフィルのささやかなふしあわせは、大好きなおとうさんとおかあさんが少々もろすぎたことだろう。

 エクセターのかぼちゃ頭も、いちおう人の子だったんだな。

 長老たちの研鑽の場、またの名を<帰らずの間>と称され怖れられる施療室から、いまだ這い出てくる気力もないらしい騎士を内心で容赦なくこき下ろしたレオだったが――誰かが同じことを口にしていたなどと知るよしもない。


「エクセター卿はともかく、どうするんだこれ」

 学僧から聞いたはなしでは、ちびすけはまだ生後一年ほどの赤ん坊だったはず。

 だというのに、砦とふもとの町を幾度となく魔物たちの襲撃から守り抜いてきた城壁にはしる炎の跡は、<森>のシルヴィアにまみえた時と同様に、<母>の初子たる聖獣が潜める強大な力の一端を、矮小なるひとの身にひしひしと伝えてくる。

 かつて東方に在りし<影なき都>フェルガナですら、その誇り高き背にただひとり坐すことを許した友の生命を、愚帝に踏みにじられ奪われた竜の憤怒と慟哭に一夜と持ちこたえることができなかったという。ましてやこの砦など、何をか言わんやだ。

「レオ兄ちゃん、何とかしてあげようよ」

 服の裾を引いてくるアネットに、なんで僕がでかぶつの面倒なんかと口を開きかけたのだが、

「お城を火事にしたら、エフィルが追い出されちゃうよ」

 せっかく、ギルバートさまとの約束を守ったのにと、仔竜の頭を撫でてやりながらアネットがすがるようなまなざしを向けてくる。

「やくそく?」

 聞き返したレオに、そうだよと金髪の幼子は大きくうなずいてみせた。

「あっちこっちに火を吹いちゃだめって」

「それでさっき、あんなに急いで外に出たがったのね」

 一生懸命がまんしたのねと微笑んで、ダウフトが仔竜を抱きしめた。嬉しそうに甘えるエフィルを見て、そんなの当たり前だろと口をへの字に曲げたものの――これじゃまるで、僕がでかぶつにやきもちを焼いてるみたいじゃないかと、わがまま侯子はどうにも釈然としない。

「でもエフィル、火を吹こうとするたびにお外に出るの大変だよね」

 アネットの指摘に、そういえばと村娘と若君は考えこむ。いつ起きるか分からぬ敵襲を想定して、みだりに城門を開け放つことはまかりならぬと、騎士団長や長老たちの名において通達がなされているからだ。

「いっそのこと、城壁塔の上に連れて行ったらどうだ?」

 炎なら夜間の照明にもなるし、ちゃちな魔物も焼き払えて一石二鳥じゃないかというレオの提案は、ダウフトによって即刻却下された。

「どうして。こいつは竜だし」

 魔物除けにいいじゃないかという少年の言葉は、真摯な緑のまなざしにかき消えた。

「赤ちゃんが夜更かしなんて、とんでもありません」

 きっぱりと断言するダウフトに、じゃじゃ馬娘と同じたくましさを感じるのは気のせいだろうか。

 そういえば仔竜の名前といい育て方といい、あのエクセターのかぼちゃ頭も何となく言い負かされていたような気がする。そうリシャールに話してみたところ、不可思議なる魔紐グレイプニルにかなわんのは<狼>のさがでなと、いつものごとくさらりとかわされてしまったのだけれど。

「じゃあ厨房なんかどうだ? あそこならしょっちゅう火を使っているぞ」

 我ながら妙案だとうなずくレオに、ダウフトがあっちを見てくださいと指し示した。

「……なんだ、あれ」

 地面に転がっている、真っ黒な塊。よく見れば、どれもが野菜のかたちをしているではないか。

「わたしもそう思って、ノリスさんに立ち会ってもらったんですけれど」

 芋や玉ねぎ、人参にきゃべつにイワカボチャ。地面に並べられた野菜たちをあるがままの姿で炭化させた火力を目の当たりにして、砦の料理長は却下、と一言だけ告げたそうだ。

「野営地で魔物の丸焼きを作るならいいそうですけれど。芸術的な火加減が分かるまでには、たくさん修行がいるそうです」

 げいじゅつてき、ということばをたどたどしく告げたダウフトに、レオは頭を抱える。毎日の食事が炭化した料理ばかりでは、砦じゅうの大食らいどもが悲鳴を上げてひっくり返ることだろう。

「じゃあ、いったいどうしろと」

 うなるレオと、ええとねと考え込むアネット。どうしましょうと頬に手を当てたダウフトの視界に、ふと飛び込んできたものがあった。

「……<ヒルデブランド>」

 いかなる時も自らとともにある、<母>より賜りし聖なる剣を眺めやって。

「だ、ダウフト?」

「ありました、レオ」

 緑の瞳を輝かせ、両の手をぎゅうと握りしめてくるダウフトに、大きく跳ね上がった鼓動を沈めようとしながらわがまま侯子は聞き返す。おかあさんのはしゃぎようが気になったのか、みどりの幼子もみゃ? と首を傾げて続くことばを待っている。

「ダウフト姉ちゃん、いい所見つかったの」

 声を弾ませたアネットに、砦の守り姫はほころぶ花の微笑みとともにうなずいてみせた。

「エフィルがたくさん火を吹いても、怒られない場所が」



 紅蓮の炎から取り出されたのは、真っ赤に焼けた鉄の棒だった。素早くかなとこに置かれ、金槌で叩かれ伸ばされてゆく。炎と熱と鋼が支配する鍛冶場は、人々の胃袋を満たす厨房と同様に、砦で最も重要な位置を占める場所だ。

「どうですか、ラモンさん」

 問いかけたダウフトに、おうよと豪快に笑ったのは砦の鍛冶衆を率いる親方だ。

「ふいごと合わせるこつを覚えりゃ、まあいい感じになりますぜ。ちっとばかし難を言やあ、火力が続かねえことですか」

 思う存分に火を吹くことはできたものの、ぜえぜえと肩で息をしている仔竜のかたい鱗に覆われた背を、そら息切れしてる場合じゃねえぞお春坊と親方は大きな手でどしりと叩く。

「エクセター卿から、鎧を鍛え直すようにとお預かりしてるんだ。たまには父ちゃんに孝行してやれ」

 なんなら本格的に弟子入りするかとのたまう親方に、そりゃいいやと鍛冶師たちからも笑いが起こる。

「竜が鍛えた武器防具とくりゃ、お偉いさんがたが先を争って手に入れようとしますぜ親方」

「儲かったら、うまいもんをたらふく食わせてやるからな。どうだお春坊」

 牛の丸焼き十頭分なんてどうだ、そりゃ豪勢だなと陽気に笑い合う男たちの様子から、どうやら自分の炎が役に立っているようだと察したか。みぎゃと明るく応じると、エフィルは親方が手招きするほうへのしのしと進んでゆく。その姿を嬉しそうに見つめていたダウフトだったが、

「どうしたんですか、レオ」

 呆然と立ちつくす、わがまま侯子を不思議に思って問いかける。

「いや、その」

 冶金に長けた、地霊の一族ではあるまいに。聖獣たちの頂点にも君臨しようという竜が鍛冶屋の弟子というのは、何かが激しく間違っていないだろうか。そう言いたげなまなざしをダウフトに向けた少年だったが、

「よかったねえ、兄ちゃん」

 エフィルのおしごとも見つかったしと明るく笑いかけてくるアネットに、いやよかったのかあれでと言葉を濁すしかない。

「ギルバートが起きたら、さっそく知らせてあげませんと」

 うきうきと話し続ける村娘に、聞いたとたんに眉間に皺を寄せて悩みそうな気がするぞあのかぼちゃ頭はと、わがまま侯子は内心でごちるのだった。


 のち。

 次から次へと勧められた、得体の知れない薬湯だの物騒きわまりない治癒の呪文だのを振り切って。

 長老たちのおもちゃにされてなるものかと、剣を杖代わりに施療室から這い出てきた黒髪の騎士は、なんだ生きていたのかと笑った幼馴染と、ぴかぴかに磨き上げられた鎧を前にした村娘と仔竜の出迎えを受けることとなった。

 ちゃんと反省もしましたし、がんばったんですからほめてあげてくださいねとダウフトに釘を刺されて。

 エクセターの堅物男は、おとうさんおかえりなさいと眼を輝かせ、尻尾を勢いよく振っては、またもやあたりの物をはたき落としている仔竜に、さてどう声をかけたものかとしばし悩むのだった。

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