第15話・聖女と騎士と竜にまつわるてんまつ・4


 砦の中庭、春の彩りに囲まれた四阿で。

「ふたりとも、なかなかの奮闘ぶりですこと」

 新緑に鮮やかな黄の彩りを添えるえにしだを背に、満足そうに微笑んだのは奥方イズーだ。灰青のまなざしが見つめる先には、回廊をゆくギルバートと、その少し後をいっしょについてゆくダウフトと仔竜の姿がある。

「はじめはどうなることかと思いましたけれど。エフィルもすっかり砦になじんで」

 ようございましたと優雅に茶器を手に取る奥方に、はてそうであろうかと首を傾げたのは騎士団長ヴァンサンと副団長ナイジェル、<狼>たちの要たるふたりの老騎士だ。

 よくよく二人と一匹の様子を眺めてみれば、にこにことエフィルへ話しかけている村娘とは対照的に、若い騎士の表情はいささか疲労の色が強くなっている気がしなくもない。

「魔物どもを相手取る時とは、勝手が違うらしいな」

 子育てよりも、いくさの方がまだたやすきものと痛感しておることだろうてと笑った騎士団長へ、

「先日、エクセターが仔竜にのしかかられたと報告が」

 たいそう苦い面持ちで、言を継いだのは副団長だ。

「まあ、では施療室へ?」

 ものごとの探求に、多少の犠牲はつきものじゃと公言してはばからぬ三人の長老たち。そんな彼らにかかっては、いかに若く壮健な男子といえどもひとたまりもないだろう。奥方の不安を察して、案ずることはありますまいと副団長は応じてみせた。

「朴念仁とて、末代まで恥をさらす気にはなれなかった様子」

 竜に押しつぶされただの、得体の知れぬ薬に当たっただの。いまだかつて<狼>たちの中で、そのようなたわけた末路を迎えた者はない。

 長老がたを振り切って這い出てくるとは、しぶとい若造だなと評した老友を、まあそうこき下ろすなと騎士団長はなだめる。そもそも、宮廷から使者として遣わされた老司教の思惑どおり、エクセターのギルバートを<髪あかきダウフト>の側づきに命じたのは他ならぬ彼だったのだけれども。

 馥郁たる香りをただよわせる白薔薇へ興味を覚えたらしく、ぱくりと食らいつこうとしたエフィルを、口が棘だらけになるぞと引き戻している若い騎士を見て。どうやら叡智ソフィアより、人騒がせな災厄エリスの寵を得ておるようだなと老騎士は心底気の毒そうに呟く。

「とはいえ、エリスのぬくみに身を委ねるよりは嫁のあてを探すほうが先か」

 そういえばアロルドの奴からなと話題を振りかけて、騎士団長ははたと口をつぐむ。

「いかがなされました、殿」

 穏やかに問うてくる奥方と、無言でまなざしを眇めた老友に、いやその何であったかなと慌ててごまかして。

 朋友たるシロス伯から、エクセター卿にどうかと持ち込まれた縁談はなかったことにしようと騎士団長は即決する。いとしき妻の周りをやさしく取り巻いていた春の空気が、にわかに三月ほど前に逆戻りしたような気がしたからだ。

「ずいぶんとふたりに肩入れをしておるようだが、奥よ」

 溜息とともに、<狼>たちの長はふいに騒がしくなった回廊を見やる。

 いきなり薔薇の茂みに顔を突っ込んだエフィルが悲鳴を上げて後ずさり、たいへん鼻に棘がと懸命に手を伸ばそうとするダウフトの様子に、だから言っただろうとばかりに黒髪の騎士が近づくところだった。

「オードの娘は手ごわいぞ」

 傷は浅いほうがよいと思うがとぼやいた夫君を、お情けなきことをと奥方はかるく睨む。

「わたくしを抱えて、右往左往するキャリバーンの者たちを手玉にとった方のことばとはとうてい思えませぬこと」

 ずばりと指摘されて、いやあれはだなと老騎士は大いにうろたえる。

「そなたが懸命にしがみついておったゆえ、落としては大事と思ったのだ」

 何ゆえここで昔ばなしを持ち出すのだと、反論を試みたところで虚しいばかり。

「ええ。堀に飛び込むと聞いて驚いたわたくしに、『案ずるなイズー、決して離しはしない』と仰せになったのはどなたでしたかしら」

 もはやぐうの音も出ない騎士団長、頼むから援護をと傍らの副団長に視線を送ったのだが、

「俺や味方ばかりか敵どもの目前で、うるわしの姫と誓いの口づけまで交わしてな」

 いっそ若造どもへ披露に及ぶかと、のたまった老友を締めあげてやりたい気力すら削がれて、かつてアーケヴとキャリバーン両国の宮廷を騒がせた騎士は卓に突っ伏す。

 覚えておいででしたのとうっすら頬を染めた奥方に、なにユーグ侯の顔がそれは見ものでしたゆえと、長年風来坊と腐れ縁を続けてきた男は口の端を持ち上げてみせた。

「かような騒動のあげくに意中の姫を射とめた男が、何ゆえ今更傷は浅いほうがなどと小心なことをほざくのか」

 イズー殿には得心のゆかぬことであろうにと告げた副団長に、さすがはナイジェル殿であられることと貴婦人は婉然と微笑む。

「マルシュ伯の姫にメーヌ卿の妹御、ランスの評議会議員のご息女。名だたる家々が誇る、あでやかな花もよいのですけれど」

 奥方のことばに、なぜそなたが知っておるとぎょっとする騎士団長。おなごどうしのはなしは、殿方が思う以上に伝わるのが早いものでございますとさらりと返して、砦の母君はことばを続ける。

「北の狼が望むのは、やさしき花。薔薇や百合のかぐわしさにも代えがたい野の彩りにございましょう」

 そんな言葉に、騎士団長がふたたび回廊へと頭を向けてみれば。

 鼻先から棘を引き抜いてもらったエフィルが、何を思ったのか大きな顔をギルバートへ突き出した。

 よく見れば、その口にはアーケヴの春を彩る花がくわえられている。かつてモンマス伯の城で催された馬上試合で、名もなき騎士が砦の守り姫に求めたしるしだ。

 殿方にお渡しする、絹のスカーフも美しい着け袖もないなんてと、さる姫君は扇に隠した口元に嘲りの笑みを浮かべたというが――その後に起きた騒ぎは、今でも詩人たちの口を糊する糧となっている。

 咲き誇る薔薇のなかにそっと隠れていた一輪を、よくぞ見つけたものよと騎士団長は感心せずにはいられない。いたずらで薔薇を食べようとしたわけではなく、小さな花を摘むためだけに、エフィルはわざわざ棘の多い茂みへ顔を突っ込んだというわけだ。

 花を受け取り、怪訝そうな顔をする騎士へみぎゃと鳴いてみせると、みどりの幼子は迷うことなくダウフトの方へと頭を向けた。

 ぱたぱたと振られた尻尾と期待に満ちたまなざしに、仔竜の意図するところを察したらしいギルバートが何とも複雑な顔をするさまに、えい何をしておるかと思わず老騎士が呟いたときだ。


 口を真一文字に結んだまま、まるで果たし状でも渡さんばかりの勢いで村娘へ花を押しつけて。

 次いで仔竜へ近づき、おとうさん目が回るよと哀れな声を上げる幼子の頭をそれはそれは豪快に撫で回し。熟れすぎた果実のごとき顔など、決して見せてなるものかとばかりに黒髪の騎士は身を翻すと、足早に回廊を歩み去っていった。


「……意図と行動そのものは間違ってはおらんが」

「エイリイの子らが示す愛情とやらは、常にああなのか?」

 やはり前途多難ではと、力なく呟いた老騎士たちと同じことを思っているのだろうか。えもいわれぬ暁の輝きを両のまなざしと頬にたちのぼらせ、可憐な一輪を嬉しそうに見つめているダウフトの横で、おとうさんやっぱり何かが違うよと言いたげにエフィルが首を傾げている。

 竜にすら呆れられる不器用ぶり、もはやつける薬もなかろうにと嘆息する騎士団長と副団長の耳に、信じがたいことばが飛び込んできた。

「何てよい子かしら、エフィル。おばあちゃまは嬉しいわ」

 そっと目頭を押さえる奥方を、しばし呆然と見つめて、

「おばあちゃま?」

 呟いた夫君へ、そうですわと奥方はきっぱりとうなずいてみせる。

「砦の母というわたくしの二つ名で考えるならば、エクセター卿は砦の息子、ダウフト殿は砦の娘。ならば、そのふたりが育てているエフィルはわたくしの孫ということになりますもの」

「イズー殿」

 ずいぶんと固そうな孫君ですがという、副団長の突っ込みなどどこへやら。

「ということは奥よ、儂は」

「もちろん、おじいちゃまになりますわ。殿」

 嬉しそうに語る妻に感化され、おじいちゃまかと呟く騎士団長。

 その顔がまんざらでもなさそうにとろけてゆくさまに、にやけている場合かと少しばかり苦々しく思いながらも、副団長はそれを口にすることができない。

 さほど遠くないむかし、緑ゆたかなバルノーの舘を訪れたときのこと。

 小さな手で髯に覆われた頬をぺたぺたと叩き、ちちうえ、おうまさんとたどたどしい言葉を繰り返しては笑う子をいとおしげに見つめて。

 よし、近隣で一番の鍛冶屋に子供用の鎧兜をあつらえさせるぞ。いや仔馬を買ってやるほうが先かな、それとも樫の剣や人形か。剣術の指南は誰に頼もうか。

 ナイジェル、おぬしはどう思うと意気込んで話そうとする友を、まあ、この子はようやく歩きはじめたばかりですのにと笑いながらとどめていたうるわしい奥方。

 やがてはかなく消え去り、それきり戻ってくることのなかった喜びを、ふたりが今でもそっと偲んでいることを、長いあいだ同じ道を歩んできた者として知っていたからだ。


 たとえ仔竜がいつか翼を広げ、青のなかのまったき青に身をゆだね、風とともに去りゆくまでの、かりそめの間柄に過ぎぬとしても。

「エフィルの人参嫌いを克服するために、ダウフト殿とノリスがずいぶん苦心しているようだけれど。何かよいおやつはないものでしょうか」

「いや奥よ、まずは踏んでも壊れぬ頑丈なおもちゃが先であろうが。鍛冶衆に相談してみようぞ」

「まあ殿、甘やかすことばかりお考えになって」

 うきうきとした様子で話し続ける友と奥方を、厳しい言葉で戒めることなどとうていできようはずもなく。たまには悪くはなかろうと、副団長はひとり呟くのだった。


 そうしてこれは誰にも告げられることなく、老いたる灰色狼の胸の裡にそっとしまいこまれたことだったけれど。

 戦乙女エイリイの裔にふさわしく、たいそうなおはねぶりを発揮する我が子を抱え、いくさ場とも見まごう家の様相に呆然とするばかりの若い父親の姿が、脳裏にありありと浮かんだとか浮かばなかったとか。

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