第6話 ふ た り


 そんなに昔というわけではないけれど、それでも少しばかりむかしの話だ。


 アーケヴの大公閣下に仕えるバルノー伯には、娘御がひとりいた。

 春まだ浅い雪の中に凛と咲く水仙のような美しさと、打てば響くような聡明さは、国じゅうの貴公子たちや騎士たちの評判の的。

 白きイズー、うるわしのイズーと呼ばれた姫君を是が非でも我が妻にと、大勢の求婚者がきらびやかな行列と豪華な贈り物をたずさえて伯の城を訪れた。

 当代随一の騎士と名高きベルトラン卿、デュフレーヌの若殿ユーグ、隣国キャリバーンの王弟殿下――その人数ときたら、モンマス伯の末姫など足元にも及ばぬほどだったとか。

 ところが姫が選んだ相手ときたら、誰もが予想だにしなかった男。

 名はヴァンサン、これといった後ろ盾も持たぬ平騎士の息子。いくさ場では勇猛果敢な働きぶりで知られてはいたが、みやびな宮廷人にはどこか遠巻きに見られていたような若者だった。

 何もあのような者を選ばずともと、一人娘の選択に大いに戸惑った父御や母御の説得にすら、姫は静かに微笑むだけ。

「ヴァンサンさまとの結婚がかなわぬならば、わたくしは尼僧となって<おかあさま>に生涯お仕えする所存です」

 そこまで言い切られては、さすがの伯夫妻も反対を続けるわけにもゆかぬ。親として慈しんだ十数年の間、娘の決心を覆すことが堅固な砦を攻め落とすよりも困難であると重々承知していたからだ。

 姫君、婿殿候補、数多の恋敵。

 取り巻く者たちの思惑も絡んだひと騒動が持ち上がり、そして落ち着きをみせたころ、バルノー伯の城で華やかな婚礼がとり行なわれた。

 太陽さえ若いふたりの門出を祝福しているかのような青空の下、お嬢さまと婿殿に幸あれと歌い踊り浮かれ騒ぐ領地の人々に混じって、涙とともに祝杯を傾ける若殿がたの姿がちらほらと見うけられたそうな。


 さて、すったもんだの末に迎えられた婿殿ヴァンサン。

 舅姑の不安と、周囲のやっかみなど何するものぞ。愛しい妻のささやかな応援を糧に、じつにめざましい働きを見せるようになる。

 はじめは近隣一帯を荒らし回っていた山賊団を、つぎは領地を横取りしようと攻め入ってきたエノー伯の軍勢を。騎士見習いのころからの腐れ縁だという、半ばあきらめたような表情で轡を並べる副官ナイジェルと部下たちを引き連れて、アーケヴの東に西にと暴れ回った。

 その結果、バルノー伯に立った評判が婿を見る目がある御方だというはなし。

「あのようなご立派な婿殿を迎えられて、さぞや鼻が高いことでありましょう」

 所詮は平騎士の息子ではないかと、陰口をたたいていたことなどどこへやら。貴殿にあやかって、我が娘にもぜひ良縁をと親交のある貴族や騎士たちに頼まれて、伯はたいそう困り果てたということだ。

 婿を見る目があったのは、わたしではなくて娘の方なのだがなと心の奥でそっと呟きながら。



                 ◆ ◆ ◆



 月日は流れ、バルノー伯が奥方と並ぶように<母>の許へと還り、暴れん坊な婿殿と思慮深い姫君が、殿さま奥方さまと呼ばれるようになってずいぶん経った。

 騒々しくもあり、また穏やかでもある時が流れていく。瑞々しかった肌に歳月が刻まれ、髪に霜を戴くようになり、それでもふたりはふたりのまま。

 俺はいつおぬしと縁が切れるのだとぼやくナイジェルを、まあいいではないかと豪快に笑い飛ばすと、ヴァンサンはそれよりも妻の手料理を食べに来いと友を誘う。

「イズーの作る香草焼きの美味さは知っているだろう? おぬしが来ると聞いて、昨日から侍女たちが止めるのも聞かずに厨房に立っているぞ」

 そう聞かされて、ではイズー殿のご厚意にあずかることにするかと、なぜか独り身をつらぬく痩身の騎士は肩をすくめる。

 そんな日が、このまま続いていくかと思われた矢先だ。


 アーケヴの西に、黒い染みが落ちた。


 突如上がったいくさの狼煙に、くにじゅうが恐怖と混乱の坩堝に突き落とされた。

 西のウォリックではかたくなに抵抗を続けた町が住民もろとも業火に消え、北のエクセターでは当主とその長子が一族の男たちともども討ち死にした。南のデュフレーヌでは壮麗さで名高いとねりこ館が襲われ、そして東では――


 ようやく取り戻した町の高台に建つ館、兵士たちが罵声とともに引きずり出したのは、幼い子供を抱えた魔族の女。小突かれ殴られ、髪も衣装もすっかり乱れてはいたが、身につけた装飾品から彼らの一族ではそれなりに身分のある婦人と知れた。

 我らがアーケヴを踏みにじった輩への見せしめだ、子供もろとも切り刻み野犬に食らわせてしまえと殺気立つ男たちを制して、老いた騎士は捕虜の前に立った。

 彼の姿をみとめるや否や、おびえてすがりつく子供を示して、早口で訴える魔族の婦人の言葉は彼にはまるで分からない。

 それでも彼女が何が言いたいのかは察しがつく。涙をためた目が訴えている。

 この子だけは助けてくれと。


 魔族の婦人と子供を乗せた馬が彼方に走り去るのを見送って、よいのかと言いたげに自分を見たナイジェルに、つまらぬことは気にするなとヴァンサンは肩をすくめた。

 生まれ育った土地を焼き払われ、家族を奪われた者が兵士たちの中に数多くあることは知っていた。

 だがあの場で、婦人と子供――目先の対象に尽きぬ怒りと憎しみをぶつけることを許してしまえば、自分たちまでもが情け容赦のない敵どもと同じ底に墜ちてしまうような気がしたのだ。

 若いときから、己の力を頼みに道を切り開いてきた。小手先のきれいごとなど端から信じてもおらぬ老騎士だったが、なぜかその一点だけは決して譲ることができなかった。

 そんな彼の決断は、讒言となって大公のもとに届けられることになる。

 召喚に応じて宮廷に伺候したヴァンサンを待っていたのは、宮廷人たちの冷ややかな視線とこそこそと囁き交わされる声。

 敵方を利するとは何たる愚か者、これがアーケヴにその人ありと知られた男のすることかと、人々の非難が一斉に向けられたときでさえ、ヴァンサンは査問が行われた宮廷の一室、美しく磨きあげられた床の中央に堂々と立っていた。

 そんな中、人々の群れの中に見つけたものは常日頃から目をかけていた若い騎士。だが彼と目が合うやいなや、男は怯えたような表情とともに顔を背けた。

 その姿に老いた騎士は悟った。いずれ跡を継がせようと望んでいた若者こそが、宮廷に自分の行いを告げた張本人であることに。

 怒りはなかった。悲しみもわいてはこなかった。

 大公そのひとから、今までのけいの働きに免じて厳罰を下さぬかわりに、<アーケヴの狼>たちの長として出向くように告げられたときでさえ。

 ただ。

 部下であった男は最後まで、自分が裏切った老人のほうを決して見ようとはしなかった。



 さて、奥に何と告げたものかと思案にくれながら、領地への道を老いた騎士は急ぐ。

 向かう先は東の砦。つい先日、団長以下十数名の騎士たちが激戦のすえ討ち死にしたという、いわば最前線だ。

 <狼>たちを立て直し、日ごと激しさを増す魔族の攻勢から、何としても東を守り抜けというのが大公の命だ。生還の望みなどはじめから抱かぬ方がよいだろう。

 迷いつつも城にたどり着き、そこで老騎士は驚くべき光景を目の当たりにすることとなる。

「奥よ、これはどうしたことだ」

 彼を待ちうけていたのは、いくつも積み上げられた荷物の山と脇にたたずむ奥方の姿。

「行き先は東の砦でございますね、殿」

 使いの者から知らせを受けるや否や、城じゅうの者たちを呼び集め荷造りをさせた。驚いて引き留めようとする親類縁者に形見分けもすませ、あとは赴くばかりにしたという。

「まさか、わたくしひとりを置いてゆくなどと仰ったりしませんわね?」

 物見遊山ではないのだぞ。そう妻を引き留めようとする老騎士に諦めろと告げたのは、アーケヴの宮廷を追われる彼にただ一人ついてきたナイジェルだった。

「イズー殿のご気性、今更知らぬわけではあるまい」

 ええいおぬしはどちらの味方だと、老友を振り返り語気を荒げようとしたヴァンサンだったが、

「おぬしとの腐れ縁、俺ももはや諦めた」

 ぼそりと、苦々しげに呟いたナイジェルの表情に怒りをそがれた格好になる。

「身軽な方がよろしいでしょう。わたくしたちはふたりだけなのですから」

 かけがえのない一粒種は、七つの年に流行病で<母>の許へと還っていた。以来、無邪気なはしゃぎ声が城を彩ることはなかったが、それすら淡々と受け入れていたかに見えた妻のおもいを、今この時になって灰青のまなざしの奥に見て取ったような気がした。

「……すまぬ」

 うなだれた夫が耳にしたのは、殿らしくもないと笑う妻の声。

「<おかあさま>の許で誓ったではありませんか。あなたが赴く所ならばどこへなりとも参りますと」

 たとえそれがいくさ場であろうと、二度と戻れぬこの世の果てであろうとも。

「お忘れになってしまったとは、仰らないでくださいませね?」

 かつて若き日の自分を虜にした、乙女の頃と少しも変わらぬ妻の微笑みに、老いた騎士が掲げたのは降伏のしるしだった。



               ◆ ◆ ◆



「分からぬものだ」

 砦の中央、中庭にしつらえられた四阿あずまやで。腕を組んで考え込む騎士団長に、手にした陶器からたちのぼる茶の香りを楽しみつつ奥方は笑いかける。

「今に始まったことではございませんわ、殿」

 妻の言葉にそれはそうだがと呟きつつも、老騎士はさっきから騒々しい中庭の一角へと視線を転じる。


「ダウフト、おぬしという奴は」

 猛然と追いかける若い騎士から、ごめんなさいと謝りながら逃げ回るのは砦の聖女だ。

「どうしてわたしのいたずらに、いつもギルバートがひっかかるんですか」

 そういう問題かと唸るギルバートの前にたたずむのは、琥珀の髪と目をした己が友。

「いつものことながら微笑ましいな、おぬしたちは」

 あと少しでダウフトをとらえそうになった黒髪の友をがっしりと抑え、琥珀の騎士は乙女に逃げるように促す。

「怒れる狼はしばし俺が留めておきますゆえ。ささ、早く」

「ありがとうございます、リシャールさま」

「リシャール、おぬしはッ」

「許せ友よ、俺はいつでも救いを求める乙女の味方だ」

 冗談か本気か、悠然とうそぶくリシャール。その向こうからふたりに追いつかんと駆けてくるのは、輝く黄金の髪をしたデュフレーヌの若君だ。

「エクセター卿、僕の修練はどうなったッ」

 途中で放り出すとはどういう了見だと息巻くレオの姿に、意気込みだけは十分ねと突っ込んだのは気の強い金髪娘だ。

「今日も今日とて、打ち身と痣だらけで地団駄を踏む誰かさんの雄姿が目に浮かぶわ」

「う、うるさいッ」

 図星をさされて真っ赤になるレオの向こうで、ようやくリシャールの妨害を振り切ったギルバートが再びいたずら娘を追い始める。

「待てダウフト、今日という今日こそは」

「ああっ、だからごめんなさいって謝っているのにーっ」

 騒々しく行き過ぎる若者たちの一団を、しばし見送っていた夫婦だったが、

「何の騒ぎだ」

 ナイジェルの奴に知れたら揃って雷だぞと呟く夫に、優雅な仕草で陶器を口元に運びながら奥方は応じる。

「蛙ですよ、殿」

「蛙?」

「ええ、蛙です」

 げーこと鳴く生き物の姿が、老騎士の脳裏をよぎる。かなりおはねな砦の乙女が、どんないたずらをエクセターの騎士にしでかしたのかは、どうやら聞かぬ方がよさそうだったが。

「どうなさいましたの」

 不思議そうに自分を見やる老妻にもかまわずに、騎士団長は呆れともなんともつかぬ笑みを浮かべて答える。

「思い描いていたものとはちと異なるが、こういうのも悪くはないかもしれぬ」

 不思議の力を授かりし乙女に若く勇敢な<狼>たち、幼さを残した騎士見習いにはなやいだ彩りを添える娘たち。

 このまま、ふたり揃って往くものと思っていた砦の暮らしは意外なほどの賑わいに満ちあふれていて。

「まったく、ひとの一生などどう転ぶか分からぬな」

「ほんとうに。殿と暮らして退屈を覚えたことなど、今まで一度もございませぬもの」

 奥方の言葉に、どういう意味かと問おうとした騎士団長。だがそれも、優雅に差し出された茶の香りにどうやらごまかされてしまったようだった。


 砦の父、そして母。

 ふたりの時は、こうしてゆるやかに、そしてにぎやかに過ぎていく。


(Fin)

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