循環のルームスフィア

@ssymsan

循環のルームスフィア

 真夜中、ビル街の数多ある光の中の一つ。某オフィスにある実験のデータをまとめている 二人がいた。一人は終わらない残業にため息をこぼしていたが、もう一人の女はなにやら楽 しそうだ。


「今回は最近の少女漫画みたくすれ違いというか、思い込みでこじれていく二人の結末を 見届けたいのだがどう思うかね田中君」


「趣味が悪いですよ。久地苗先輩。実験対象を何だと思っているのですか」


 ニヤニヤ笑う女、久地苗に辛辣な言葉を返すがそれが無意味なことを田中は知っていた。 田中は諦め黙ってデータの打ち込みを再開した。






「伊吹、おはよう。体大丈夫?動けるかな?」


目を開けると知らない天井と話しかけてくる知らない男が視界に入った。私は誰で何を しているのだろう。思い出せない。今の状況に理解が追い付かず、目の前の男を不信感で睨 む。この人が私に何かしたような気がしてならなかった。


「…… あなた、だれ?」


「え?俺の名前わからないの?」


きょとんとした男はスマートフォンを取り出す。目線は泳いでいる様子はない。表情筋の 使い方からして敵意も悪意もない様子だ。


「俺は柊 大地。君の恋人だよ」


大地と名乗った男は画面をこちらに向ける。女性と彼のツーショット写真が何枚か見せ られ二人の親密さがうかがえた。どこかのテーマパークで撮ったであろうもの、海、山…… アウトドア派なのだろうか、彼らは。いや、見せられていることはこの女の子は私だろう。 自分の顔も思い出せないから鏡の一つでも欲しいものだ。ちなみにそれらの写真に一切の 記憶がなかった。私はただ困惑することしかできず首を傾げた。 「君は階段から転げ落ちて変なところ打ったんだよ。医者は当たり所が悪いから一時的で はあるが記憶がなくなると言ってはいたけど」


 こちらも一切記憶がなかった。転んで頭ぶつけて、それだけで記憶は飛ぶものなのか。な んておっちょこちょいな人なんだろう私は。


「あ、おなかすいてない?ずっと眠っていたわけだし小腹ぐらいすくよね」


そういって彼はキッチンへ向かい鍋を抱えて帰ってきた。 目の前に出されたものはお粥だろうか。なにやら湯気が立ち込めていてあつそうだ。そう 思いながら蓮華を持ち、恐る恐る冷ましながら一口、口に運んだ。

「美味しい!」

塩分濃度、温度、噛み応え。すべてが丁度いい。

「料理上手なんだね」

「君にいろいろ教えてもらったんだよ」

私と彼とは同棲していたのか。彼は信頼できる人なのだろうか。もっと話を聞きたくなっ て口を開きかけたところで携帯電話が鳴った。ごめんね、と彼は電話に出て部屋をあとにし た。


「ああ久地苗さん。お疲れ様です。 …… ええ彼女が。その件は本当にありがとうございました。え?費用負担してくださるので すか?会社が?それはまたどうして…… 」


 何かいろいろ話していたが私の頭に残ることは無かった。




 私が彼を好きになるのには時間がかからなかった。あれから二週間。目を閉じれば彼との 記憶を鮮明に思い出すことができる。例えば三日前、時刻十五時〇七分一四での出来事。そ の日の昼下がり。いつものお礼がしたくてケーキを買った日。彼、甘いものが好きらしい。 帰ってきたら蕾がほころぶような笑顔を向けてくれた。そう、すごくかわいいのだ、彼は。 彼と一緒の職場で、何も思い出せない私に優しくしてくれて、どの業務をどう処理していた のか教えてくれた。私は私のことをまだ思い出せない。名前が霧雨 伊吹であり、彼が好きで あること以外なにもわからない。不安になるのだ。彼がいなくなったら今の私には何もでき ないこの状況が。 きっとあなたは今までの私が好きで、記憶を失った今揺らいでいるのかもしれない。よく ある話じゃないか。弱っているタイミングで相談に乗ってくれる人に惚れてしまう。そして 私は別れを告げられる。そう、彼女の影がちらつくのだ。久地苗という女。彼女だけはどう しても好きになれなかった。彼女は私のコンプレックスを上手く突いてくる。なにも彼につ いて思い出せない私の前で彼の入社当時の話からつい数か月前の出来事まで彼と楽しそう に話すのだ。私の前で。また彼の上司ということで最近はずっと何か相談に乗っている様子 であった。私の知らないところで。 客観的に見れば優しくて、顔もよくて、彼の不安を和らげる人間。彼が心変わりするのは 時間の問題ではないか。そんな悩みが最近まとわりついて。ずっと頭が冷えないままでいた。

「久地苗先輩」

聞きたかった声と今聞きたくない言葉が耳に入り我に返る。廊下の向こう二人が並んで いるのを視界にとらえた。ずるい。痛い。不安なの。気づいてよ。私の彼を奪わないで。消 えてよ、久地苗。心がざわめく。棒でもいい。なにかないか。 ああ、私、自分自身のこと思い出せないけどすごく嫉妬深い人なんだね。思い出せたよ。 ありがとう。そして


「死んでしまえ」


 二人の背後に近づき近くにあったパイプ椅子を振り上げた。 しかしながら突然久地苗先輩はその場でしゃみこむ。振り下ろした椅子は彼に向っていく。鈍い音と同 時によりによって首元に当たってしまった。歪む彼の体。首元にひびが入る。飛び散る破片 と転がっていく彼の首に驚きが隠せない。血も出ていない。油みたいな透明なものがそこに 広がるだけ。



あなた、人間じゃないの?


「あらあら」

「久地苗先輩これは、あの」

「時刻は十二時四五分か。 君に殺されかけるのは四度目だよ。ほら、行くよ。台車持ってこないとあれ運べない。 …… 君も重いな。やっぱり鋼鉄の体は違うね。表面は人間と見紛う程やわらかいのに。ほ ら、足動かして」

 手を引かれて歩く。この思考回路ではだめだ、なぜいつも破壊衝動に目覚めるのか。愛の初 期値か?それともコンプレックスを上手く突けたのか…… そんなことを久地苗はぶつぶつ 言っていたが詳しくは覚えていない。彼を壊してしまった。彼はアンドロイドだった。そん なことある?自身の処理能力を超過しそう。頭脳部は熱くカイロみたい、壊れてしまいそう。






 彼はアンドロイドだ。眠っている彼は細身の優男、って感じの顔。すっごい顔は好み。 目の前でスクラップになったのは驚いた。会社…… もとい久地苗にも手伝ってもらい頑張 って元の形と同じになるようにしたつもりだ。よく素材が揃ったものだ。 ごめんね。謝りながら彼の手を握ると瞼がうっすら動いた。

「大地、おはよう。起きれる?」

「君は誰?」

「え…… 私のこと、覚えてないの」

しらじらしい言葉。彼の記憶データを全て消したから何も覚えていないのは当たり前だ。ごめんね。あ なたを壊したこと、もし貴方自身がアンドロイドだと知ったらびっくりしちゃうかなって。 だってそしたら私と貴方は創造主と創造物で上下関係ができて嫌。母子は結ばれない。心の 中の謝罪は届かない。きょとんとこっちを見る彼に高鳴る胸を隠しながら不安そうに目を 伏せた彼に優しく手を添える。

「私の名前は霧雨伊吹」

「いぶ…… 」

「外暑くてさ、熱中症で倒れてたんだよ。それで頭ぶつけちゃって。心配したな」

 あれ、これ既視感がある気がする。たしか数週間前に私が初めて彼と出会った時も。 …… 痛い。ノイズが入り数秒の暗転。 えっと、何か思い出しかけたんだけど。なんだっけ。そうだ、彼の不安を和らげてあげな いと。

「私はあなたの恋人だよ。ほら、これ見てよ。これ結構前に撮った写真なんだけど。見覚えはない?二人でパレード見るのすっごく楽しかったんだよ」

 あるテーマパークで遊んだ時、海、山でロケーションを楽しむ私たちの写真を彼に見せる。

「自分の名前は言える?」

 彼はふるふると頭を横にふった。

「あなたの名前は― 」






「女の勘って怖いっすね先輩。彼女また気づきかけましたよ。ほら、疑問、戸惑いの数値が一気に上がっています」

「常時監視が必要なんてやってられないねえ。バイトでも雇うか」

 目の前のパソコンには喜怒哀楽などの心理状態が数値化されたグラフが、霧雨伊吹と柊 大地とがそれぞれ映し出されていた。他には削除と称して回収した彼らの記憶データのフ ァイルも管理されている様子だ。

「俺、本当にこの実験好きになれません。何回彼らの出会いと殺し合いを見ればいいんです かこれ。胸糞ってやつですよ」

 田中は手元にあったパックジュースを吸い上げゴミ箱に投げ入れたが上手く入らなかっ た。

「人間の思考をどこまでもそっくりに模倣したアンドロイドたちを動かして、人間の心の 動きを数値化する、一定の数値に達する、つまり破壊衝動に目覚めて行動に移したら実験終 了。よくできているじゃないか」

「人間の感情なんて個体差大きいのに、ただ1対のアンドロイドのやりとりだけで多くを 語るのだっておかしいですよ。 他の部署なんてもっと明るい感情ですよ?愛だの恋だの。なんでよりによって殺意だの嫉 妬だの憎しみだの…… やってられませんよ」

「至極真っ当な感想をありがとう。私は勉強になって好きだけどな。女の子は嫉妬すると敵 視する女に殺意が向く傾向があるよな~。ふんふん」

 嫌悪の表情を向ける田中に対し久地苗は大げさに呆れて見せた。

「そもそもアンドロイド普及化を目指す私たちに課せられた課題はどういう思考回路を使 えば、あるいは外部からのどの刺激を避ければ突然の反乱、反逆を防ぐことができるのか。感情の ままに破壊衝動に目覚めないよう、きちんと研究、考察を重ねればクライアントや消費者の 身を守るためにも使えるだろ」

 それっぽいこと言ってしまって。たしかにまだアンドロイドの普及には至っていない。技術の発展途中で高価なのもあるがやはりアンドロイド側の反抗、安全性を不安視する声が 多く流行る様子はまだない。それはわかるが。田中はそう思い先輩を見る。

「なあ田中君。アンドロイドって自死の選択をすると思う?次は悲愛みたいな、シェイクス ピアも真っ青な展開にしたいんだけど」

「はあ…… なんでもいいですよ。 今月の修理代いくらになるんだろう…… 」

 彼女の悪趣味さに田中はため息をこぼした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

循環のルームスフィア @ssymsan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ