自殺者の記録
あまり覚えていないが、記録しておく。
多分時間がたてばもっと思い出せなくなるから、少しでも覚えているうちに書いておこうと思う。
俺が、一番変わった瞬間、かどうかはわからないけれど、そのきっかけの一つではあると思っている。
あの橋から飛び降りたとき。
たしか、下は確認してなかったはずだ。どこに落ちるか、何も考えていなかったはずだ。
車にひかれないように、位置を調整したような気もするが、それが妄想かそうじゃなかったかはもう確かめるすべはない。
靴を脱いだのは、なんでだったかわからない。
でも、それがとても合理的だったような覚えがある。
裸足で外に出た、とかではなく、途中の道で脱ぎ捨てた。
死ねる死ねる死ねる、とずっと頭の中で繰り返していたことを覚えている。
他のことを何も考えないように、ずっとそれだけを繰り返して、他のことが思い浮かびそうになるたびに、もっと大きく死ねる、と頭の中で呟いた。
そのうち、実際に声に出るようになって、たぶんかなり大声で叫んでいたのかもしれない。それも覚えていない。
助走を付けて、思いっきり飛び降りた。
目をつぶって、そう。逆上がりするような感覚だった。
体が浮く感覚とか、そんなのはなかった。全くなかった。
落ちたときの角度なんて、全く頭になかった。
助かるかどうかとか、そんなのもどうでもよかった。
ただ、今の自分に変化が欲しかった。それが死でもよかった。
勇気、なんて言葉は違和感を感じる。
それは、単純に生きることのほうが勇気がいる行為で、それをする勇気がないから、そうじゃない方を選んだだけだろう。
怖かったか、と問われれば、多分怖かったと思う。
でも、その恐怖がほとんど感じられないほどに苦しくて、行き詰っていた。
このまま生き続けるほうが、よっぽど怖かった。
至極、当然の行動だといえる。
あそこで飛び降りる以外の選択肢はやはりなかった。
落ちて、意識があることを確認して、すぐにしたことは体が動くかどうかだった。
どの部分が痛くて、動かないか。それをなぜか自然と行った。
何か感情がわく前に、そうした。理由はわからないが、そうだった。
それで、大体自分に置かれた状況を把握した。
とても、冷静だった。近くで車が通りすぎていて、危ないな、と思ったのを覚えている。
道の端まで、這って移動した。
痛かったが、立てないか試したが、無理だった。
痛みが増してきて、決断を迫られた。
車道に身を投げ出し、死を選ぶか。否か。
もしくは、とりあえず腕だけ伸ばして、腕を使い物にならなくするか。
そうすれば、きっと死ぬ覚悟ができるだろうと思った。
でも、もしそれで生き延びたとき、二度とゲームができないと思うと、それはできないと思った。
そのとき、まだ自分は生きたいんだと思った。
助けて、と叫んでいた。力の限り、何度も。
どれくらい叫んだかは覚えていないが、一人の女性がやってきたのを覚えている。
携帯電話で、先生、と呼び人と会話をしながらやってきた。
酔っ払いだと思って、怖かったとか、何とか言っていた。
その後、男性がやってきた。
車で通っていると、見かけて、気になって戻ってみた、といった。
救急車がやってきて、タンカに担がれる。
痛かったが、それはずっとそうだったから特別何かを感じはしなかった。
少し、安堵感があった。
事務的に、救急隊員が報告しているのが聞こえた。
いくつか質問され、家の電話番号を教えたのを覚えている。
なぜか、すらすらとでてきた。
自分で飛び降りたの? と聞かれて少しためらった。
うざったそうに、もう一度聞かれたので、小さく「はい」と答えた。
何の感情もなく、自損、とだけ報告していたのを覚えている。
きっと珍しいことじゃないのだろう。
よく考えれば、病院までかなり長い距離があったはずだが、あまりその時間は長かったように感じていない。
多分、そのあとに苦しんだ時間が比べようがないほど長かったからだろう。
治療は、ただ痛かった。
意識ははっきりとしていたのが、とてもつらかった。
痛い痛いといっても、何も変わらない。呻くしかない。
忙しそうな看護婦や医者は、痛みで動く俺をめんどくさそうに対応していた。
動かないでください、と何度も言われたのを覚えている。
動かないようにしよう、とどんなに思ったって痛くて動いてしまう。
今思えば、まるで俺の人生そのものだなんて思う。
痛み止めはあまり効かなかった。当然、強い痛み止めを打てば意識がなくなって死ぬ可能性があるからだろう。
死にたい、とは思わなかった。
死んどけばよかった、とも思わなかった。
それがなぜかは納得できるだけの理由はまだ持っていない。
ただ、痛くても苦しくてもそれを受け入れていた。
飛び降りる前よりかは、苦しくなかった。ように思えた。
そこからは、ずっと痛かった。
少しずつ痛みは引いていたのだろうが、あまり覚えていない。
ただ、ずっと痛かった。
母がやってきて、泣いていたが、正直何も感じなかった。
それを今でもはっきり覚えているのは、矛盾なのだろう。
あえて感じたものをひとつ言うなら、滑稽だな、という感情だろうか。
ごめんね、なんて。それを言うのはもう遅すぎて。
具体的なことも何も言わないのも、馬鹿みたいだと思った。
何が悪かったかも、分かってない。ごまかして、同じことを繰り返す。
自分を苦しめ続けた人。だけど、不思議と憎しみや怒りは沸いてこない。
それは感謝とか、そういうもので相殺されたからではないと思う。
多分、もう怒りも憎しみも、俺の心から極限まで消えていたからだろう。
捨てていたからだろう。
ここまで書いて、なぜか涙が出てくる。
あのときも泣いていたような気がするが、あまり覚えていない。
涙が出てくる理由はわからない。
感動したわけでも、苦しかったことや痛かったことを思い出してつらいわけではない。
ただ、文章は次から次へと出てくる。指は止まらない。
点滴や、薬など、たくさん注射された。
注射は痛かった。いや、実際はずっと感じ続けている痛みのほうが痛いのだろうが。
いずれにせよ、わかることといえば痛みというのは慣れるもの、ということだろう。
痛みが引いてきたのかもしれないけれど、同じ場所がずっと痛い場合、感覚がマヒしてくる。
いや、痛みは痛みとして認識できていたからマヒではないか。
ただ、痛くても、それについて考える頻度が減った、というのが正しい。
痛い。という感覚はあるが、別のことを考える余裕が出てきた、という感じか。
そのとき、はっきりと感じたことがある。肉体的な痛みは、精神的な痛みよりはるかに楽であると。
肉体的な痛みは、いずれ消える。慣れるし、感じている間それに恐怖することもない。
精神的な痛みは、ずっと残る。慣れないし、考えながらずっと恐怖し続ける。
バカバカしいな、と思った。
だってそうだろう、ずっと俺の苦しみは他の人の苦しみと比べて大したことがないって、思ってた。
周りの人間も、みんなそういうだろうと思っていた。
実際に、起こったことだけ見たらきっとそうなんだろうと思うけど、でも人生において上位に来るほどの痛みを知って、今まで感じてきた俺の苦しみが、全然「大したことない」わけではないことを知った。確信した。
俺は、誰よりも傷つき、苦しんできたという正しい認識ができるようになった。
それは勘違いなんかじゃない。
背骨が破裂骨折と粉砕骨折。かかとがぱっくり開いて多分たくさんの針を縫った。
痛み止めもほとんどなしで。
意識を失うこともできず、痛いまま数週間過ごした。
動けず、どんなに痛くてもそれをごまかすことはできない。
話し相手になってくれる人も、モノもない。
ただその痛みに向き合い続けた。
でも、それは今までの人生で一番つらい経験ではなかった。
高校に行かなくなった朝や、起きたくなくて、起きる妄想をしたとき。アルバイトで仕事を増やされて絶望を感じたとき。予備校で、自分の努力が足りないと正面から言われた時。
精神科で、一日二時間しか気晴らしにパソコンを使ってはいけないと言われた時。
母に今後のことを相談、交渉しようとしたが、まともに相手にされなかったとき。
それらの時と比べたら、どうということはなかった。
その証拠に、これらのときは必ず死を意識したが、痛みを感じているときに死にたいとは微塵も感じなかった。
むしろ、生きているという実感さえあった。安堵感や、喜びすらあった。
もちろん、痛みを感じたいというわけではない。
紛れもなく、それは不快感だったし、苦しみだった。
二度と感じたくないことには変わりない。
でも、あの精神的苦痛を味わうくらいなら、きっとまたあの痛みを受け入れるだろうと思う。
それくらいに、俺の人生は苦しみの連続だったのだ。
もう俺は苦しまなくていいんだ。そう思うだけで、とても安らかだった。
はじめて、自分で自分自身を許せた気がした。
今思い出せば、こういう風に思えたのは、あの時じゃなかったような気もする。
だが、その土台になったのは確かだ。
一カ月と何日か、もしかしたら二カ月近かったかもしれないが、そのあとに一度退院した。
病院内は、退屈だった。本当に、退屈だったのを覚えている。
家に帰って、パソコンを触る。もちろん、それを咎められたりはしない。
バイトで貯めた十三万を使って新しいパソコンを買った。
オンラインゲームで友達と遊ぶ。前と何も変わらない生活。
少しだけ、前より穏やかだった。
一年が立って、背中のボルトを外す手術をした。
二週間程度入院した。
もう少し長かったような気もする。
今回は、スマートフォンとDVDを見れる機械があったため、あまり退屈しなかった。
結構快適で、楽しかったのを覚えている。
全く痛くなかったわけじゃないけれど、前回と比べたら本当にましだった。
書き忘れていたが、尿管を通すのが、とても不快だったのを一番覚えている。
痛いのは痛いが、痛みはそこまでではなかった。しかし、とても嫌で怖かった。
もっとも大きな変化があった。
親戚が見舞いに来る、というのを母から急に言われて、本当に嫌だった。
嫌で嫌で、拒絶したのに、母は連れてきた。
俺は布団にくるまったが、無理やりはがされそうになった。
苦しかった。あのときの精神的苦痛がまたやってきた。
嫌で嫌で、そのときはっきりと死にたいと思ったのを覚えている。
母は不機嫌そうに帰っていった。
理不尽だと思った。本当に嫌で、死ぬほど嫌だったのに、理解されず、強要される。
俺の人生で、何度も味わってきたことだ。
考えた。ずっと。何度もこれを繰り返したくない。繰り返していたら、きっとまた俺はまた苦しんで、最後には自ら死を選ぶ。もう嫌だった。
だから、考えた。そして、選んだ。
これ以上悪くはならない。これ以上苦しむことはない。
そういう認識ができた。怖くて避けていたものに、立ち向かうことにした。だって、もう俺の心は地の底を知っていて、それ以上恐ろしいものはもうなかったから。
だから、話した。ずっと苦しんでいたこと。母に、あなたがやってきたことが、俺を一番苦しめていたということ。俺が死のうとした一番の原因は、あなたであると、はっきりと告げた。
そうしないと、伝わらないと思った。実際に、今まで伝わらなかったから。
次の日。
はっきりと伝えても、すぐにはわかってもらえなかった。なんどもなんども、大声で泣きながら訴えて。
最後に、「ありがとう。ごめんね」と俺は言った。
トシは悪くないから謝らなくていい、なんて言われたのを覚えている。
それが、心から思っていてそう言っているのか、それともそういうべきだからそう言っているのかは、わからなかった。
だけど、伝わったような気がして、心の霧が張れたように思えた。
それからの生活は、かなり楽になった。
ずっと思っていただけで、伝えようとしなかった思いは、たとえそれが伝わらなくても、自分自身に大きな変化をもたらした。
伝えたら、きっと恐ろしいことが起こる、ひどいことになる、という強迫観念から逃れることができた。
俺は、もうためらわない。自分の思ったことを、そのままいう。誰かを傷つけることを恐れない。
だって、俺がどんなに人を傷つけたって、俺自身はそれ以上に人に傷つけられてきたのだから。
俺が傷つける分なんて大したことじゃない。恐れる必要はない。
俺の言葉で、誰かが自殺したりなんかしないだろう。
俺は他人の言葉で死にかけた。そうだろう。どんなに俺が人を傷つけたって、今まで俺が傷ついてきた分には遠く及ばない。
俺だけが傷つく必要はない。自分が傷つくくらいなら、人を傷つける。それの何がいけないんだ。
ずっと、自分だけ我慢して生きてきたんだから、自分自身が自分を許さなかったんだから。
これだけ苦しんだんだ。もう俺は自分を許す。自分を認める。自分が何よりも尊いと、思い続ける。
あれからもう三カ月くらいか。四カ月たったかもしれない。二カ月程度かもしれない。
あまり覚えていないけれど、今の精神状態はかなり良い。
相変わらず、母は俺を理解してくれないけど、それでも前よりははるかにましだと思う。
一番変わったのは、他でもない俺自身だ。遠慮せずに、思ったことをそのままいう。
それについて、何か批判されても、ちゃんと反論する。
そうするようにして、俺が何も間違っていないとはっきりと理解できた。
自分自身を信じられる。信じる、というよりは正しく認識できるというのが近いかもしれない。
何にしろ、俺は今の自分に納得しているし、それなりに満足している。
これから俺がどうなっていくかはわからないけど、多分、大丈夫だと思う。
俺が俺自身を肯定しているうちは、少なくとも大丈夫だ。
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