第45話 「ごめんなさい。同じ学校の子が向こうから来ているの隠れて!」

「私、こういうのはもう嫌……」


 しーちゃんは泣きそうな声で苦しそうに言った。

 俺も嫌だった。


 そもそも、しーちゃんは何も悪くない。

 俺が勝手に思いこんで、過去にしがみついているだけなのに。

 なにやってるんだろう。ホント……。

 自分のことが嫌いだった。

 こんなことで女の子を泣かせるなんて。きっと、シオリがいたら俺のことを叱るだろう。


 だけれど、その一方でもしかして、どうしてシオリ以外の女といるの?

 と責められているんじゃないかという気持ちもある。

 さっき、硝子に映ったシオリがみえたとき、一瞬うれしかった。

 幽霊だとしてもシオリが戻ってきてくれたって。

 たとえ、嫉妬が理由だろうと戻ってきてくれたって。


 ありえない。


 そう、有り得ないんだ。

 シオリが嫉妬で幽霊になって化けてでるなんて、いうのは俺の妄想だ。ただ、シオリが恋しくて仕方ない。現実をみつめることができない。ダメ人間の妄想だ。

 シオリはもう死んでしまったんだ。

 死んでしまった人間はもどってはこない。


 それに、未練がある人間が幽霊になってもどってこれるとしても、シオリはこんな風に俺の前にはあらわれないだろう。

 本物のシオリなら俺のことを心配したとしても、こっそり見守るだけだろう。



 俺は、しーちゃんに謝らなければいけない。

 しーちゃんは今ここに生きた人間として、俺と友だちになりたいって言ってくれて側にいるのだから。

 死んでしまったシオリと違って、しーちゃんはすぐ隣にいるのだから、ちゃんと向き合って謝って手を伸ばせば良い。


「しーちゃん……」


 そう呼んだ瞬間、俺の腕はぐいっと捕まれて、引っ張られた。


「ごめんなさい。同じ学校の子が向こうから来ているの隠れて!」


 なんだか前にも同じようなことがあったきがする。

 そうか、あのときはシオリが俺の手を引いて、この路地へと入って走って逃げたんだっけ。

 箱入りのお嬢さまたちからしたら、男子と一緒にあるいているのをみるだけで噂話の格好の的になってしまうから。


 だけれど、しーちゃんは間に合わなかった。

 俺が路地に一歩足を踏み入れた瞬間、


「あら、こんなところで偶然ですね」


 しーちゃんは、知り合いに見つかったらしい。

 俺はさっと、路地の物陰にはいって、身を潜める。

 こちら側は薄暗いからきっと向こうからはそんなに目立たないはずだ。息をころしながら、しーちゃんを見守る。


「ええ、ちょっと買い物がありまして」

「詩織さんが寄り道なんてめずらしいですね。あの……最近、少し元気になったみたいで良かったです。ずっとふさぎ込まれていたみたいなのでみんな心配していたんですよ」

「ご心配ありがとうございます……」

「詩織さんが、一番親しかったんですものね」


 そのあとの会話はやたら飛ばす車が通ったせいで、よく聞こえなかった。

 お嬢様学校の生徒同士ではなしているときのしーちゃんは、上手く言えないけれどいつもと雰囲気がちょっと違った。

 何時もとくらべて凜としているというか、すごく綺麗だった。

 今、しーちゃんの後ろ姿しか見えないけれど、いつもは三つ編みの地味なメガネの女の子のしーちゃんの背中はピンと伸びて、すらりとしたからだに、編み込まれた髪は絹のように滑らかでなんだかとても綺麗だった。太陽の光にあたっているしーちゃんの黒髪はブラックオーパールのように様々な光の色を映していた。


 しばらく立ち話をしたあと、しーちゃんたちはやっと解散する。


「おまたせしました」


 しーちゃんは、路地にいる俺に手を差し出す。

 もう来ていいよという風に。

 だけれど、俺はしーちゃんのその手を引っ張って、店と店の間の細い路地へと入っていく。


 古ぼけた壁にはあまどいのパイプが走り、足下にはいつから置かれているのか分からない植木鉢。

 時折、室外機がただでさえ狭い道を占領して歩くのを邪魔する。

 こんなところを通るのはネコくらいだ。


 俺はしーちゃんの手を引きながら器用に路地を進んでいく。

 しーちゃんも初めてにしては器用に障害物をよけていく。普段おっとりしているので運動神経はないほうかと思ったけれど、身のこなしは鮮やかだった。

 ビールの王冠にビー玉に読み捨てられた雑誌、なぜこんなところにあるのか分からないようなモノが時々あってそれらを踏みつけないように、しーちゃんの足はダンスを踊るように軽やかに動いていた。


 女の子の手を取って走る。

 走っている間に見えたその光景はジブリ映画で見るような不思議で面白い世界がこの先にあるのではないか思わせる。

 なんだかよく分からないけれど、子供のころあったようなふつふつと心の中になにか温かいものを流し込まれたような不思議な楽しさがこみ上げてきた。


 やっと、足を休めるのが許されたのはどこだか分からない場所だった。しっとりとした地面に木の緑が妙に落ち着く場所。

 一体、俺たちはどこに来てしまったのだろう。まさか、子供のころに読んだ物語みたいに、でたらめな道を進んでいるうちに異世界に来てしまったなんてことないだろうなと不安になる。


「はあ、はあっ……どうしたんですか、急に」

「いや、なんとなく。こう、なんか急にここに来てみたくなった」


 一瞬だけ大まじめな顔をしてそういった。でも耐えられなくてすぐに吹き出す。するとしーちゃんも笑い出す。

 こうなったらとまらない二人でゲラゲラと笑う。

 ちょっと息切れして苦しいのにも関わらず、ヒイヒイと息を必死に吸い込みながら笑う。

 ひとしきり笑ったあと、


「本当はここ。思い出の場所なんだ」


 と俺はそっと言った。

 そうシオリとの思い出の場所。

 一生だれにも言わないで俺とシオリだけの秘密にするつもりだった。


 しーちゃんは何も言わない。

 きっと、しーちゃんが幼馴染の話をしたときに俺が感じたような、これ以上聞けない空気を感じているのだろう。

 相手が話さなければ聞いてはいけない。暗黙の了解のような。


「さっきはごめん」


 素直に謝ることができた。

 こんなに簡単だったのだ。


「ちょっと、びっくしりしたけど。大丈夫」


 なんだか、疲れたけれどすごく穏やかで幸せな気持ちになれた。

 できるなら、しーちゃんとならまた一緒にここにきたい。


 ここが本当に異世界でこのまま二人でどこかにいければ良いのに。そんなことを言ったらしーちゃんに笑われた。


「こっちだよ」


 俺はそういって、しーちゃんの手を引きながら来た道ではなく、木の隙間をいくつか通り駅前にでた。


「みんなには内緒だよ」


 そういって、俺は立てた人差し指をしーちゃんの唇に当てた。

 俺は本当はしーちゃんを抱きしめたかったけれど、今はこれが限界だった。

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