第41話 「卵焼き、気に入ってくれたなら、また作ってきますね」
「ごめん、なんでもないんだ。大丈夫、大丈夫だから……」
俺は一生懸命、言葉にしようとするけれど、涙が止まらなかった。
しーちゃんは不安そうにこちらをみつめる。
俺は、自分でも涙をとめることも、自分が泣いている理由を説明することもできないくてどうすればいいか分からずパニックになった。
しーちゃんは、最初俺のことを心配そうにしてみつめていたが、あまりみられていると俺がおちつかないと気づいたのか静かに隣に座っていてくれた。「いったん預かるね」といって、俺のてからおにぎりをつつみごと持って行く。
しーちゃんは、ただ俺の隣に座っている。俺の方をみないようにうつむき気味で。細い首筋の肌はその奥の血管が透けそうなくらい白くて、透明感があった。それが徐々に赤くなっていった。
そして、チェックのスカート。
たしかに、俺はこの光景に見覚えがあった。
シオリがとなりにいたときまったく同じ光景をみたことがある。
座ったときに見えるタータンチェックのスカートに紺色のブレザー。ありふれているのに、すごく上品な雰囲気が漂っているけど。
一瞬、シオリがとなりにいるように感じた。
それは、たまに遠くにみえる俺の幻覚じゃなくて、すごくリアルな感覚だった。
「ごめん……」
しばらくして、落ち着いてやっと俺は喋ることができた。
「こっちこそ、ごめんなさい。変なもの食べさせてしまって……だって、よく考えたら、アキラ君にとっては私は一昨日はじめて会ったような人間なのに……手料理を食べてとか重すぎる……私ったら、やっぱり変だよね……気持ち悪いですよね……」
そういって、さらにシュンと肩を落とす。
「違うんだ。そうじゃないんだ。ただ、すごく、すごく懐かしくて……」
俺はそれ以上なにも言えなかった。
シオリのことを話すべきだったけれど、上手く言葉にできなかった。
「さっきのおにぎり、もっと食べてもいい?」
これが俺がいま言える精一杯の言葉だった。
すると、しーちゃんは顔をあげる。
「本当に大丈夫?」
まだ不安そうな顔をしている。
「うん、俺が食べたいんだ」
同意を示すように大きくゆっくりと頷くと、しーちゃんは「はい」とおにぎりを渡してくれた。
「……無理して食べなくていいからね?」
再び俺はしーちゃんの作ってきたおにぎりを囓った。
一口目は、俺がないたせいでちょっとしょっぱかった。
二口目は、わざと卵焼きの部分だけを囓ってみる。
じゅわりとだしが染みだしてきて、あまくて、ふんわりとした知っている味。ちょっとだけ焦げ目がついているからこその香ばしさ。
シオリが作ってくれた卵焼きとまったく同じ味だった。
俺は無言のまま食べる。
「ごめん、口にあわなかった? ごめんなさい。吐き出しても大丈夫だから」
俺の様子をみて、しーちゃんは心配そうに水とハンカチを差し出した。俺は一生懸命に首をふる。
だけれど、しーちゃんは不安で泣き出しそうな顔をしていた。
違う、違うんだ。しーちゃん。
別にしーちゃんの料理が下手だとかまずいんじゃないんだ。
ただ、不意に思い出した恋人の味が嬉しくて懐かしくて、胸が一杯になってしまっていた。
ありきたりなレシピなのかもしれない。
だけれど、俺にとってはとくべつな味だった。
お砂糖とミルクのお菓子みたいな卵焼きをつくってきたシオリがわざわざ、うちのレシピをつくって変えてくれた卵焼き。
母さんと同じレシピのはずなのに、シオリがつくったほうがちょっぴりあまくて、ほんのすこしだけ焦げ目があった。
大好きだった女の子との思い出。
泣きそうになりながら、しーちゃんにそれを説明するのは大変だった。というか、ほとんど説明になっていなかったと思う。しーちゃんは頷いて真剣な顔をしていたけれど分かるはずがない。
このことを説明するには俺とシオリの関係について知らなければいけないから。
「美味しかったよ。ごちそうさま」
俺はなんとかそれだけ言った。
しーちゃんに変に思われたかもしれない。
しーちゃんは優しいけれど、俺のことをこんな変なやつだと思ってなかったと思っているはずだ。
まあいい。また一人にもどるだけ。
だけれど、別れ際、しーちゃんは言ったんだ。
「卵焼き、気に入ってくれたなら、また作ってきますね」
そういって、俺たちは別れた。
分かれる直前、
「ねえ、俺としーちゃんがあったのって……」
「今日はもう、時間切れです」
なぜだか、しーちゃんも泣きそうな声だった。
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