第40話 「おいしくなかったですか? あの無理して食べなくても……」

「おはようございます。えっと、アキラ君」

「あ、はい。おはようございます。本城さん」

「しーちゃんって呼んでくれたほうがいいです」

「じゃあ、しーちゃん。おはようございます」


 朝だというのに、しーちゃんはめちゃくちゃ元気だった。

 俺はというと……すごく眠い。

 年頃の男の子にありがちな昨日夜遅くまでおきて、ゲームをしちゃった~とかテスト勉強とかではなく、俺はシオリを失ってから慢性的な寝不足なのだ。


 目を覚ませばまた現実が始まる。

 シオリがいない世界がやってくる。

 毎朝、目が覚めると俺の頬は涙で濡れている。

 泣いたあとは涙の塩分のせいで瞼が炎症を起こすらしい。そんなわけで俺の瞼は毎朝むくんでいる。


 昨日の夜、しーちゃんから『明日は朝にあいませんか?』と連絡が着たのだ。

 正直、何かの見間違いだと思った。

 ただ、朝起きても俺は特にすることもがない。シオリと付き合うようになって早起きの習慣ができて、朝ギリギリまで寝ていることは出来ないし。


 それならば、朝に誰かとあって話をしてみるのも悪くないと思ったのだ。

 俺は一応、『朝なの……放課後じゃなくて?』と確認のメッセージを送る。

 すると、『朝です。もし良かったら朝ご飯も一緒にたべませんか?』

 とすぐに返事が来た。


 ちょっと、面白そうだと思った。

 そして、懐かしい思いがこみ上げてくる。

 シオリともこんな風にデートしたなあって。


 しかも、シオリと同じように『朝ご飯』ときた。

 最近は家族とも朝ご飯を食べるようになっていたので、夜のうちに「明日は朝ご飯をいらない」と母さんに言っておく。朝ご飯といっても、親のコーヒーのおこぼれをもらって、シリアルバーやら前の日に買っておいたドーナツなんかを囓っていた。シオリが朝ご飯を食べるべきだって散々せっとくしてくるから習慣がついたのだ。


 でも、今は猛烈に後悔している。

 目が開かないのだ。やっぱり蒸しタオルをあてたり、冷やしたりしても収まるまで結構時間がかかる。家にいるときは時間をもてあましていたので気づかなかったけれど。

 まだ俺の目元には腫れが残っていた。


 今朝も、目覚ましが鳴る。一番最初にシオリとの約束して以来、毎日スマホのアラームの他に小学校の頃から使っている目覚まし時計がなるように設定されている。みんなが知っている通信教育の付録でついてきたキャラクターの奴だけれど、これが「オハヨウ! アサダヨ! オキテー! ぐううzzz ガゴンッ、ガがガガがガガが、オハヨー!!!!!』という人を起こしながら自分は寝るというとんでもなく腹が立つ狂気の目覚ましだった。

 大抵、目覚ましが鳴る前に俺は浅くて悲しい夢からさめてしまうけれど。


 朝の公園の空気はすごく冷たい。

 季節が巡ったのか、初めてシオリと会ったときよりももっと冷えるようになっていた。

 でも、あいかわらず人も多い。ランニングや犬を連れて散歩している人が結構いる。

 夕方の公園の方が人が少ないと思えるくらい賑わっている。


 みんな幸せそうだった。ただしく決まったルーチンがあって、ちゃんと毎日を同じことを繰り返せる。

 変わらない毎日なんて退屈なんて人もいるかもしれない。

 だけれど、俺は変わらないというのがうらやましかった。


「みんな元気なんだなあ。ちゃんとした人間というのはこうやってちゃんと朝起きられなきゃだめなんだねえ」


 俺がおちゃらけてそんなことをいっていると、彼女しーちゃんが急に俺のそでの端っこを摘まんでをクイッと引っ張ってきた。


「眠いんですか? アキラ君」


 心配そうな顔でのぞき込んでくる。


「うん、朝はちょっと苦手で」

「じゃあ、コーヒー飲みませんか?」


 そういって、歩き出した。

 歩いていると、時々、しーちゃんの手の一部が俺の手に触れる。

 ときどきあたるしーちゃんの指先はちょっと温かかった。だけれど、骨はとっても細くて、きっと小指の骨なんかはひよこの骨よりも細いと思う。


 近くにあるチェーン店でコーヒーをテイクアウトする。


「あれっ、朝ご飯は? ホットドッグかなにか頼まなくていいの」


 と俺がきくと、


「アキラ君、アレルギーはないですよね」

「うん、大丈夫だけど」

「私、お弁当つくってきたんです。良かったら食べませんか?」


 いやとは言えない空気だった。

 しーちゃんと喋るのは楽しいし心地よいけれど、俺はしーちゃんのことをほとんどしらない。

 本当ならば手料理なんて重いし。なんというかそれほど親しくないのに気持ち悪いと思う。


 普段の俺ならお腹をこわしているとか適当な理由で断っていただろう。

 だけれど、なんかしーちゃんと話していると大丈夫なような気もしたのだ。

 それはもしかしたら、しーちゃんがシオリと同じ学校の生徒だからかもしれない。



 俺は自分がちょっとワクワクしていることに気づいて幻滅した。

 シオリが死んでしまったというのに、俺はなに楽しい気持ちなんか味わっているんだよと心のなかの自分をどつく。

 再び公園に戻り(といってもさっきと違い公園のランニングルートからはずれた人気のないベンチだ)、しーちゃんと一緒に朝ご飯を食べた。


 相変わらず人気ひとけがなく、木々が生い茂る空間はとても静かだ。

 そんな静かで現実離れした空間で、コーヒーを飲んでいる俺のすぐ側でしーちゃんはお弁当を広げる。

 タッパーに入ったおかずとおにぎり。

 意外と普通だった。


 タッパーに入ったおかずはウインナーとプチトマトそれにゆでたブロッコリー、なんの細工もできないようなメニューだった。すごくシンプル。

 好きだと言った卵焼きは入ってなかった。

 そして、それにおにぎり。


 俺はとりあえず、おかずから食べることにする。

 美味しいというかすごく安心する味だった。どこかで食べた覚えのある味。

 きちんと下ごしらえをして、余計なことをしなかった味。

 ちょっといいホテルの朝食とかでも同じものを食べたらちゃんとこの味になるってやつだった。


 好きだと言った卵焼きが入っていなかったのは残念だった。

 そして、残念だとおもう自分に再び失望する。

 シオリだったら、卵焼きを作って来てくれたのにって思ったから。


 俺はしーちゃんにシオリの代わりを求めているのだろうか。

 シオリの代わりなんていないのに。


 それに、しーちゃんは友だちだ。


 しーちゃんも俺も無言でおかずを囓りながら熱いコーヒーを飲む。あまり喋らなかった。


 ただ、景色と時々遠くの方でランナーが通過するときの派手なスポーツウェアの色がチラチラと見えるのをぼんやり眺めていた。


 そして、無意識におにぎりの包みを開いて、一口囓った俺は思わず「あっ」と声をあげて驚いた。


「えっ、なにか変なものでもはいってました?」


 しーちゃんは慌てて俺の手元のおにぎりを見つめる。

 そりゃあ、作った人としては食べた人があんな風に声をあげたら不安になるだろう。


「いや、なんでもない」


 俺はそれだけやっと答えてもう一口囓る。

 ああ、だめだ。我慢しようとしたのに涙があふれてくる。とまらない。


「おいしくなかったですか? あの無理して食べなくても……」


 しーちゃんは、気を遣ってくれる。

 けれど違うんだ。


 おにぎりには卵焼きと明太子が入っていた。

 そして、卵焼きはちょっとだけ焦げ目がついていてだしがじゅわっときいていて甘くて。シオリが母さんのレシピでつくってくれた卵焼きそっくりだったんだ。

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